「過去」を知る
家を出て、漆黒の闇夜に抱かれる。
それは何故か心地よくて、不安定な胸中を落ち着かせてくれた。
目を細める。本当にぼくが、ヒトと宇宙粒子が融合して出来た存在だというのなら、その宇宙粒子の力を活用する時には宇宙に少しでも近い方が良かったりするんじゃないだろうか。
お世辞にも回転が速いとは言えない頭を必死に動かして、最善の手を考える。ルカのために、サシャのために、ぼくは何ができる?
そよぐ風とぼくの呼吸が混ざりあって、ぼくと空がひとつになるような、そんな不思議な感覚。目を閉じて、抗おうとはせずに敢えて身を任せる。
ゆっくりと記憶を辿った。ぼくの中にルカを見つけるように。
ルカ。ルカ。
君は、過去に何を思っているの…?
暖かい日差しが全身に降り注ぐ。
一瞬意識が曖昧になって、はっと気づくと視界いっぱいに青空が広がっていた。
「…え」
ここは、どこ?
「ルカ!帰ろう!」
「! おうっ」
背後で声がした。思わず振り返ると、綺麗な長い金髪の少女と、ー…黒髪の、猫のような大きいつり目をした少年がいた。
「…ルカ…?」
呆気にとられるばかりで、足が動かない。二人はとても楽しそうで、ルカはぼくの知っているルカよりももっと表情が豊かかつ素直なようだった。
「ルカ!ルカ!」
歩き出した二人を焦って追う。大声で呼び掛けたって、ルカは気づかない。少女と二人で、楽しそうに丘を歩いていく。
「ルカ、どうしたの?ぼくだよ?」
ルカの視界に入るように寄り添うが、それでもルカはぼくに一切の視線さえ寄越さなかった。
…もしかして、見えてない?
そっと手のひらを見つめる。あまりに現実味がなくて正直信じられなかったけど。
ぼく、ちゃんと時空移動できちゃった…?
じゃああれは、過去のルカということになる。…なんだ、あの星が初めてじゃあないじゃん。
見えないことをいいことに二人についていくと、二人は丘の麓にある小さなログハウスに入っていった。そこに住んでいたのだろうか。
しばらく窓から中を覗き込んでいたのだが、ただ幸せそうな二人が笑っているだけだ。ぼくが知りたいのはこれじゃない、と目を背ける。
…ううん、本当は自覚してる。
あの二人の笑みは、とても儚い。
後に、あのルカのように壊れてしまうだろうから、とても切ない。
それに耐えられなくて、苦しくて、ぼくはログハウスを後にした。
この時間を生きる者の中で、ぼくだけが未来を知っている。
それは孤独という名の感情だと、胸元に手を当てて実感した。
破滅が待っていると知った上で幸せを眺めるのは、こんなにもやりきれないものなのだろうか。
ぼくはさっさと目的を達成して、早く帰ってしまいたかった。サシャの元へ、皆の元へ。
だから時空移動で数日飛ばしに二人の様子を視ていたのだけれど…
ふと気づいた。…少女は、ベッドにいる時間がだんだんと長くなっていった。
ある日はもうベッドから出ることもなく、またある日は一日中目を閉ざして眠っていた。
そしてその数日後、彼女はもう目を覚まさなくなった。
ヒトとはこんなにも、脆いのだ。
その命は季節の花のように一瞬で、何とも呆気ない。
ルカはそのベッドの横に顔を伏せて、肩を震わせていた。
色を失い、僅かな光さえない瞳が、宙をさ迷う。
静かになってしまった部屋に、ルカの声が響く。
「何で…?一人にしないでよ、おれは…君がいたからっ、ここに留まった! おれが奇異な存在だってのはおれが一番わかってる、それでもリリイはここにいていいって…言ってくれたのに…!」
少女は、名をリリイといった。
綺麗な名前だとも思ったけど、それよりは「リリイ」という名が儚い命にぴったりだと思った。
「君がいないなら、おれなんて…」
その先の言葉は聞こえなかった。でも、聞いてはいけない気がした。
それからルカは、まるで脱け殻のようにただ居るだけで、なにも食べず、動こうとすらしなかった。
壁にかけられた日めくりカレンダーと一緒に、時間においてけぼりにされていくルカは、ぼくの知っているルカとも、ぼくの認識する「過去のルカ」とも違いすぎた。
そしてある日、ルカはやっとのこと外に出た。ふらふらと町をさ迷う中で、不意にルカが自らの手のひらを見つめる。
ぽつり、彼は呟いた。
「…おれは、誰だ?」
さぁっ、と風が声をさらう。
「…あれ、ここどこだよ…今まで何して…あれ?えっと…」
我に返ったように目を大きくして、頭を抱えるルカ。
ぼくはただ、唖然としてそれを見ていた。
「…そうだ、名前…おれは、おれの名前は…」
忘れて、いるのか?
