第五話
「会話担当……。結局、エリコは地声で喋ってたわけじゃないってことかよ」
僕は吹き出さずにはいられなかった。
「それで、そのいかしたヘッドセットか。そっから本当のエリコの声が聞こえてくるわけ?」
三宮さんは首を振った。
「いいえ、ここから何が聞こえているのか、私から申し上げるわけにはいきません」
「どういう意味だよ」
「ただ、私はこのヘッドセットを通して……貴方と会話をしていました」
「それで喋ると、ルナがしてたスカーフのスピーカーから声が出るわけか」
「ええ、そういうことです」
そこで三宮さんは……少し黙った。
「あの、一つだけ言わせてください、私…………」
だが、言うのをやめてヘッドセットに手を当てた。
「え? あ、はい聞こえてます。わかりました。はい……はい……」
ヘッドセットから誰かの声が聞こえてきたらしい。ひとしきり相槌を打ったあと、諦めたように言った。
「今、リーダーが来るそうです」
「リーダー?」
廊下をドタドタと走る音が聞こえる。
「入るぞ」
野太い男の声が聞こえて振り向く。髭面の、太った男が入ってきた。背広を着ている。
「私は岸本六郎だ。プロジェクト・エリコのリーダーをやっている」
「プロジェクト・エリコ……」
その間抜けなプロジェクト名をリピートした僕に、大男は頷いた。
「そうだ。説明しよう。このプロジェクトは、人間が架空の人間を愛せるか? という研究のために始められたものだ。君は記念すべき被験者第一号。また、テレビ番組への出演はこのプロジェクトの宣伝も兼ねている。……そっちにいるのは番組スタッフかね、ご苦労だ」
太った男は挨拶もそこそこに、よく通る声で説明を始めた。坂野アナやカメラマンをねめつける。
「どうも……撮影は続けますが、大丈夫ですか」
坂野アナは固い表情で男に会釈して尋ねた。
「構わん。それでは説明しよう。ロボットを作るのに、今後重要な要素が何かわかるかね? それは、人間に愛されることだ。人間に対するものと変わらない愛情を感じてもらうことが極めて重要なのだよ」
男は窓際へ歩いた。
何の話をしているのか。しかし質問を挟める雰囲気ではなかった。
「それもとびっきりの愛情だ。単に親近感を感じて貰うとか、信用されるだとか、その程度のものではない。深い愛、強い愛。ずばり、恋人としての愛、あるいは親の愛だ。たとえば、自分の命を投げ打ってでもその存在を救いたいと思われるほどの、並みの人以上に愛されることだ」
男は振り向いた。
「だが、愛情というものはまだ人類には正体不明の代物だ。人の何に対して、どのような特徴に対して、愛情を感じるのか。それは人によって様々で、深ければ深いほどに千差万別。だからこそ、深く愛されるロボットを作るためには、最終的には個々人の好みにあわせたものにしなければならない。そうでなければ、真の愛情は得られない。好みの顔立ち、目つき、表情、髪型にファッション、スタイルに姿勢、立ち方座り方、食事の作法に話す時の仕草、歩き方、走り方、手料理の味、歌い声、個性を形作る要素は実に様々であり、またその複合的な要素こそが重要でありもする。それら全てに気を配る必要がある」
男は壁際に並んだままのプロジェクト・エリコとやらのスタッフ達を眺めた。
「ことほど左様に複雑な要素が絡み合っているが……それでも好みを分析していけば特定の誰かにとって理想の人物像を作り上げることは不可能ではない。と、私は思っている。だが! それ以前に解決しなければならない問題がある」
男は、坂野アナを見た。
「それは何かわかるかね?」
わかりません、と坂野アナは言った。
「それがロボットだと……生身の人間でないとわかっていたとしても、愛せるのか? ということだ。技術の進歩は目覚しく、肌の質感から動きまで、何を見ても人間と区別がつかないロボットを作れるようになる日もそう遠い未来ではないだろう。だが、人間だと錯覚しているから愛せるのか、ロボットだとわかっていても愛せるのか、この違いは大きい。前者では意味が無いと私は考える。詐欺と同じで不誠実だし、コストも大きい」
男はテレビカメラを見て、指をつきつけた。
