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11.トイプードルの餌食


「……っ宙也……くんっ……」


 会いたい。 遅れてごめんねって謝って、素直な自分を彼に抱き締めてほしい。思わず体の力が抜けて、看板の前でぺたりと崩れ落ち……かけた。


「うぉっと……。ねぇ、由美さん。泣きすぎ」


 大泣きしてピントがよく合わないけれど、この暗い中でもぼんやりと明るい茶髪と、後ろから私の腕の救うように掴む、この大きな手。


「ん、ナイスキャッチ!」

「……自分で掴んどいて、何言ってるの」

「え、由美さんが言ってくれないからだよ。スーツ、汚れちゃうでしょ。はい、これ」


 確かに聞き覚えのある声に合わせてガサッと音がして、目の前に紫と白の花束が差し出された。


「ア、ネモネ……?」

「そう。泣き過ぎて見えなくなっちゃった?」


 僕、いい子にして待ってたんだよ、と笑う声の主は、ブーケを下ろして左手を差し出し、立ち上がるのを助けてくれた。


「店の前で堂々と待つのは流石に気が引けて、横で待ってたのに……由美さん勝手に遅れてきて、勝手に泣き出すんだもん。僕、困っちゃったよ?」

「ごめんなさい……。結構待たせちゃったから、もう居ないと思って……」

「そんなわけないでしょ。僕、いい子だもん。これが、今の、僕の気持ち。……来てくれてありがと」


 さっきまで宙也に差し出されていたブーケが、改めて由美の手に渡された。


「わぁ、ありがとう。でもごめん、私、花言葉とか詳しくない」

「紫は、『貴方を信じて待つ』。白は……由美さんが調べて」


 照れ隠しなのか、急に鼻をこすりながら目線を下に落とし、地面に落ちている小石を爪先でコロコロと蹴り出す宙也くんは、やっぱり可愛い。


 彼の言葉が気になって、急いでバッグからスマホを取り出し、アネモネの花言葉を検索する。


「『アネモネ 白 花言葉』は……『真実、期待。』って、ことは、期待してくれてるってこと?」

「……あと、もう一声」

「えー……難しいよ。わかんない」

「『あなたを、愛します』」


 宙也はそっと体をかがめて、化粧がボロボロになった私の顎へ片手を回し、俯いていた顔を少し上へ向けてキスの雨を降らせる。


 まだほんの少し冬の気配を感じるような、鋭く冷たい風が体温を奪い、指先からほんのりと冷えてきていた体が、口付けた瞬間に爪先から頭の先まで一気に燃え上がるのを感じた。


 が、視界の先で大通りから角を曲がってきた原付がこっちに走ってきたのが見えて、咄嗟に壁側へスッと下がりつつ、由美は宙也の腰へ手を回して、手前へグッと引っぱった。


 よろけた宙也はバランスを崩し、そのまま由美を壁ドンするような形になる。


「うぉわっ!何するんですか、由美さん!」


 宙也のシャツの襟を掴んで首落とせと要求し、深いキスを仕掛ける。


「……宙也くん、顔真っ赤。可愛い」

「可愛いならさ。僕のことも好き?」


 ニヤッと口角を上げた宙也に顔を覗き込まれると、由美の顔もぶわっと熱くなる。


「……好き、に、なりそう」

「じゃあそのまま、僕だけ見ててね。もっと好きにしてみせるから」


 宙也は、「ね?」と繰り返した後、強く握りすぎてシワになりかけたスプリングコートを由美の腕から奪い、さっと自分の肩にかけて、モデルのようにスタスタと歩いていく。


「……この、肉食トイプードル。」



「……えー? なんか言ったー?」

「ふふっ、なーんにも!」


 10歩ほど先を行く彼に後ろから駆け寄ると、奪われたコートが肩にかけられ、空いた手を取られる。


「由美さん、隙だらけなんだから。」

「宙也くんだからじゃない?」


「そ? ……なら良いけど。」


 見かけに騙されていたのは、由美の方かもしれない。

 それでも、彼とのこういう他愛もない時間がずっとこうして続けば良いのにと願いつつ、どこからともなく風に流れ来る桜の花びらを見ながら、歩幅を合わせて家路に着いた。


 彼の手は今日も、とても暖かかった。

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