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 ――ナインヘルツ暦4839年。


 あと少しの時で陽が沈もうとする岬に男がいた。

 空には雲が広がり、薄暗かった。海から強い潮風が吹きつけ、鋭い悲鳴のような音がする。もうじき冬となる海はひどく荒れ、昂ぶっていた。

 街から遠く離れた海辺。見渡す限り無人の僻地。

 そんな寂しい場所に一人、男はふらりとやってきた。

 動かす手足は鈍重で、瞳には淀んだ光。頬はこけ、目元にはクマを残す男は今にも倒れそうなくらいにボロボロに見えた。しかし、そんな風貌とは裏腹に男は一度たりとて止まる事なく作業を続けていく。

 地面に幾何学的な図形を描き、袋から様々な道具を取り出して図形の随所に配置していく。それを何度か繰り返した後、そこにはやや不恰好ながらも召喚陣が現れていた。

 それは所謂禁呪と呼ばれる類のものだ。これが発覚すれば間違いなく男は問答無用で取り押さえられ、処刑される。

 それは邪法なのだ。

「これで、やっと……」

 男は一度虚ろに呟き、荷物袋から一枚の紙――術符を取り出し、震える手でゆっくりと陣の中央に据えた。その間、彼は何かを思いつめた表情で誰かの名前を繰り返し呟いていた。

「モルビア、ルシャ、シャル……」

 思い出すのは楽しかったあの頃。

 明るい未来しか思い描けなかった、あの頃。

 騎士になるんだ、と皆で競い合った日々。

 色んな事を話し合った。

 騎士になってこの国を、家族を守るんだと言っていたのは誰だったか。

「後は……召還と契約の触媒となる己の血か」

 ナイフを指の腹に押し当てて引く。肉に一筋の割れ目が走り、そこから鮮血が滴り落ちた。それを数枚の小皿で受け止め、陣の傍に置く。アルコールで傷口を消毒して清潔な布を巻く。

 これで準備ももう少し。少し息をついた途端、地面の感覚がなくなった。慌てて崩れ落ちかけた体勢をふんばって留めた。気にはしていなかったが、体にはずいぶんと疲労が溜まっているのだろう。

 しかし、そんな疲労も無視して男は再び作業に没頭する。

 何かにとり憑かれたように。

 男はさながら狂人のようだった。いや、事実そうなのだろう。

 その目は既に死んでいた。


 笑い合っていたあの日々。

 今でも思い出せる。

 皆の怒った顔。困った顔。不貞腐れた顔。沈んだ顔。喜んだ顔。

 そして、満面の笑顔。




 それは、


 もう、


 ない。




「――できた」

 既に魔方陣は完成し、道具の配置も完了していた。残りは詠唱のみ。

 男は目を閉じた。

 もう、始めれば戻れないのだ。

 知らず、唾をのみ込んだ。

「――セチュア」

 詠唱を始める前、最後に思い出したのは小さな手。

 愛そうとして、どうしてもできなかった小さな子供のあどけない寝顔だった。

 男は一度頭を横に振って未練を追い出すようにしてから、目を開いた。

 そこには今までの死んだ目ではなく、力強い意志の炎が宿っていた。

 胸に大きく息を吸う。

「煉獄の果てより来たれ――」

 今まで召還陣の作成にもたついていた男からは考えられないほど浪々とした詠唱が岬に響く。

 言葉に力が宿り、辺りの魔力が召還陣へと集められる。

 始めは陣の外側に配置された三つの結晶石に魔力が溜め込まれ、臨界点まで達した所でその魔力が召還陣へと流れ込んでいった。

 詠唱が魔力の流れを導き、一つの形を作り上げる。

 ここに魔力は意味を持ち、形を成す。

 世界の法則により、魔力とその流れが作り出した命令コマンドが発動する。

 やがて陣の上に陽炎が現れ、小さな光の塊ができた。次の瞬間には光が弾け、そこに一体の大悪魔がいた。

 それは大まかには女性の姿を模していた。

 しかし、その頭には水牛のような角を持ち、蛇の鱗のような肌は黒い。手には大勢の者を切り裂いたのであろう鋭いカギ爪を持ち、足は俊足を思わせる鹿のようなものだった。

紫の双眸は愉悦で歪み、自らを召還した男を捕らえていた。それは処刑場で処刑される生贄の最期を見て喜ぶ性質のものだ。

 見る者が見れば、それが並の悪魔ではない事が分かっただろう。

 身を切るような凍える鬼気。足元から噴き出すような魔力。どれもがそれを裏付けている。

 その手のカギ爪は鋼を断ち、咆哮は重圧を伴って人間の足を止めるだろう。

 素手で岩を砕き、疾風の如く駆ける騎士。それは最高峰の戦士に与えられる称号。

 その騎士とて目の前の悪魔を倒すには多大な犠牲を伴うのは必至。

 それほどの力を持っているのだ。

 だが男は召還の成功に喜ぶわけでも恐れるわけでもなく、力強く大地を踏みしめて悪魔と向き合った。

 その目は召還を始める前も成功した後も、たった一つの事しか見据えていなかった。

「大悪魔メリスよ。契約を結べ。俺に力を与えろ」

”妾がそなたに求めし代償はその魂、ただ一つのみ”

 契約を結んだ魂は、それが消滅するまで悪魔の玩具となる。

 永劫の苦しみを味わい続けるか。

 喰われ、悪魔の一部となるか。

 自らも使い魔として悪魔となり使役され続けるか。

 どうなった所でもはや人間として戻れなくなるだろう。そして地獄の底で一人、業火に包まれながらさ迷い続ける事となる。

「構わない」

 それを男は即答した。

 その時もう一度、男の脳裏に赤子の笑顔が掠めた。

 大好きだった友人の赤子、セチュアの……何も知らない笑顔を。


 ――ごめんな。お前を愛せなくて。


 ――ごめんな。俺はお前の側にはいられない。


 ――ごめんな。俺は……耐えられなかった。


”契約はここに結ばれた。喜び、詠うが良い。そなたはこれより妾の加護の下にある。

 我が眷属よ。その力、好きに奮うがよい”

「……」

”クク。そなたは実にいい匂いがする。さぞ見事な芸術品ができるであろうな。

 その時を楽しみにしていよう。それまでひと時の間、酔い溺れておれ”

 それだけを言い残して、蝋燭から火が消えるように大悪魔が消えた。

 岬に残ったのは、もはや力を失った召還陣と悪魔の力を得た男が一人。

 かつては騎士だった青年はなんら感慨も抱くことなく、その場を去った。











 こうして悪魔と契約し、強大な力を得た一人の外法騎士が誕生した。


 外法へと身を堕とした騎士の目的はただ一つ。


 一人の人間をその手で殺める事。


 そのためだけに、ただ強い力を欲した。


 その代償に己が未来を閉ざしても。


 その代償に世界を敵に回しても。


 その代償に奈落へと身を投じても。


 彼は――ヤツを殺せるだけの力が欲しかったのだ。











 これは一人の男が終焉へ至る物語。


 そして、同時にこれは一人の少女が自らの運命と対決する物語の始まり。











 今日も、世界はどこかで誰かの慟哭が……







平成19年に書いてほったらかしの物語です。

プロットはできてるので、いつか書けたらなぁ。


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