第四話
僕も坂野さんも、ついてきていたカメラやマイクを持ったスタッフも、キョトンとした。
「エリ、もういいんだ」
「いいえ、まだ、です」
「エリ……!」
「まだだよ、イッシー。秘密は……まだあるの」
「……。エリ、もういいじゃないかこれ以上。僕は受け入れた。ささいな秘密まで何もかもさらけ出す必要なんかない」
「はっきりさせなくちゃいけないの」
「何を? 何をはっきりさせるっていうんだ」
「イッシーの好きな、「エリ」とはいったい何なのか」
「エリはエリだ」
「胸は、エリじゃなかった」
「……」
「髪も、エリじゃなかった」
「エリ! もうやめてくれ」
「イッシー、はっきりさせようよ」
「はっきりなんかさせなくていい!」
泣きそうだった。だがエリは……何かを諦めているように見えた。
「もういいじゃないか。エリは何がやりたいんだ。僕に嫌いになって欲しいのか?」
「そんなこと一言も言ってない。私はただ知りたいだけ」
「僕は君の全部が好きで、その一部だけを好きなわけじゃない。これが全てだ。それ以上はないよ!」
「私の全部なんて知らないくせに」
エリの口調がきつくなった。
「これから……知っていきたいと思ってる」
言ってから、しまったと思った。エリはにっこりと笑う。
「じゃあ、知ってくれるよね。私の秘密」
「……」
「覚悟決めてね、イッシー」
僕は言い返すのはやめた。もうエリに何を言っても無駄だと思った。エリの全てを受け止めるしかない。どんな秘密があるにせよ……聞かなければならない。
「言えよ」
吐き捨てるように言い捨てて、部屋の壁際に寄った。壁によりかかる。エリは坂野アナのほうを向いた。何でも告白するがいいさ。
「では……失礼しまして、エリさん、次の秘密があるということでよろしいですね?」
とりなすように、坂野アナがエリに聞いた。
「はい、あります」
「それは……」
そこで言葉を切って、坂野アナはポニーテールにまとめていた髪に一瞬触った。緊張しているのだろうか。彼女らしくもない。
「……なんでしょうか」
皆が息を呑んでいるのがわかる。エリが口を開いた。
「えーとね」
僕のほうを見た。
「私、バイオリンが趣味だって言ったよね」
「ああ、一度発表会の時のビデオを見せてもらったっけ。目の前で聞かせてもらったことはなかったけど。まあ、今考えればあのビデオに映ってたのはルナだし、バイオリンはルナの趣味だってことか」
「ハズレ。ルナはバイオリンどころか楽器なんて何もやったことないよ」
エリがそっけなく言う。
「いい? あれはね、ルナがバイオリンを弾くフリをして、舞台裏のスピーカーで演奏を流していたの。当て振りってやつね」
「なんだそりゃ。そんな手間のかかることをしてヤラセ映像を作って、一体何のために? ……ああ、そうか、バイオリンの演奏はエリのものだったってことか?」
身体はルナだが声はエリのもの。同じように、動きはルナだが音を奏でているのはエリ、ということか。
「確かに、エリのものではあるわね」
その言い方にひっかかるものを感じる。
「どういう意味だ。はっきり言えよ」
「あれを演奏しているのは、笠木ミツコさんという音楽学校の生徒さん」
……。
「どこが君のなんだ。全然関係ないじゃないか。誰だよその笠木さんって」
「イッシーは知らない人だよ。いい? エリというキャラクターの、バイオリン担当ってこと」
「何のためにそんな……。見栄を張るためだけか」
「見栄を張ってるわけじゃないけど、バイオリンが弾ける子だと思われるためね」
それが見栄でなくてなんだというんだ。
「……で?」
「で、て?」
「秘密ってのはそんなことか?」
「そんなこと?」
「今までのに比べれば、全然大したことない」
「ふーん、そっか。でもね、一応、一つ一つ確認していかないと」
「確認?」
「わかんないかな、イッシーの好きなエリにはバイオリンを弾けることは含まれてるの? って言ってるのよ」
は、そういうことか。
僕は、坂野アナのほうを向いた。
「坂野さん。だそうです。バイオリンが趣味ってのは嘘で、全然別の人が弾いてました、ですって」
「……え、ああ、はい。そうですね、それでは、お聞きします。それでも彼女を……」
「愛しますよ。当たり前じゃないですか」
僕はそう言って、エリを見た。
「あのさ今更、何だよ? バイオリン演奏が嘘でしたって? 驚かないし、がっかりもしない」
「エリを構成する要素にバイオリンは……」
