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第三話

「どういう意味だ?」

 僕は目の前のエリに尋ねた。

「簡単や。ウチはずっとな、口パクしとったっちゅうこっちゃ」

 エリは頭をボリボリとかいて言った。

「な……なんで急に関西弁に……」

「だーかーらー、わからんかなぁ、ずっとアンタと喋っとったのは、そのスカーフの向こうの声なんよ。ウチはそれにあわせて笑ったりしとっただけにすぎんのよ」

「……な……なんでそんなこと……エリ……」

「ウチの名前は香川ルナや。津川英理子いうんは、ウチの友達なんよ。まあ、ずっと病気で寝たきりで、病院から外に出られへん子やと思ったらええ。アンタのことが好きなのはそのエリコであってウチやない」

「な……君はエリ……じゃないってのか?」

「ちゃう」

 エリコは……吐き捨てるように言った。

「ウチはな、病院から出られへんあの子の代わりにアンタとデートをして、あんたの言葉をあの子に伝えて、あの子の言葉をアンタに伝える。そういう役割をこなしてただけなんよ。そのスカーフを通してあんたの声も向こうに聞こえてる。エリコの声もあんたに伝わる。電話やな、要するに。あんたと話しとったのは、あくまであの子や。ウチやないんよ」

 胸のところにつけたブローチを指差した。

「あとこれな、すんごい小さなカメラ。エリコの目の代わりやな」

 盗撮とかに使うやつやな、と笑う。

 何を……言っているんだ。

 呆然とする僕。会場もシーンとしている。

 僕は、やっとのことでこう言った。

「エリ、関西弁うまいな……」

「アホ。エリコちゃう言うとるやろ。……それよりほれ、坂野はん、聞かんでええの?」

 エリ……いや、ルナと名乗る女は僕から視線を外し、坂野さんを見た。

「え、え~と……あの、ちょっと事態が飲み込めないんですが……」

「あ~、もう、今丁寧に説明しとったやないか? まあ坂野はんにわかってもらわんでもええ。石澤くん、君な、要するにこういうことや。君が「エリ」だと思ってた女の子の、顔と身体はウチのやった。けど、君と会話した内容とか、仕草とか、メールのやりとりとか、電話のやりとりとか、全部エリのものや」

「いや、仕草は君のものじゃないのか」

「あんなぁ、ウチ、自分で言うのもなんやけど、ウチは完璧にエリの物腰を演じきったと断言できる。一年訓練したからな。エリを演じることにかけては日本一の女優や。だいたい、ウチはあんなナヨッとした女ちゃうねん。覇気の無い。もっとガーッと行くのが好きやねん。悪いけどアンタのこともウチは全然好みやないで? アンタに惚れとるんはエリや。ウチではないんよ」

 顔は完璧にエリなのに……そう、その仕草はもはやエリのものとは思えなかった。エリはそんな表情はしないし、そんな姿勢で立たないし、そんな風に頭をかきむしったりもしない。目の前にいる女はエリの顔、エリの身体をもっているが、中身はエリとは似ても似つかない。じゃあ、病院にいるという女がエリ……なのか。

