また、いちがつ
白い、白い、オワリの時。
人は皆、新たな年へと向かっていく。
純白の絨毯、紅の椿の花・・・・・・あらゆるものが、あの日のまま。
ハジマリに向かうため、真っ白い、君の居ないいちねんへ進みゆくために。
僕は再び、君のもとを訪れました。
黒く艶めく御影石。線香を焚いて、手を合わせて僕はじっと目を閉じます。
はづきが眠る墓は、去年と変わらず、もの一つ言わず、静かにそこに佇んでいます。
久しぶり。元気?今何してる?
ここ寒くない?最近どう?
答えは無いと知りながら、僕は心の中で問いかけます。それでも言っておきたかったのです。
ふわふわと、僕の学生服が白く染まっていきます。音もなく、時が流れていきました。
自分の息の音がまるで秒針が時を刻む音のように感じて、居るかな、居ないかなと、僕を焦らせました。
懐かしいはづきの声、去年聞いたつばきの声、両方が鮮やかに蘇っていきます。
これで最後。このいちねんを、全て全て心の内にしまうため。新たないちねんを迎えるために。
その時。
ぽとり。
何かが落ちる音がしました。ほんのささいなことでかき消されてしまいそうなその音を、僕はしっかりと捉えました。
ゆっくり僕は振り向きます。まるで貰ったプレゼントの箱を開ける前の気分のよう。楽しみで、でも少し怖くて。
「あけまして、おめでとうございます。」
その子は、一年前と変わらずそこに居ました。足元に落ちた椿の花を細い指で拾い上げると、ふわっと宙に投げて捨て、僕に優しく微笑みかけました。
漆のようにつややかな黒髪、目を引く紅の椿の花飾り。1月の子に相応しい雪のような純白の服を身に纏う、綺麗で可愛らしく、どこか儚げなあの子。
やっとたどり着きました。僕は約束を果たしに、傍に行きます。
「ありがとう。それと、あけましておめでとう……つばき。」
そう言った時、自然に笑顔ができていました。
僕の顔を見たつばきは、一瞬丸い目をもっと大きく見開いて、少し照れくさそうに言いました。
「来てくれて……嬉しいです。子規。」
そう言った時、つばきの顔に去年見え隠れした「寂しさ」や「悲しさ」はありませんでした。
ふわっとした暖かい笑顔を見て、ここに来てよかったと、つばきに出会えてよかったと感じました。
僕も、つばきもこうして笑いあえるこの時間が永遠になればいいのに。
僕は持っていたマフラーを包みから出しました。柔らかい生地を優しく握り、僕は微笑みながらつばきに見せました。
「もしよかったら、これ……。去年つばきを見た時、その……ちょっと寒そうに見えたから。」
震える唇を懸命に動かし、なんとかその言葉を言うことができました。
つばきは無邪気な瞳でこちらを見つめ、コクリコクリとうなずきました。
僕はマフラーをつばきの首にかけました。
選んだマフラーの色は紅色。椿の花と同じ色です。
どれにしようかと、何色が似合うだろうと、お店で散々悩んで悩んで、頭が痛くなるくらいに悩んで選びました。
首にかけられたマフラーを不思議そうにもふもふ触るつばきを見て、久々にいい選択をしたなと思いました。
真っ赤なマフラーはつばきにとてもよく似合っています。
つばきはマフラーをぎゅっと握り、すると頬がぱあっと少し赤くなり、それから、少し興奮した様子で言いました。
「わあぁ……すっごく、すっごくあったかいです! ありがとうございますっ!」
幸せそうに笑うつばきを見れて、僕も幸せでした。
もう過ぎ去ったあの頃の当り前の日々のようで、この瞬間がもう二度と訪れないだなんて信じられませんでした。
この笑顔をもう二度と見られないだなんて、冗談だろうと鼻で笑ってやりたくなりました。
ああでも、それが現実なんです。
これが最後なのだから、言いたいことはたくさんあるはずでした。
けれどうまく言葉にできなくて、情けないなと思いながらこちらを見つめるつばきを見つめ返す時間が続きました。
勇気を出して、再び口を開きます。
「よかった、気に入ってもらえたみたいで。……あの、その……」
「はいっ、なんですか?」
言わなければなりません。何も言わずに去るわけにはいきません。
「言わなきゃいけないことがあるんだ。……たぶん、つばきと会えるのはこれが最後になると思う……。」
スッと一瞬笑顔が消えかけました。僕も少しだけ心が痛くなりました。
きらきらと舞い落ちていく雪が憎らしくて、1秒1秒過ぎていく時を恨みました。
理由を1から全て言おうとすると、言い終える前に泣き出してしまいそうで言えませんでした。
笑ってほしいと、そう去年のつばきは言ったから。
