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小さな変化

 


「ねぇねぇカズハ、なんかいいことあった?」

 大鍋をゆっくりかき混ぜていると後ろで野菜を刻んでいるリオが声をかけてきた。

「え? なんで?」

 カズハが手を止めることなく振り返る。

「だって珍しいじゃない、鼻歌歌いながら仕事するなんて」

 そんな一言にカズハははっとする。


 そういえば、今、私、歌ってた、かも。

 つい……ヒシバのことを考えてしまって……家で台所に立っているような気分になっていた。


 だって、あの子、めちゃめちゃ可愛いんだもん!

 一応まだ六ヶ月くらいの、子猫、だと思うのだ。言ってみれば遊びたい盛り。何を見てもじゃれつくお年頃。

 なのに、ヒシバはめちゃめちゃ賢い。

 こっちが家事をしている間は大人しくしていてくれて余計な仕事を増やすような事はしない。

 元々細かいものを置いていない家なので散らかる要素が少ないというのもあるのだろうが……でも多分、猫って、しかも子猫って思いもよらない行動で飼い主の度肝を抜く生き物だったと思うのだ。あの爪でカーテンなんかよじ登られたら生地はあっという間に裂けるだろうし、食事中のテーブルに跳び乗られたら食器や料理だってひっくり返る。家の中で爪なんか研がれようもんならあちこちがボロボロになる。……いや、それはなりかけたな。

 カズハの口元が緩んだ。

 一度ドアの横で爪研ぎをされかけて「うわー! それはダメ!」と声を上げた。その声に背中を丸めて跳び上がったヒシバにはお腹を抱えて笑ったのだ。

 そんなわけで、ソファの下に仕込んでいる台を作った時の残りの木を適当なサイズにして部屋に置くようにしたらそこでちゃんと爪を研ぐようになった。

 窓を少しだけ開けて出かけるのは外に出たいこともあるだろうと思うからなのだが、帰宅すると必ず家の中にいて玄関まで迎えにきてくれる。

 そんな、ここ一週間くらいの出来事を思い出すだけでつい、にやけてしまうのだ。


「あー、うん。ちょっとね」

 猫を飼い始めたんだ。と、言いかけてついカズハは言葉を濁してしまった。

 リオがいつも好む話題は、カッコいい男の子、可愛いお洋服、美味しい料理のお店だ。そこに、猫の話なんかしたところで「えー、なんだ、そんな事?」とか言われそうでちょっと怖かった。

 この暖かいふわふわした気持ちをちょっとでも否定されるのは……今はきっと辛い。


「へー、そうなんだ?」

 うふふと笑いながらこちらに視線を送ってくるリオは相変わらず美人だ、と思う。

 こんな仕事をしているのに毎日おしゃれなワンピースに可愛いエプロン。エプロンも日替わりでシミ一つ付いていない。

 艶々の髪は緩く束ねているのでちょっと色っぽくて、赤い口紅もくっきりはっきりしているが顔立ちそのものが華やかなので嫌味がないと思う。そういえば髪の色も目の色も明るいブラウンだ。ああいう色だと華やかで優しい感じになるのだろうか、なんて思う。

 私は硬いイメージの黒髪に濃いブラウンの瞳だからあんな華やかさはないなぁ、なんて思ってしまう。

 服装だって大体いつもおんなじ感じだ。何着かしかない服をどうにか着まわしている。エプロンは一つしかないから……いや、それで普通だと思うんだけど、何度も洗っているおかげでちょっとくたっとこなれてきた、元は地厚な生地のシンプルなエプロンだ。


 そんな事を考えている間に作る作業が終盤に入り、夕食を食べに食堂に入ってくる騎士たちの声が調理場に聞こえてくる。

「ね、今日はカズハが給仕に行ってきたら?」

 大抵はリオが食堂の給仕に入るのだが、時々こうやって交代してくれるのは作業の公平を期すためと……あとは出逢いのチャンスに関する公平を期すためらしい。

 いつも可愛い格好のリオが食堂に出た方がいいんじゃないかと思えてしまうカズハは三回に一回くらいは断っていたのだが、今日はなんとなく浮き足立ったまま「あ、うん。ありがとう」なんて言いながらパンを山盛りに乗せた籠を持って食堂に入った。


 食堂の各テーブルにはまず籠に山盛りにしたパンが置かれる。あとは水の入ったジャーとカップ。

 そのあとおかずやサラダの大皿が乗せられていき、各自が好みで量を調節してもらいながらスープの皿を受け取りに来る、というのが基本のスタイルだ。

 調理場と食堂との間にある壁には大きな窓のような開口部があり、そこから各自の要望に応じた量のスープを手渡す。

 つまり、食堂で給仕をしなくても多少は騎士たちとのやり取りはあるのだ。

 食堂の給仕はテーブルの水やパンやおかずの減り具合を見て追加していくのが仕事。

 なので手が空いているときには騎士たちに声をかけられる回数が増える、ということになる。


「パン、追加しますね」

 残りが少なくなったパンの籠を見て、カズハが新たに山盛りになった籠と取替えながらテーブルの騎士に声をかける。

「あ、ありがとうございます」

 食べていた若い騎士が振り向いて丁寧に頭を下げた。

 確か、彼の名前は……ユリウス、だったかな。騎士の中では珍しく短髪。大抵は勤務の間に定期的に床屋にいく時間を作るのが難しくてきちんとまとめれば良いという規則もあるし、ある程度の長さにしてしまう者が多い。