「この会話はその病院のエリに聞こえてるのか? おーいエリ、聞こえるか、僕の声が」

 僕はそう、スカーフに話しかけた。

「うん、聞こえるよ、イッシー」

 その声は…………僕が一ヶ月間慣れ親しんだ、エリの声だった。

「エリ……なのか」

「うん、ごめんね、イッシー、これは嫌われたよね、流石に」

「……エリの……声、やっぱりいいな」

「え……あ、ありがとう……」

 目の前の……顔だけエリの女が言った。

「ええやろ? アンタ、さっき悩んでたけどな、声はエリ本人やったっちゅうことや。よかったやないか」

 僕はルナを睨みつけた。でも、少しだけ救われた気がしていたのも事実だった。

「えーと、あ、番組の時間がもう終わりですね。それでは、ら、来週に続きます~」

 坂野アナが慌てた様子で番組をしめた。この場で質問に答えさせないようにしてくれたことを、僕は坂野アナに感謝した。


 *


 それから、一週間が経った。

 オンエアされたのは一昨日だ。大反響だったらしい。テレビ局のほうに「さすがにあれはやらせだろう」という電話が大量にかかってきた。僕だってそうであればどんなに嬉しかったか。「彼氏はかわいそう」「最後のはドッキリとしか思えない」「あの女許せない」「彼氏はずっと気付かないなんてアホすぎる」……山ほどの電話はしかし、僕の問題を解決してくれるものではなかった。

 僕はといえば、収録終了後、改めて目の前で関西弁を喋る女を問い詰めた。香川ルナというその名前は残念ながら本物(免許証で確認した)で、収録中に喋ったことも本当らしかった。

 なんてこった。僕は本当に一ヶ月、この女に騙され続けていたのか。僕はスカーフをルナから受け取って、ルナを経由せずに病院の女の子とも話をすることができた。まず、今まで僕が話してきたエリは誰なのかはっきりさせなくてはならない。

 結論から言えば、スカーフの向こうで喋っているのが、僕が好きになったエリだった。相槌の打ち方、共感する時の「そ~だよねぇ」という実感のこもった口癖、ちょっと下品なことを言うと黙ってしまうのも、僕が自分の親を悪く言った時にちょっと怒るのも、全部エリの反応だった。一方でルナは、まるで別人だった。そもそも、僕とエリの会話をまるで覚えちゃいなかった。エリの笑い声にあわせて笑う振りをしていただけだったらしい。

 僕は自分の鈍感さ加減に呆れる。疑いもしなかった。

 僕はスカーフごしに、エリを問い詰めた。

「なんでこんなことをしたんだ? 僕のことが好きなら、直接僕と会って欲しかった。病院から出られないなら、こっちから会いに行くさ。いやそもそも、どこで僕を知ったんだ? 初めて会ったのは泥酔していた僕を通りすがりの君が介抱してくれたあの夜だった。あれも、ルナだったんだな? その前から僕を知っていたのか?」

「質問は一個ずつにしてよ」

「……なんで、替え玉を頼んだりした? 顔に自信が無いとかそういうことか?」

 むっとしたような声が返ってきた。

「自信がないってわけじゃないけど……。ただ、ルナの顔はイッシーの好みでしょ?」

「そんなの関係ないだろ! 僕は君の顔だったら好きになるよ絶対」

「そんなのわかんないよ」

「わかるよ。今の僕は君に惚れてるんだ」

「ありがと。じゃあ……」


 顔は……エリを構成する要素ではない、ってことね?


「え? エリ、なんだって、今……」

 それっきり、エリの声は聞こえなくなり、今日まで話すことはできなかった。

 昨日突然、テレビ局から収録の続きをやると電話があった。エリさんの都合で場所がスタジオから変更になった、とも。僕はどっちにしろ大学に行く気分じゃなかったので、OKした。

 そこはかなり都心を離れた、山奥の病院だった。病院? そう言われたからそうだと思っただけだ。言われなければ何のビルだかわからない。看板もない。薄々わかってくる。本当は病院じゃない。エリが病気だってのも疑わしい。でも、もう僕はエリに関する何かを予想しようなんてことはとっくに諦めていた。ただ、受け入れるしかない。

 コンクリートむき出しの無愛想な建物の前で、坂野アナが一人でカメラに向かっている。柴野アナはスタジオで観客と待機しているのだ。

「さあ、やって参りました! 「それでも彼女を愛せますか?」のお時間です。先週は、とんでもない展開を迎えましたねぇ、解説の柴野さん」

 前回の収録後や今日の収録前に少し話してわかったが、坂野アナは実は普段はとてもテンションの低い人らしい。でも今は完全に仕事モード。流石だ。

 スタッフの持っているノートパソコンにスタジオの様子が映り、柴野アナの声が聞こえてくる。

「そうですね、坂野さん。では先週のダイジェストをさっそくご覧に入れましょう」

 スタジオの巨大モニターには今頃、ダイジェストで僕ら、つまりナンバー35のカップルが紹介されている筈だ。彼女が先週明らかにした四つの秘密、つまりバストが実は小さいこと、ロングの黒髪はカツラだったこと、声はボイスチェンジャーで変えていたこと、そして……それさえも嘘で、実は顔と身体は別人が演じていた、ということ。

