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いちねん。  作者: ワルツ
10/13

じゅーがつ

挿絵(By みてみん)



吹く風冷たくなる夜に、かぼちゃの灯りがぽつんぽつん。


ここは神様の居ない月。代わりに響くは「トリックオアトリート」。


とおの月。かぼちゃちょうちんで溢れる月。

お菓子が無いならいたずらを。その先に見えたもの……それはあの日の海でした。



その日僕は運悪くお菓子を持っていませんでした。昼間は持っていたのですが、部活の友人達と全部食べてしまった後だったのです。

左からは電車が通り過ぎる音、右からはかすかにさざ波の音が聞こえる、その子と会ったのはそんな夜の道でした。

周りの民家をチラリと見ると玄関先にはかぼちゃの飾り。オレンジと黒の可愛くもどこか不気味な飾りを見て、今日がハロウィンと気づきます。

お菓子を持っていない時点で少し嫌な予感はしていました。珍しく少し距離をおいて僕はその子に話しかけました。


「君は…10月の子?」


黒いシルクハットを被り、かぼちゃの眼帯をしている少年が一人。黒い羽の生えたかぼちゃのちょうちんが周りをふわふわ飛び回っています。

背中には悪魔の羽のような翼があり、月の子以前に普通の人ではないと一目でわかりました。

少年はクスッと笑って言いました。


「そうだよ、ボクが10月。10月のランテルヌ・スィトルイユ。かえでにはランテって呼ばれてる。はじめまして、子規君。」


「は、はじめまして。」


かえでって誰だろうと思いながら僕はそう返しました。

どうも今までの月の子とランテは違いました。(ルナ)も月の子の中ではどこか異質でしたが、ランテも(ルナ)とは違った意味で異質なのです。

(ルナ)は月の子の中で誰よりも自分と近いものを感じましたが、ランテは誰よりも自分から遠いものを感じるのです。

その得体の知れない「遠さ」が僕は少し怖かったのかもしれません。

ランテはもはやお約束とでもいうように帽子を取って僕の方に突き出しました。


「とりあえずさぁ、『トリックオアトリート』。ハロウィンなんだからお菓子を頂戴。いっぱい集めてかえでにあげたいからさ。」


やっぱり、と少し焦りながらポケットの中や鞄の中をかき回してお菓子を探しますがやはりありません。

鞄の中を漁りながら立ち尽くしている僕を見たランテの顔が急に不満そうに歪むのが見えました。


「お菓子、無いの?」


「あ…うん、ごめん…。」


それを聞いたランテは急にショックを受けたようにぽかんと口を開けたかと思うと、落ち込んでうずくまってしまいました。

しょげてます。キノコでも生えそうな位の落ち込みようです。


「お菓子…お菓子…。」


「ごめん…。」


「かえでにあげようと思ったのに…お菓子…かえで喜んでくれない…。」


「ごめん…その、元気出して。」


「お菓子…かえで…お菓子…かえで…」


「………。かえでって誰?」


ランテは僕の話などこれっぽっちも聞いていませんでした。僕はしょぼくれているランテを突っ立って見ているしかありませんでした。

どうしようか、このまま立ち去るわけにもいきません。そう思った時、ようやくランテが顔を上げました。


「お菓子がないなら…しょうがないな。」


機嫌が治ったのかなと少し安心したのが間違いでした。不満げだったランテの口元がなぜかニッと上がりました。黒い翼のかぼちゃちょうちんがふわりと宙を舞い、ぼんやりと紫色に光り出した時。

僕は突然ランテに背を向けて逃げ出しました。何かまずいものを感じたのです。

今まで会う度仲良く話していた月の子からなぜ逃げ出したのかわかりません。何がそんなに「危ない」と感じたのかわかりません。

けれど何か洒落にならない「いたずら」がくる気がしました。電車のやかましい音、海の波の声が余計に焦らせ、やがてそれすらも聞こえなくなって自分の息の音しか聞こえなくなって。


「おおー、勘いいねぇ。」


ランテがパチンと指を鳴らす音がしました。僕は夢中で走りつづけます。

音という音が消え、俯いたままどこを走っているのかもわからず、一体何がそんなに怖かったのかもわからず、どうして走っているのかもわからなくなり、やがて疲れ果てて足が動かなくなってきました。

