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命名

 


 ごそごそ。


 いつもならしない気配と音にカズハの眠りが中断される。


 ああ、もう朝なのね。

 今日は仕事も休みだし、もう少しゆっくり寝ていたいなぁ……。


 なんて思っているとベッドの中で何か温かいものがごそごそと動いていることに改めて気がつく。

 そして。

 顔の前にそれが移動してきて小さな息がかかる。


 ……あー、そうだ。昨夜の猫。

 食事を出したらすっかりくつろぎ出して……結局ベッドに上げちゃったんだっけ。

 なんて思っていると。

 ざり。

「……ん?」

 頰のあたりを何かが撫でる音と感触。

 ……え? ざり……?

 ざりっ……ざりっ……

「わ、わ……なにすんのよ、痛い痛い……痛ーい!」

 思わず声を上げて飛び起きたカズハが頰を押さえると、目の前にちょこんと座った黒猫がこちらを見上げて得意げに「にゃー」と鳴いた。

「凄い起こし方するわね……」

 思いっきり、頰を舐められた。

 しかも今の感じ、この子に悪意は全くないのだろう。毛繕いでもしてあげるかのような舐め方だったし……この子なりに物凄く、親切な起こし方なんだろうな……と思うから怒れない……。


 ザラザラの舌で舐めて起こされるという仕打ちに複雑な心境になりながらカズハが起床した。



 足元にまとわりつく黒猫に気を取られて朝食の支度は気もそぞろだ。

 なのでもう、昨夜のスープの残りで済ませてしまう。

「はい、あなたにはこれね。……こんなものばっかりで大丈夫かなぁ……」

 ちょっと心配になって首を傾げつつも、まぁ飽きたら出ていくのかもしれないし、と昨日の鶏肉の続きを再び皿に入れて出してやると尻尾をぴんとたてて「にゃあ」と鳴くので……これは喜んでいるのだと勝手に思い込むことにした。


 食後になんとなく落ち着かなくて改めてお茶を淹れる。

 ミルクで煮出した紅茶だ。

 土地柄、なのかこの辺では緑茶より紅茶が安く手に入る。

 前の町ではどちらかというと緑茶の方が安かったが紅茶の方が好きで、安い店でよく大量に買っていた。それでも長く保存しておくと香りがなくなってしまうので後半はスパイスや果物で香り付けして飲むことになるのだが、それもまた美味しい。

『カズハちゃんが作るとミルクのお茶は美味しいよね』と言った子の事をチラッと思い出しそうになって……はぁとため息が出た。

「……ああ、いやいや。もういい加減忘れてもいいだろうに……」

 意味不明とも思われそうな独り言を呟いて居間の窓を開ける。

 これは黒猫が出て行きたくなったら出ていけるように。

 窓辺には何も置いていない。

 本来ならもう少し可愛らしく花を飾るなり可愛らしい小物を飾るなりしたらいいのだろうがなんとなく出来ないまま今に至っているので何も知らない猫が跳び乗っても大丈夫。


 で、窓の下に置いてある小さなソファに腰を下ろす。脇にある小さな台は本来は花台のようなものだがデザインがシンプルなのでサイドテーブルに使っている。そこに紅茶のカップを置いて。

 このソファは実は手作りだ。

 前の町は東方の文化がかなり入り混じっていてベッドではなく布団だった。

 家を借りたらベッドはもうすでにあって……ここに来て初めてベッドを使う事となり……布団をわざわざ持ってきてしまっていたのでそれを四つ折りに畳んで、木で簡単な台を作った上に乗せてみた。高さがちょうどいいのでちょっと綺麗な生地をかぶせたら背もたれのないソファになった、というわけ。

 クッションは趣味でいくつも作っていたのでここに来て本体にかぶせたのとお揃いの生地でカバーをつけて背もたれがわりに並べたら……もはや立派なソファではないか! と思っている。座り心地だっていい。


 カップからミルクティーを一口飲んで、ほっと一息つく。

 で、黒猫を観察してみる。

 ソファに上がらなくてもその脇から窓枠には飛び乗れるような位置に窓はある。

 案の定、行儀よく座ってカズハの動きを見ていた黒猫は鼻先を上に向けて、入ってきた新しい空気の匂いを嗅いでからすっと立ち上がった。

 窓の方に歩き出す姿に「あ、出ていくかな」とちょっと寂しくなったカズハがじっと見守っていると。

「……ん? あれ?」

 開いている窓には目もくれず、ソファに跳び乗ってそのままカズハの膝に上がり込み……丸まった。

 くすり。

 もう、反射的に笑みが溢れる。

 可愛い。可愛すぎる。

 当たり前のように膝で丸まってふうっと思わせぶりにため息なんかつく黒猫は「ああやっと寝る場所が出来た」とでも言っているようで……これはこの家に居つく事決定、なのだろうかなんて思えてならない。