「テレビをご覧の皆さん! こう考えてみてほしい。あなたの隣にいる、あなたの大切な人が、実はロボットだったとしたら? とある日本のどこかで製造されたロボットで、その容姿も体格も特技も何もかも、誰かが設計して「あなたにとって魅力的に見えるように」したものだ。そのロボットの行動の一つ一つが、あなたの知らないどこかの誰かの作ったプログラムにすぎなかったら? あなたは……」
男はカメラにむけてマイクをつきだす仕草をして、こう言った。
「……それでも愛せますか?」
なんてな、とつぶやいて男はふっと笑った。坂野アナが眉間に皺をよせている。
男はそれを無視して、僕を見た。
「さて、ロボット、と私は言ったが、この問題は機械で作られているかどうかに関係はない。要するに、誰かが設計した人間を愛せるか、という問題だと考えられる。……もちろん、正体を知らなければ愛せる。それは君が証明してくれたようなものだ」
「なんだと?」
尋ねたが、わかりきっていた。エリコのことを……言っているのだ。
「我々は君をごく平凡な大学生としてサンプルに選び、一年と半年の歳月をかけて女性の好みを徹底的に分析したのだよ。理想の女性像だ。容姿、髪型、ファッション、言葉遣い、声、歌声、特技……」
男は僕のほうへ一歩近づいた。
「本当はロボットを作るべきだったのだが、残念ながら現在の技術では、立ち居振る舞いに関して人間そっくりのものを作れるところまではまだ達していないからね、代わりに生身の人間を材料として使うことにした。ああ、別に猟奇的な意味じゃない。演じてもらうのだよ。それがこのプロジェクト・エリコだ。半年の間に、一つ一つ材料を集めたよ。エリコとしての顔立ちに極めて近い顔を持つ女性を大阪で見つけてスカウトし、カツラをかぶせた上で胸はパットを入れさせた。彼女には長期の訓練によってなんとか、立ち居振る舞いや表情、ちょっとした仕草に関してエリコとしてのものを身に付けさせることができた。だが、残念ながら声に関してはまったくエリコのイメージとはかけはなれていたし、若干の訛りと、話す時の癖なんかを完全に除くことができなかったのでね、会話担当を別に用意することにした」
「それであのスカーフか」
それから、三宮さんを見る。彼女は目を伏せていた。
「そうだ。ルナと同時期に、声に関しても適任者は見つかった。そこにいる三宮くんだ。彼女は東京出身で方言の問題はなかったんだがね、それでも一年かけて徹底的に話し方、口癖それに笑い方なんかを身につけさせる必要があった。まぁ、歌に関しては多少、音域面でプロのカバースタッフが必要だったがね。それから、英語に関しては全くダメだったから、そこもメアリーにヘルプに入って貰った。メアリーを見つけることができたのは本当に幸運だった。英語が得意というプロファイルは、君は自覚していないかもしれないがとても重要だったのだよ。君は心のどこかで、英語への苦手意識と憧れを持っていて、英語に堪能な彼女にわずかだがコンプレックスを持つ。それがとても良いスパイスとなって、君はエリから目が離せなくなる。惹きこまれていくのだよ。否定はできないだろう。一年半の我々の分析は伊達じゃない」
否定する気はなかった。半ば自覚していたことだ。
「ファッションについては服飾デザイナーの服部氏に協力を要請した。ダサさや退屈さを感じさせない、それでいて斬新過ぎず清楚さと上品さを感じさせる君の好みにピッタリのファッションを提供してくれる職人だ。ルナにしろ三宮くんにしろ、他の女性スタッフもそうだが、どうも君の好みから少しズレたファッションを選択する傾向にあったのでね。まあ、概して女性と男性ではファッションの好みがあわない、ということかもしれないが」
「……」
男のおしゃべりは続く。
「バイオリンや料理、裁縫等に関しては、全てそろえる必要があるかどうかは微妙だったが、被験者第一号ということで、できるだけ完璧に近づけておきたかった。それで専門家を用意したんだ」
僕は口を開いた。
「ご苦労なことですね。でも少しだけわかりましたよ。エリコ一人で考えたこととは到底思えなかったから。これは半端じゃない人手と手間と金がかかってるんでしょう」
「国家プロジェクトだ。秘密裏だがね」
あんたこれ全国放送だってこと忘れてないか?