 カメラがこちらに戻ってきた。

「さあ、今週はスタジオではなくこちら、本物のエリコさんがいるという病院の前から放送しまぁす」

 そうだと思っていたので、僕は驚かなかった。

「でも、石澤さん、貴方がこの病院に入る権利があるかどうかは……この質問に答えてもらわなくてはなりません」

「ええ……わかっています」

 ふと横を見ると、エリが……いや、違う、ルナがいた。ニヤニヤ笑っている。僕は睨みつけてやった。

「どうも~」

 ざけんな。馬鹿にしやがって。

「では、答えていただきましょう! あなたは、それでも彼女を愛せますか?」

「愛せます」

 僕は即答した。スカーフに向かって、もう一度言う。

「エリ、聞こえてるんだろ? 僕が愛するのは、君だ」

「…………ありがとう」

 小さな声だが、確かに聞こえた。良かった。久しぶりに、エリの声が聞けた。ルナが横で拍手しているが、無視する。

「さあ、柴野さん、スタジオの皆さんの評価額はおいくらでしょうか?」

 坂野アナの呼びかけに柴野アナが答える。

「あ、はい、ちょっと待ってください……えーと、あ、出ました。……うわぁあ、これは前代未聞、評価額は129万8000円です」

「ひゃ、ひゃくにゅじゅうきゅうまん……ですか。破格です。これは完全に今までの最高額を抜き去りましたね」

「坂野さん、はやく病院に入りませんか?」

 僕は苛立って言った。そんな金の話なんかどうでもいい。エリに、会わせて欲しい。僕らは、やり直さなくちゃいけないんだ。

「は、はい……。すみません。それでは、スタジオの皆さん、こちらは早速エリコさんのところへ行きたいと思います、しばらくお待ちください」

 坂野さんに導かれるまま、僕は病院に入り、エレベータで上階へ。カメラや指向性マイクを持ったスタッフがぞろぞろついてくる。

「三階の一番奥の部屋だと聞いてるんですけど……変だなぁ、この病院、誰もいないのね」

 坂野アナが不安そうにつぶやいた。カメラが回ってないと口調も戻っちゃうんだ、この人。

「僕が思うに、たぶん病院ってのは嘘ですよ。坂野さん達はエリから何か聞いてるんですか?」

「エリコさんから、この病院に私はいます、病気で動けないけれど石澤君が受け入れてくれたなら直接会いたいから中継して貰えないかって、そう電話がかかってきたんです」

「それだけですか」

「ええ……。それが昨晩のことで……。時間がなくて事前調査もできなかったのが不安なんですが、まあ危ないことは無いと思いたいです」

「随分綱渡りの収録やってますね」

「ええ、でも私たちの腕の見せ所です。石澤さんはエリコさんのことだけを考えて下さいね」

 坂野アナは微笑んだ。

「ありがとうございます。でもどうしてエリコは……秘密を告白するのにこの番組に出ようなんて思ったんだろう……?」

 秘密というには大きすぎる。もはや正体、に近い。なのに全国放送で明かそうだなんて。

「……私も先週、そう思いました」

 坂野さんは、廊下の曲がり角を曲がった。

「でも、少し貴方と話していてわかったような気がしますよ?」

「え、それはどういう意味ですか」

 坂野さんは、少し立ち止まった。いつの間にかカメラなんかの機材を持ったスタッフが遅れていて、僕ら二人だけ先行してしまっている。

「貴方が、カメラの前で皆の注目が集まってると、かえって覚悟が決まって本心が言えるタイプだからです」

 え…………。

「エリコさんと二人の時、本音を口にしてますか? ついつい相手を気遣って、遠慮してませんか?」

「そ、それは…………」

「エリコさんに、その……キスとか、してあげたこと、無かったんでしょう?」