だんだん息が切れ、足の動きも鈍り、ここまで来れば大丈夫かなと僕はとうとう立ち止まりました。

そして顔を上げようとした時、聞こえるはずのない声がしました。


「子規っ、子規っ、こっちですようー。」


耳を疑いました。それははづきの声でした。顔を上げて自分の目を疑いました。目をこすりほっぺたつねってみましたが目の前の光景は消えません。

懐かしさと同時に背筋が凍るような恐怖を感じ逃げ出したくなりました。けど逃げられません。足がすくんで動きません。

そこは10月ではありませんでした。肌を刺すような寒さ、道には雪が積もり、道端には赤色をつけた椿の木…1月でした。それもただの1月ではないのです。

遠くに、海の方を向いて佇むはづきの姿がありました。忘れはしません、はづきが居て、そしてここで死ぬ、あの1月1日。

着物姿で海の方を見ているはづきの横に後からあの時の僕がやってくるのも見えました。

そう、たしかはづきが初日の出が見たいと言い出して、僕は正月はのんびり寝ていたかったのにいきなり電話で呼び出されてきたのです。

ぼっーとしている僕の横ではづきはまだ薄暗い水平線を落ち着かない様子で眺めていました。

震えが止まりませんでした。空が明るくなる度に心臓の鼓動が早くなるのを感じました。

このすぐ後にはづきが死ぬのです。


「まだですかねー。」


「もう少しかかるんじゃないの?」


「もうっ、水平線に朝日がきらきらーってなるの、見たくないんですかっ!」


「眠い…さむい…。」


「もうー…。」


そんな他愛のないやりとりさえも傷口に染みるようなズキズキするものを感じました。

そして、不意に目の前の僕が言いました。


「寒いからあったかいお茶買ってくる。はづきもいる?」


「はいっ。」


そこは海沿いの道で、ガードレールを越えればすぐ海、反対側には凍った車道、今思うととても危険な道でした。


「馬鹿野郎っ!」


はづき一人残して歩いていく僕にそう叫びますがその声は誰にも届きません。僕は思わず駆け出しました。

逃げ出したかったのです。逃げる為にひたすら駆けました。この先の光景を知っています。その時の心臓を握りつぶされたような感覚も。

そこに居ちゃいけない。そう叫ぼうとした時。キィィィィィィィと耳をつん裂くようなスリップ音と共にトラックが行く手を塞ぎ横転しました。歪んだガードレールの向こう、宙に浮かんだはづきの姿、少し向こうに音に気づいて振り返った馬鹿な僕の姿が。

今の僕は車道を走り抜け、同時に昔の僕も来た道を駆け戻り、ガードレールから身を乗り出しました。

今の僕と昔の僕の手が重なり、か細い白い手に向かって伸ばすけれど触れることはできなくて。

落ちた音がしました。水しぶきがきらきら煌めき、一番大切な人を海はあっさり飲み込んでしまいました。

水面に赤い花が咲き、はづきの姿はもう見えませんでした。うなだれたまましゃがみこみ、虚しく手を空に突き出したまま、ぽたぽたと涙でアスファルトにしみができていました。

憎らしいくらいに眩しく輝く初日の出が告げています。はづきのいないいちねんがくると。


先ほどまでそこに居たはづきの姿が浮かびました。そしてその姿は別の誰かと重なりました。

そう、あの椿の花の子。雪の中で寂しそうに微笑むあの子の顔と重なって、白い雪が舞い散り目の前が霞んで見えなくなってそして……







挿絵(By みてみん)










「おーい、どうした?大丈夫ー?」


ランテの声でようやく僕は目を冷ましました。今までのは全て夢だったのでしょうか。そこはもう1月ではありません。かぼちゃの飾りがぶら下がる10月です。

僕はいつの間にか道に倒れ込んでしまったようでした。体を起こすと左から電車の音、右からさざ波の音が聞こえました。

先ほどと違うのは、自分のすぐ左に踏み切りがあることでした。そしてその踏み切りの向こうは、はづきの墓があるあの丘です。

夢だとしたらできすぎていました。夢だとしても震えが止まりません。


「ランテ……今のは君がやったの?僕にはづきが死ぬ瞬間を見せたのは。」


「そういうのが見えたの?幻覚ってのは珍しいなあ。」


僕は少しだけランテを睨みつけました。ですがランテはまるで僕が睨んでいるのが見えていないんじゃないかと思うような、無邪気な笑いを浮かべていました。

翼の生えたかぼちゃちょうちんがランテのとこまでふわりと飛んできました。


「そうだねぇ、『いたずら』はしたよ。お菓子が無かったらいたずらってお約束だろ?