まあいい。要するに僕は、途方もない馬鹿馬鹿しい研究プロジェクトの実験台にされていたってことだ。それがわかったにもかかわらず、僕は腹も立たなかった。僕の興味は、一つしかなかった。
「岸本さん。連れてきてください」
「……誰をだね」
「顔も身体も声も違うんでしょうが、僕と会話した内容や、行動や考え方、そういった、簡単にいえば「性格」と表現するような部分を担当した子がいる筈です。あんたたちが分析した結果導き出した理想の女の子、性格面でそれにぴったりな誰かをスカウトしたんでしょう? それが……僕にとってのエリだ」
「……」
男は……口元をゆがめた。
「なるほど……それが君の答えかね」
「さっきまで、三宮さんがそうなんだと、思っていました。……でも違ったようですので」
三宮さんが顔を覆ってしゃがみこんだ。
「……ついてきたまえ」
男は突然そう言って、部屋を出て行った。僕は仕方なく後に続いた。後から慌てて坂野アナらテレビ局スタッフがついてくる。壁際にいた料理人らスタッフもぞろぞろとその後からついてくる。
「ここだ」
男は一つ階段を下りたところで両開きの扉を開けた。
「みんな、集まってくれ。石澤慎吾君を連れてきた」
その光景に、僕も坂野アナらテレビ局スタッフも面食らった。
「「「お待ちしていましたー!!」」」
そこで出迎えたのは、50人はいるんじゃないかと思うほどたくさんの人間だった。男女入り混じっていて、30歳から40歳くらいが多い。気持ち悪いほどの笑顔で拍手をしている。
その部屋は、少し広めのオフィスルームだった。一角が開けていて、そこに数十台のモニタが並んだスペースがある。そのまわりに椅子が乱雑に並べられている。モニタの一つにさっきの部屋……。なるほど、こいつら全員で監視してたってわけか。おそらく、これまでの僕とエリ(ルナだが)のデートも全て。
「石澤くん、紹介しよう。これがプロジェクト・エリコの裏方スタッフ達だ。このプロジェクトは、香川君や三宮君などの実際にエリとしての行動を担当するフロントスタッフ以外に、バックヤードスタッフがたくさんいるのだよ。たとえば、君とルナを常に監視してその行動を把握しなければ三宮君が声を当てることも難しい。ルナがつけている小型カメラだけではとてもじゃないがボロが出るからね。まあ、実際ボロが出そうになった時には近くのスタッフがアクシデントを装ってフォローすることもある。みなの協力があってこそのプロジェクト・エリコなのだ」
誇らしげに言う男を黙らせたかった。
「どうでもいいですから、エリコが誰なのか教えてください」
「だからエリコは架空のキャラクターだ」
「名前はなんでもいいですよ。エリコの「性格」とでもいうような部分を担当してる子は誰だって聞いてるんです」
男はため息をついた。
「やれやれ。それじゃあ、君の言うエリコの性格というものがどういうものか、教えてくれ」
「性格は性格でしょう」
「表情や仕草か? 口癖かね?」
「そういう表面に現れるものの、背後にあるものですよ。性格ってそういうことでしょう」
「つまり君の言いたいのは……心、というやつかね」
「どう言ってもいいですよ!」
「ふむ。それじゃあ……、君の好きなエリコの性格的な特徴を示すエピソード、あるいは仕草とか口癖でもいい、そういうのをいくつか挙げてみてくれ」
「性格的な特徴を示すエピソード……?」
「難しく考えなくていい。エリコの好きなところを三つ挙げろ、と言えばいいかな」
「は……。なんでまた。テストですか」
「そうだ。これはエリコに会わせるためのテストだ」
「いいですよ。仕草って意味ではまず、相槌の打ち方です。ん~そうだよね~という相槌が凄く実感がこもってて好きなんです。それから、笑うとき、一瞬顔を伏せる仕草。あれが最高に可愛い。あと、よく伸びをするでしょ。あの姿勢が伸びたとこが好きです。エピソードだったら……二回目のデートの時。待ち合わせに三十分前に来てて、ベンチで寝ちゃってたんです。あれが可愛かった。方向音痴で、どこにいるか聞くと、傍のポスターの絵柄を説明しだしたりするとこも可愛くて好きだし……」
