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第六話

 津川英理子という人間は、戸籍上はおろか、社会のどこにも一人の人間としては存在していなかった。僕の前にだけ現れる人間で、その人格設定はここに集まった人間たちが毎日話し合い、僕とのやり取りからフィードバックを得ながら、方向性を決めているものだ。そうして話しあわれた結果を体現するのが、三宮さんやルナの役目だ。行動面ではルナが、話し方などは三宮さんが。

「だが、彼女ら二人の他に、もうひとつ重要な助っ人が存在する」

 そう言って、岸本六郎は僕とテレビ局スタッフを、別の部屋へと連れて行った。

「ここだ」

 そこは、一目でコンピュータルームだとわかった。冷蔵庫のような大きなコンピュータがいくつも並んでいる。サーバーってやつだと思う。

「これがエリコの頭脳の一部を担うコンピュータだ」

「どういう……意味だ」

「三宮くんや香川くんだけで全てのエリコとしての行動を決めるのは困難だった。ちょっとした動き、相槌ならともかく、どこへ行く、次に何を言う、すべてエリコとしての選択をしなくてはならない。まして一人で演じているわけではない。場当たり的に決めているばかりでは、一貫性のない破綻した人間になってしまう。言っていることはわかるかね? 「エリコとして一貫した行動」を計画する頭脳が常に求められるのだよ。最初は、別の人間がそれを無線で指示をすることも考えたが、一人の人間が指示をするとそいつの個性が色濃く出てしまってエリコらしさに影響が出る。大勢の議論の結果生まれた複雑なキャラクターなのだからな。かといって大勢で同時に指示を出し始めたらわけがわからなくなる」

「……それでコンピュータ様の出番ってことか」

「何をするのですか?」

 聞いてくれたのは坂野アナだった。

「こいつは、膨大な「エリコとしての特徴」のデータベースを持っている。我々の議論の結果を蓄積したものだ。その蓄積された情報を使って、一人の人間としての演出を助けているのだ。君といない時間、一人でいる時間の行動もシミュレーションしているし、全体として矛盾しないようにデート中には香川君や三宮君に行動と会話の指示をしている。例えば、そうだな、デートに行くにあたって「前の晩に、前回のデートで聞いた彼の好みを元にお弁当の具を用意した」という設定を作る。要所要所でそのことに触れるような会話をさせる。そうすることによって君は、君と一緒にいなかった時間にも君のことを考えているエリコというキャラクターを想像することができる」

「そんな、現場にいないコンピュータの指示なんて役に立つのか? 僕は指示に従っているわけじゃないんだ。状況はいくらでも変わる。そんなにうまくいくとは思えないな」

 目を見開く岸本。

「まあまあバカじゃないようだな。そうだ。本当のことを言うと、状況の変化についていくためにかなりスタッフが手入力でサポートしているし、実際に何度か完全に状況を見失って見当外れの指示を出していたこともある。そんな時はフロントスタッフがうまくごまかしたり、場合によってはトイレに行くフリをして時間を稼ぎ、プランの立て直しをしたりする」

 岸本は苦笑した。

「まあ、実際このシステムはまだ実験段階もいいとこだよ。……気を悪くしないで欲しいんだが、デート中に主導権を握っているのは基本的に君ではなくてエリコだった。だからこそうまくごまかせていた部分も大きい。そういう意味ではいいサンプルを選んだとも言える。まあしかし、得られたものは大きいよ。成果は今後の実験に大きく役立つだろう」

「そりゃあよかったな」

 僕は投げやりに言った。

「気に入らないか」

「別に」


 *


 大部屋に戻った。スタッフの連中は散会してめいめいの仕事を始めているようだったが、なんとなくこちらをちらちらと伺っているような感じもした。

「そこにかけたまえ」

 言われるままに、応接スペースで岸本と向かい合って座った。隣に坂野アナが座る。岸本の隣には三宮さんが座った。

「君は……エリコの最後の秘密を理解したな?」

「ああ……理解したよ」

「最初に言ったが、我々の目的は人間に愛されるロボットを作ることだ」

「ああ」

「問題は、ロボット、つまり架空の人間だとわかってて愛せるかということだ。我々がこんなに手間をかけて架空の人間エリコを演出したのもつまりそのためだ」

 そこで坂野アナが口を挟んだ。

「お聞きしてもよろしいでしょうか? その目的からすれば、初めは秘密にしておくのはなぜなのですか?」

「良い質問だ。将来的には出会う瞬間からロボットだとわかっていても愛を育むことができるようになる……それが理想だ。しかし今の時代はまだ、人種や年齢すら障害になるくらいだ。演じられた人間というのはあまりに敷居が高い。だからまずは生身の人間だと錯覚した上で育まれた愛が、そうでないとわかってからも消えずにいるかどうかにチャレンジすることにしたのだ」

