現実を知る
カズハの休み。
しばらく二人で出かけられるほど時間が取れなかったのだがようやくまたゆっくり過ごせる日がやってきたので。
「……ね、これ、どう?」
カズハが新しいワインレッドのワンピースを着て、くるりと回ってみせた。
「いいな。似合ってる」
一歩下がってヒシバが嬉しそうに目を細めた。
しばらく前に揃いで仕立てた服だ。
ヒシバも濃紺の上下に着替えている。
お揃い要素は色々あるが、どれもよく見ないとわからないのでそういう加減がカズハはとても気に入っている。
「どこに行く?」
にっこり笑って尋ねるカズハに。
「屋台でも探しに行くか?」
ヒシバも笑って答える。
やっぱり落ち着くのは公園だ。
ヒシバと最初に出会った場所でもある。
そう思うと特に何も言わなくても公園への道を手をつなぎながら歩いてしまう。
カズハが寄り添うように歩くとヒシバも嬉しそうだ。
「さすがにこないだほど賑やかではない、わね」
カズハが公園の中を歩きながらそう言ってつまらなそうに肩を落とした。
「そうだな……まぁ曲はなくてもダンスはできるぞ?」
くすくすと笑いながらそう言われて「いや、それは結構です」とカズハが即答。
……こんなところで踊ったら目立つでしょうが。
賑やかではない、とはいえ多少の屋台は出ていた。
軽食の屋台やお菓子や飲み物。
そういえば天気のいいこんな日はお祭りな感じはないとはいえ、ささやかな屋台は出ていた。遊びに来ている子供連れや散歩と思われる年配の夫婦が何かしら買って休憩している様子がとても和やかだ。
「そういえば、お前ちゃんとダンスできたんだな」
ヒシバが思い出したように切り出した。
「え……いまさら……?」
カズハがじとっと見上げると、金色の目が面白そうに細められた。
カズハのダンスは「ちゃんとできる」とは程遠い程度の「出来る」だ。
昔、まだ子供の頃、母親がよく相手をしてくれた。
両親はよくダンスをしていたらしい。出会ったときの思い出でもあると話していたのをカズハはよく覚えている。父親が亡くなって、一人になっても母親は結婚記念日にはご馳走を作ってお祝いをしていた。そしてダンスをカズハに教えて一緒に踊ったのだ。
子供を相手にするせいなのかご馳走のお昼ご飯を食べて明るい庭でくるくるとダンスを踊る、そんな年に一度のお祝いの日だった。
でも……。
一生懸命練習して父さんの代わりができたらいいな、と思って練習して上手に出来るようになったら……母さん、少し悲しそうな顔をしたのよね。
下手くそな娘にダンスを教えることに専念すれば、父との思い出に浸り過ぎなくて済むのだ、ということに気付いて練習するのをやめたのはその直後。だからそのあとは上手にならないように努力したのだ。
だから「ちゃんとできる」とは程遠い「出来る」というレベルだ。
「……なんだ、なんか訳ありか?」
急に顔色が沈んでしまったカズハにヒシバが慌てた。
「あ、ううん。なんでもない。昔の話だし!」
カズハも慌てて笑顔を作った。
父との思い出を大事にしながら毎年思い出していた母は、幸せだったのだろうか。
なんて時々ふと思う。
子供だった自分の目線ではいつも笑っていたような気がするが……例えば結婚記念日の夜、私が寝てしまったあと、一人で過ごすには長い思い出の時間をどんな風に過ごしていたのかなんて……いまさら知る由もない。
そして結婚記念日にわざわざ娘と踊るダンスにどんな意味があったのかも、今となってはもうよくわからない。
「ふーん……」
ヒシバのそんな声と共に握っている手に力が込められてカズハがちょっとだけ俯いた。
ああ、今こんなことを思い出す必要なんかないのにな。
せっかくヒシバといるのにこれでは申し訳ない。
そう思うのに、何故だか顔が上げられず。
愛する人が自分の中で思い出になるというのはどんな感覚なんだろう、なんて、子供の頃にも思っていたことが頭の中に浮かんでは消える。
私が母を亡くしたのとはまた少し違う、感覚なのではないかと思う。伴侶を亡くすという感覚。
そのあと、どんなに幸せな日々を過ごして笑っていられたとしても、伴侶を亡くしたという痛みは埋め合わせられない。
きっと、そういうものであるのだろう。
でも……それを割り切って「美しい思い出」として心の中に納めて生きていく。
そんな母を強いと思った。
ふと。
ヒシバもそうなんだろうか、と思う。
前の主人が亡くなったあと。
そして、私が死んでしまった後も。
私が隣に寄り添っていられた日々を彼は大切な思い出に……してくれるんだろうか。
「……なぁ、少し休むか?」
手を引かれてベンチのところまできたカズハが声をかけられて我に返るとヒシバが心配そうな顔をしている。
「え……あ! やだ、ごめん!」
しまった、いったん考え始めたせいですっかり暗い顔をしてしまっていたかもしれない!
