01 冒険ロケットスタート
2021年末の大ニュースが全世界にもたらした驚愕と興奮は筆舌に尽くしがたい。
事実、地球の北から南までの各国ニュース番組、SNS、政府公式発表、学校・会社・喫茶店の噂話は数カ月もの間たった一つの話題で持ち切りで、他のあらゆる話のタネは長らく隅っこに押しやられ忘れられた。
地理学者、歴史学者、海洋学者に物理学者など、少しでも事態に関係しそうな分野に詳しい有識者は引っ張りだこで、ワイドショーで連日持論をぶち上げる者もいれば、密かに政府や軍の秘密調査対策チームに召集され表舞台から姿を消した者もいるとかいないとか。
一連の大ニュースの第一報を告げた第一発見者は大型貨物船ヨーク・レッドの乗組員たちだ。
興奮しツバを飛ばしてまくし立てる証言動画は嫌というほど転載・翻訳・引用され、自国大統領の顔と名前は知らないけどこの動画は知っているという人々が続出するほど世界中に広まり浸透した。
証言によれば、アメリカ西海岸を出港した大型貨物船ヨーク・レッドは太平洋中央付近を航海中に深い霧に包まれ、その向こうに巨大な陸地の影を見つけたのだという。
最初、航路を間違えたのだと思われた。
霧の向こうから姿を現した陸地は島にしては巨大過ぎる。予定通り船が進んでいれば太平洋のド真ん中、見渡す限り水平線の孤独な大海原にいるはずで、大陸なんて見えるわけがない。
海流、前日の大嵐、計器の故障……とにかく何かの事故で間違えてどこかの大陸に漂着してしまった。そう考えるのが自然だ。
実際、大陸は深く濃く白い霧越しに目視できたが、ソナーには映らなかった。
衛星通信が指し示す現在地は太平洋の真ん中で、大陸など見えるはずもない海域。
計器が故障したと判断した貨物船船長は大陸を大きく迂回し、港を探そうと洋上を彷徨うもやがて霧に包まれ迷子になり、結局は元の港に引き返すハメになった。
初冬に起きた大型貨物船ヨーク・レッドの事件を皮切りに、太平洋ではよく似たアクシデントが多発した。
貨物船、客船、調査船や航空機から山ほど上がった証言をまとめると、どうやら太平洋に大陸が――あるいは大陸の幻影が――出現したらしい。
あまりに非現実的な報告だが、あまりに数が多い。謎の新大陸出現の誤報を言いふらす人々が世界規模でいきなり群れをなして現れるなんて、それこそ非現実的だ。
口を揃えて謎の大陸を見たと言い張る人々は心から自分が見たモノを信じている。それだけは正しい。
当然、まずは人工衛星の映像が確認された。本当に大陸があるのなら人工衛星から絶対に見えるはずだ。人の目は誤魔化せても宇宙の目は誤魔化せない。
だが大陸があるとされる太平洋上にかかった不自然な雲によって大陸の存在は確かめられなかった。
報告を信じるならば太平洋に現れた謎の大陸はまさに大陸の名に相応しい大きさで、少なく見積もっても900万㎢を上回る。これは日本列島24個分で、オーストラリア大陸より広い。
それほどの広さを覆い隠す雲がずっと同じ位置にとどまっているという異常事態に、いよいよ各国政府が本格的に事態への介入をはじめる。
そもそも太平洋を横断する海上航路を思いっきり分断し邪魔する位置に障害物が出現したのだから、大型貨物船ヨーク・レッドを筆頭として運輸業に莫大な赤字が出ている。
新大陸は常に深い霧に包まれていて視界が悪く、岩礁だらけで、なぜか霧の中ではソナーや通信機器の類が正常に動作しなくなる。だから元の港にすごすご引き返すだけならまだいい方で、岩礁に乗り上げ座礁したり、船体に穴を空け沈没したり、船が丸々消息を絶ったりという報告も出始めていた。
嘘か真か雲海を飛ぶドラゴンを見たという証言もあり、そんな失笑ものの証言すら本当かも知れないと頭を悩ませる事態だ。
