あの頃は私達若かった2
清美の経営するお菓子工房「スイートメモリー」は全国展開する人気ブランドとなり、新聞やテレビでも取り上げられる存在となっていた。特集記事で「逆境を乗り越えた女性経営者」として紹介されるたびに、清美は苦笑する。過去のことは消せないが、今が充実しているのは事実だった。それでも、時折夜更けに思い出すのは、由美子との日々だった。
ある夜、清美の元に優が訪ねてきた。すでにモデルから女優へと華麗な転身を遂げ、世間からも注目されている存在だ。スーツ姿の彼女は、どこか由美子の面影を宿していた。
「久しぶりね、清美さん。」
「優ちゃん、今日はどうしたの?」清美は微笑みながらソファを勧めた。
「今日はちょっと、話したいことがあって。…母のことを、もう少し知りたくなったんです。」
清美の表情が一瞬硬くなったが、すぐに優にお茶を勧めながら椅子に腰を下ろした。
「由美子のこと、ね…。優ちゃんには、どこまで話していいのか迷ってたの。でも、もう大人だものね。話すわ。」
「ありがとうございます。」優の目は真剣だった。
清美は、由美子が風俗嬢時代にどんな困難を抱えていたのか、そして彼女が必死にその世界を抜け出そうとしていたことを語り始めた。愛人との間に優を授かったとき、由美子は「優には、私たちと同じ道を歩かせたくない」と何度も口にしていたこと。そして、その願いを胸に、清美が優を遠くから見守ってきたことも。
「…じゃあ、私がスカウトされたり、学校の支援を受けたりしたのも、全部清美さんのおかげだったんですか?」優の声には驚きと戸惑いが混じっていた。
清美は静かにうなずいた。「正直に言えば、そう。あなたがここまで来たのは、優ちゃん自身の力だけど、その力を引き出す環境を整えたのは私。でも、それはあなたのお母さんが私に託した願いがあったから。由美子の想いを、なんとか形にしたかったの。」
優は長い沈黙の後、ぽつりとつぶやいた。「…ずっと、母のことを知らないままでいるのが怖かった。でも、聞けてよかったです。清美さん、本当にありがとうございます。」
「いいのよ、優ちゃん。由美子は、きっと今のあなたを見て喜んでるはず。あなたが自由に、輝いて生きてくれているから。」
優は涙をこらえながら微笑み、立ち上がった。「これからも自分の道を進みます。でも、母のことを思い出すたびに清美さんのことも思い出します。感謝しています。」
「こちらこそ、優ちゃん。あなたのお母さんに託された夢を、私は見届けるから。」
その夜、優が帰ったあと、清美は一人工房の一角に立っていた。そこには、かつて由美子と一緒に作り上げた最初の試作品の写真が飾られていた。写真の中の二人は笑っている。
「由美子、あんたの娘、立派になったよ。」そうつぶやくと、清美の胸の奥にあった重たいものが少しだけ軽くなった気がした。
それから数日後、優の主演映画が公開された。その初日の舞台挨拶に清美も足を運んだ。ステージ上で輝く優の姿は、清美にとっても由美子にとっても、最高の贈り物だったに違いない。舞台挨拶の終わり、優が語った言葉が清美の心に刻まれた。
「私は、母が夢見た自由を生きています。そして、私を支えてくれたすべての人たちに感謝しています。」
清美は小さくうなずき、そっと席を立った。その背中には、過去と未来をつなぐ責任を果たした人の安堵が漂っていた。