と、カズハも慌てる。
「いい、気にするな。何か買ってきてやるから少し休んでていいぞ」
そう言われてベンチの方に促されるので。
「あ! いいわよ、私、行ってくる」
カズハが慌ててくるりと向きを変えた。で、途端に腕を掴まれて。
「おい……大丈夫か?」
心配そうな顔が近づいてきてカズハの胸がどきりと高鳴った。
「ぅあ、だ、大丈夫! ……あ、あの、ね。ちょっと考え事しちゃっただけだから。ちょっとふらっと歩いてきたら元に戻るから大丈夫よ。あの……本当にごめんなさい」
そう言って笑顔を作ると。
「……分かった。じゃあここで待ってるな」
ヒシバが眉をしかめてため息をついた。
危ない危ない。
カズハがそそくさと歩き出す。
視界に入る範囲内で屋台はひとつだけある。
さっき通り過ぎた屋台、よく見なかったけど甘い匂いがしたな……あれは揚げ菓子じゃないだろうか。
なんて思ってそちらに歩を進めると。
思った通り。
小さな丸い揚げ菓子に糖蜜を軽くかけたものを紙をくるっと丸めて三角に作った簡易型のカップの中にたくさん入れて売っている。
……たくさん入っているから、ひとつ買えば十分かな。
そんなお菓子のカップを持って、さらに何か見てみようと他の屋台を探しに歩いてみて……あ、飲み物を受け取るには手が足りない。となると、他に何か食べ物……お、カットフルーツなんかあるじゃない。あ、だめだ。多分持ちきれない。
なんていう心の葛藤を経て結局最初に買った揚げ菓子だけを持ってヒシバのところに戻ることにする。
うん。
だいぶ落ち着いた。
そうよね、こんなにお天気の良い日にそんな湿っぽいこと考えなくったっていいじゃない。
今日はヒシバとデートなんだから。そうよ、なんと言ってもお揃いの服を着て、のデートなんですからね!
茂みの向こうにあるベンチにヒシバが座っているはず!
と思うと足取りも軽くなり、危うくスキップなんかしそうになったカズハがふと歩くペースを落とした。
……あれ?
確かに、ベンチにヒシバは座っている。深く腰掛けて足を雑な感じにゆるく組んで、両肘を背もたれにかけるようにして空を仰ぐような姿勢はなんだか気怠げで、それだけ見たら「あ、カッコいい!」とか思うんだろうけど。
向かいに二人、騎士が立っている。朱色の騎士服の二人は、一人はあの特徴的な髪色と肌の色からしてナーシル。もう一人は多分ユリウスだ。
で、その二人と話しているらしく顔を上に向けて二人を見上げているヒシバの雰囲気が。
……あれ、猫だったら長い尻尾をピシャリピシャリと脇で動かしてるんじゃないかというような、不機嫌極まりない雰囲気……に見えるのは何故だろう。おかしいな、ここから表情まで見えてるわけじゃないのに。
そんな呑気な観察をしている間に、ヒシバが立ち上がった。
反射的に二人が一歩後ろに下がり……あ、まずい。なんかわかんないけど、多分まずい!
咄嗟にカズハが駆け出した。
「おっ、お待たせーーー! なになに? 何してるの、二人とも?」
ヒシバに向かって少々引きつった笑いを浮かべてしまいながらも、二人の方に彼が足を踏み出しかけたのを確認したカズハは彼を留めるべくその腕にじぶんの腕を絡めて顔を覗き込み、それからナーシルとユリウスの方に視線を向けた。
「ああ、カズハさん」
ナーシルが驚いたように目を見開いてカズハの方に視線を向けた。で、その隣で無表情のユリウスもチラリとカズハの方を見やる。
「なに? 珍しいじゃない、その組み合わせ」
にっこりと、浮かべた笑みがあからさまな作り笑いになっていませんように、とつい願ってしまうのはもう仕方のないことで。……なんだか隣でヒシバの鼻息が荒いような気がしなくも、ない。
「そうなんです、今日はこっちの仕事の欠員補充に副隊長が直々に出てくれてるんですよ」
ナーシルはいつも通りの穏やかな雰囲気をあっという間に取り戻してカズハに説明してくれた。
なるほど。
ナーシルはもともとこっちの方の警備の仕事があるって言ってたし、昼食は他の騎士たちと一緒に店に入るよりこういう公園で済ませることがあるって言ってたっけ。
とすると、たまたま今日もそんな感じでここに寄ったところを鉢合わせたとか、そういうことだろうか。
……あれ?
鉢合わせた、にしたって。
「ヒシバ……二人のこと知ってたの?」
鉢合わせたとしても知らない者同士、そのまますれ違うはずではない?
とカズハがヒシバの顔を覗き込むと。
「いや……そっちから……挨拶してきた」
むすっと答えるヒシバは「挨拶」という単語を出すのに一瞬戸惑った。
「こないだ食堂に来ていたじゃないですか。なので僕が声をかけました」
ナーシルがにっこりと穏やかに説明してくれるそばで……なんだか相変わらず無表情なユリウスが怖い、とカズハの頬が引きつる。
「そ、そう」
カズハがなんとか笑顔のまま頷いて見せると。
「で、何買ってきたんだ?」
思いもよらない柔らかい声が降ってきて、カズハが目を上げるとヒシバはもういつも通りの笑顔になっている。
「あ! うん、これ、美味しそうだったんだけど……あんまりたくさんは要らないかなと思ってひとつだけ買ってきたの。他にもカットフルーツとか飲み物とかあったんだけど……手が足りなかったわ……」
うう、とつい半眼で金色の瞳を見上げると、その瞳はさらに優しく細められた。
ああ、よかった。なんか好戦的な雰囲気はどっか行った!
