第二話
「さあ、おふたりさん、いきなり高額を叩き出した感想はいかがですか?」
「私、イッシーを信じてました」
「当たり前です。僕はおっぱい星人じゃありません」
「二人とも、カメラの前で緊張しないタイプですね~。たいしたものです。それじゃあさっそく、次の秘密、行ってみましょうか」
「はぁい。それじゃあ……」
エリは、長くまっすぐに伸びた自慢の黒髪をわしっと掴んだ。
「私の第二の秘密は、これです!」
……。まじか……。
僕はまたしてもリアクションが取れない。しかし坂野アナも柴野アナも固まっている。会場は一瞬シーンとし、マグマが湧き出したようなどよめきが会場をうめつくした。
「私、カツラなのよ。本当は栗色のショートヘアーなの。どう? 似合う?」
髪型が変わるだけでまるで別人だった。本を読むよりスポーツが、クラシックを聴くよりカラオケが好きそうな、そんな女の子になってしまった。
「ま、またしても……またしても! びっくりしてしまいました……。エリコさん、また凄い秘密ですね……。石澤さんも見るの初めて?」
「は、はい……ぼくも……これは見たの初めてです。……え、だって一ヶ月つきあってて、ずっとってこと?」
「うん。ずっとだよ。ほら、あんだけ長い髪型だと全く伸びてなくても気付かなかったでしょ」
まったく気付かなかった。彼女の髪に触れたことはあったというのに。
「……気付かなかった」
「えー、では……伺いましょう! それでも彼女を愛せますか?」
坂野アナが混乱しながらも仕事をきちんとこなす。
「は、はい……はい。愛せます!」
僕も混乱していたが、それでもなんとか答えることができた。でもとにかく質問せずにはいられない。
「でも、な、なんで?」
彼女の元の髪型も、見たところ特に問題があるようには思えない。
「いや、イッシーはああいう清楚な感じの髪型が好きかなと思って」
「好きだけどやりすぎだって。いくらなんでも。髪型褒めたことも一度か二度くらいじゃん」
「まぁね」
まぁねって……。
「そうなんだけどね。やるからには徹底しないと」
そう答える彼女は、まったく平静だった。僕が受け入れることはやっぱり前提だったみたいだ。でもだったらなんで隠す? というさっきと同じ疑問が胸をかけめぐる。
「……ねえ、ていうことはさ」
「ん?」
「イッシーは、私の髪型を好きだったわけじゃないってことね?」
「いや、嫌いじゃあないよ。もちろん。でもどうしてもこの髪型じゃなきゃいけないなんてことはない。僕は君の髪だから好きなんだ」
「ふふっ」
そう、笑ったあと彼女が言ったセリフ……それがやけにゆっくりと、はっきりと聞こえた。
「じゃあ、あなたの愛してる私って、いったいなんなのかな」
「どういう意味だよ」
「次は凄いよ?」
微笑む彼女。……まだあるのか。僕は汗をダラダラとかき始めた。
「それでは、賞金額が出ました、どうぞーっ」
いつの間にか賞金額が表示されている。
「6万4000円。おーっ。これは凄い。本日最高額ですね」
「思い切って打ち明けた甲斐がありましたぁ」
「いったいなんでカツラなんてかぶってたんですか?」
「彼の好みにあわせたくてぇ」
エリがぶりっ子している。
「いや……僕は髪型なんてこだわりませんから……」
そういうのがやっとだった。
「髪型なんてって……。それもそれで女の子としては寂しいなぁ。ねえ、坂野さん、そう思いますよねぇ?」
「うん思う思う。髪は女の命なのにねぇ~」
「ねぇ~」
なぜか坂野アナと仲良くなってしまっているエリ。その命が偽物だったのはいいのかと突っ込みたかったが、僕はまだ頭の中がぐるぐるしていた。
冷静に考えると尋常じゃない。あのカツラは……盛り髪とかウィッグとかのレベルじゃない。もはや変装の域だ。
「さあ、まだ混乱している様子の彼ですが、どうですエリコさん、まだいきますか?」
