第八章 7
――君はこれから男に会うんだ。
――おとこ……のひと?
人形のように少女は繰り返した。
白い貌は無表情だった。透明な紫色の眼は大きく開いているが、眼に映るものを認識しているかどうか疑わしい。
少年は少女に近づくと、少女の髪に触れた。少女の貌の横で月光色の髪に指を絡める。
少女はされるがままだった。
白いシルクのワンピースに身を包み、人形のように坐っている。
――君の記憶はあらかた消してしまったけど。
指ですくいとった少女の髪に口づけをしながら、少年は言った。
――新しい記憶をあげよう。
――きおく?
少女の眼が動いた。透明な眼が少年を見つめる。
――そう。母親の記憶。幼い頃の記憶。父親は……いらないかな。めんどうくさい。
――……
少女は何も答えない。
――君は猫が好き。子供が好き。好きな色はみどり。君の名前は……
――シア……ラヴィア。
少女が口を開いた。少年が小さく笑う。
――そう。よく覚えていたね。
――どうしてシアのきおくを消したの?
少女の言葉に少年は息を呑んだ。
少女の眼が子供のように真っ直ぐに少年を見つめている。
――君を子供にしたかった。
――……
――君がこれから会う男は恐怖の支配者だ。恐怖を感じる心は、だから無い方がいい。あれば怖くて近づけないだろう。
――こわいひとはきらい。
少女の身体が小さく震えた。
――幼い子供や赤子は平気だ。恐怖を知らないから。でも君がまだ怖いと言うなら。
少年の両手が少女の頬を包むように触れた。
――もう少しきれいに消してあげよう。赤子のようになるまで。この会話も。全部。
――いや。
――大丈夫。怖くないから。
――こわくない……?
少女の身体から力が抜けた。抵抗する気力も意思もすでに少女の中に存在しない。
幼い子供のような貌は少年に全てを委ねているようだ。
――キスしてもいい?
少年は言った。少女が貌を上げる。
――キス?
問うために開いた少女の唇に、少年は唇を重ねた。甘い吐息を感じてから唇を離す。
――もっとして。
飴をねだる子供のように少女が言う。
少年は少女の唇に軽くついばむようなキスを与え、少女の頬、少女の瞼、少女の額に唇で触れた。少女は眼を閉じて、少年にされるがままになっている。
少年の唇が少女の髪に触れた。甘い匂い。少女の髪は蜜のような匂いがする。
――君の匂い。好きだよ。
少年が囁くと、少女が眼を開いた。
透明な眼は吸い込まれそうだった。白い貌の中で紫色の宝石のように見える。
少年は小さく笑った。
――綺麗だよ。誰だってきっと虜になる。
少女が何かを言う前に、少年は両腕を広げて少女の頭をそっと抱いた。
――さよなら。ラヴィア。次に目覚めた時、君の中に僕はいない。
少年の腕の中で、少女の身体がぴくんと動いた。
そのまま力が抜ける身体を少年は抱きしめた。