そして、なんだこの、こっちが見惚れちゃうようなその笑顔は!
目が合って頬が熱くなっていくのを自覚したカズハは思わず慌てて目を逸らした。
「……それでは僕たちはそろそろ失礼しますね。仕事に戻らないと」
そんなちょっと焦ったような声がしてカズハが視線を移すとナーシルがヒシバに小さく会釈をしてユリウスの腕を引いている。
腕を引かれたユリウスは「あ、ああ……」程度の声を上げるとそのまま引っ張られるように連れて行かれた。
「あの、飲み物も買ってこようか? もう一回行き直せば買ってこれるけど」
二人を見送った後カズハがヒシバを見上げて尋ねると。
「ああ、いや。まずはそれだけで十分だ。……なぁ、あれ、良かったのか?」
ヒシバがどことなく気まずそうにカズハの方をチラリと見る、ので。
「へ? 何が?」
カズハがきょとんとして聞き返す。
「いや……あのナーシルって奴、多分気付いてたぞ。お前の服とこれ、ガン見してたから」
ヒシバが自分の上着を掴んで見せる。
「あ、そうなの? やぁね、バレちゃったかしら、お揃いって!」
途端にカズハが嬉しそうに声を上げ、ヒシバが眉をしかめた。
「いや……なんで嬉しそうなんだ?」
訝しげに顔を覗き込んでくるヒシバに対して、カズハの方は全く意味がわからない、といったところだ。
「え……だって……お揃いって……なんかこう、バレるとちょっと気恥ずかしく、ない?」
もうカズハとしては普通に照れまくっている。
「そういうことじゃねー……」
脱力するヒシバに、カズハはついに首を傾げた。
「あのな……ナーシルってお前のことちゃんと理解してくれてるやつだっただろ……その、気まずくなったりしないのか?」
訝しげに細められた金色の目に、浮かれていたカズハの気持ちがサッと冷めた。
「……え……あ……あ、そう、ね」
ヒシバの言いたいことがなんとなく分かってカズハの視線が地面に落ちる。
ああそうか。
ヒシバは……私に恋人ができても笑って応援してくれちゃうような、そんな立ち位置なんだ。
そう思うと、一人で浮き足立っていたのがなんだか恥ずかしくなってきて。
がさり。
音と共に揚げ菓子を持っていた手に重さを感じて、カズハが目を上げるとヒシバがカズハの持っている紙カップに手を突っ込んで中の揚げ菓子をひとつ取り出している。
呆気にとられてその手の動きを見守るカズハの前でヒシバはそれを無言で自分の口に放り込み、ゆっくり咀嚼。で。
「……うん、美味いな」
そう言ってにやりと笑う。
呆気に取られたままどう反応していいかわからないカズハの前でヒシバはベンチに座り直して隣をトントンと手で叩く。
座れということらしい。
なのでカズハが促されるままに隣に腰を下ろすと。
「……食べないのか?」
窺うような目で見られてカズハは一瞬ためらいながらもひとつ取って口に入れる。
ゆっくり咀嚼するとじゅわっと糖蜜の甘さが広がった。
でも。
……なんだろう。まるで砂を噛んでるみたいだ、と思う。
味がわからないわけではない。多分これは私の好きな味なのだ。甘さの加減といい、食感といい。
なのに、甘い物を食べた時に感じる幸せな感じがしない。
頑張って飲み込まないといつまでも口の中からなくならない。
おかしいな、と思いながらもたくさん入っている揚げ菓子を次々に頬張ってみる。
時々視界にヒシバの手が入り込んで、無言のままカップから揚げ菓子が数個ずつ持っていかれる。
なんだか消費することだけを目的とした行動のような気がしてきて胸が痛む。
「……なぁ、我が主人。オレはどこにも行かないからな」
ポツリとヒシバが呟いた。
カズハが無言でそちらに目をやると。
「オレはお前を気に入っている。例え誰か……他の男のものになろうが……お前が主人であることには変わりない」
そう言うヒシバの瞳はなんだか知らない人のそれのようで、カズハは言葉を失った。
その日の夜。
カズハは新しい服にブラシをかけた後、届いたときの箱にしまった。
この服は、もう着ないかもしれない。
本当なら、今日はもっと楽しい一日になるはずだった。
そしてこの新しい服に楽しい思い出をたくさん詰め込むはずだった。
でも。
多分、この服を見るたびに、今日のヒシバの言葉を思い出してしまうだろう。
求めてはいけないものを求めていたんだと、思い知らされたあの言葉を、きっと思い出してしまう。
そう思いながら、カズハはベッドの下にその箱をそっと隠した。