「ごめん。……本当は、来年も、その次の年も逢えたらいいなって思ってた。でも……できないんだ。そうすることにしたんだ。」
僕はつばきの手を握って頭を下げました。君のためだなんて言えません。僕のためとも言えません。
「ごめんね。」
口に出せるのは、その言葉だけでした。
悲しそうな顔をしてしまうでしょうか。罵られてしまうでしょうか、頭を下げたまま、僕はつばきの言葉を待ちました。
けれど、降ってきたのは言葉ではなく、僕の帽子をぽんぽんと優しく撫でる手の暖かさでした。
僕は顔をあげました。その時見た笑顔は、先ほどの幸せいっぱいの笑顔とは違いました。
けれど去年の哀しげな笑顔とも違う、優しいけれどどこか凛とした強さを持った顔でした。
「謝らなくていいんですよ。私、ちょっと不安だったんです。去年あなたはとても悲しそうな顔をしていたから。
けれどもう、大丈夫そうです。もう一度ここに来て笑ってくれた。それだけで、私は嬉しいです。」
ふっと、今まで重たくて仕方がなかった心が、ほんの少し軽くなった気がしました。
それから、つばきは自分の髪飾りを取り出し、僕の前に差し出しました。
もう一生忘れないでしょう。鮮やかな紅の花が目の前にありました。
「もう二度と会えないというのなら、これを、持っていてくれませんか。
私、このマフラーずっとずっと大切にしますから……これを、大切にとっておいてもらえませんか。」
僕はそっと髪飾りを手に取りました。
思った以上に繊細な作りの花飾りでした。強く握りしめればすぐに壊れてしまいそうでした。
僕は壊れないようにそっとそれを握りました。
「ありがとう。大切にするね。」
笑顔と同時に、心の中に寂しさがわきました。
ああ、これでもう本当に、あとは別れるしかすることがありません。
別れの言葉が言えなくて、時間ばかりが過ぎました。
僕の黒い学生服に降り積もった雪は冷たい水となって少しずつ僕を冷やしていきます。
らいねん、またここに来ても、つばきに会えないのでしょうか。僕には見えないのでしょうか。
そうしていちねん、またいちねんと時がすぎて、いつか心に焼き付いているつばきの顔も、声も、少しずつ薄れていくのでしょうか。
そしていつか、はづきを失った時の傷も、癒えていくのでしょうか。
無意識に下を向いた、その時、手のひらの紅が目に入りました。
つばきの象徴のような、椿の花飾り。僕にはお守りのように見えました。
二度と会うことはできなくても、君と会い、月の子達と出会い、そして別れた、この一年がいつまでも心の中で生き続けますように。
雪が降りしきる、まだ太陽の上らない空に僕は願いました。
それから、もう一度つばきの顔を見つめて、この言葉を言いました。
「じゃあ、元気でね。さようなら。」
「はい、子規も、お元気で。………さようなら。」
雪解け水が土にしみ込むように、その言葉は土ではなく空に溶けていきました。
僕はまだ背を向けませんでした。一歩、つばきの目の前に出ました。
時間が止まったように感じました。僕は強くつばきを抱きしめていました。
「あのっ…あのっ?」
つばきは驚き慌てていたようでした。僕はつばきを離さずに目をつぶっていました。
「ありがとう、つばき。君に会えて、本当によかった……ありがとう。」
つばきは、しんと、急におとなしくなりました。それから、僕は言いました。
「それと、はづきによろしくね。」
つばきはぎゅっと強く僕の腕をつかんで、
「はい。」
と、言いました。とても暖かくて、この温もりがいつまでも消えないでくれたらいいのにと思いました。
「もう、一人で行けますか?はづきも、つばきも居なくても、歩いていけますか?」
それは、その子の心の叫びのようでした。その声に、僕は力強く答えます。
「うん。」
それを聞いた途端、僕の腕を握る力がふっと緩みました。
雪が解けた冷たい水ばかりが僕の制服を濡らしていく中、腕にぽたり、暖かい雫が落ちました。
「そう、なら、よかった……!」
目を瞑って見えるまっ暗い世界。雪の冷たさとつばきの暖かさが混ざりあう中で聞こえました。
「ありがとう。さようなら。…またね。
また会った時、あなたに私は見えないかもしれないけど、それでも……またね…!」
その声がだんだんと薄れて、遠くなっていくのを感じて僕は目を開きました。
腕にはまだ暖かさが残っていました。耳には声が残っていました。
けれど、そこにはもう誰も居ませんでした。
可愛らしい笑顔も、雪のような衣も、つややかな黒髪もどこにも見えません。
しんしんと雪が降り積もる1月1日でした。
けれど僕の手のひらには確かに、つばきの花飾りが在りました。