「はい、こっからはもっと凄い秘密があるんですよ~」
「えぇ、これまで以上、ですか?」
「はい、じゃあさっそくいきますよ?」
僕は、待ってくれと言いたかった。でもいくら待ったところで心の準備なんかできそうになかったので何も言わなかった。流れに身を任せるしかない。
彼女は、首に巻いていたスカーフをほどいた。それはいつもしているスカーフだ。出会った時からしている。どのデートの時も、片時も外したことはなかった彼女のトレードマーク。それが外れる。その下には……何もなかった。ほっとした。
「そのスカーフがどうしたんですか?」
坂野さんの質問に、エリは口を開いた。
しかし彼女の口から出てきた声を聞いた者は皆、何が起きているかわからなかっただろう。
「実はこれは変声器なんです」
「……え、ちょっ。今、エリコさんが喋ったんですか?」
「はい、これが私の地声です」
そう、聞こえている声はいつもの彼女の声とは全く違う。やや低い、別人の声だ。
「な……………………」
僕は二の句が告げなかった。会場がシーンとした。今度はざわめきが大きくなるのにとても時間がかかった。
「変声器? このスカーフがですか?」
「はい。ほら、このスカーフのここにマイク、ここにスピーカーです」
そう喋る声は明らかにいつもの彼女とは違う。……他人が喋っている。別人が、彼女の口を借りて喋っている!
「凄くよくできていて、地声でぼそっと喋れば十分なんです。イッシーとそこまで接近したこともなかったから、バレなかったんだよね」
「な、なんでだよ!」
僕は思わず怒鳴ってしまった。
「だって近すぎると地声が聞こえてバレるじゃん」
「そうじゃねえよ! なんで声なんか変えてたんだって聞いてるんだよ」
「だって…………」
「胸とか髪型は、あれも相当だけど……でも百歩譲ってわからなくもないさ。でも声変えるなんて明らかに常軌を逸してる。なんか理由があったのかよ」
だがエリは、僕をじっと見つめてきた。
「イッシー、言ってたよね」
「なにを」
「エリのその声が好きだって」
「……」
「言ってたよ。いい声だねって。それは私の地声じゃなかったんだけどね」
言った。たしかに言った。僕はあの声が好きだった。
「でも、最初から……だったじゃないか」
そう、エリの声は最初からあの声だったんだ。途中で変わったわけじゃない。常に変声器をつけてる女の子だった……というのか。
「それについては後で話すよ。今、私が聞きたいのは、一つだけ……。坂野さん」
エリが言って坂野アナを見た。坂野アナは僕をチラリと見て、頷いた。
「はい、それでは……」
坂野アナが改まった。
「石澤さん、お聞きします。それでも……彼女を愛せますか?」
さっきとは違ってすぐには答えられなかった。
「いいんだよ? イッシーが好きだったのが私の声だったのなら、そう言って。自分をごまかしたら許さないよ」
エリがそういった。
違う。違うんだ。声が問題なわけじゃない。エリの考えていることがわからないんだ。エリは何者なんだ。僕はエリのことを何も知らないんじゃないのか。根本から完全に、少しも、これっぽっちもわかってないんじゃないのか。
僕はそれ以上考えるのをやめた。現実逃避だが、今考えるのは質問に対してだけにしよう。彼女の声が違っていても愛せるか? それだけだ。
「僕が好きだったのは……僕が好きだったのは……。たしかに声は好きだったけど……でも声だけじゃないんだ。その話す内容もだし、笑顔とか、仕草も、ぜんぶひっくるめて好きなんだ。声だけを愛してるわけじゃない。坂野さん、お答えします。愛せます。僕はエリを愛してる!」
僕が叫ぶと、会場を割れんばかりの拍手が包み込んだ。