「ね、うちの子になる?」

 カズハが小さく尋ねると、黒猫の耳がぴくりと動いて小さく頭が持ち上げられた。

 で、そのまま再び鼻先を前足の間に潜り込ませた黒猫は尻尾をわずかに動かす。「なに当たり前のこと聞いてんだ」と受け取れてしまうのは……気のせいだろうか。


 そんな様子を眺めながらゆっくりミルクティーを飲んで……頭をそっと撫でてみる。

 全身真っ黒の猫は、額のところに白い毛が少し入っている。

 小さい三角のようなひしゃげた四角のような形。

 完全な真っ黒じゃないところが可愛いな、なんて思って小さな頭の上に手を乗せて親指でゆっくりその額を撫でると、思わせぶりにふうっと息をついた猫が喉を鳴らし始めた。

 うん。決定。

 うちの子にしちゃおう!

 となれば。


「名前、つけてあげようか」

 空になったカップをサイドテーブル……ええ、これはサイドテーブルです。花台じゃありませんよ。……に乗せてから小さく声をかける。

 と、猫が思いっきり顔を上げてこちらを見つめてきた。

「え……なにその期待に満ちた目……」

 もう、そう見えて仕方ない。

 どうせ言葉なんか通じないんだからいいように解釈してしまおう、とも思えて勝手な解釈に基づいて話しかける。

 でも、このタイミングで目を細めて喉を鳴らされると……本当にそう思えて仕方ないんだけど。


 んー……なににしようかな。名前。

 まぁ、うちの子にするんだったらいつまでも「黒猫」って呼ぶわけにはいかないんだし。

 そう思って周りを見回す。

 あ、そういえば寝室の書き物机に簡単なメモ用紙があったな。

 なんて思って「はいちょっと降りてね」なんて声をかけながら猫をどかす。

 こういう事は書きながら考えた方が頭が整理しやすい。


 持ってきたメモ用紙はちょっとした便箋にもできるようなサイズの紙で上質な白い紙ではなく、使い捨てられるざらっとしたもの。小さなインクの瓶は最近使っていなかったので蓋が固まりかけていて開けにくく……そっと溢さないように蓋を開けるとインク独特の匂いがふわっと広がる。

 母を亡くして、生計を本格的に立てるために騎士の勉強を始めたときのことを思い出す匂いだ。

 サイドテーブルに乗せていた空のカップは早々に台所の洗い場に持っていき、代わりに紙が置かれている。そこにペンで思いつくままに幾つかの言葉を書き出す。


 黒猫、だから……それっぽい名前がいいかな。

 男の子なのは確認済み……なので、ちょっとかっこいいのがいいかしら。

 ネロ……ナハト……ノーチェ、は女の子っぽいかななんて思いながら書いた単語にバツをつける。

 あとは……。

 ちらりと猫に目をやる。

 こちらが何をしているのかまるで理解でもしているかのようにサイドテーブルに寄って座っているカズハの逆側から太腿の上に両前足を乗せて手元を見つめている猫は、ペンの動きをじっと見ており、カズハの視線はついその額の白い毛のところに向く。

 タハト……シン……ああヒシバってのもありか。

 つい、笑みが溢れる。

 と。

 頭上で笑いが起こるとは思わなかったのか黒猫はカズハの笑みに反応するかのように鼻先を真上にあげたのでカズハは金色の瞳と目が合った。

 なので。

「ああ、これね。あなたの名前候補よ。どれにしようか。……黒っていう意味のと、星っていう意味。あとこのヒシバっていうのは菱の葉っぱって意味よ。あなたのその頭の白い毛のところ、形が似てるから。それと……私の名前とお揃いなの。私のカズハは沢山の葉っぱっていう意味」

 カズハというのは東方の文字で「万葉」と書くらしい。

 葉を茂らせた豊かな大木のイメージだと母が言っていた。

 名前にまつわる母親の言葉を思い出しながらペンを置き、名前を書いた紙を黒猫の前、自分の膝の上に乗せてみる。

 黒猫は鼻先を紙に近づけて匂いを嗅いだあと……片手を紙の上にひょいと乗せた。

 それは差し出された紙を押さえるような本能的な動きだったのかもしれないが……。

「あら、ヒシバ、でいいの?」

 カズハの目が丸くなる。

 乗せた前足の位置はちょうどその名前を押さえている。

 もう、言葉が通じないのはよくわかっている。この際、思い込み優先で会話を成立させてしまおう!


 そして黒猫の名前は「ヒシバ」となった。





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