第一話
「哲学的な彼女」企画に投稿する作品の構想として、二つ候補がありました。投稿した「先輩と、真実の口」と、これです。
「私……あなたの友達のタクヤと……一回だけ、浮気しました! ごめんなさい!」
響き渡った高い声。しん、と静まり返っていた観客席がどよめいた。
「なんだって? そんな、ひどいよ! 妙子さん」
観客の見守る中、男も悲痛な叫びを上げた。
「おおっと、これはとんでもない告白が飛び出しましたぁっ!」
司会進行をつとめるは期待の若手アナウンサー坂野美智子。24歳独身。愛称ミッチー。
ステージ上では男女が言い争っている。
「ごめんなさい……。でも一回だけ。もう関係ないし、ね、許して! お願い!」
女性が手を合わせた。男性は口を一文字に結んで押し黙る。そのタイミングで、すかさず坂野アナのマイクが男に突き出される。
「さあ、それでは伺いましょう! 秋本さん、あなたは……それでも彼女を愛せますか?」
「ごめん」
ただ一言うめくように口にした男性。女性はわっと泣き出した。会場からはため息。
「おおっとぉ……ナンバー34、秋本さん高幡さんカップル、チャレンジ失敗です」
「ごめんなさいマサキ……うっうっ」
泣き出してしまった女性を坂野アナが肩を抱いてステージ右手の出口へと送り出した。マサキと呼ばれた男性も逆側の出口へと出て行く。
「三つ目の秘密で失敗です……。残念でした。柴野さん、どうですか」
坂野アナが隣の初老の男性に水を向けた。同じく司会を務めるベテランアナウンサーの柴野文義(45)だ。
「さすがに、貰ったネックレスを無くしちゃったことは許せた彼氏も、浮気は許せなかったようですね」
「この番組でも今までに何回か、浮気の告白はありましたね」
「許してもらえないケースがほとんどですけどね」
「はい、ではここで一旦CMでーす」
坂野アナの元気な声が響いた。
今、僕とエリがいるこのスタジオでは、ゴールデンの大人気バラエティ番組「それでも彼女を愛せますか?」の収録が行われている。
視聴者から選ばれたカップルをステージに上げて、彼女に自分の「秘密」を告白させる。坂野アナの「それでも彼女を愛せますか?」の質問に、彼氏がイエスと答えれば賞金がもらえる。ノーならその場で失格。ただし賞金額は、スタジオの観客が決める。秘密が大きければ大きいほど高額になるシステムだ。イエスと答え続ける限り、秘密はいくつでも告白できる。
「それでは次のチャレンジャーをお呼びしましょう! ナンバー35のカップルさん、ステージに上がってきてください」
坂野アナの凛とした声が響いた。
「あ、僕らの番だよ、エリ」
「うん、いこ、イッシー」
僕らがステージに上がると、坂野アナがマイクを向けてきた。うわっ。近くで見ると美人だなぁこの人。
「自己紹介をお願いしまぁす」
「はい、石澤慎吾です。22です」
「津川英理子です。22です。エリコって呼んでください」
「彼女かわいいですね~。おふたりはいつからつきあってるんですか?」
「まだ一ヶ月なんですよ」
それを聞いて坂野アナが「まぁ」と口に手を当てた。
「それはまだまだたくさん秘密がある時期ですねぇ」
エリが隣で手に口を当ててムフフと笑う。
「そうなんですよぉ。覚悟しててね、イッシー」
「おいおいエリ、勘弁してくれよ」
僕は慌てたように言う。
「あらあら、これは楽しみですね~」
その時、ゲスト席のほうから下品な声が上がった。
「しかし彼女さん、巨乳やねぇ!」
それを聞いた坂野アナ、しかし慌てる様子もなく瞬時に切り返す。
「笑鉄さん、オヤジまるだしですよ」
会場が沸く。さすがだ。ゲストの妾腹帝笑鉄の唐突なコメントに、慣れた様子でたしなめる。そのテンポの良いやり取りは、二年目とは思えない実力を感じさせる。「あのテレビ局には優秀な新人が揃っている」と言われているだけのことはある。
「ほらほら、彼氏も怖い顔してますよ」
そう言ったのは、解説の柴野アナだった。僕は仕方なく仏頂面を作った。こうやって一般人にまで気を使わせるセンスの無さ。「あのテレビ局にはろくなベテランがいない」と言われているだけのことはある。
「やだ、巨乳だって」
彼女は照れたように口に手を当てて笑った。