 男は言葉を切った。

「君とエリコの交際が始まって一ヶ月、君はすっかりエリコに夢中になっているように見えた。プロジェクトの成果を試す時と判断した。テレビ番組という場で秘密を明かすことにしたのは、君に逃げ場を与えないこと、また架空の人間との恋愛が成立する可能性を国民に植えつけること、この二つの効果が期待できると考えたからだ。あとは君の知ってのとおり。エリコの構成要素を一つ一つ分離していく。初めに胸や髪型といった極めて周辺的な要素を外してみせた。それらが作りものだと知っても君が愛せるか? 声、それに身体……秘密があかされても君の愛は変わらなかった。君は言ったね? エリコの一部が好きなのではない、エリコだから好きなのだと。あれでテレビを見ていた我々は歓声を挙げたよ。まさにそれこそが我々の望んだ答えだ。もし君がいずれか一部を選んでいたとしたら、我々は単に君の好みを言いあてただけで、君に愛されるエリコを創造できてはいなかったことを意味する。それでは失敗だった」

 中年男がさっきから愛だ愛だと連発しているのが気持ち悪い。

「三宮くんが正体を明かした時点で、君は外面的な要素はすべて作り物だったことを知った。そして先ほど……その内面も、我々の設計した作品だったことがわかっただろう」

「わかったさ。……エリコなんて人間は、いなかった」

「そうじゃない。作られたものだが、確かに存在するんだ。よく考えたまえ。君の知っているエリコがどう変わったというのだ? 一つ一つのパーツの出所がわかっただけで、総体としては何も変わっていない」

「変わってない……だと?」

「そうだ。君さえ望めば、君が愛したままのエリコを君の前に存在させ続けることもできる。プロジェクト・エリコには多額の資金が継ぎ込まれている。まあ一生続けるわけにはいかないかもしれないがね」

 何を言っているんだ。この男は。

「あんたは……ルナや三宮さんの演じるエリコをエリコだと思い込んで、これからもやっていけと言ってるのか」

「思い込むも何も、それこそがエリコなのだ。香川君や三宮君は単なる構成要素にすぎない。君の言ったことだろう。エリコは部分がエリコなのではない。全体としてエリコなのだ」

「あんたは……あんたは……何を……」

 舌がかすれて声がでなかった。涙が……出てきた。

「石澤さん……」

 坂野アナの声だった。

「どうした? ……泣いてるのか。まあ、ショックなのはわからんでもない。だがこのまま秘密にし続けていれば、君は我々の生み出した架空の人間とは知らずに津川英理子を愛し続けていただろう。君の考え方次第。何も変わらないとも言える」

「……なんで」

「ん?」

「なんで明かした?」

「我々のプロジェクトの目的を聞いていただろう。生身の人間だと思い込んだままでは意味がないからだ。誰かが意図的に作ったものだと知ってもなお心から愛せること。それが必要だったのだ。それこそがロボットが人間の代わりを果たす、未来の社会のために必要なことなのだ」

「それで?」

「君が辛いのはわかるが、協力をお願いしたいのだよ。君はエリコというのがどうやって作られているのか、その全てを知った。知った上で、彼女を愛せるか。愛せるなら我々は未来を楽観視できる。だが、私も鈍感ではない。すぐには難しいのだろう。いいとも。愛せるようになるには何が必要か、君の立場で意見を言ってくれ。それこそが……」

 あはははははははは。僕はうつむいたまま乾いた声で笑い声を出してみた。明るい気分にはならなかったが、どうでもいい気分にはなれた。

「ごめんな……さ……い」

 小さく謝る声が聞こえた。聞きなれた声。三宮さんだとわかった。

「何を謝ったんですか?」

「あなたを……騙していて……」

「あなたが騙したわけじゃないでしょ」

 そう僕が返すと、岸本が言った。

「そうだとも。責任者は私だ。だが騙したというのは適切じゃないな。我々はエリコという人間を様々なパーツに分解してみせただけだ。どうすればまたエリコという人間を組み立てて愛せるようになるのか、それを君に教えて欲しいのだ」

 鈍感ではない、か。よく言えたものだ。

「このプロジェクトはきわめて重要なのだ。今や、恋愛に関しても人間同士では要求を満たせなくなりつつある。理想が高くなりすぎているのだ。人類の発展のためには労働と同様に恋愛も……」

「岸本さん……もう……やめてください」

「どうした、三宮くん」

「お願いですから……もう」

 僕は顔を上げた。姿勢を伸ばす。

「坂野さん、聞いてください」

 坂野アナはびっくりした様子だったが、何を、とは聞かなかった。

「よろしいのですか」

 無言で頷く。

「……では、伺います」

 チラリと見ると、三宮さんは泣いていた。岸本は険しい顔をしている。

 坂野アナは、顔を伏せた。でもクリアな発音でその質問をする。

「……あなたは」

 三宮さんのすすり泣く声が聞こえる。

「……それでも彼女を愛せますか」

 僕は立ち上がって岸本を睨みつけた。

「無理です。愛せません。いない人間は、愛せない」

 それだけ言い捨てて、僕は部屋を出た。


 エリは死んだ。いや、初めから存在しなかったのだ。


 僕は、誰もいない廊下を歩きながら、いつのまにか声を上げて泣いていた。

 

 世の中には知らない方がいいこともある、なんてことを言うやつが大嫌いだった。知らないより知っているほうが、絶対にいい。そう思ってたんだ。今の今までは。


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