私の生きたい理由
私にはまず死ぬわけにはいかない。がある。死ぬ以前に倒れる訳にはいかない。病むわけにもいかない。
風邪をひかないように気をつけている。
ひとり親で小さな子供を2人育てているからだ。
夜ご飯の支度中、ピーラーで指先が捲れた時、思ったよりも大量の血が出た。怖かった。
部屋には2人の子供と私だけ。
えーと、これってこの状況で血が止まらなかったら、どうやって病院に行くの?タクシーも乗れなさそうだし、この2人連れて行けるか?と少しの間慌てていた。今日知ったのだけど、そんな時はひとり親の支援員さんに相談が出来る。後はヘルパーさんだって呼んでいい。前に聞いた気がするけど、すっかり忘れてしまっていた。
死ねないと生きたいは違う。
生きたいか?と自分に問うと、もうこのまま倒れたいというのはしょっちゅう出てる。その気持ちになってる時は苦しい。苦しいので何か考える。苦しいのはいやだ。不安になる。まず胃の中が空っぽなんじゃないか?部屋が寒すぎて落ち込んでるんじゃないか?追い詰められた答えは固く、様々な感情を絡めて出来ているから、ほぐしていけば小さくなるかも知れない。と、最近は思い直すようにしている。
生きたいか?やむを得ずと笑う。
私はなぜか小学生の時から早く死ねるならそうなってほしいとお願い事をしていた。怖い話の本を買ったら最後のページは空白になっていて、あなたが書いてください。ってあった。そこにそんなことを書いていた。私が書いて一冊の本の中で百物語が完成すると何かが起こる、らしい。
死ぬことが怖くて怖がり続けるのは嫌だから、逆に進んだ気もする。
生きたいか?かあ。
人の目を見てゆっくり話をしているとそんなに怖がらなくて良いんだなと思えた。今日はそんなことがあった。心に届く目をしている人がいた。深刻な話はしていない。ほぼ初対面だ。ひとりは眼鏡屋さんだ。
なのに、今日はその2人の目が印象に残っている。こういうのってなんなんだろうなあ。
今、私は自分を責めすぎないように、と思っている。本当はもっと頑張れるんじゃないか?とか、人並みになりたいとか。ひとり親として、何をどこまで頑張るか?まるで見当が付かない。天井がわからない。足のつかないプールでぎりぎり溺れていなくて、いつも水を飲んで苦しい。そんな絵が浮かぶ。
保つ、続ける、無理をしない。
私が倒れたら終わる。終わるというか、2人が困ってしまう。私は親族と絶縁しており、近くに頼れる人がいなかった。ほんの少しいるけど、みんなそれぞれ精一杯な感じだ。
死なないというのは結構偉いことな気がする。
どんなに毒になる親でも80なら80の年まで生きれたというモデルなのらしい。生存できる型として子供は学習してるらしい。
男の人に頼って結婚していつの間にいなくなっていたお嫁さんと連れ子、その2人は死んでない。後ろ指さされる生き方と思っていて利用したと噂する人たちもいたけど、ずるそうとか汚そうとか、それでも死んでない。出来れば悪い噂の立たない生き方が良さそうだけど、でも生存モデルだ。
今、私はひとり親として何が正解かわからない。両親揃っていても必死で働けば、心に余裕が無くなれば、子供が犠牲になる。私の子供時代がそう。自分に無茶をさせすぎて生きれるか?というと、やはり怖くて、心を取り戻す時間を必要だと感じる。
あ、あと結婚してて離婚を一度も思ったことがない人って少ないと思う。生きてる以上、死を意識することはそれと一緒かな。結婚ってもっと幸せなものだと思ってた。こんなになるのなら離婚した方がいいんじゃないか。でもびっくりするほど反対側の世界だ。もう少し続けてみる、離婚以外の途中の選択肢はいっぱいある。
死というのは生きてる人の誰にでも入ってる最後はそこに進むものという結論。いつ来るかわからないけど、全員持っている。人である以上誰にも死なれたくないのかも知れない。