「さあ、それではさっそくいきましょう。石澤さん、心の準備は……よろしいですね? エリコさん、最初の秘密はなんですか?」
坂野アナが番組を進行する。
「うふっ。じゃあ胸のことを仰っていただいたんでぇ、ここからいきたいと思います」
「えっ。それはどういう意味ですか?」
「ちょっと待っててください。一分くらい」
「あら? 彼女、ステージ袖にひっこんじゃいましたよ? ここからは様子が見えませんが……石澤さん、どんな秘密だと思います?」
「いやぁ……想像もつかないです」
素直にそう言うしかなかった。つきあって一ヶ月、4回デートをした。4回目のデートで彼女から「テレビに出てみない?」と誘われて今、この会場にいる。応募してみたら抽選で当たったと言っていた。観客としてじゃなく、チャレンジするカップル側だと聞いたのは会場についてからだ。僕に想像をめぐらせる余裕なんかなかった。
僕は……彼女のすべてを知ってるわけじゃない。まだまだ道の途中なんだ。でもどんな秘密があっても、確かなのは僕が彼女を愛し続けるってことだ。
「ごめんなさ~い」
「あ、彼女さん、準備できたみたいですね、あれ、どうしたんですかその格好。コートなんか着て、暑くないですか?」
彼女はダボッとしたトレンチコートを着ていた。
「スタッフさんから借りたんです~。暑いです~。ということで、早速脱いじゃいますね」
そう言って、彼女がトレンチコートを脱ぐ………………え? 僕は思わず言葉を失った。
「……あれ? えっ えっ。 うそぉ」
坂野アナの声も、仕事用の声から素の声に戻っている。
客席の人間には最初、何が起きたのかわからなかったらしい。だんだんと会場のざわめきが大きくなっていく。
「胸が…………ない」
さっきまで存在した二つの巨大な丘は、今や地平線まで見渡せる平野だった。サイズを聞いたことはなかったが、目算、Dはあったであろうその胸が……ない。
「じゃーん」
そういった彼女が上げた手に握られていたのは、ピンク色の謎の塊。たぶん……パッド……というやつだ。
「そ……そうだったんだ」
やっとのことで、それだけ口にできた僕と違い、坂野アナは流石にプロだ。
「正直私もビックリしました。エリコさん…………なんとも大胆な……。ねぇ、笑鉄さん、どうですか」
会場が沸いた。
「いやぁ……これは~……嘘やわぁ……」
コメントを求められた妾腹帝笑鉄は苦笑いで手を顔の前で振った。プロの芸人ですら何も言えないのだから、僕が何も言えないのも仕方がない。
「彼、ご存知なかったということは……お二人は清い交際だったようですね」
解説の柴野が言ったよけいな発言は、僕にも坂野アナにもゲストにも観客にも完全に無視された。
坂野アナのマイクが僕に迫る。
「では、伺いましょう。石澤さん、それでも彼女を愛せますか?」
「も、もちろんです……」
僕はなんとか答えた。でもエリに聞かずにはいられなかった。
「なぁ…………なんで?」
「イッシー、胸が大きいほうが好きでしょ?」
「いや、まあどっちかといえば嫌いじゃないけど……でも別に小さくても構わないよ?」
「そ、ありがと」
そのそっけなさに、違和感を覚えた。受け入れることはわかっていました、そんな感じだ。僕の胸にはもやもやとしたものが残った。
「さあ……客席のみなさん、賞金はおいくらでしょう……? 今、集計結果が出たようです。さあ、その賞金額は……?」
坂野アナがステージ上の電光掲示板のほうを向いた。ドラムロール。
約百人の観客が、告白された秘密に対する「評価額」を、手元のテンキーで入力する。それがコンピュータを通じて自動的に集計され、その平均額が表示されるシステムだ。
「4万2000円。おお~。なかなかですね~」
「やりぃ」
エリが隣で指を鳴らした。僕は言う。
「エリ、実はそんなに秘密でもなかったろ」
「うん、バレた? このくらいじゃイッシー、私を嫌いにならないってわかってたし」
「そりゃそうさ、僕はエリの胸を好きになったわけじゃない」
「へ~。じゃあさ……」
この時エリがした質問は、世の男性を困らせる質問の代表格として知られたものだったが、そこには恐ろしい意味が込められていたことに気付いたのは、後になってからだった。僕はこの時、その質問の意味を何もわかっちゃいなかったんだ。
「……私のどこが好き?」