03 家賃0円物件
有史以来、新大陸ほど人の好奇心を掻きたてたものはない。
新大陸に隠されたモノについては根拠ある論説、根も葉もない噂、毒にも薬にもならないコメント、色々飛び交ったし今も飛び交っている。人間が想像できる範囲の話は全て出尽くしたといっても過言ではない。
その中には先住民説もあった。
500年前に探検家クリストファー・コロンブスが当時の新大陸であるアメリカ大陸を発見した時ネイティブ・アメリカンに出会ったように、新大陸にも新大陸固有の先住民がいるのではないか、というのだ。
先住民は21世紀の科学力を遥かに超えた技術で今までずっと新大陸を隠蔽していたのだと主張する学者もいれば、いやいや新大陸は海底の火山活動によって隆起した自然の産物に過ぎず、上空の雲も火山活動で沸騰した海水が作る水蒸気と上昇気流によるもので、人間どころか生物すらいないと断言する博士もいた。
鱗クジラの生臭い巨大洞窟のような腹の中で人に出会った時、俺はそんな眉唾の先住民説を思い出しまさかと思ったがすぐに思い違いに気付く。
ちらつく橙色の松明の明かりに照らされたボロボロの服は迷彩柄で、頑丈そうな黒いブーツ、腰のベルトに下がったナイフ、そして廃材を寄せ集めて作った小島に置かれた自動小銃が彼女の立場を明白に示していた。
「ああ、やっとここから出られる」
へなへなとその場に座り込み、力なく泣き笑いしながら言った彼女はげっそりやつれていた。頬も目も落ちくぼみ長い黒髪は艶を失ってぼさぼさ。
小柄で細身で、健康ならさぞ俊敏で凛々しい子狼のように鉄火場を飛び回ったのだろうと確信できるほどに整った容姿の名残があったものの、今は栄養失調で衰弱した子ウサギのように頼りなく弱々しい。
「新大陸第一次調査隊の方ですか?」
「そう――――いや、そうだった。ここに来るまではね。永里杏だ。ええと、よろしく」
「……よろしくお願いします」
少しためらいがちに手を差し出してきた永里の手を指の先で握り返す。小さくほっそりした手のひらには骨が浮き出てガサガサしていて、痛々しい生傷もあった。流石に同情する。
新大陸を冒険する途中で消息不明になった第一次調査隊の誰か(の遺体)に遭遇する事もあるだろうとは思っていた。しかし上陸する前にもう出会うとは、世間が思っているより生き延びている人は多いのかも知れない。
俺にとって彼ら彼女らはいわば冒険者としての先輩であり、尊敬する相手だ。敬意をもって礼を尽くさなければならない。
仕事だろうが上司命令だろうがなんだろうが、まったくの謎のベールに包まれた新世界に真っ先に飛び込み、おびただしい脱落者と引き換えに値千金の超貴重な情報と資源を持ち帰ったその功績は人類史上指折りだ。
俺だって生存率2%とはいえ新大陸からの帰還者がいて、貴重で面白いレアな天然資源が山のようにあると分かったからこそ冒険にやってきたのであって、上陸した瞬間に不思議な力で即死全滅する事すら危惧された新大陸発見最初期にはいくらなんでも絶対行かなかった。それをやってのけたなんて誰もがぶったまげるクソ度胸だ。すごい。
だが一方で近寄りがたい。
俺は天下の国連が定めた規則を蹴り破り、密航し、自衛隊に追われているバリバリの反社会存在だ。公権力の権化が如き自衛官の、しかも新大陸第一次調査隊に選ばれクジラの体内でサバイバルしているようなスーパーエリートの前に立つのはめちゃくちゃ気まずい。
こっちの正体バレて取り押さえられそうになったらボコボコにして追って来れないようにして逃げないと。
「敬語は要らないよ。ここでは立場も職業も何の意味もない。人間はすべてただの人間に過ぎないのだから」
永里は早くも含みを持たせた語調で先輩風を吹かせてきた。
ほほう。第一次先遣隊が遭難して何カ月だっけ? やっぱりそれだけサバイバルしてると新大陸事情にお詳しい?
綺麗な貝殻とか珍しい植物とかカッコイイ鳥の巣の場所とか知ってたりする?