 ただ、いたずらの内容は僕が選べるわけじゃないんだよねえ。そこがちょっとめんどくさいんだよねえこの力。」


ぼくはまだ先ほどの光景に引きずられ、立つこともできずぼんやりとランテを見上げていました。

ランテは僕を見て楽しそうに笑います。


「やっぱり思った通り。子規、君まだ忘れられてないんだね、あのポニーテールの子…はづきだっけ?その子のこと。」


最初はぼんやりとその言葉を聞き流していました。今更否定する気はありません。

ですが、何か違和感を感じました。そしてその違和感が何か気づいた瞬間、ぼんやりした感覚は消え、何か押し迫るような危機感のようなものを感じました。

僕は今までどの月の子にもはづきの髪型のことなんて話したことはないのです。


「ちょっとまった…それ、どうして知ってる?君がなんではづきの髪型のこと知ってるの?」


それを聞いたランテは一瞬真顔になって僕を見ました。が、次の瞬間、聞いたこともないような声で笑い出しました。


「アハハ…アハハハハッ…アハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」


漆黒の闇の中、僕にしか聞こえない高笑い。電車が通り過ぎる音すらかき消して響き渡ります。

ランテの背の悪魔の羽が電車のライトの光を受けて光っています。

まるで手品の種明かしのようにランテは言いました。


「そりゃあそうだ。ボクは一昨年から君のことを知ってたんだから。勿論はづきって子のこともね。

 そして僕がその子を1月の子に選んだ。」


背筋が凍りつくような感じがしました。声が出ません。手も足も動きません。何を言っているのでしょう。

ただの「10月の子」なんて言葉で納得するようなことではありません。


「ボクは他の月の子とはちょっと違うんだよ。『誰』を月の子にするか選ぶことができるんだ。

 1月に空席が出来ててね、誰か入ってくれないかってずっと思ってたんだよ。そんな時に君を見つけたんだ。

 最初に僕が見つけた時、はづきと二人で歩いてた。けど次の年、君は一人で下向いて歩いてた。前の年はたしか二人で居たのにどうしたんだろうって最初不思議だったよ。

 その後偶然はづきのお墓を見つけちゃってね。事情がわかった。それでね、丁度いいって思ったんだ。」


「ちょうどいい」、それが何を意味するのかはわかりません。ランテがはづきを1月の子に選んだ。そのことだけがぐるぐる頭の中で渦巻いていました。

状況がわかりません。信用し難い事実が次々と頭に入ってきて、僕がそれをそう簡単に受け入れられるわけがなくて。

ただ一つわかることは、ランテの言うことが本当だとしたら、はづきとあの椿の花の子がそっくりなのは偶然ではなく必然だということでした。

ランテは続けて僕に言いました。


「ボクが君達のことを知ってる理由はそんなところさ。それでさ、子規。君に聞いてほしい話があるんだけど。」


そしてランテが言ったことは思いもよらないことでした。


「僕達の仲間になる気はないかなあ。」


僕は耳を疑いました。仲間とはどういうことでしょう。元々混乱していた頭が更に混乱しました。


「どういう意味…?」


「文字通りだよ。僕達の仲間、つまり月の子になりませんかーってこと。」


真っ暗で逃げ場もない夜の道、フワフワとランテの言葉が聞こえてきます。

なかなか返事をしない僕にランテは言いました。


「つばきには会っただろ?」


「つばき…?」


「1月の子だよ。僕がはづきを選んで、そして生まれた1月の子さ。」


「……会った。はづきそっくりだった。顔も声も性格も……」


「そりゃあ元がはづきだからね。」


「……。」


「つばきが気になるかい?」


僕は否定しませんでした。あの椿の花の子、あの1月から一度たりとも忘れたことなどありません。

まるで呪いか何かのように、染み付いていました。


「一つ教えてあげようか。」


成る程、と僕は納得しました。「ちょうどいい」…そう言った理由がようやくわかってきました。

そしてランテは言いました。


「つばきは君のことを覚えているよ、『はづき』が死ぬ前の君のこと。『はづき』の記憶も『はづき』の心も全部全部…つばきは持ってる。」


まるであの椿の子がはづきそのものだと、そう吹き込まれているような気分でした。

同じ顔、同じ声、同じ記憶、同じ心、それでもつばきがはづきではないと言えるのかと、そう突きつけられたような気がしました。

