09.おろそかには出来ない
今日は「何か落ち着きなくてそわそわしてるし、時計見すぎですよ」と村田に笑われた。
けれど、それも苦笑して流すくらいにしか対処出来ないほど、今の由美には余裕がない。
「店長……どんだけ疲れてるんですか? 今日一日中、ニヤニヤしたり焦ったり、ひとり百面相してますよ……怖い怖い」
お調子者の副店長、村田が閉店後の書類を片付けながら私の顔を見つめて、鉄人もついに壊れたか……とため息をつく。
「えっ、あぁごめん。今日ちょっと考え事してて」
「もー! 連勤中の人はもうお家に帰ってくださーい! たくさん眠って休んでくださーい!」
「そんなこと言ったって、バンチブックの整理が……」
「良いんですよ! いつも店長が残ってやってくれてるの、知ってますし……もう少し僕にも恩売らせてくださいよ!」
一度スマホの通知を見た後、急にグイグイくる怪しい村田。
こういう時は大抵、家に帰りたくない理由があるか、何か企んでるかだけど、今日に限っては有難い。
「じゃ、今日の受注でデッドストックになったブランドだけ印つけてるから、こっちのリストにある分、抜くのお願いね。こっちのミスで受注取り違えるといけないし、明日私がダブルチェックするから一箇所にまとめて置いといて。絶対、捨てちゃダメよ。あとAC社のボタンが割れやすいって連絡きてたから、ボタンブックのAC社分のシール貼りもやってほしいかな。その分の清掃は、朝にまとめるからそのままでおっけー。あと、よろしく」
息継ぎも忘れて一気に要件を伝えると、村田は嫌そうな顔をしながらメモをとった。
うげっ!という返事が聞こえたけれど、やってくれるというならやって貰おうと、考えていた整理を全部預ける。
スタッフ用クローゼットにしまっていたスプリングコートとプラダのバッグを引ったくるように掴んで大きな自動ドアを出た。
腕時計は20:55を指している。
銀座からでは電車でも車でも、もう絶対に間に合わない。
それでも一刻も早く会いたくて、店の前で入れ替わるように空車になったタクシーへ飛び乗って、目的地までの道を急がせる。
「幡ヶ谷駅前の交差点まで、首都高抜けてってください!」
まだ連絡先も知らない男に必死になっている自分がちょっと滑稽だけど、それでも今は、とにかく会いたかった。
何をしてても落ち着かなくて、SNSを開いたり、動画サイトを開いたりしても、入ってきた情報は頭を掠め、そのまますり抜けていってしまう。
「お嬢さん、さっきから落ち着かないけど……もしかして、デートに遅刻でもしてるんかい?」
「あっ……いえ、デートではないんですけど」
何かしていないと落ち着かず、冷えている手を暖めようと、ヴァーベナの香りのハンドクリームを手の甲に塗って、両手で摺り込んだ。
「じゃあ、片想いかな?」
「あー……そう、かもしれません」
カカッと乾いた笑い声をあげたドライバーは、鏡越しに目を細めた。