 騎士なので基本みんなしっかりした体つきなのだがその中にいるとちょっと華奢にも見えてしまうのは彼の動きの細やかさのせいかもしれない。

 ちょっとしたことにもすぐ反応して、頭を下げるとか言葉を返すとかしてくれる彼はこう言ってはなんだが若干女性的なイメージがある。

 そんな事を思いながらテーブルから取り上げた籠の中に幾つか残っていたパンを山盛りのパンの方に戻す。

「えーと、今日はカズハさんはどれを作ってくれたんですか?」

「……へ?」

 あ、しまった。

 まさかこういう声のかけられ方をするとは思わなかったから咄嗟に変な声が出た。

「あ! えーとそっちの肉料理は下ごしらえを。あとはスープの仕上げとサラダを主に作りましたけど」

 慌てて笑顔を作りながら答えると、律儀にこちらを振り向いたままのユリウスが「ああ、そうなんですね!」と大きく頷く。

「このスープ、野菜が柔らかくて味がよく染み込んでてすごく美味しいですよ!」

 頷いた後で慌てたようにスープを口に運んでそう付け足すユリウスはちょっと微笑ましい。

 とりあえず何か褒めるところを見つけようとしてくれているみたいだ、と思えて。

 同じテーブルの他の騎士もそんな彼を見てくすくすと笑いながら。

「この肉料理はリオの味付けでしょ? こういうはっきりした味付け得意だよね、彼女」

 なんて言ってくる。

 下処理をして臭みをとった肉を揚げてから香り高いタレに漬け込んだこの料理は確かにリオの得意料理だ。スパイスの配合がいつも絶妙。

 なのでカズハも大きく頷く。

「そうそう。その味付け、結構思い切ってスパイスを入れないといけないから小心者の私には難しいんですよ。リオは味のセンスがいいですからね」

 そして、にっこりと笑顔を追加。

「へーそうなんだぁ……」

 なんて目を丸くする騎士は……デビッド、だったかな。うん、確かそう。いつもあちこち動き回ってていろんなところで行き合うような印象がある。黒に近いイメージの瞳は切れ長で知的な印象の持ち主だ。

 そして今のやり取りでこのテーブルの騎士たちの視線は一気に肉料理に向いた。

 ……これはこっちの追加も間も無く、だな。

 そう思ってカズハが調理場へと踵を返す。

 調理場に戻るとリオがおかわり用の大皿をすでに幾つか用意してくれているのでそれを受け取る。

「これ、大人気よ」

 と一言付け加えると、リオがパッと笑顔になった。


 ある程度ピークを過ぎてあとは食後の雑談に入っている騎士たちがちらほらテーブルに残るのみ、となってくると調理場の仕事のスピードも緩やかになる。

 カズハも空いたテーブルから食器を下げるためにワゴンを押してゆっくり各テーブルを回る。

 そんな作業の最中、先ほどのテーブルからこちらに視線を感じるのでカズハが振り返るとテーブルに最後まで一人残っていたユリウスが椅子の背もたれに肘を乗せてこちらを見ている。

 ……あれ、まだ何か欲しいものがあったかな。

 水でも足りなかっただろうか、と他のテーブルから下げたばかりの水が入ったジャーを持ってそちらに歩み寄ると。

「今日もお疲れ様でした。カズハさんはいつも一生懸命働いているからなんとなく他の女の子たちとは違う感じがして、カッコいいなって思ってたんですよ。今日は僕、野菜ばっかり食べてしまいました」

「え……あ……それは、どうも」

 思わぬ言葉がかけられてカズハの頭が一瞬真っ白になった。

 ついでにおどおどした視線を彷徨わせてみるが……あ、カップの中にはまだ水が入ってた。足りなかったわけじゃないんだ。

 ユリウスはそれだけ言うとそそくさと席を立ち、他のテーブルに残っていた騎士に声をかけて一緒に食堂を出て行く。


 なんか、変に爆弾落とされた気分……。


 取り残されたような形になったカズハは呆然と騎士たちの背中を見送った。




 家に帰る際の足元が妙にふわふわしていたのは……多分あの爆弾のせいだ。

 そう思いながら夕食を食べ終えたカズハがベッドに腰掛ける。

 最近人から具体的に褒められる事が極端に減って免疫がなくなっていた。

 しかも……挨拶以上のやり取りなんてもの自体、ものすごく、久しぶりだったんじゃないだろうか。

 そう思うと思いっきり頬が緩む。


「にゃお」

 ささやかな抗議めいた声がして足元に目をやるとヒシバがこちらを不満げに見上げている。

「あ、ごめんごめん」

 ヒシバの前足は赤いリボンを踏みつけており、その先には金色の鈴。

 なかなか子猫らしく遊ばないヒシバに、これならどうだ、と作業部屋から持ってきたリボンと鈴で作った猫用のおもちゃだ。

 片方の端をカズハが持って鈴を鳴らしながらじゃれつかせていたところで、急に手が止まったものだからヒシバの催促の声が上がったところ。


 この簡単なおもちゃは、今日はわりと効果を発揮してくれている。

 数日前に思いついて作ったところ、ヒシバは最初は無反応だった。背中を向けて丸くなって尻尾だけピクピク動かす姿は「バカにしてんのか?」とも受け取れてちょっと凹んだが、何度か動かして見せているうちに本能なのか付き合いなのかちょっとだけ反応するようになった。

 目つきが一瞬鋭くなって、狙いを定めるように体勢を低くしてパッと飛びつく姿に最初、カズハはついうっかり声を上げて笑ってしまった。その笑い声に冷静になったように再び無反応になってしまったヒシバにちょっと気を使って今日は真剣勝負! とばかりに真剣にじゃれつかせる覚悟だった。


 なんだか今日はやたらと気分がいいのでヒシバの機嫌もいいような気がしてしまうのは……これは気のせいだろうとも思えている。




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