はちがつ
茹だるような暑さの中、空に輝く太陽と。
手を伸ばすように伸びゆくけれど、決して届かない向日葵と。
海に山にお祭りに、賑やかな夏もあるけれど、
死者を迎える送り出す…しんみりする夏もある。
やっつめの月。蝉の声だけが聞こえる中ふと思う。
君の魂は、「今」ここに居るのかと。それとも……
ミンミン言う声がうるさくて、石の道を歩く音をかき消して。手には花束を持って。
汗が滴り落ちるのを感じながら、坂道を登りりきります。そして僕はふと後ろを振り返ってみました。
坂の下にある線路の向こう側には鮮やかな黄色の向日葵。元気いっぱいのその花の向こう側には太陽の光を受けて眩しく光る海が見えました。
僕は逃げるように背を向けて歩き出します。向日葵の花も輝く海も、僕には眩しすぎました。
きっと普通は海にいってはしゃいだり、夏祭りに行って花火でも見たり、八月というのは賑やかで騒がしい月なのでしょう。
けど、僕にとって八月の持つ意味はただ一つ。今は葉だけになった椿の木。たどり着いた場所は…一月にあの子と出会った、あの墓の前でした。
雪が無い。椿の花が無い。たったそれだけの違いなのに、全く別の場所にしか見えないのはどうしてなのでしょう。
そんなことを思いながら、ひしゃくで墓に水をかけ、墓石を拭いて綺麗にし、墓石の周りを箒で掃いて綺麗にします。
大切なはづきの居る場所であり、あの子に会ったこの場所。丁寧に念入りに掃除しました。
そして、綺麗になった持ってきた花を墓の前に飾りました。お盆は一年に一度、死者の魂が戻ってくる時期だとか…はづきの魂もどこかに居るのかな。
海に背を向けながら、そう思いました。
その時、声がしました。
「おーぴっかぴか。マメだねー!」
余りにも突然で、思わず震え上がって後ろを向きます。そこには明らかに「月」だと思われる僕より少し年上の少女が一人。
黄緑色の髪を二つに結っていて、頭に向日葵の髪飾り。へそ出しの奇抜な服装をした、黄金色の大きな瞳の元気そうな少女でした。
手に背と同じくらいの長さの向日葵を持って立っていました。
「あたしが見えてるよね?」
「はい。『月』ですよね?」
僕はもう何の違和感もなく月の子の存在を受け入れるようになっていました。
月が進む度に新たに出会う月の子も、もう僕が『月』が見えることに驚く様子はありません。
多分、前の月の子が僕のことを話しているのでしょう。
「はじめまして、僕のこと、彦星さんから聞いたんですか?」
「うん、そういうこと。はじめまして、子規君。あたしはひまわり。あ、安直な名前とか言わないでね。」
思ったとは言えないな、と思いました。それよりも、気になることはこっちです。
「あの、ひまわりさん……それ、どうしたんですか?」
僕が向日葵の花を指さすと、ひまわりはにっこり笑って墓の前まで行きます。
「あそこの駅のとこのひまわりがすごく立派だったから、つい取ってきちゃったの。綺麗でしょ?」
そう言ってひまわりは花器に向日葵の花をさします。
花器の大きさに比べると向日葵の花はあまりにも背が高くて、バランスが悪くて触れれば今にも倒れてしまいそうでした。
けどひまわりの言うことはとてもよくわかります。堂々とした立派な向日葵です。
「ありがとうございます。はづきもきっと喜ぶと思います……あれ?」
一つ疑問を感じました。
「もしかして、最初からこのために向日葵の花取ってきたんですか?」
もしそうだとしたらなぜ僕の恋人が死んでいると知っているのでしょう。彦星に一月の子の話はしましたが、はづきの話はしていません。
するとひまわりは言いました。
「確信はなかったんだけどね、彦星の話を聞いてもしかしたらと思って。似た奴を知ってるから。」
「へえ、誰ですか?」
「お隣さん。」
お隣、といって彦星でないとなると九月の子でしょうか。
考える暇を与えないかのように、ひまわりが言います。
「ここのお墓で眠っているのは、君の恋人?」
「はい、そうです。一昨年亡くなって……。お盆だから、墓参りに……。」
ひまわりは空を見上げて言います。
「そっか。お盆は一年に一度だけ死んだ人の魂がが帰ってくる時期って言うからね、君の恋人の魂も帰ってきてるかもね。」
そう言われた時、僕は素直にうんと言えませんでした。脳裏に雪の中佇むあの子の姿がよぎります。
ずっと気になっていました。あの子は本当にはづきと別人なのかと。