 そのとおりだった。僕は、一ヶ月、エリの手さえ握ろうとしなかった。接近するのが怖かったのだ。一度だけ、頭を撫でたことがある。それだけが僕と彼女が肉体的に接触した唯一のことだった。だから……気付かなかったのだ。

「それも貴方のいいところだとは思いますよ。でも、女の子はそれだけじゃ不安なんです」

「…………」

 僕は、エリを……不安にさせていたのか。

「ま、中継の方は私たちがしっかりやりますから、こっちは任せてくださいよ」

 坂野アナは、薄い胸をどんと叩いた。

「ありがとうございます……」

 僕は2つ年上の女性に頭を下げた。

 最奥の部屋には、津川英理子と名前が記載されたネームプレートがあった。僕は皆を見渡した。

「スタジオと中継がつながりまーす」

 スタッフの誰かが言う。ほどなくして、スタジオの声が聞こえてきた。スピーカーがどこか見えなかったが、気にしない。

「柴野さん、柴野さん、聞こえますか」

「はい、聞こえますよ坂野さん。こちらスタジオです」

「私たちは今、エリコさんがいるという病室の前にやってきました。これから入りたいと思います」

「いよいよですね」

 坂野さんが僕を見て頷いた。僕も頷き返し、ドアをノックした。

「はい……どうぞ」

 小さな声が聞こえた。エリの声……のような気がする。ドアノブに手をかける。鍵はかかっていない。開けて、中へ入った。

「エリ……」

 ベッドが一つだけある、何もない部屋。そこに身体を起こして窓の外を見ている女性。

「エリなんだな、君が……」

 女性は振り向いた。……けして派手な顔ではなかったが、整ってはいる。眼鏡の奥の瞳に力を感じる。ルナとは違う目。ルナとは違う唇。その唇が開かれた。

「イッシー……?」

 エリの声だった。スカーフなんか巻かれていないその細い喉から出てきた声だ。

 僕は駆け寄った。手を握る。

「エリ……やっと会えた」

 エリもこちらを見つめている。その目が潤んでいた。

「イッシー……。私で、いいの……?」

「当たり前だろ。僕はずっと君と話してきたんだ。君の声に救われたんだ。僕が好きなのは、君だ」

「イッシー……。ありがとう……」

 僕はエリを抱きしめていた。エリは僕の肩に手を置いた格好で、僕に抱きしめられるがままになっていた。

 二人の間に言葉はもう要らなかった。二人の歴史はここから始まるんだ。

 気がつくと、坂野さんやスタッフ達が、拍手をしていた。坂野さんが声をかけてきた。

「石澤さん、聞こえますか? 番組史上最も大きな秘密を乗り越えたお二人に、スタジオからも大きな拍手です」

 スタッフの誰かが持ったノートパソコンから、スタジオの拍手が聞こえていた。

 ナンバー35のカップルのチャレンジは、このシーンで終わりというわけだ。これはお茶の間に感動を届けちゃったんじゃないかな、と僕は思った。やれやれ、結果的にはすっかりエリの作戦に乗せられた格好だ。

「番組史上最高額を叩き出したお二人に、スタッフから、花束と賞状を送らせてください」

 坂野さんが、花束と額縁に入った賞状をスタッフから受け取り、こちらに差し出した。

「はぁ……。ありがとうございます。賞状……ですか。エリ、賞状だって」

 僕はそう言って、エリを見た。エリは…………。


 エリは…………。


 首を、振っていた。横に。


「まだ、です」


 エリは……ベッドを降りて、僕と目線を合わせた。


「まだ、だよ。イッシー」


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