「含まれないよ。僕の好きなエリはバイオリンが弾けなくたってかまわない」
「ありがとう。それじゃあ……」
わかってるさ。
「まだ、あるんだろ?」
「うん」
「全部言え。小出しにしなくていい。今くらいの秘密、なんてことない」
僕はエリの肩に手を置いて言った。エリがひるんだような顔をした後、強く頷いて言った。
「わかった。じゃあ一気に行くよ」
「ああ」
「ちょ、ちょっと待ってください! まだ前の評価額が……」
何かと思ったら、それはスタジオからの声だった。柴野アナだ。評価額だって? それが今のバイオリンの秘密の賞金の話だと気付いて、僕はかっとなった。
「お金の計算なんて後にしてください!」
そう怒鳴ったのは……僕ではなく坂野アナだった。それを聞いた柴野アナは沈黙した。ふぅ、と息をはいて坂野アナは僕を見て微笑んだ。僕も微笑み返して、頭を軽く下げた。エリに向き直る。
エリは頷いて続けた。
「じゃあ、いくね? まず、いつも作ってたお弁当」
「あれも手作りじゃなかったと。お母さんか」
「ううん。料理教室を開いてる山下さん」
「誰だ。またプロかよ。ま、いいさ。次」
「英語が得意で、海外の友達と文通してるっていうのも……」
「嘘か。……いや待てよ。一度、道を聞かれた外国人に流暢に受け答えしてたじゃないか。感心したんだぜ」
エリは少し僕を見つめた後、何を思ったかベッド脇のサイドテーブルに置いてあったヘッドセットを取り、装着した。
「もしもし、私です。メアリーを呼んで」
メアリー? え、誰? そう思っていると、数十秒と経たないうちにドアを開けて入ってきた女がいた。
「コニチハ。メアリーです」
唐突に登場した白人女性はカタコトの日本語で挨拶した。僕もテレビ局のスタッフも唖然としている。
ふと気になった。あれ?……今の声……。
「紹介するわ、メアリーよ。英語担当。声が私とかなり似ているでしょ。実はあの時喋ってたのは彼女よ」
「いや、待て待て。喋ってたって……。えぇ? 君の声は全部君がやってたわけじゃないってのか? メアリーだっけ? あんたは何なんだ」
だがメアリーではなくエリが答えた。
「だから英語担当って言ったでしょ? エリという女の子は英語が得意な設定だから、英語を使う場面は彼女が頼りってことよ」
「設定……。そんな、僕と話す時に英語を使うわけじゃないんだし、わざわざそんな……いや、そもそも……僕は英語が得意な女の子が好きだなんて言った覚え、ないぞ」
しかしエリはそれには答えなかった。
「続けるけど。いい? 手芸が得意だって言って、前に服のボタンつけ直してあげたりとかしたでしょ? 一旦家に持って帰って。あれは裁縫担当の木下さん。カラオケで歌ってたのは基本的には私だけど、高音域と低音域には今川さんと高本さんというサポートが入ってる。それから芸能人なんかの話題について話す時は、芸能担当の椎名さんに知識を仕入れてもらってる。あと、メール担当が宮地さん」
「メ、メール担当? メール担当って何だよ。メールも人に打って貰ってたのか?」
「そうなの。ごめんね」
「あの、妙に女の子女の子した絵文字だらけの中身の無いメールは、君が打ってたわけじゃないのか?」
「そ、そんな風に思ってたの? あとで宮地さん、反省だな……。ま、私もあとでやり取りの内容は確認してるけど、よくあんな絵文字使うなあって感心しながら見てた」
「……」
僕は放心しそうになる頭をめぐらせる。ざっと、なんだ……。
「バイオリン、料理、英語、手芸、カラオケ、芸能人の話、メールのやり取り……それが全部、他人がエリのふりをしてやってたっていうのか。君自身がやってたことじゃないってのか……」
「そう。まだいるよ。ついでだからみんな呼んどこうかな。ねぇ、聞いてるでしょ? みんな来てください」
彼女はヘッドセットにむかって言ったらしい。それをどこかの部屋で聞いてた連中が……ぞろぞろと部屋に入ってきた。メアリーと並んで、総勢15人くらいが壁際に並んだ。一気に部屋が狭くなった。
「紹介するね、右からバイオリンの笠木さん、料理の山下さん、手芸の……」
彼女は一人一人紹介していった。字を担当する書道の先生だとか絵を担当する美大生の人までいた。年賀状の時期には活躍する予定だったとか何とか言っている。ショックだったのは、何人か男も混じっていたことだ。
「さて、とりあえずこれで全部。ちゃんと覚えた?」
「覚えない」
覚えてどうしろと?
