05 身の上話
衝撃的な告白は目の前の存在が人の皮を被った怪物である事を示していた。
永里は女性に見える――――小柄で、しかしいかにも自衛官らしく鍛えられているのがボロボロの服の上から分かる、人間の女性に見える。
しかもかなり美人の類だった。これだけ汚水にまみれ憔悴してもなお嫌悪や同情ではなく苦難に負けず立ち向かう凛々しさを強く感じるほどだ。
この永里ちゃんが? 人間になった元触手怪物?
本当かなあ。人間にしか見えないぞ。
何度も疑った永里狂人説が再燃してくる。
頭おかしくなって支離滅裂な事喋り散らかしてるだけじゃあないだろうな。
しかし元々触手怪物で人間に化けている異界触手怪物だとすれば奇妙な点を全て説明できる。永里杏という名前もできすぎだ。
「……元々は別世界の触手生物だったって話が本当だとして」
ひとまず詳しく話を聞く事にする。永里の正体で説明がつく事は多いが、同時に分からない事も増えてしまった。
「どうして人間になったんだ? どうして自衛隊に?」
「自衛隊に入ったのは潜入任務のためだよ。最近は我々の世界から地球に侵入する犯罪者が多くてね。政財界、芸能界、スポーツ界――――同じような任務を受け世界各国の各界に潜入している同胞は多い。人間にされたのは上司命令だ」
と、永里は会ってから初めて嫌悪感を露わにして不服そうに吐き捨てた。
潜入任務ってそんな包み隠さずペラペラ喋っていいんですか?
「普通は元の姿のまま潜入する。当然だ。君たち人間のスパイだって人体改造手術をして猫になってペットショップに潜入したりしないだろう? おぞましい。そもそも技術的に難しい。だが私の上司は変態でね。私を人間にする意思と技術を兼ね備えた最悪の奴なんだ。実際、人間の姿で潜入するのは楽だったが……手足を四本にされた喪失感は坊坂くんには想像できまい」
「まあ元々四本だしな。でも人間にされたけど元の姿に戻れるみたいな話を」
「そう。問題はそこだ。新大陸の話を聞いた私は職務を捨てようと決めた。自衛隊としての職務も、潜入調査員としての職務も」
永里はボールペンを出し、しわしわのメモ帳に図を描いて説明しはじめた。
永里の絵はとても上手く描くのも早かったが、指を奇怪にペンに絡ませためちゃくちゃな握り方をしているのが気になった。ペンに触手を絡ませているようにも見える。
「君たちの言う新大陸は私の故郷と地球を繋ぐワープゲートのようなものでね。新大陸の話を聞いてすぐに私はその正体が分かった。しかしどうして新大陸が地球にやってきたのかは分からない。何かが起きたのだろう。本来、我々は地球への過度の干渉を避けているんだ。
地球に入り込んだ犯罪者を炙り出すために大々的に軍隊を送ったりせず、目立たない潜入捜査員の派遣に留めているのも、人類への干渉を最小限にして人間社会を自然のままにするためだ。新大陸なんて巨大で目立つモノを送り込んだら人間社会の混乱は必至。実際、大混乱だろう?」
俺は頷いた。確かに。
混乱に乗じてエキセントリック密航&大脱走をキメた身としては人間社会の混乱万歳といったところだが、余計な口は挟まないでおく。
「何かが起きて誰かが新大陸を地球に寄こした。経緯は分からないけれど、確かに新大陸はやってきた。渡りに船だよ。故郷に戻れば、あるいは故郷の技術なら私は元に戻れるんだ。新大陸の中心までいけば間違いなく故郷の誰かとコンタクトを取れる。
地球に来てもう十年になる。十年人間として暮らしてほとほとウンザリした。最初は前向きに人間の体での生活を楽しもうと努力したのだけど、日に日に元の体が恋しくなってね。耐えられなくなってしまったんだ。ホームシック、いやボディシックとでもいうのかな。任務の途中放棄なんてどうでもいい。人間をきっぱり辞めて、元に戻りたくて戻りたくて戻りたくて。
あっいや、君たち人間の名誉のために断っておくけれど、私は人間が嫌いなわけではないよ」
鬱々とした独白の途中で永里はハッとして俺の顔色を窺いながら補足した。
そして思い出したように締めくくる。
「最初の君の質問に答えるけれど、どうして私が魔法やクジラに詳しいかというと、学生の頃に地元で普通に勉強したからだよ。君たちにとっては知っているはずのない知識でも、我々にとっては一般常識だからね」
永里が語った自身の経歴や目的は随分壮大だったが、その場しのぎの嘘や狂人の戯言では片づけられない筋道だった説得力があった。
発言に矛盾はない。裁判長、彼女は真実を言っているのだと思われます。たぶん。
「OK分かった。疑って悪かった。いや悪く無いな普通疑うもんな」
「正直ね、エイリアンと聞いても君が襲って来なくて安心したよ。引っかかれたり噛みつかれたりしたらもうどうしようかと」
「こっちの台詞なんだよなあ」
エイリアンといえば地球を滅ぼすために宇宙からやってきたり、人間を誘拐して人体実験したり、腹の中に卵産みつけて寄生したりするのが定番だ。友好的なイメージはない。
