序章
人は何のために生きて、何故死ぬのか。
誰でも一度は考えることだと思う
栄誉を残したいと思う者も居れば、平凡に生きて普通に死にたいと思う者も居る
その後、死んだ後はどうなるのか・・・
一度考え出すといろんな説が浮かんでくる・・・死んだら魂になってこの世に残り続ける、死んだ跡には意識は残らずに無になるとか輪廻転生とかいろいろあるが、たまに「今の世界は試練を受けるための場所で次の世界が待っている」という奴も居た。俺だったらもし輪廻転生が在るとするなら、次はどっかのどっかの銀河のどっかの星の宇宙人とかだと思う。生命体なんてこの広い宇宙にはごまんと居るのだ。人間が廻ってくるのはいつのことやら・・・途方も無さ過ぎて少し怖くなってくる
それを考えると「命の大切さ」だとかが浮かんでくる
「命」と一言で言ってしまえば人間から虫からクラゲ(90%が水)にだって命はあるのだ。虫は無感情のままに潰され、無邪気で残酷な子供に遊び感覚で引きちぎられたりする。人間だって世界のどこかで十秒に何人だか死んでるらしい。自分の家族や親しい者だと悲しいが、毎日報道されてるような、どこかで誰かが・・・って聞くと何も感じない。「ああ、なんで人は同属を殺すんだろ」くらいにしか思わない。世界の誰にでも手を差し伸べられるすごい奴もどっかには居るんだろうが。非情かもしれないが少なくともほとんどの人間がそうだと思う。命が大切なのは基本「周りの生き物」なのだ。もし今自分が死んでも、見ず知らずの奴らはなんとも思わないだろう。しかしなぜか大きな災害とかで人がたくさん死んでしまったりすると、そこに居る人たちに何か一つでもと考える。しかも世界中の人間がだ。ことによって差はあるが、大勢が一つのことを達成するのに動こうとすること。
それを人々は「結束」という・・・
そして人は「結束」すると協力を始める
問題はそれがどの方向に向くのかだ・・・
それが「人を殺す」「奪い取る」とかだと犯罪になる。「守る」や「助ける」は「慈悲」になる。逆に、これらが混ざって殺し合いが起きることもある。たとえば「守る」と「人を殺す」だとすれば戦争になったりする。家族を守るため、敵の命を奪う。組み合わせはいくらでもあるが、「結束」という言葉がどちらに転ぶかで全てが変わってくる・・・
これは、大切な一つのものを掲げて戦う、あるいは見つけるために戦う戦士達の「結束」の話・・・