「……ふーん。いいの? あなたの好きな「エリ」の構成要素かもしれないんだよ?」
この嫌な予感は……いったい何だろう。僕のこの汗は……しかし目の前の状況に対してではない。
きっとこれは序の口だ。
坂野アナの方を向いた。
「坂野さん。以上だそうです。秘密の告白、終わりましたよ」
「あ………………えーと、すいません、ちょっと動揺してて……」
「そうでしょうね! わかりますよ。でも僕のほうが動揺したいところですよ」
言ってしまってから後悔する。坂野さんに当たったところで何にもならないのに。
「そ、そうですよね、すいません。では、お聞きしてもよろしいですか? 考えます?」
「いえ、答えは最初から出てます」
「……」
「ん? どうしました? 坂野さん」
「いえ、その……ご立派だと思いまして」
「立派?」
「立派って言い方は変ですね。その、なんというか……石澤さん、凄いです。……いえ、失礼しました」
坂野さんの頬が心なしか紅潮している。さすがにこの怒涛の秘密の告白に興奮せずにいられないのだろう。
「それでは、お聞きしますね」
「はい」
「それでも、彼女を愛せますか?」
「……愛せます」
坂野アナは、頷いた。僕は、エリを振り向いた。
「君は……嘘だらけだな」
彼女は傷ついた顔をした。
「そうなのかな。嘘……なのかな?」
泣きそうな顔をしているのに……。どこか、言葉が上滑りしている。
「嘘じゃないか。こんなにも……自分を偽っておいて何を言う」
「イッシーが、選択しただけだよ」
「選択?」
「イッシーは、選んだんだよ。どの要素が、自分の好きなエリには必須なのか。料理が好きな女の子がいいなら、山下さん。英語が得意な女の子がいいなら、メアリー。裁縫が得意な女の子がいいなら、木下さんを選んだ筈」
残念ながら料理の山下さんは男なのだが、いちいちつっこまないでおく。
「君は僕をバカにしてるのか? 僕が好きなのは、エリだ。他の女の子じゃない」
「だからさ、どれをエリだと思うの? って話なの」
「エリは君なんだよ。君以外をエリだと思ってどうするんだ」
「ふふふ。君、と呼んでくれてるけど、それが誰なのか、次ではっきりするかな」
「まだ……あるのか。全部明かしてくれるのはいつになる」
「秘密はもう、あとふたつ」
「へぇ……」
「じゃあ、私は誰かって聞いてみて」
「……は?」
「いいから」
そんな質問、したいわけがなかった。でも、言われるままに尋ねるしかなかった。そうしなければ、何も前に進まない。
「君は誰だ?」
僕は……聞いた。
すると、エリが表情を消した。頭を深々と下げる。そして秘密は明かされる。
「三宮沙耶香と申します。エリの会話担当をしております」
嫌な予感は当たった。
「やっぱり君も……エリじゃあないっていうのか」
その僕の問いに、彼女はやはり表情を消したまま答えた。
「それは貴方が選択することです」