第二章 6
「オーマ――」
シアが口を開いた。細い指でドウマの袖の端を引いている。
視線を向けると、紫色の眼がターニャをちらと見た。
「ああ。紹介がまだだったな。――ターニャ・マラータ。この店の主人だ」
「オーマの『主人』?」
あどけない物言いに苦笑する。
「主従契約は関係無い」
「どういうひとなのか訊いてもいい?」
許可を求める言い方は、ドウマを下僕にしても変わらないようだ。
ドウマは口の端で笑った。
「ターニャは情報屋だ。クジのことを調べてもらう。誰が何の目的でおまえを狙っているか知りたい」
――攻撃は最大の防御だと考える確率が高くなる。
クジの分析が脳裏に過る。なるほど。当たっているかもしれない。自分が狙われているなら好きにさせるのも面白いと思うが、保護対象を抱えて愉しみを優先する気は無い。
危険を特定し、排除する。それが最もリスクが低く、かつ効率的だ。
ふとシアが黙ったままでいるのに気がついた。唇を微かに開き、何か言いたそうだが、どう言っていいのかわからないという貌だ。
「馬鹿ね。オーマ」
ターニャが蛇のように笑った。
「この人形のように可愛いお嬢ちゃんはそんなことを聞きたいわけじゃないわ」
細長く、それでいて異様に柔らかな腕が、ドウマの首に巻かれた。
「あたしたちの関係を聞きたがっているのよ。ねえ、お嬢ちゃん?」
シアが無言でターニャを見つめる。
「図星だったかしら」
ふふん、と笑って、ターニャが言う。
「ターニャ」
口を開くと、ターニャは肩をすくめてドウマから離れた。
「はいはい。ただの店主と客の関係よ。心配しなくていいわ。お嬢ちゃん。さんざん誘っているんだけどね。一度として応じてくれたことはないわ」
「男を抱く趣味は無いんでね」
「男のひと?」
瞬きをしながら、シアがターニャを見つめる。
「性別を質問するのはマナー違反よ。お嬢ちゃん」
ターニャの眼が細くなった。
「ごめんなさい」
シアが子供のように謝罪する。
「子供を威嚇するな」
「威嚇してないわ」
「シアは――」
子供じゃないよ――言いかけた言葉に、りん、と鈴のような音が重なった。
胸を押さえ、シアの指が服の中から雫型の端末を取り出した。細い鎖で首から下げていたようだ。金色の光を放ちながら、金属が触れ合うような音をたてている。
ドウマは手を伸ばし、シアの首から端末を外した。
「ひもつき?」
ターニャが訊いてくる。
「どうかな」
端末に追跡ツール(ひも)を仕込む方法はいくらでもある。クジが警察のパスコードを持つなら、どうにでもできるだろう。
ドウマは音を消して、ターニャに渡した。
シアは何も言わず、子供のようにドウマのすることを見つめている。
「どちらが主人かわからないわね」
薄く笑いながら、ターニャは受け取った端末をカウンターに置いた。ただのカウンターではない。センサーの光がちらつく。
「とりあえず、何も無さそうね」
そう呟きながら、TV画面の映像を消し、代わりに端末が受信した情報を表示させる。
カウンターに肘をついて、ドウマは画面に眼を向けた。
綺麗な緑色の画面に、色鮮やかな花が咲いていた。
蔓草のような書体で、ム・シャンファと文字が浮かぶ。
「ム・シャンファ?」
「花の名前よ。木香花あるいは木香薔薇。英名はバンクシアローズ。事業案内……モデル紹介? これ、モデル事務所のHPよ」
「モデル?」
花のひとつがほころび、少女の映像が現れた。月光色の髪が流れ、人形のように整った貌が画面の中であどけない笑みを浮かべる。
「あんたの『ご主人様』はこの事務所のモデルのようね」
「変な言い方をするな」
「ふふふ。――あら?」
ターニャが声をあげる。ドウマは視線を向けた。
「Demonの表示がある。驚いた。この事務所は魔物と知って登録しているわ」
「裏は?」
「見たところきれいだけど。普通は有り得ないでしょ。調べる?」
「頼む。他は?」
「メッセージがひとつ。この事務所から。業務連絡ね。――シア・ラヴィアさん。あなたを指名の仕事があります。午後四時にクライアントに会う約束です。三時に待ち合わせましょう。ドレスアップしてきてくださいね。ですって。以上よ」
「指名した者はわかるか」
ドウマは訊いた。
ターニャの指が動く。シアの端末を踏み台に、モデル事務所のサーバに侵入したのだろう。白い眼が蛇のように細くなる。
「嫌な名前が出たわ。創世神来教――オム・ナァの子等よ」




