「異常」を知る
夜はどうしても寝付けなくて。
とうとう朝を迎えても、あの黒髪の切れ長な目をした少年は現れなかった。
やがてサシャが目を覚ましても、太陽が空のてっぺんに上り詰めても、
空が紅に覆われたって、ルカは帰って来ない。
「ルカ、どうしたのかな。」
大事をとって一日仕事を休んだサシャが、しっかりとした口調で呟いた。
テーブルには、見るに耐えないような料理の残骸。夕御飯は、サシャの指示にしたがって不器用なぼくが作ったのだった。
「…ぼく、ルカ探してくる」
「あ、私も…」
「駄目!…サシャは、ちゃんと寝てて」
珍しく声を荒らげたぼくに目を見開いて、サシャは「…うん」とうつむいた。
家を飛び出しても、目的地なんてあるはずはなく。
ヒトの多い商店街や、緑に繁る小さな森、広大に広がる麦畑、
そのすべてを覗き見て回っても、ルカはいない。
「ルカ…ルカっ、ルカあー!…はやく、帰ってきてよ…!」
サシャが心配してるよ?ぼくだって…
街が完全に闇に呑み込まれると、ルカはもうこの暗がりに紛れて溶けて消えてしまう気がした。
「やっぱり、私も探す」
町でサシャと居合わせて、強い瞳でそう迫られた時、ぼくはもう頷くことしかできなかった。
ルカがもし、やっぱりぼくと同じ存在だったのなら。そしてその上でぼくらのところからいなくなってしまったのなら、
ルカには帰る場所がない。
共に生きるヒトもいない。
ヒトとして生きる術も、価値も、みんな、サシャが与えてくれたものだったから。
ねえルカ、今どこにいるの?寒いでしょう?
ぼくは、とても寒いよ。ルカがいなくて、何かが欠けてしまったみたいに、胸の内側が寒々しいんだ。
サシャも必死に声を張り上げる。目には涙が滲んで視界がぼやけ、そのせいでまた何か大切なものを見落としてしまう気がした。
「もう…大切な人を、失いたくないの…!帰ってきて、ルカ…!」
サシャの号哭が、夜の静寂に響いては消えていく。
そしてふと、気づいた。
「…サシャ」
「な、えっ?」
ぼくはサシャの手を無理矢理に繋いで歩き出した。
まだ探していない場所、サシャのこともあって足が遠退いていたその場所、
それは『ユラリス』の眠る場所だ。
広い草原、白い星屑達が見下ろす。
月明かりに照らされて、所々に突き出た岩とユラリスのお墓がぼんやり浮かんでいる。
そしてその岩のひとつに腰かけて、
ルカは、いた。
「ルカ!」
ルカは応えない。
「…ルカぁっ!」
今度はサシャが呼び掛けた。
二人で名を呼んで駆け寄り、ルカのその暗い瞳を覗き込む。
「ルカ」
「…あ」
はっとしたようにビクリとするルカ。
ルカの頬には二筋、滴の痕跡があった。
怯えたような目をしてぼくとサシャを交互に見つめ、ぶんぶんと首を振る。ルカは頭を抱え込むようにしてうずくまり、
小さく震えていた。
「ルカ?」
怪訝そうに呼び掛ける。また、反応してくれなくなった。
ルカのその姿はどこか、何かの幻想に捕らわれた囚人のようだった。
「…だ、嫌だ…おれは、……んでっ…!」
小さな声でブツブツ何かを言っている。
ぽろっ、とルカの目から涙がこぼれた。決壊するように、ポロポロと次から次へ止めどなく溢れてくる。
息を乱して苦しそうに嗚咽を漏らし、ルカは号哭した。
「…サシャ、ぼくどうすれば…」
「…わかんないけど、多分ルカつらいんだよね、これ」
あ、肉体的じゃなくて精神的にね、とサシャが付け加えた。要は心が痛いってことかな、とこっそり首を傾げる。
そうしているうちもルカは泣いていて、どうすればいいかわからなかったぼくは堪らずルカの手を握った。
「ルカ。ルカ?帰ろう?」
「ひ、…あ」
冷えきったルカの手は、ぼくを拒むように強張っていた。ルカの瞳は一瞬だけぼくを確かに捉えたけれど、またすぐに幻想の中へ埋もれていく。
「う…あ、あああああぁぁぁぁぁ!!」
突然、ルカは悲鳴に近い叫びをあげて。
ぐらり、と傾いだその身体は、力なく草の絨毯の上に崩れ落ちた。
「あ…る、ルカ?」
突然の悲鳴に肩をすくめたサシャが声をかける。彼女は白い両手でルカの顔を挟むように触れて、悲しそうに顔を歪めた。
「…気を失ってる。どうしたのかな、ルカ」
ルカの額に触ると、明らかに平常ではない熱を発している。でも、熱のせいだけじゃないだろう。
「途中、嫌だ、とか呟いてたよね?」
「…うん、何か言ってた気がする」
サシャはルカの身体を抱えあげて、思案気な顔になった。彼女はルカのさらさらな前髪に触れて、顔をあげる。
「昔、何かあったのかな?」
「…昔?」
「そう。ルカが来た時も言ったじゃない。ルカには何かある、って」
そういえば、サシャは最初からルカを「訳アリ」だと言っていたっけ。実際にルカに悩みごとがある風には見えなかったけど、気になることとしては…うなされてたこと、とか?