各国は一斉に新大陸に調査隊を送った。いわゆる新大陸先遣隊、第一次調査隊と呼ばれるメンバーだ。ロシアのアルファ部隊、英陸軍特殊空挺部隊(SAS)、アメリカ海軍ネイビーシルズ、自衛隊レンジャー部隊などそうそうたる面子が揃っていた。
謎の新大陸や電子機器誤作動、異常な雲について喧々諤々の激論を戦わせる学者達にとっても机上で言葉をぶつけ合うより実際に現場に行って情報を集めるチャンスは魅力的だ。陸海空軍のエリート達を護衛につけた第一次調査隊は、しかしその98%が行方不明となった。
帰還した数少ない調査隊員たちは憔悴し、怯え切った様子で言った。
「新大陸は確かにあった。しかし恐ろしい何かがひそんでいる」
また、こうも続けた。
「新大陸は莫大な新資源の宝庫だ」
第一次調査隊の悲惨な生還率と巨大な利権を確信させる報告を受け、国連は新大陸を危険地帯と定め民間人の立ち入りを禁止。
各国はそれぞれの思惑を胸に第二次調査隊を送り込む事になった。
俺がいま乗っている船もそういう第二次調査隊の一つだ。
第一次調査隊が壊滅したのは年末だったから、これは2022年最初の新大陸調査になる。
完全な手探りかつ大急ぎで編成された第一次調査隊と違い、長期調査にも耐えられるよう護衛艦は輸送船を随伴させている。物資積み込みや人員乗船はてんやわんやの大忙しの様相だった。食料60日分、武器弾薬は丸三日の全力戦闘に耐えられるほど、他にも研究者や医者、理容師や料理人まで積んでいて、船内にはストレス解消のため小さいながらシアタールームさえある。
長く息苦しい船旅も終わりが近づき、停留地点まであと1時間を切った。俺は外の空気を吸いに甲板に出た。へりに肘をついて霧の向こうに浮かび上がる陸地の影を胸を高鳴らせて見つめる。
ここまで長かった。到着したら忙しくなる。ゆっくりしていられるのも今だけだ。
この護衛艦は輸送船と共に新大陸を取り巻く濃霧の手前で停泊し、半日遅れで到着する米軍と足並みを揃え揚陸艇で上陸する計画と聞いている。
謎と冒険に満ち溢れた現代の神秘に思いをはせていると、甲板に壮年の男性が上がってきた。くたびれ色褪せた迷彩柄の戦闘服は年期が入っていて、黒髪に混じった白髪と顔に刻まれた皺の老いた印象を覆して余りある筋肉と長身が威圧的だ。
階級章を見ると階級は曹長だった。現場で部隊に指示を出すクラスの人だ。
胸ポケットから煙草を取り出しかけた曹長は俺に気付くと火をつけるのをやめてしまった。敬礼すれば敬礼を返してくれ、チラリと戦闘服のネームタグと階級章を見て俺の顔と見比べる。
「若いな。坊坂二曹、どこの部隊から来た?」
「東京です」
「東京の?」
「東京の、とは?」
「駐屯地だよ。目黒とか練馬とか」
「あ、練馬です」
「練馬か。じゃあ普通科の名取一曹は知ってるか?」
「いえ。すみませんあまり交友が広い方ではなくて」
「そうか。まあ地味なヤツだからな、同期なんだが……煙草いいか?」
俺が頷くと、曹長は疲れた様子でタバコに火をつけて吸い始めた。白い煙が冬の冷たい海風にたなびき薄れて消えていく。
俺は顔をしかめてしまった。煙草は好きじゃないし、知らない自衛官に真横で煙草を吸われるのは気まずい。逃げたら変に思われないだろうか、と躊躇しているうちに曹長は気難しそうな強面に似合わず気さくに話しかけてきた。
「結局最後まで密航者は見つからなかったな」
「そうですね。誤報だったのかも」
「いや、糧食班が食料が何度か盗まれたって報告してる。船内にはいるんだよ。自衛官ならわざわざ盗まなくても普通に食えばいいわけだから。勘弁して欲しいよな、日本中の駐屯地から優秀なヤツ引っこ抜いて集めて精鋭部隊作って、やる事が密航者探しかよ。わざわざ護衛艦に密航するなんて何考えてんだか」
「あー……民間人は正規ルートで上陸できないですからね。新大陸に行きたかったらそれこそ密航しかないんじゃないですか」