「じゃ、敬語なしで。いきなりなんだけどこのクソデカクジラって新大陸的には珍しい? 実は鱗剝いできたんだ。ほらこれ。どう? 手に入れるの難しいやつ? これ手に入れたのって俺が初めてかな。実はもう誰か手に入れてたりする? いや別に俺が第一発見者じゃなくても大切にするしラベル貼ってケースに入れて飾るのは決めてるんだけどそれはそれとしてやっぱりレアならレアの方が嬉しいから。どう? これどう?」
「お、おお? 勢いすごいね。分かりやすい自己紹介をありがとう、会って一分でどういう人なのか分かったのはこれが初めてだよ。どうあれここから脱出するためには君の力を借りないといけないし、色々教えるのはやぶさかではないのだけど……その前に聞いておいていいかな、君の名前は?」
「あー……」
そういえば名乗ってもらったが名乗り返してはいなかった。
俺は答えを迷った。これ、素直に本名言っていいのか?
永里の言葉の端々から彼女が俺を必要としている事が分かる。何を言ってもそう簡単には敵対はしてこないだろう。しかしほんの少し前まで自衛隊に追いかけ回されていたのに自衛隊に自分の個人情報吐くのは警戒心足りてないんじゃないだろうか。
ぬーん。
俺が口をもごもごさせ考えていると、永里は小島に座り込み頬杖をついて訝し気に片眉を上げた。
「名前を言えない理由でも?」
「いや……民間人立ち入り禁止の国際条例ぶち破って密航してきたんだから本名言ったら捕まるしヤバいかなと考えたんだけどそもそも変装用のネームタグに馬鹿正直に本名縫い付ける驚天動地のクソ間抜けミスしてバッチバチに見られたし何ならフレンドリーに名前呼ばれて絶対覚えられたしなんもかんも今更だからいっそ堂々と名乗っていいかって思ったから名前を言えない理由はなかったかな。坊坂剣司、よろしく」
永里は俺の早口を聞き目を瞬かせたが、話の内容を呑み込むと苦笑した。
「ここでは立場も職業も何の意味もないと言ったろう? 君が密航者でも咎めるつもりは全くないよ」
「なんだ良かった」
「うん。仲良くやろう、坊坂くん。私達は運命共同体だ。さあ座って、たいした物は無いけど歓迎するよ。ようこそクジラの胃の中へ」
永里は自分の隣の手を叩いて俺に座るよう促した。一人分の距離を空けて座ると、空き缶を松明で炙って作った温かい飲み物を渡してくれた。ありがたい。
一口飲むとほんのり塩気のある白湯がずぶ濡れで冷え切った体に染みわたり温めてくれた。ほっと息を吐く。自分が凍えているのも分からなくなるぐらい凍えていたのを自覚する。胃から腹に、手足に温かさが広がるにつれて鈍くなっていた感覚が戻り、頭もはっきりしていく。
ひょっとして俺凍死しかけてた? こわい。
上着を脱いで絞り、小島から突き出している何かの骨にひっかけて乾かし、松明にあたり一息ついていると黙って見ていた永里が話しかけてきた。
「君は危機感が無いね。普通はクジラに丸のみにされたらもっと焦るものだと思うんだが」
「危機感あったらそもそも新大陸に密航なんてしないだろ」
「ああ、それは説得力の塊だ」
永里は深々と頷いた。
新大陸生還率2%? 2%もあるならいける! とテンションを上げたのは地元の探検仲間の中では俺ぐらいだった。
「そろそろ落ち着いたかい? 服が乾くまでの間にここまでとこれからの話をしたいのだけど。外は今どうなっているんだい? 密航してきたという事はまだ新大陸調査は続行されているのだというのは分かるけれど」
「ああそうか、そこからなのか。そうだよな。えーと、話せば長くなるんだが」
俺は第一次調査隊が派遣されてから今日までの情勢変化をかいつまんで話した。
調査隊の壊滅、僅かな帰還者が報告した新大陸の脅威と資源。
民間人立ち入り禁止令、そして各国が送り込んだ第二次調査隊。
静かに話を聞き終わった永里はちょこんと挙手した。
「質問をしても?」
「どーぞ」
「生還した第一次調査隊が持ち帰った資源はどう認識されているんだい?」
「どう……?」
「つまり異次元法則実体と解釈されたのか地球の現行科学の延長線上にあるものと解釈されたのかだよ」
「それは発狂して意味わからん事言ってるのか正気で難しい事言ってるのかどっち?」
「ごめん、要するに魔法の産物か、ナノマシンとかの科学の産物か、って意味だよ。語弊はあるけど」
「え、アレって魔法なのか」
傷を回復する泉の水とかはナノマシンの類が溶け込んでいる水だと推測され検査されたが金属構造体は検出されなかったという話だ。