先ほどのはづきが死んだ時の光景が蘇ります。朝焼けの空、宙に舞うはづきの姿とそのすぐ後に聞こえた落ちる音。

そして次に椿の花の子の寂しそうな笑顔。そして今まで会った他の月の子達の姿も。

あの子はたった一人で永遠にあの真っ白い1月に居続けるのでしょうか。

あの寂しそうな表情が消えるこっはないのでしょうか。もしはづきが死ななければ、そしてはづきがつばきにならなければ、こんなことにはならなかったのではないでしょうか。

僕は何もない自分の手を見つめました。僕は今までずっと震えていました。

あの時はづきを一人で残していかなければ、はづきの手を掴めていればはづきが死ぬことなんてなかったのです。

僕のせいではづきが死んだ。悲しみと虚しさと罪悪感で苦しくて。

そして今、もう一つ新たな錘がのしかかるのを感じました。

僕のせいで、はづきはつばきとして、永遠の1月…終わることのない冬を生きなければならなくなったのではないのでしょうか。

僕が結果的にはづきを陥れてしまったのではないのでしょうか。

だとしたら……


「こっち側に来たら30日に一度、必ずつばきに会える…1月の隣の月ならね。その席をあげるよ。」


道しるべの灯りのようにランテが言います。正しい道か誤った道かはわからないまま。

僕のせいで死に、僕のせいで永遠の1月に閉じ込められ…はづきの運命をこうもめちゃくちゃにしておきながら、何事もなかったようにのうのうと生きていくことなどできるわけがないのです。

ならばせめて、あの子を一人にさせないだけでも…。ほんの少しでも償えたら…。


「つばきはきっと君が来るのを待ってるよ。1月で。」


その言葉が重く感じました。はづきの声がまだ耳の奥にのこっているような気がしました。

僕はふと空を見上げました。その時、月が目に入りました。思い出したのは9月…花の無い桜の下で空を見上げる(ルナ)の姿、そして4月…満開の桜の下で月を待ち続ける桜花の姿。

ぼんやりとそんなことを思い出したその時。桜花の声が聞こえた気がしました。


『次、1月の子に会ったら、二度と会いたいと思っては駄目。』


それは、4月に桜花がした忠告でした。

そう、なんとなく嫌な予感はしています。ランテのこの要求に応えたらよくない方向に事が転がると気づいてはいるのです。けれど…。

その声と対立するように、今度はあの椿の花の子の声が思い出されました。


『もう一度来てくれますか…?少しだけ、笑ってくれますか…?』


懐かしいその声は優しく引きずり込むようにじわじわ広がっていきました。


『絶対…絶対よ?じゃなきゃ…絶対後悔する。……これは嘘じゃない。』


すると再び桜花の声が引き止めるように浮かび上がります。

つばきと桜花、声だけの二つの幻影の間で僕はどちらの声に従えばいいのかわからなくて、YESともNOとも答えられず、海と丘の間の踏切の横で座り込んでいることしかできません。

相変わらず答えを出さない僕を見てランテは呆れたようにため息をつきました。

すると黒い翼の生えたかぼちゃのランプが突然僕の目の前に出てきました。

ランテがパチンと指を鳴らすと同時にかぼちゃの目が不気味に光りだしました。

これは先ほどの「いたずら」の時と同じです。二度目の「いたずら」が来ます。

思わず僕はランテから離れました。ですが今度は何も起きません。代わりにランテは言いました。


「答えられないなら、返事は今じゃなくていい。12月…それまでに決めておいて。決まったら、答えを12月の奴に言っておいてよ。」


二度目のいたずらはその時までお預け…ということなのでしょうか。ランテがそう言っただけでそれ以上何かが起こることはありませんでした。

代わりにカンカンカンと音がし始めて踏切が閉まり始めます。暗い闇の中、警告音のような音と点いては消える踏切の二つの赤いライトがどこか不気味でした。


「じゃあね。良い答えを期待してるよ。」


無邪気な笑顔でランテはそう言って黒い翼を広げました。恐怖と混乱で動けない僕に手を振り、ランテは飛び立ち暗闇の中に消えていきました。

僕は遠ざかっていくランテをしっかり見送ることすらできませんでした。

踏切の音がいつまでも耳に残って、離れませんでした。









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