017:Never Say Die
この時ブルースは、ミーティアの機体をはっきり視認出来る程までに近付いていた。彼女を支援する為だった。しかしそれは遅れてしまった。
彼女が被弾するだと?
ブルースはその事実を飲み込むのにしばし時間を要した。現実の光景が現実に見えない。しかし、確かに彼女のARC-17の左翼は敵の誘導弾に被弾し、赤く燃えているのだった。
どうすればいいのか。
ミーティアはまともに機動が出来ないようだった。とはいえまだ飛行は出来ている。戦闘不能状態であるかもしれないが、まだ死んだわけではない。「空の底」に墜ちた訳ではない。
ミーティアは無敵ではなかった――そのこと自体はすんなり受け入れられた。彼女ですらも、状況においては被弾するのだ。だがそれはもうすこし前に知っておくべきだった――ああ、もし訓練で彼女に追い付くことが出来ていたなら、もうすこし上手く彼女を支援できたはずなのに!
しかしミーティアを撃った敵機はなにものなのだろうか? 尋常ではない機動を見せていたのは間違いない。レーダー内で、その、〈チェルノボグ4〉だけが鋭敏に飛んでいた。こんな状況でなければ、その機動は、そう――美しくさえ思えた、苛烈ながら優雅なものだったのである。
ブルースはそれを「女性的」だと感じた。美しさのある飛び方は女性独自のもの。ただ女性というだけではない、強い女性でもある。そしてそれはもちろん、ミーティアにこそ感じていたものなのだった。ゆえにこの時まで、ブルースはその「美」をミーティアの唯一無二なものと思っていた。だが。
「この野郎!」
ブルースには滅多にないことだった。あるいは生まれて初めてだったかもしれない。彼はこの時激しい憤怒を覚えていた。
「冷静さを失うな、〈ランスロー8〉! 状況を受け入れろ、その上で最善の策を取れ!」
「最善の策とは? あの異常な機体を取り除かなくては、全員やられる!」
「ミーティーを獲った奴を、お前が倒せるのか?」
「分からない、でもやるしかない」
「落ち着け、ブルース。お前はいま冷静さを失っている」
そうかもしれない。しかしこの状況で冷静さなど何の役に――いや。
自分の目で見たのを再確認する。ミーティアはまだ墜ちた訳ではないのだ。
つまり、そういうことだった。この状況で自分がすべきは――生き残ることがなによりも重要なのだから。
「助けて、ブルース……」
彼女のそんな弱々しい声を聴いたのは初めてだった。しかしそんなことを気にしている場合ではない。
彼女の離脱支援をしなければ。
「ミーティー、諦めるな! まだ飛べるだろう、戦闘空域から離脱するんだ! ぼくが支援するから――」
そこに、無慈悲な炎の塊が閃光のように貫いた。〈チェルノボグ4〉は無弱々しく飛んでいるミーティアの機体に止めを刺したのである。
彼女の機が爆散する――通信もなくなる――
上官は冷静であれと言った。だがこの状況で冷静になれるのなら、それはただの機械だ、人間じゃない。なれるものか、冷静に――
その時、ブルースが信じていた世界の全てが崩壊した。
そして――彼の奥底に眠っていた「鬼」が起動しはじめた。
そんなことを自覚していた訳ではない。ただ頭が真っ白になっていて、しかしその中心には確かに闘争本能とでもいうべきものが居座っていた。それを振り払うつもりも、全然ない。それはもう、怒りですらなかった。もっと冷酷で醜悪な、なにかだった。
皮肉なことに――彼はミーティアを喪ったことで、初めて空で戦う意味を見出したのである。
〈チェルノボグ4〉。奴は絶対墜とす。
「彼女は戦闘能力を喪失していた! どうして撃った!」
ブルースは聞かれようとして叫んだのではなかった。単なる自分自身への悪罵に過ぎなかった。だが意外なことに向こうからの通信を拾い、それを聞いた。