僕は何かを振り払うように、話すのに夢中になっていた。
ふと、周りの視線に気付いて話すのをやめた。みんな静まってしまって、頭をかいたり余所見をしたり、どこか落ち着かない様子だ。
「どうかしましたか?」
「ああ、いや……君のノロケっぷりにみんな聞いてて恥ずかしくなっているだけだろう」
「そ……そうですか」
しまった。僕も恥ずかしくなってきた。坂野アナなんて、真っ赤な顔をして頬に手を当てている。こら、カメラ、こっちを映すな。そういやこれ全国放送されるのか。編集でカットしてくんないかな。
「まあ、とりあえずそのあたりでいい。まずは相槌か。相槌は……誰だったかな」
男はあたりを囲んでいる裏方スタッフの連中を見回した。
「私です」
声がしたほうを向くと、隅のほうにいた女性が手を挙げていた。三十手前……くらいか。落ち着いた雰囲気の女性だ。仕事ができそうな印象。
「旦那が若い頃、私の相槌の打ち方を好きだって言ってたのが元ネタですね」
「そうだったな」
「ケイコさんの相槌はいいっすよねぇ」
そうだそうだと賛成の声がする。
「次は、笑う時に顔を伏せる……か」
岸本がそう言って、また見渡す。
「それは僕ですね」
今度は一番前にいた若い男だ。
「僕の彼女の仕草です。最近やらなくなってしまったのが残念なんですけど……」
「はっはっは」
「やってって言えばいいじゃん」
「いやぁ、言ってもやってくんないんす」
またひとしきり大笑いしている。
「あとはなんだ、伸びか。これは……べつに誰かの意見ってわけじゃなかったな」
「それは確かいつかの飲み会の時に男連中で盛り上がった話ですよ。ウェストの細い女の人が伸びをするのっていいよなっていう……」
「ああ、そうだった。ルナが面白がってやってみたんだったか」
今度は失笑、に近い笑い方だった。
「なあ、さっきから何を……」
言ってるんだ、と言おうとしたのに、舌が乾いていて声が出なかった。
「ああ、いいからいいから。で、なんだ。デートの待ち合わせに来たらベンチで寝ちゃってたってやつか。それは確か、小林だったか」
「ういっすー。僕っすねー。狙い通りっすねー」
後ろ向きに野球帽をかぶった無精ひげだらけの小太りの男が答えた。
「お前のアイデアはいつもあざとすぎると思うがな」
その隣の長身のハゲがつぶやいた。小太りとなにやら言い合いを始めるが、慣れたものらしく皆無視している。
「最後はポスターの絵を説明するやつか。これは池谷さんだったかな」
「違いますよー。私の友達の話ですってば。私方向音痴じゃないですもん」
ヒラヒラした服を着た若い女が手をぶぶんと振った。
「そうかそうか。すまんすまん」
「だから、一体なんの話をしてるんですか!」
僕は怒鳴った。
岸本は黙り、僕を見た。部屋中の百以上の目が、僕を見ている。
……答えが与えられた。
「つまりな……君が今挙げてくれた仕草やエピソードなんだがね、どれもスタッフの誰かが提案したり話し合って決めたりしたものなんだ」
「女の子のこういう仕草って可愛いよなっていうテーマでよく議論してるんですよ」
「もちろん、何でも採用するわけじゃなくてぇ、エリコっていう女の子のイメージに合うようなものだけを採用してるんだよぅ」
「なにせ、我々は君の好みを完全に把握しとるからねぇ。いやぁ堪忍堪忍」
……口々に言って笑う彼らを、僕は映画を見るような気分で見ていた。自分だけがスクリーンのこちら側にいるような。
「ああ、さっき君が言っていた、「性格担当」だっけ?」
岸本が破顔した。
「えぇ……」
「それは、言うなれば、我々全員、だ」
それが……エリの最後の秘密だった。