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異海の霊火  作者: 月宮永遠
4章:終末の疫獣
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 夢を見た。

 さやか月光に照らされながら、桜並木をジンシンスと並んで歩く夢を。

 夜の魔法にかけられた世界で、空には大きな蜂蜜色の満月が浮かび、白雪のような花びらが舞っている。隣には大好きなひとがいて、銀斑ぎんはんに煌めく水平線を、帆船が優雅に流れていく。

 愛と人生の願望に充ちた、穏やかな静寂しじま。こんな時間がいつまでも続けばいい。ジンシンスと一緒に、どこまでも歩いていきたい……

 瞼の裏に光を感じて、愛海は目を醒ました。暖炉前の寝椅子から身を起こしたとき、まだ夢を見ているのだと思った。

 なぜなら、船長室のなかに碧色、翡翠、桃色とあらゆる光が射して、優美なひれの海亀が宙を泳いでいるからだ。

「え……?」

 魚の群が視界を横切る。

 まさか、この船は沈没したのか? 疑問を覚えるが、晦冥かいめいにしては明るい。呼吸できるし肌が濡れることもない。

 これは夢? それとも現実?

 空気があり、水があり、生き物がいて、光がある。あらゆる次元がまざりあい、幻想深海を見せている。

 きらり、何かが煌めいた。

 直感のままに手を伸ばし、それを掴んで引き寄せる。つるりとした真珠のような輝きを見て、彗星のごとく脳裏に閃いた。

「あっ、“ふたつ貴石”」

 これはジンシンスがずっと探していた、黒貴石の片割れ、白貴石に違いない。なぜ判るのか不明だが、ともかく彼に渡さなければならないと思った。

「ジンシンスさん……」

 そろりと寝椅子をおりたものの、視界の奇妙さに戸惑ってしまう。なんだか幻想水族館を歩いている気がしてくる。扉は水の抵抗もなく開いたが、見慣れた廊下ではなく、どういうわけか最上甲板ハリケーン・デッキに通じていた。

 ――訳が判らない。

 甲板には他にも人がいたが、誰もこの事態を把握していない様子だった。恐怖と混乱に駆られて拳を振りあげ、あるいは刃物で斬りあい、船縁から飛び降りる者がいて、それを止めようと躍起になっている者もいた。

「もう終わりだ。とうとう終末の疫獣(リヴァイアサン)に呪われちまったんだ!」

 誰かが叫んだ。

 その悲鳴を聴いたとき、愛海は、不思議なほど冷静に納得していた。

 ――そうか。船ごと終末の疫獣(リヴァイアサン)に飲みこまれたのか。

 我々は今、巨大で朦朧とした支配者の無限の胃袋のなかにいるのだ。

 恐怖してしかるべきだが、このときは恐怖を感じていなかった。頭にあるのは、手に入れた白貴石をどうにかしてジンシンスに届けることだけだった。

「ジンシンスさん! どこですか!?」

 愛海は声を張りあげながら、ジンシンスの姿を探した。

 しかし、この狂った地場では真っすぐ歩くこともままならない。どちらを向いても、奇怪な景が視界に映る。船員はいよいよ狂い始めて、殺しあいでは飽き足らず、交わる者までいた。

 そのおぞましい行為が旧神によって引き起こされたのか、或いは、秘めた変態嗜好が表に顕れたに過ぎないなのかは判らないが、衆目もはばからず盛んに腰を振り、恍惚を貪っている姿は異常としかいいようがない。

「あっ!」

 突然、腕を掴まれた。ジンシンスかと期待したが、違った。クラムに隷属していた薄気味悪い寡黙な信者たちだ。

「来い」

 腕を掴んだ男が高圧的にいった。

「離してください!」

 愛海はあたう限りの力で暴れるが、びくともしない。容赦のない力で甲板のうえを引きずられていく。

「上位次元とひとつになる時がきたのだ。クラム様は、お前を供物に定めておられた」

 狂信者は正面を向いたまま、不気味に告げた。

「やめて! 離してッ!」

 抵抗も虚しく、船に牽引されている戦艦へと近づいていく。このまま攫われてしまうと思われたが、船の間に渡された歩廊が見えたとき、またしても唐突に次元がずれた。

「あっ」

 前のめりの姿勢で重心がずれたが、どうにか平衡を保ち、転倒は免れた。身を起こすと、今度は薄暗い船倉にいた。

 誰もいない。

 ひとまず窮地は脱したが、ここは船の下層だ。甲板にでるには昇降階段を登らなければならない。慎重に扉を開けて、誰もいないことを確認してから外にでた。

 今さらだが、船長室をでなければよかった。無暗に探し回るより、彼が戻ってくるのを待つべきだった。思いがけず白貴石を手に入れたことで、気が逸ってしまったのだ。

 後悔しても遅い。ともかく一刻も早くジンシンスと合流しなければ――

「いたぞ、掴まえろ!」

 角を曲がろうとしたところで、狂信者たちと鉢あわせてしまった。

 すぐに踵を返して走りだしたが、追っ手が増えている。クラムの信者はこれほどいたのか。

「僕は死神じゃありません! 疫病神でもない!」

 走りながら叫ぶが、誰も聞いちゃいなかった。殺気を放ちながら背後に迫ってくる。

 死にもの狂いで昇降階段を駆けあがると、船の構造を無視して、再び甲板に飛びだした。

 咄嗟の判断で、氷虎を繋いでいる舷檣げんしょうに向かって走った。乾坤一擲けんこんいってき、架台から刃渡り八インチの鯨鑿くじらのみを掴み、態勢を低くして足から滑りこむ。虎の後ろに回りこみ、かつてないほど素早い動作で、輪縄を断ち切った。