「ブラボー! よく受け入れました。こんな秘密は当番組始まって以来初めてではないでしょうか。彼女はずっとボイスチェンジャーで声を変えていた。でも彼は受け入れました。これからは彼女の地声を愛せることでしょう」
そう。僕は彼女の地声を……愛していこう。そう決めていた。
「ありがと……イッシー」
さっきまでとは違い、エリがちょっと嬉しそうな気がした。しかし……それでも全部打ち明けた顔では……ない。僕にはそれがわかった。
「ああ。けど……まだあるんだな?」
エリは、悲しそうにうなずいた。
「ごめんね」
「いや、全部打ち明けてくれ。僕は受け止める」
「イッシーが私のどこを好きになったのか……。胸や髪型や、声を好きなったわけじゃないことはわかった」
「言っただろ。僕が好きなのは、エリだ。エリの胸だけとか、エリの髪型だけとか、エリの声だけってことじゃない。エリの全部が好きなんだ」
「イッシーの好きな「エリ」とは、いったいどこまでがエリなの?」
「は?」
「私の胸は大きくても小さくても構わなかった。つまり胸は「エリ」の一部じゃない。髪型も黒髪ストレートじゃなくてもいい。エリの一部じゃない。声も何でもいいって言う。声もエリの一部じゃない。いったい、イッシーの好きな「エリ」を構成しているのは……何?」
「それは……だから、全部だよ。胸だって髪型だって、エリの一部だから何だって構わないんだ」
「ふふっ。まいっか。じゃあ…………次ではっきりするかもね」
……僕は言葉を返せなかった。エリとは……どんな女の子なんだ。僕はだんだん、わからなくなっていく。
「賞金額が出ました! 13万! 出ました! 10万越えです! これは番組史上二番目の高額です!」
坂野さんの言葉で我に帰る。
「ありがとうございます~。秘密を明かした甲斐がありました~」
「いや~。もう始めにここに来た時とは別人みたいですね。髪型も声も変わっちゃって」
「巨乳でもなくなりましたね」
エリの言葉に、会場が沸いた。
「彼氏としてどうですか、彼女のこの変貌ぶり」
「ついていくので精一杯です」
それが偽らざる気持ちだった。
「さあ、ビックリするような秘密が三つも飛び出したエリコさんですが、石澤さんはなんとか受け止めてくれました。今後の二人には……」
しかしエリが、まとめに入ろうとした坂野アナを遮った。
「実はまだあるんですよ坂野さん。というより、ここからが本番なんです」
「えぇっ。まだ秘密が!? そうなんですか? これより凄い秘密があるんですか? ちょっと信じがたいんですが……」
坂野さんは驚いているが……僕は覚悟を決めていた。
「たぶん、びっくりすると思いますよ。イッシーも、今度ばかりは受け止められないんじゃないかと思います」
「おやあ、ここにきて挑戦状ですね。石澤さん、受けてたちますか」
「当然です。僕は何があってもエリを愛します」
僕は半ばヤケクソ気味にそう言った。
「う~んっ。これは女として羨ましい言葉ですね~」
「へ~。坂野さんはそういうこと言ってくれる男の人いないんですか?」
エリが話を脱線させた。
「わ、わたしのことはいいじゃないですか」
いつもはそつなくかわす坂野アナが慌てている。このままガールズトークで番組が終わってくれればいいのに。だが、そんなわけにはいかない。
「それでは番組の放送時間的にも余裕がなくなってきましたので、いってみましょう、本日最後の秘密です!」
「はい!」
そういって彼女は、手に持っていたスカーフを僕に渡した。
「ん……? このスカーフ……変声器がどうかした?」
「それ、変声器とちゃうねん」
なぜか関西弁で喋る彼女。
僕はスカーフを見つめる。すると突然、いつも聞き慣れたほうのエリコの声が。
「こんにちは、エリコです」
その声は……スカーフから聞こえてきた。
僕は思わず、目の前のエリを見る。
「それが、エリコや。ウチやない」