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異海の霊火  作者: 月宮永遠
2章:グロテスク
13/42

11

 十四日目の朝、愛海が緊張しながら厨房へいくと、調理長のほかにふたりの男がいた。

 そのうちのひとりは背中を向けており、一瞬見間違いかと思ったが、禿頭とくとうの半分が陥没している。脳が正常に機能しているのかはなはだ疑問だが、作業している様子を見る限り手際はとても良い。

 もうひとりは、いかにも海賊といった風貌で、頭に手巾を巻いて、左目に黒い眼帯、両脚とも膝下は金属の義足である。

「お早うございます」

 いささか緊張に強張った声で愛海が挨拶をすると、三人とも振り向いた。

 調理長は、生真面目だが猜疑心の強そうな顔をしており、表情がないせいか、眸の色は薄氷のように冷酷に見えた。

「判っていると思うが、ホープだ。ここの調理長をしている」

 表情と同じく、抑揚のない淡々とした口調だった。

「よろしくお願いします。愛海です」

 お辞儀する愛海を、ホープは冷淡に睥睨している。

「船長に可愛がられているようだが、ここでは俺のいうことに従え。怠惰と口答えは厳禁だ」

「アイサー」

 にこりともしない無表情を仰ぎ見ながら、愛海は早くも絶望に駆られた。働きたいといった言葉を撤回させてほしい。今すぐ船長室に戻りたい。

「そっちの隅で牡蠣の殻を剥け。やり方は陥没頭・・・に教えてもらえ」

 調理長は顎をしゃくってみせた。愛海が振り向くと、陥没頭と呼ばれた男と目が遭った。悲鳴をあげなかったのは奇跡だ。

 怪物クリーチャーがいる。

 禿頭とくとうの左半分が凹んでおり、左目も瞼に隠れて殆ど見えない。白っぽく変色しており、視力があるのか不明だ。

「よろしくお願いします」

 びくびくしながら一揖いちゆうすると、陥没頭はにっと愛嬌のある笑顔で頷いた。そこで愛海ははじめて、彼の右目が海のように明るい碧色をしていることに気がついた。

 愛海は、彼に対して、とても失礼な先入観を抱いた己を恥じた。外見を忌避される辛さはよく知っているはずなのに、なぜ思い遣りを示せなかったのだろう。

「あの、僕は愛海といいます。貴方のお名前は……?」

 おずおずと愛海が笑みかけると、調理長が氷の眼差しで振り向いた。

「おい、くだらない無駄話はするな。そいつは陥没頭・・・)だ。黙って仕事しろ」

「はぃ……アイアイサー!」

 調理長の目が鋭くなるのを見、愛海は慌てていい直した。

 これが上司だなんて信じられない。なんて性根の歪んだ男だろうと思いつつ、愛海は陥没頭にならって粗末な三脚椅子に腰をおろし、早速牡蠣の殻と格闘を始めた。

 彼は無口というか、一言も喋らなかったが、身振り手振りで愛海に手本を示してくれた。彼は愛海よりも遥かに器用だった。彼が籠をいっぱいにする間に、愛海は半分も剥けなかった。

 成果を見にきた調理長は、愛海の籠を見て鼻を鳴らした。

「それっぽっちか」

 酷く罵倒されたわけではないが、淡々とした口調には明らかな侮蔑がこめられていた。愛海としては精一杯やったつもりだが、酷く落ちこまされた。

 昼になると、当直を終えた船員たちでごった返した。

 昼餉は魚の汁と、湯で牡蠣、鯨油にひたしたビスケットを炒めたものだ。

 愛海は配膳を手伝うことになり、列をなす船員の椀に、順番に煮汁を入れていった。

「おい、もうちょいよそえ」

「アイ……痛っ」

 愛海は少し盛ろうとしたが、後頭部を叩かれた。

「勝手な真似をするな」

 愛海は背後を振り向いて、調理長を見た。

「アイ……すみません」

 正面を向いて、文句をいってきた船員にも侘びた。だが、船員は再び文句を口にした。

「いいからよそえよ」

「え、でも……」

「マナミ、適量だぞ」

 調理長が睨んだ。

「よそえっていってンだろうが」

 今度は船員が文句をいう。

 板挟みにされて、愛海はおろおろとふたりを見比べた。涙目で哀訴するが、船員の瞳のなかにも、調理長と同じような嗜虐的な光が浮かぶのを見た。

「おい、早くしろよ!」

「いつまで待たせるんだよ!」

 配膳で交通渋滞が起きてしまい、列を作っている男たちから不平の声があがり始めた。

 見かねたように義足の男が仲裁に入ろうとやってきたが、調理長がおしとどめた。

「これくらい一人で対処させろ」

 愛海はよっぽど助けてほしかったが、孤立無援で矢面に立つしかなかった。

「何してるんだよ、さっさと進めよ。休憩時間が減るだろうが」

「すみません、すみません」

 頭をさげることしかできない。だが男は文句をいうばかりでどいてくれないし、調理長は睨みをきかせている。愛海はとうとう泣きだしながら、

「ぅ……判りました、よそいます。これは僕の分です。これでどうか赦してください……っ」

 男は愛海を見て鼻で嗤ったが、ようやく隣にずれた。次の男は配分にけちをつけたりはしなかったが、苛立った顔でこういった。

「もっと要領よくやれよ」

 ぐさっと言葉が心に突き刺さり、愛海は負け犬みたいに目を伏せた。

「すみません……」

 小さな声で謝罪をすると、感情を殺して作業に集中した。だが、配膳する手は始終震えていた。

 どうにか列を消化し終えた時、調理長が近づいてきた。顔には陰険に見下す残忍な表情が浮かんでおり、萎縮する愛海に向かって、拳をふりあげた。愛海の目は恐怖に見開かれた。