本当に別人だというのなら、『一月』のはずなのにどうしてはづきそっくりなのでしょう。
どうして見ず知らずの人のはずの僕に来年も来てほしいと願うのでしょう。
どうして僕に笑ってほしいと願ったのでしょう。
ひまわりが俯く僕に心配そうに言います。
「どうしたの?」
「何でもないです。ただちょっと……もしかしたらはづきの魂は戻ってきてないんじゃないかなって思って。」
「どうして?」
僕は震える声でひまわりに尋ねました。
「あの……死んだ人が、『月』になるってこと、有り得ると思いますか?」
一瞬間が空きました。蝉の声が長く聞こえた気がしました。
次の瞬間、ひまわりは心底呆れたように深い深いため息をつきました。
「あーもう、なんでこうなのかなあもうー。」
「あ……あの、すみません……! おかしなこと言って。」
僕は慌てて謝りました。何か不愉快にさせるようなことだったのかもしれません。
すると、僕はふとひまわりの目つきが先ほどと違うことに気がつきました。
そして、届かない空を見上げてひまわりは話します。
「結論から言うとね、どちらかというとはずれ。けど間違いじゃない。」
その意味が僕にはよくわかりませんでした。僕を見ずにひまわりは言います。
「私達は『月の子』だから。」
そしてひまわりは優しく、けどどこか哀しげに笑います。
その表情はやはり、あの椿の子や彦星と似ていました。
「私達は、『人』じゃないの。君の恋人は『人』だったでしょう?」
「……はい。」
「じゃあ、大丈夫。ちゃんと戻ってきてる。
せっかくのお盆なんだもの。私達のこととか考えずに、ちゃんと迎えてあげなよ。」
「…………はい。」
僕がそう言うと、ひまわりは黙って頷き、墓の方を向いて、お線香を焚いて、静かに手を合わせて目をつぶります。
ひまわりの言うとおりでした。僕も手を合わせて、目をつぶります。
お盆には死んだ人の魂が戻る。一体誰がそんなこと言い出したのでしょう。
誰かはわかりません、でももし本当にそうだというのなら…。
気になることはいくらでもあります。あの一月の子のことも…。
けど今だけは忘れようと思いました。今はお盆だから。せっかくはづきが戻ってきているかもしれないのだから、言いたくなったのです。
「おかえり」と。
音が無いように感じました。実際は蝉の声がずっとしていたはずなのでしょうが、目をつぶっていたその一瞬が僕にはとても長く感じました。
そして、ゆっくりと目をひらきます。再び目に入り込んでくる夏の風景が眩しく感じました。
「色々……ありがとうございました。」
僕はひまわりにお礼を言いました。
「なあに、急に。あたし、お礼言われることは何もしていないよ?」
それでも、なんとなく言っておきたくなりました。
僕は持ってきたお線香などを片付け、帰る支度を始めました。ずっとお墓の方を見て、後ろを振り向きませんでした。
「じゃあひまわりさん、僕はこれで失礼します。」
そう言ってひまわりの方を向こうと振り返った時。
僕は思わず目をつぶりました。このお墓は丘の上に立っているということを忘れていました。
ゆっくりと目を開けて、そこに広がっている景色を見据えます。
遠くに駅と線路と、線路際には向日葵の花。そして青い海。ずっと背を向けて見ないようにしていたものが広がっていて、夏の太陽の日差しを受け、余計にギラギラと眩しく光っていました。
眩しすぎるのです。だからずっと見ないようにしていたのでした。
「あっちには行かないの?」
ひまわりが問いかけます。
「……今日は止めときます。」
「そう。」
そうだよなと僕は思いました。普通8月は、海とか山とか行ったり、お祭りとか行ったり…もっと眩しくて明るいものなのでしょう。
けれど僕にはまだ、眩しすぎました。以前よりは前に進んだと思います。でも、まだ。
「じゃあ、さようなら。」
そう言って僕はひまわりと別れ、坂道を降り始めました。
帰り道はきついものでした。行きは見ないで済んでいた景色が否応なしに目に飛び込んでくるのです。
いつか、この眩しすぎる景色を綺麗と言える日が来るのかな。
そう思った時、声がしました。
「さよならーっ! 元気でねー!」
ひまわりの声がしました。振り返ると、丘の上にひまわりが居ました。
そして、こう言いました。
「来年は、あっちにも行けるといいね。」
「来年も会えるといいね。」ではなくて。
僕は肯定も否定もせず、少しだけ笑って、帰っていきました。