「彼女?」
しっとりした声だった。湿った冷たさ。だがどこか色気もある。奇妙な背徳を覚え、しかし墜とす気持ちはまったく消えていない。
「そう、あの機に乗っていたのは女性だったの」
お前も女だろうが、と言おうとして止めた。ここで敵と通信し続けても意味はない。ただ〈チェルノボグ4〉のターゲットマーカ―だけを凝視していた。そして戦闘機動を開始する。過負荷ともいえるGが掛かる。しかしこの時、ブルースは精神で肉体を超越していた。どんな機動でも出来そうだった――もっとも機体がそれに付いて来れるかはまた別の話。実際、この時コックピットの中では「オーバーG、オーバーG」とアラートが――あるいは機の悲鳴が――鳴り続けていた。
「〈ランスロー8〉、そいつに固執するな!」
聴こえてはいたが頭に入らない、という感覚だった。彼には仇敵しか見えていなかった。
「もう1機鬼がいたか。ベルラ、そいつも墜とせ」
「落ち着けブルース! 生き残ることだけを考えろ!」
しかしその声はブルースには――そして〈チェルノボグ4〉にも、恐らくは――届いていなかった。声も届かず、そしてふたりの機動には誰も付いて行けない。
ブルースは冷静ではなかった。だが冷酷ではあった。
「ロックオン。発射」
誘導弾を2発放つ。軽やかに左右に機動する〈チェルノボグ4〉を攻撃で拘束する。この2撃で捉えられるとは、最初から思っていない。だが主導権は決して渡さない。だが華麗に回避する敵機の機動は、どこか優雅でもあった。
「さあ、踊りましょう」
ふざけるな、という気持ちすらない。この時すでにブルースは相手を人間と見做していなかった。それは彼が無慈悲な戦闘機械になる初めての兆候だった。しかし戦闘機械、という意味では相手も同じだったのである。
「なんてこった。もうなんにも届かねぇ」
リーアムが匙を投げたように言った。そういう彼も〈チェルノボグ隊〉に食い付かれ、必死に回避機動を行っていた。
それ自体は純粋な空戦だった。だがその時、それを止める通信が管制から入った。
「首都司令部より通信アリ! 敵の主力が北方から多大に雪崩れ込んでいます! う、ウェスタベリが……まさか……」
「どういうことだ。まさかこっちは囮だってのか?」
アルスター王国空軍、イースタベリ部隊はよく勇戦していた。しかしその奮戦ももはや意味がない。彼らはボリス連邦の戦略にすり潰されたのである。
「そいつを墜とせなかったのは残念だが、仕方あるまい。〈チェルノボグ4〉、遊びは終わりだ。作戦第2段階に移行する」
「〈チェルノボグ4〉了解。隊長に従います」
「囮」だった連邦空軍はそのまま撤退していく。それを追う気力はイースタベリ各部隊には残っていなかった。いや、例外はいたかもしれない。
「待て! お前だけは……ッ!」
しかしそれがブルースひとりだけではなんの意味もない。
「作戦を変更します! イースタベリ所属の各隊は王都の防衛に急行してください!」
「補給もなしか? 付いて行けない奴のほうが多くなるぞ」
「補給できる余裕があればそうします! しかし、この状況では……ああ!」
アルスター国軍の防空網は万全のはずだったのに――と管制オペレーターの嘆きの声が聴こえる。それで、ほんのすこしだけブルースも冷静さを取り戻した。
「聞いただろう、〈ランスロー8〉。俺たちは軍人だ。命令には従え。自分の戦争なんてするもんじゃない」
「……命令了解」
冷静さを取り戻して、しかし感情はまだ摩耗している。ミーティアを墜とされた、彼女は爆散させられ、「空の底」に墜ちる権利すら与えられず、散った――その現実を現実のまま、受け入れられる訳もなく、しかし大きな現実、無慈悲な現実としてブルースに圧し掛かっていた。
彼女が――まさか――