 彼は口角を歪ませたあと、ゆっくりと振りあげた拳をおろした。

「次は均等に分配しろ。勝手な真似をしたら、容赦しないからな」

「は、アイ……すみません」

 調理長はたっぷり十秒ほど愛海を睥睨したあと、休憩するといって厨房をでていった。

 うなだれる愛海の傍に、義足の男がやってきた。

「災難だったな。次からは無視すりゃあいいよ、あたふたすっから、連中も調子づくんだ。無視すりゃ、諦めて進むしかないんだからよ」

「……アイ」

「俺はウルブス。あいつはの名前はジャンだ」

 目があうと、陥没頭――ジャンがにこっと笑った。愛海もつられて笑み返した。ふたりとも額に死刑囚の烙印があるが、調理長と違って親切だ。

 それにしても、手掴みで食べている船員たちの原始的な食事の光景を見ていると、自分は本当にとんでもない場所にきてしまったのだという、途方もない念に駆られてしまう。

「……あの、匙やフォークはないのですか?」

 愛海はウルブスに恐る恐る訊ねてみた。

「あるけど、凶器になるから渡さねぇんだ」

「?」

 きょとんとする愛海を見て、ウルブスは続けた。

「ここは監視の目のない無法地帯だろ? 連中はしょっちゅう諍いを起こすし、食堂は特にだ。フォークなんて渡してみろ、食事のたびに死人がでる」

 愛海は冗談だと思って苦笑いを浮かべたが、ウルブスは笑わなかった。生真面目な顔でこう続けた。

「いっておくが、本当の話だぞ。航海を始めて十日と経たずに、ここで人が死んだんだ。凶器は匙だぜ。船長はあの通り船の問題に頓着しないし、しょうがないから、匙やフォークを提供するのをやめたんだよ」

「……平和が一番ですよね」

「ま、それでも喧嘩は起きるがな。お前も巻きこまれないように気をつけろ」

本当にとんでもない職場である。休憩を終えた船員たちは席を立ち、そのままでていく者もいれば、空になった皿を厨房の配膳台に持ってくる者もいた。

「新入り、皿洗え」

 厨房に戻ってきた調理長は、早速愛海に命令した。

「アイ!」

 愛海が皿を洗い始めると、調理長はこれみよがしに器に煮汁をすくい、愛海に見せつけるようにして喰い始めた。

「よく覚えておけよ。お前が阿呆で馬鹿だから、このざまだ。飯にありつけねぇんだよ」

 愛海は一瞬、あっけにとられてしまった。生まれてこのかた、これほど意地の悪い人間を見たことがない。どうして愛海にここまで辛くあたるのだろう?

 茫然とした態度が気に喰わなかったのか、頭を平手で叩かれた。彼にとっては軽く小突いた程度かもしれないが、愛海は頭の芯がびーんと痺れて、前のめりに倒れそうになってしまった。

「“アイアイサー”」

 調理長が返事を促す。

「ぁ、アイアイサー」

 愛海は震える声でいった。

 その後、皿洗を終えてそそくさと厨房をでていこうとすると、またしても調理長に呼び止められた。

「おい」

 マナミがびくびくしながら振り向くと、用心深い眼差しを向けられた。

「船長に余計なことを吹きこんでみろ、殺すからな」

 どんな感情もこめられていない声だった。

 心底恐ろしくなり、愛海は逃げるようにして食堂を飛びだした。

 心身がへとへとで、今すぐジンシンスに会いたかった。

 彼がいるであろう船橋ブリッジにいこうと思ったが、次の瞬間、“殺す”という脅し文句が脳裏に蘇った。

 淡々とした口調が、かえって恐ろしかった。あれは脅しなんかじゃない。本気だ。あの男は、人を殺すことなんて、何とも思っちゃいないのだ。愛海が生きようが死のうがどうでもいいのだ。

 あのような男のいる厨房で、明日も働かねばならないのだと思うと、果てしなく憂鬱になる。

 廊下の途中で立ち止まり、ぐぅと情けない音をたてる腹をさすった。

(……お腹すいた)

 夜までもつだろうか?

 わからないが、食堂に戻る勇気はない。今はともかく水を飲んで腹を膨らませるしかない。

 水飲み場にいこうとすると、袖を引っ張られた。ぎょっとして振り向いた先にジャンがいた。

「えっと……?」

 ジャンはおもむろにポケットに手をつっこみ、何かをとりだして、愛海に差しだした。

「……え?」

 愛海はさしだされたパンとジャンの顔を交互に見比べた。彼は、早く受け取れとばかりに、腕を突きだしてくる。

「あ、ありがとう」

 愛海が受け取ると、青い瞳が和んだ。彼はすぐに背を向けていってしまったが、愛海はしばらく其の場を動けなかった。

 嬉しかったのだ。

 容赦なく痛めつけられたあとで、彼の示してくれた純朴な思い遣りは、殊のほか身に沁みた。

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