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01.逸品集まるサルトリア・ミラージュ

 雲ひとつなく気持ちのいい空。時刻は午前9時を少し回ったところ。

 両方向で渋滞した大通りから、一本入った細道。老夫婦が経営している二坪ほどの、こじんまりとしたコーヒー屋でドリップコーヒーを買う。


 いつもは店でインスタントを溶かすけれど、訳あって二日酔いの今日は、週に1回のご褒美コーヒーを迷わず選択した。


 濃いめに抽出された深煎りを片手に、古びた真鍮の鍵を回して店のドアを開ける。3メートルほどある大きなガラス戸の内側上部には金色のドアベルがついていて、どんな時にでも涼しげに鳴るこの音が好きだ。


 前日もたくさんのお客様をお迎えした店内に、すーっと開いたドアの隙間から、淹れたてで香ばしいスマトラの香りがフワッと吸い込まれていく。まだ薄暗い店内で、前日の努力を見せつけるように空中で舞う繊維屑。この埃たちが朝日に反射し、きらきらと輝いている瞬間を見るのが大好きで、この時間を味わうために誰より早く出勤していると言っても過言ではない。


 入ってすぐのところでポーズを取るマネキンの後ろに手を伸ばし、由美は店内照明のスイッチを入れて、カツカツと事務所へ足を進めた。


 お気に入りのバッグと薄手のコートをロッカーにしまってから、一度大きく伸びをして、ノートパソコンの電源を入れる。大地を感じる様などっしりとした苦みと、ハーブのような複雑な香りを胸いっぱいに吸い込みながら熱々のコーヒーをすすり、前日やり残したToDOリストと、本社や顧客様からのメールに目を通した。



 *



 午前10時、10分前。


 おはようと軽く挨拶をすると、向かいに並ぶスタッフも、由美に向かって大きな声で一斉に、「おはようございます!」と返事をした。元気な声はいいものだけど、訳ありの今日ばかりは3人の声が頭にぐらぐらと響く。

 

 左から順に、毛先だけ明るいカラーのツーブロックにブルーのジャケットと白パンツを合わせた村田、元バンドマンで金髪オールバックに真紅のスリーピーススーツに身を包んだ中村、明るいブラウンのポニーテールにブラウンのツーピースを着たブラウン好きの目黒。

 

 目黒は銀座本店において自分以外の唯一の女子社員で、SNSでバズった経歴のある"インフルエンサー めぐ"としての顔も持っている。


「村田は今日も一段と派手ね……」

「ありがとうございます!」

 

 お調子者の村田は、いつもすぐに軽い返事をくれる。中村はニコニコしつつ、目黒はなんのことかわかっていないように頭を傾げていた。

 

「ん、褒めてはいないのよ」


 ここは、所謂「テーラー」や「オーダーメイドスーツ屋さん」と呼ばれる部類の中で、比較的安価なパターンオーダースーツを販売しているお店だ。派手な服装と個性の強い髪形が許されるのは、ブランドの個性と……このメンバーが毎月の社内トップセールス上位10名に必ず入るほどの精鋭だからだ。


 今日もバシバシ売ってくれと心の中で呼びかけて、笑顔で朝礼を始める。


「今日は、えぇと……10時の予約は村田くんの指名だから、他のスタッフは最終検品しつつフォローに回って、飛び込みきたら随時対応。私はご指名の14時高橋様まで裏で庶務作業してるから、何かわからないことがあったら声かけてね。


 午後は予約とは別に14時、15時指定のピック来店が数件あるから、必ずお試しいただいてから渡して……あっ、あとノベルティのネクタイね! あと10本あるから、会計時に必ず一緒にお渡ししてください、と。はい!それじゃあ、今日もよろしく!」


 最後にパン!と手を叩いて解散を告げ、顧客様へ返信途中だったノートパソコンを再度開いた。


 銀座の名店『Sartoria Mirage 銀座本店』の紳士部門。


 この、縦に細長い煉瓦作りのビルには、全国から集められた6名の精鋭が働いている。ゲージ服と呼ばれるサイズ見本スーツのほか、各ブランド製のバンチブック、裏地、シャツ生地、ボタン、カフス、ネクタイ、革靴や靴下、靴磨き道具、ネクタイピンに万年筆、ビジネスバッグまで、紳士服を着るタイミングで必要になりそうなものは大抵取り揃えている。


 銀座3丁目の狭小店で創業した当初は、数冊のバンチブックと簡易金庫しかなかったと聞いている。そこから品揃えを増やしたり、商品知識向上を徹底したり、日本で未発売だったイタリアブランドの代理店契約を成功させ、『逸品集まるサルトリア・ミラージュ』というキャッチコピー通りの店になったらしい。CMやSNS広告のおかげもあり、ご来店される顧客様の中には、まだ見ぬ商品との出会いを楽しみにしてくれている方も多い。


 床も棚も、隅々までピカピカに磨き上げられ、由美の大好きなキラキラ達は、空気清浄機と掃除機のダブルパンチですっかりリセットされてしまった。

 今日もしっかりキラキラにしてやる!と密かに意気込んで、ショーケースの上でノートパソコンを再度開いたところで、裏にある倉庫へ戻っていた目黒の声が店内に響いた。


「店長、ちょっと……いいですか?」

「はいはーい、少し待って!最後のメール返したらすぐ行く!えーと……『お手数をおかけしますが、何卒よろしくお願いいたします。』っと」


 メールを読み上げながら打ってしまうのは、長年の癖だ。年寄りくさいけど、これが一番安心安全なダブルチェックだ。宛先に目線を戻して確認し、全体の誤字脱字と内容を再度読み上げてから送信ボタンを押して、救難信号の元へ急いだ。

ここまでお読みくださってありがとうございます!


閲覧数と評価を励みに完走目指して日々執筆頑張っています

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