しかし「そっか! じゃあ魔法の水なんだ! すごい!」というのは発想が飛躍し過ぎていて、今も科学者が泉の水の回復メカニズムを研究し続けているとかいないとか。
俺は発想の飛躍が大好きだからアレが魔法の産物だとしたらめっちゃ嬉しい。
「魔法というか、別の対称性の破れを起こした宇宙の粒子の励起が既存粒子に干渉して起こす現象の……あー、そう。つまり魔法だね。新大陸産の不思議な資源は人類が知らない魔法の力を持ってるよ。それは間違いない」
「今コイツ馬鹿そうだから説明しても分からないだろうなって思っただろ」
「いやいやそんなまさか」
おい。馬鹿にするなよ。半分ぐらいしか何言ってるか分からなかったが、魔法といえば魔法だけどちゃんと科学で説明できるみたいな話だろ。要約すれば。
「永里は科学者なのか?」
「違うけど。科学は得意だよ。私は大学の素粒子物理学科を卒業してから自衛隊に入隊して――――」
話によれば、永里杏(26歳独身)は自衛隊入隊試験を過去トップクラスの成績でパスした才媛で、自衛隊員としては若輩でありながら科学に精通したその頭脳をアピールして第一次調査隊に志願したという。
本来なら学者に護衛をつけて送り込むところを、永里なら一人で学者と護衛を兼任できるのだ。それは確かに大きなメリットと言える。
持てる限りの装備と物資を持って他の隊員と共に新大陸にやってきた永里だったが、上陸前に濃霧の中で船員が次々と失踪。姿を消す前に船員が残した微かな悲鳴や叫び声を元に艦長が船内捜索命令を出すものの、捜索隊とも連絡が取れなくなる。
船内に何らかの脅威が存在すると判断した艦長はすぐさま方針を捜索から退避に変更。脱出艇を海上に降ろしたところで巨大鱗クジラが現れた。
「それで小隊は一瞬で壊滅したよ。私は海水と一緒に丸のみにされた。他の隊員がどうなったかは知らない。無事でいてくれると良いのだけど、流石に私も仲間を探しに行く余裕はなくてね。自分が生き延びるだけで精一杯だったよ」
「数カ月も一人でどうやって生き延びたんだ?」
「やり方を知っていればそう難しい事ではないよ。真水の精製装置は作ったし、食べ物はコイツが海水と一緒に飲み込んでくる海藻や魚で事足りた。コイツの胃液は弱いから、廃材を集めて島を作って胃液分泌周期を覚えて避難すれば溶かされずに済む」
周りを見回すと、骨や流木の端がゴツゴツ突き出した歪な小島は確かに機能的になっていた。
乾いた海藻を敷いた寝床があるし、錆びて朽ちかけた機械やペットボトル、汚れたパイプを組み合わせて作った謎の装置(たぶん真水精製装置)もある。松明の横には食べかけの魚もあった。
たくましい。自衛隊ってみんなこんなサバイバルスペック高いのか?
服がボロボロで肌の見えちゃいけない部分が見えそうになってるのに全然恥ずかしがらないし女捨ててそう。
「ただ、一人では脱出はできなくてね」
「これだけ色々作れるのにか? なんとでもなりそうに見えるけどなあ。例えばイカダ作って出口に漕ぎ出して、クジラが口開いたタイミングで外に」
「出られないね。コイツは胃の中に取り込んだものを消化するまで出さない……いわゆる魔法能力を持っている。ほら」
永里が松明の火を木片に移し大きく振りかぶって遠投すると、巨大な胃の出口、食道に繋がる通路のあたりで見えない壁に弾かれた。
ええ? なんだアレ。
「すげえ。小学生の頃俺もああいうのやったわ。バリアーっつって」
「まあ、うん。君は本当に呑気だね……」
「いや大丈夫だちゃんと焦ってる。つまり結界魔法で閉じ込められて胃の中から脱出できません、一生この中ですってわけだろ」
「分かってくれてなによりだ。でも私はここでただ命を繋ぐ事に必死になっていただけじゃない。なんとか脱出する方法を探して、見つけた。問題はその脱出法は私一人では使えない事だったんだよ」
「なるほど、それで」
それなりに快適だが余裕の無さそうなクジラ生活の中、見ず知らずの俺に色々教えて親切にしてくれているのはそういうカラクリか。
俺だって好きでここに来たわけじゃない。クジラの胃の中を歩き回る珍体験は正直ちょっと楽しいが、家に帰るまでが冒険ですって学校の先生も言ってた。残りの一生をここで過ごすのは嫌すぎる。
俺が納得して頷くと、永里は笑った。
「だから君が来てくれて良かったよ。本当に良かった――――本当にね」
なんだか目が笑っていない気がするがきっと気のせいだ。
うむ。二人いれば脱出できるなら脱出しようじゃないか。
いつまでもこんなところにはいられない。がんばるぞー!