何故?
あんなに楽しそうだったじゃないか。あんなに嬉しそうだったじゃないか。
それを忘れるなんて…
「おれの、名前は。……ル、カ」
ルカ。ルカ…?
自らの名前を反芻して、他のことを必死に思い出そうとしているけれど、一向に思い出せる気配はない。
自身の名を呟く度にルカの瞳は潤んでいって、ついにぽろりと一筋の雫がしたたった。
「…おれは、誰なんだ…?」
彼の心の底から漏れ出した本音が、状況を語っていた。
後戻りはできず、上塗りするしかない彼の現状を、ぼくはこの時初めて知ったのだった。
ルカは、ヒトに関わる度に、その都度記憶をリセットしていた。
思い出せるのは名前だけ。それ以外はなにも思い出せないまま、何度も何度もヒトと関わり、そしてまたそのヒトと記憶を失う。中には友人として接してくれたり、好意を寄せてくれるヒトもいたというのに。
繰り返しなくして、なのに悲しみに慣れることも麻痺することもできず、ルカは壊れてしまったのだろうか。
やりきれなくて、何度目かの泣き崩れたルカを包むように抱き締めた。でも、本来この時間軸には存在しないぼくの手はルカに触れることはなくて、ルカもぼくには気づかない。気づけない。
もしも今ルカに触れられたなら、これ以上ルカが壊れずにすむかもしれないのに。そしたらああやって倒れることもなかっただろうに。
「ルカ…!」
もう見たくない。
ルカが壊れて狂っていく様を、もう見たくはない。
そう胸中で叫ぶと、視界は一転、真っ暗闇に包まれた。腕の中にいたはずのルカもいつのまにか消え去って、手は宙を掻く。
「ルカ?ルカっ、ルカ、ルカあぁぁぁ!」
「…ラ、ユラ?どうしたの?」
「…え?」
囁くような声に、はっと顔をあげた。
サシャが、ぼくを覗き込んでいた。
元の時間軸に、戻ってきたようだった。
「…どうしたの?」
「え、あ、…ううん…大、丈夫」
にへら、と笑みを浮かべるとサシャはジト目をしたけれど、ふいっと向こうへいってしまった。その手にはタオルが握られていて、ルカの寝汗を拭ってやっているようだった。
気づけばぼくも汗でびしょびしょだ。確かに新たに知ったルカの過去は少し、ショックが大きい。
ルカはまだ目を覚まさずに、魘され始めたようだ。微かな呻き声と、サシャの心配そうなため息ばかりが部屋に響く。
熱を出して寝込んだサシャを見て、ルカの深層心理が昔を思い起こしてしまったのだろうか。だから、あんなタイミングでルカは倒れたのかな。
だとすれば、すべてを包み隠さずサシャにも教えるのは少し酷な気がした。だって、言ってしまえばルカが倒れたのはサシャのせいなのだ。
それに、知ったところでぼくらにはどうしようもできない、寿命という問題だってある。ぼくとルカがサシャに遺されてしまうのは、ぼくらからしてみればそう遠くない未来なのだろう。
小さく、吐息をついた。窓を見上げると、小さなまんまるお月さまがそんなの知ったこっちゃあない、とそ知らぬ顔で光っていた。