怖かったのは俺も永里も同じ。お互いSFホラーの見過ぎだったという事でここはひとつ。
身の上話を聞いている内に小島が一回り小さくなっているのに気が付いた。水位が上がり、端の建付けが悪いあたりの骨が胃液の中に崩れ、少しの間ぷかりと浮いてじわじわ沈んでいく。
俺の目線を追って水位上昇に気付いた永里は気を取り直してメモ帳を破れかけたポケットにしまった。
「そろそろ胃液が大量分泌される周期だ。水かさが増すと小島から動けなくなる。早めに動こうか。なに、空間歯舌が使えれば大体どうとでもなるさ」
「この短剣か。どうして永里は使えないんだ? 地元のアイテムなんだろ」
「簡単に言えば使用権限がない。もっとももし使えても使いたくないね。気持ち悪すぎる」
気持ち悪い、ねぇ……
空間歯舌は不思議な質感の白い短剣だ。歯というからには何かの歯、牙なのだろう。
松明の明かりにかざしてみてもそれ以上のモノには見えない。大型恐竜の牙をへし折って尖らせればこんな感じになるのではなかろうか。別に気持ち悪くはない。
「ういっ」
「きゃあ!? ちょっと、やめてくれ!」
試しに空間歯舌を永里の目の前に突き出すと、永里は本気で嫌そうな悲鳴を上げて跳び下がった。
これの何がそんなに気持ち悪いのか。エイリアンの感性は分からん。
もっともそもそも今の若い美人の体を嫌がってウネウネした触手生物に戻りたがっている時点でももう人間とは決定的に感性が違うのは明らかだ。
何はともあれ俺達はいよいよこの鱗クジラの胃の中から脱出する事にした。わざわざこんな息の詰まる魚が腐った臭いのする場所で長々語り合うなんてバカバカしい。
永里が言った「二人いないと脱出できない」は「空間歯舌を使える人間に永里の知識を教えないと脱出できない」という意味だったようだ。使い方を教わり事情を知った今、俺一人で脱出できる。一瞬永里を置きざりにしようかという発想が頭をよぎるも、流石にクソ発想過ぎて自分が嫌になる。
まあ利害関係だけで考えても新大陸の事を知っている永里はいるだけで心強い。
ややこしい第一胃と第二胃の結界ロジックも空間歯舌でワープゲートを作れば簡単に突破できた。核爆発でもビクともしないという結界もワープの前では形無しだ。
俺が人類で初めてワープを経験した人間なのかどうかが気になるところ。前人未到という言葉はそれだけで憧れる。俺も前人未到の未開の地からお宝持ち帰りたい。それが探検家として一番楽しいところだ。
胃を抜けると腸に入った。足元を浸していた胃液は引き、うねうねした長い通路が続く。松明の明かりでも曲がりくねった通路の奥までは照らせない。壁に手をつくと生暖かく鼓動を感じる。否が応でも今自分は巨大生物の腹の中にいると思い知らされてぞわぞわした。
胃とは違って腸には骨も皮も流木も無かった。代わりに腸全体にびっしり生えたヒダが蠢いて、ドロドロに溶かされた原型の無い栄養物がゆっくり吸収されながら奥へ奥へと運ばれていっている。
腸の壁を叩き、歩数で距離を測っていた永里はやがて足を止め、若干自信が無さそうにここで上に向けてワープゲートを開いてくれ、という。
「ここでいいんだな?」
「た、たぶん」
「たぶん? ミスると肉壁に埋まって圧死するんだろ? たぶんじゃ困るんだよ!」
「私だって困る! でも小さい頃図鑑で読んだコイツの体内データを思い出してるだけだから絶対大丈夫なんて言えない」
「んん……! いや、悩んでも意味ないか。度胸と思い切りが無くて冒険者やってられるか、やるぞやるぞやるぞ……!」
思い切って指示通りにワープゲートを開いてくぐると、すぐに白い濃霧に出迎えられた。
腰まで海水に浸かっているが、ここは確かに外だ。少し離れたところにおぼろげに砂浜も見える。
一拍遅れてゲートから出てきた永里は冷たい海水に小さく悲鳴を上げた後、心底嬉しそうに喜ぶ。
「外だ! ああ、良かった。ありがとう坊坂くん。君がいなければどうなったか」
「今思ったけどどうして海上に出るって分かったんだ? もし鱗クジラが深海にでも潜ってたら脱出した途端に水圧で圧死するところだぞ」
「ああ、そこは賭けだね。死ななくて良かった」
「賭け!?」
「いやコイツはだいたい浅瀬を泳いでいるから。深い場所には滅多に潜らない生態だったはず。たぶん。記憶が確かなら」
永里はしどろもどろに弁解した。案外永里の知識も怪しいものだ。教えてもらっておいてなんだが、完全に信じ切るのも危なそうだ。
少しの間体に染みついた臭いと粘液を冷たい海水で洗い流しつつやり遂げた満足感に浸っていたのだが、会話を続ける前に濃霧の向こうに何かを探すようにあちこちを照らすサーチライトのぼやけた明かりが見えた。
「げっ」
「ん?」
「説明は後だ。逃げよう! 今すぐ!」
あいつらまだ俺を探してやがった!
くそ、見つかる前に急いで上陸してしまおう。