サシャにそう告げると、彼女は確信のこもった目に変わった。
「やっぱり、昔に思い出したくもないようなことがあったのよ。初めて来た星って言ってるくせにもう名前がついてたり、うなされてたり…」
気を失ったルカを背に背負い、サシャと一緒に話しながら歩き出す。ルカの濡れた頬が触れて、シャツが湿った。
「…ルカ…何があった、のかな」
「わからないわ。…少なくとも私には、ルカ本人の口から聞くこと以外にそれを知る方法はないもの」
悔しそうに唇を噛むサシャ。何があったのかさえわかっていれば、対処もそれなりに考えられるかもしれない。
「………」
「…ユラ?どうかした?」
「あ…ううん、なんでもない」
首を振って見せると、サシャは安堵したように表情を緩めた。そして出来た沈黙の間、地面に転がる小石を見つめて暫し考えた。
ルカを助けるために、「何が起きたのか」を知る必要がある。
それはつまり、「何が起きたのか」がわかればルカを助けられるということ。
そしてぼくは、「何が起きたのか」を知る術を持っている。
ベッドの上、ルカが眠っている。
でもなんだか、眠っているというよりは、目を閉ざして意識を手放しているという表現の方が似合っている気がした。
「目、覚まさないね」
「そうね。本当にもう、馬鹿じゃないの。何で病み上がりの私が早々にルカの看病しなきゃなんないのよ」
サシャも文句を言っているけど、苛立った言葉とは裏腹に表情はあくまでも深刻で、不安そうだった。
多分、サシャも嫌な予感がするのだろう。そしてその上で、最悪のパターンも有り得ると思えてしまうから、余計にだ。
もしかしたらルカは、もう目を覚まさないかもしれない。
明らかに風邪ではないだろうし、そもそもぼくらが風邪を引くかどうか自体謎だし、ルカが倒れたこととルカの過去は深く関係していると思える。
そっと、ルカの冷たい頬に触れた。魂などどこかに行ってしまったかのように、弛緩してされるがままのルカ。
ルカ、ごめんね。でもぼくは、ルカの昔を「視に」いくよ。
「…ごめん、ルカ」
小さく呟くと、意識のないはずのルカが「ん…」と呻き声をあげ、一筋の涙を流した。
「…ルカ?」
元気のないサシャが不安そうに眉を寄せるのをよそに、ぼくは二人に背を向けた。
「ユラ、どこいくの!?」
サシャが焦ったように言う。ぼくのシャツの裾を握り、懇願するように叫んだ。
「お願い、どこにも行かないで!ルカのようになってしまったらどうするの、私を一人にするつもり?」
「…大丈夫。ぼくはちゃんと、帰ってくるから」
やんわりとその手を離させた。尚もすがるサシャを宥め、躊躇ってから小指を絡めた。
町の親子がやっているのは、目にしたことがあった。
「ゆーびきーりげーんまん、嘘つーいたーらはーり千本のーます。ゆーびきったっ」
「え…」
「帰ってくるよ、すぐに」
優しく微笑みかけると、やっとサシャが渋々頷いてくれた。その頭をポンポン撫でて、部屋を出る。
…ルカ。
いま、会いに行くよ。
今の君を作る一部に、
そして昔の君にー
母親にユーザーバレました…orz