「坊坂二曹は心広いな。腹立たんのか? 何度も業務時間外に船内捜索に駆り出されただろう」
「いやぁ」
俺は曖昧に微笑んだ。
これはそんなに簡単な問題じゃない。
「第一次調査隊が持ち帰った新大陸の泉の水のニュース、俺も見てましたけどあんなの見せられたら密航してでも新大陸に行きたいって思っちゃうんじゃないですかね。傷口に垂らすだけでケガが魔法みたいに消えるんですよ? コレクターなら欲しくて欲しくてたまらなくなりますよそりゃあ。医療価値、研究価値、料理材料としての価値だってつくかも。いやそっちがメインかな」
ニュースで報道されただけで市場に流れていないから価値はつけられないが、もし販売された場合の推定取引価格は一億円をゆうに超えるだろうと目されている。泉からすくってきただけの水のたった一滴が、だ。
まさに一攫千金。新大陸のフロンティアドリーム。一発当たれば人生逆転だ。法律も政府の制止もぶっちぎるだけの魅力がある。
正規の手段で新大陸に行けるなら誰だってそうする。しかし一般人は問答無用で立ち入り禁止となれば密航者が出るのも仕方ない。
曹長はタバコの灰を携帯灰皿に落とし、短くなった煙草を指先で弄びながら呆れた様子で首を横に振った。
「軍と自衛隊の精鋭の98%が消息不明になる魔境だぞ。一般人がどうして生きて帰れると思うのかね」
「98%が行方不明って事は2%は生還したって事ですからね。命をかけてロマンを追いかける人はいますよ」
「そんなもんか? 分からんなあ。まあとにかく見つけたら捕まえて日本に強制送還だ。坊坂二曹も密航者を捕まえる時にあんまり酷いケガはさせるなよ。密航者だろうと国民だ。保護対象だからな」
「はい」
俺が頷くと、また甲板に自衛官が上がってきた。今度は30代ぐらいの若い男性の二曹だ。しんどそうに階段を上がってきてポケットから煙草の箱を取り出し、俺達を見て隣にやってくる。
「ここでも吸っていいんですよね。いや喫煙所満員で」
「外は寒いからな。ここで吸うヤツはあんまりいない。井上二曹はどこの部隊から?」
「練馬駐屯地です」
「なんだ。じゃあ二人は知り合いなのか」
煙草の火を貸した曹長が意外そうに言うと、井上二曹は目を瞬かせ、首を傾げた。
「知り合い?」
「坊坂二曹も練馬から引っこ抜かれたんだとさ。同じ駐屯地ならお互い顔ぐらいは見た事あるんじゃないか。階級も同じだしな」
「いえ……? 坊坂二曹は何科?」
「あ、普通科です」
「ん? いや変な嘘つかなくていいよ。練馬の普通科連隊で坊坂って名前は見てないし、顔も見てない。何科?」
「…………」
俺は返答に困り、曖昧な笑顔で黙り込んだ。
訝し気な二人の視線が突き刺さる。
あんまり根掘り葉掘り聞くのはやめて欲しい。
こんなに寒いのに冷や汗が頬を伝う。何か言おうと思うのだが言葉が出てこない。
「どうした? 別に変な話じゃないだろう」
「……待てよ? 見覚えが無い……無さすぎるような。曹長、坊坂二曹に会ったのは今日が初めてですか?」
「ああ。そういえば変だな、これだけ一緒の船にいて全然見覚えが……!」
二人の視線が素早く俺の全身をなぞった。
船倉の荷物に体を小さくして紛れ込み、船酔いに耐えながらせっせと裁縫して作った手作り戦闘服の微妙な解れやデザインミスに次々と目が留まる。
やばい。自衛隊の事をよく知らないのがバレた。素人がそんな細かいところまで気を配れるはずもない。
ハッとした二人が顔色を変えて大声で叫ぶのと、俺が身を翻すのは同時だった。
「いたぞ! 密航者だ!」
「残念、もう遅い! あーばよッッッ!」
俺は変装用の戦闘服を脱ぎ棄て二人に投げつけながら船のへりを乗り越え、捕まる前に海に飛び込んだ。
さあ、いざゆかん新大陸大冒険!!!