「グルァッ!」

 くびきから解放された虎は、その獰猛なさがで、眼前に顕れし男どもに襲いかかる。

「ぎゃアッ」

 鈍い悲鳴を背中に聴きながら、愛海は振り向かずに走った。

 一難去ってまた一難。左右から男たちに挟撃された。逃げ道を探して、戦艦へと渡された歩廊のきざはしに脚をかけた瞬間、


 ヴオォォォォ……ォォォ……ヴオオォォォォォォ…………


 身の毛の弥立よだつばかりの咆哮が、海原を震撼しんかんさせた。

 禍霊まがつひの顕現に船員は恐れおののく。人外魔境に触れて、四肢や内臓を消失した者が絶叫を迸らせる。愛海も恐怖に凍りついて、頭上を仰ぎ見た。

 銀鼠から濃紺、琥珀色と千変万化せんぺんばんかする曖昧な霧のなか、青い六つの光が陰鬱にかがやいている。すぐそこに終末の疫獣(リヴァイアサン)がいるのだ!

「きゃあッ!」

 波が大きくなり、船が左舷さげんに大きく傾く。愛海は手摺にしがみついたが、まだ追手が迫っていることに気がついて、四つん這いの姿勢で歩廊を渡った。

 戦艦の船縁にたどり着いた一刹那いちせつな、金剛のような掌に頭を掴まれた。脳漿のうしょうを潰されかねない握力はしかし、銃声と共に消え失せた。ぱっと鮮血が飛び散り、愛海の頬にまで撥ねた。

 ウルブスが撃ったのだ。彼は短銃でさらにひとりを撃ったところで、背後から頭を殴られてくずおれた。

「ウルブスさん!」

 愛海は悲鳴をあげた。

 ウルブスを襲った男を、加勢にきたジャンが殴り飛ばした。普段の愛嬌いっぱいの朗らかさからは想像もつかぬ、猛虎のような敏捷さだ。複数人に取り囲まれて尚、臆せず格闘技のような身のこなしで応戦している。

 凄まじい獅子奮迅ぶりだが、乱闘からこぼれる者もいて、そのうちのひとりが愛海を視界に捉えた。

 目があった瞬間、愛海は背を向けて走りだした。歩廊を渡ってくる足音がして、すぐ後ろに荒い息遣いが聴こえた。

「ギャッ!」

 追手は、鈍い悲鳴をあげて倒れ伏した。後頭部に手斧ちょうなが刺さっている。飛んできた方を見ると、シドがいた。

「早くこちらへ!」

 いわれるがまま、愛海は船に舞い戻った。入れ違いにシドは歩廊を渡る。

「先生!?」

 愛海は困惑の声を発した。彼が歩廊をはずそうとしているのを見て、さらに慌てた。

「何をしているんですか!?」

「お別れだ! マナミ」

「えっ!? 先生!」

 彼に向かって手をさしのべるが、シドは頸を振る。晴れやかな笑みさえ浮かべてみせた。

あちら(・・・)へいくよ。ずっと知りたいと思っていたからね。宇宙の彼方に何があるのか、この目で見てみたいのだよ」

「そんな! 死んじゃうかもしれないのにっ」

 愛海がまくしたてると、彼は笑った。

「生きて戻ったところで、生涯幽閉の身だ。それなら、宇宙の神秘に触れてみたいのだよ。誰も知りえない、形而上学けいじじょうがく的な疑問の答えが解るかもしれないのだから」

「でもっ」

「マナミ。良かったら、一緒にこないか? 君の故郷に帰れるかもしれないよ」

 言葉に詰まる愛海を見て、シドは年旧としふりた笑みを浮かべた。

「やはり、船長の傍にいたいかね?」

 その通りだった。愛海の胸に鮮烈に蘇ったのは、遠くへだてられた故郷ではなく、ジンシンスの姿だった。

「それもいいと思うよ。彼はきっと、君を大事にしてくれる」

 彼は歩廊の留め金をはずすと、愛海が止める間もなく海へ蹴落とした。引き留める魔力が失われたみたいに、巨大な戦艦は潮に押し流され、靄のなかへ吸いこまれていく。

「ああ、どうしようっ……シドさん!」

 かける言葉が見つからなかった。唐突すぎる。こんな風に別れるなんて想像もしていなかった。これが最期だと思うのに、何かを伝えるには、あまりにも時間が足りなかった。

「君の人生に、幸あらんことを!」

 シドは顔に皺を刻むと共に、愛海に向かって優雅に手を閃かせた。そして星屑の煌めく濃霧にかき消えた。

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