第七章 18
シアが眠っている時間に話がしたい――何度目かの食事を持ってきたターニャにイツキへの伝言を頼んだ。深夜、イツキとターニャが部屋に訪れた。
「話って?」
ソファに坐りながら、イツキが口を開いた。
照明はナイトスタンドだけにしてある。オレンジ色の光がイツキの黒髪に反射する。
「おまえを殺して外に出ることを考えた」
ぴく、とイツキの眉が動いた。
黒い眼が暗い光を放って睨みつけてくる。
ターニャがイツキの前に立った。殺させない、という意思表示だが、ターニャの力ではドウマを止めることはできない。
ドウマは冷ややかにターニャを見つめた。
ターニャの貌が強張る。
ドウマがイツキ達に服従するのは、イツキとシアの間に主従契約があるからだ。イツキの命令でシアが何をするか、させられるかわからない。だが、シアが寝ている今、その心配は無い。
こちらの要求通りにシアが寝ている時間に来るのだから、無防備にも程がある。
その気になれば、ドアを開けた瞬間、首を刎ねることもできた。
「人間を滅ぼす敵にしては危機意識が薄いな」
左手を振った。手にしていたグラスが放物線を描き、オレンジの光を反射する。
ターニャが受け取ったのを見て、別のグラスを二つ取った。ソファに近づき、まだ立ち尽くしているターニャを軽く押し退ける。イツキの前にグラスを置き、もうひとつをテーブルに置いて、ドウマはソファに坐った。
右手に持っていたボトルの栓を抜き、琥珀色の液体をグラスに注いだ。
ターニャに眼を向けると、
「今の、冗談だったの?」
イツキの横に坐りながら言った。
「警告だ。他人を利用しようとするなら隙を見せるな」
「……」
ターニャのグラスにも酒を注ぎ、ボトルをテーブルに置いた。
琥珀色の液体を見つめてから、イツキの眼がドウマに動いた。
「で? まんまとやってきた僕達をどうするの? 殺す?」
「兄弟喧嘩はするな――とさ」
「ラヴィア?」
「ああ」
「は。はは。そんな他愛ない言葉にも従うの。下僕ってそこまで隷従するんだ」
「そうだ。シアの命と意思を最優先する」
低い声に何を感じたか、イツキは黒い眼を細めた。
「本題は?」
「シアに種を作らせたいなら、それなりの環境を用意しろ」
「環境?」
「種って?」
ターニャが訊いてくるが、後で話す――と黙らせる。
「花鬼が半分植物なら、地下生活が身体にいいわけがない。よしんば大丈夫なのだとしても、女を閉じ込めておくのは気に喰わない。それはおまえも知っているはずだ」
「……」
「シアを使っておれを縛っても――」
グラスを持ち上げて言う。
「おれが暴走しないという保証は無いぞ」
「それなら――」
イツキは数秒で口を開いた。対応が早い。
「ビルの最上階に部屋を用意する。窓は開かないが陽光は入る。教祖のフロアだから、他には誰も来ない。フロア内なら自由に行動しても構わない。それでどう?」
「いいだろう」
「他に話は?」
「今は無い」
「わかった。じゃあ僕は退席するよ」
腰を上げ、ドアに向かう。その後ろ姿に、
「おれの警告を忘れるな」
ドウマは声をかけた。イツキの眼がドウマを振り返る。黒い眼は何も言わず、ドアの向こう側に消えた。
「子供には甘いくせに。弟には厳しいのね」
ターニャが口を開いた。女の恰好をしていた。オレンジ色のチャイナドレス。同色の布を幾重にも頭に巻き、髪の毛の蛇を隠している。
「シアを渡す相手だ。手厳しくもなるさ」
「渡すって――」
「おれはいつまで保つかわからない」
ターニャの眼が大きくなった。
「そんな貌をするな。シアが種を作るまでは生きているよ」
「種って何よ?」
「花鬼は大人になれば一年で枯れる。その間に種を作って、また生まれてくる。十数年以上の幼女期、一年の花期、二年の種期――それを繰り返す生態だ」
グラスを傾けて、ドウマは言った。
「あいつの目的はシアの種だ。おまえに何をどう言ったか知らないが、魔物も人間も実のところどうでもいいに違いない」
「あたしには――」
手の中のグラスに視線を落としながら、ターニャが言う。
「楽園を創ろうって言ったわ。魔物だけの――」
「信じたのか」
「あんたの力を知っていたから。絵空事ではないと思ったわ。だから協力した」
「操られたんじゃないのか」
「あたしの意思よ。あたしはあんたがどうして人間を滅ぼしてくれないのかって、ずっと思っていたわ」
「魔物だけの世界になっても楽園にはならない」
ターニャが貌を上げる。
「人間という敵がいなくなれば、魔物同士で争うだけだ。差別意識は人間だけのものじゃない。いや、違うな。魔物になっても人間は変わらないと言うべきか」
「第一世代のこと?」
「第二世代もさ。アイデンティティがどうあれ、思考や感情にどれほどの違いがある。泣いて、笑って、妬みもすれば、悪意も抱く。人間なんだよ、魔物も――」
「人間はそうは思わないわ」
「そうだな」
「魔物も思わない」
ターニャの眼が殺伐とした光を放つ。ドウマは呟いた。
「――D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?」
「フランス語? 意味は?」
「われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか――人間を描いたと言われる絵のタイトルだよ」
「我々は魔物であり、赴くは魔物の楽園よ。どこから来たかなんてどうでもいいわ。あんたの意向がどうあれ、主導権はあたし達にある。あの子を通じてあんたに命令すれば、あんたは逆らえない……」
言い淀んだのは、すでに逆らった状態にあることを思い出したようだ。
「……二度は逆らえないはずよ。あの子が種を作るまでは死ねないでしょ」
ドウマは片眼を細くした。
「怒った? でも、あたしを殺せないでしょ。伯爵だって殺さなかった。あんたは一度でも護ろうとした相手を殺せない。あのぼうやのこともすでに許している。その気になれば殺せるのに、殺さない。あんたから見たら、あたし達は子供のように見えるのかしら。なら、あたし達は子供のようにあんたに甘え――」
人間を破滅に導くわ――




