乗り切れない恋バナと騎士隊事情
ナリアのお別れ会の後、調理場の女子の関心はもう、言わずもがな。
朝、カズハが何事もなかったように仕事に入ろうとすると、手伝いの騎士たちの陰に隠れるようにして肩を寄せ合ってヒソヒソ話をしていたリオとユリカがパッと離れてそれぞれの仕事に戻る。
朝の賄いを食べに来る女子たちは、食堂に入る直前まできゃあきゃあはしゃいでいるのが、いざ食堂に入ってカズハが料理の皿を運んでいるのを見るとピタリと黙る。
つまりは。
前回、不要な噂話を広めた手前、さすがに今回は正面から聞き出す事は出来なくなった、という事なのだろう。
なんせ、ヒシバは堂々とカズハの肩を抱いて一緒に食事に行く、と宣言した上で出ていったのだ。
しかも、カズハが家で作っていたケーキを持ってきた、となると……やはり色々詮索は止まらなくもなるわけで。
ええ、一緒に住んでますからね。
猫ですけど。
ええ、昨日は結局うち飲みでしたけどね。
猫ですけど。
まぁ、あれだけ素敵な人が私のそばにいたらざわつくでしょうね。この人たちなら。大好物だよね、こういう話題。
……ああ私、なんだか随分、性格がやさぐれてきているような気がする……。
「あ! カズハのケーキ、美味しかったわよ! みんな美味しいって言って食べてたよね」
隣に座っていたリオが思い出したように話題を振ってきた。
「……あ、ほんと? 良かった」
カズハが何事もなかったように微笑んで見せ、目の前のパンを手を伸ばして取ってちぎる。
「そうそう。カズハさん、あんなお店みたいなケーキ作れるのねー。びっくりしちゃった」
反対側にいたアイシアがふふ、と笑いながらこちらに視線をよこす。
「ああ、あのケーキ、なんだかすっごい目立つ男の人に持ってきてもらったんだって?」
便乗するようにミカリアが身を乗り出した。
「……あー……まぁ、結果的に、ね」
語尾を濁しながらカズハがパンを食べきり、スープの残りを飲んで終わりにすると、そのまま席を立つ。
……うん、なんか話の流れが変な方向に向きそうだし。
それに仕事もあるしね。
カズハはゆっくりと席を立ち、自分が食べた後の皿を洗い場まで持っていきながら後ろで「もーミカリアってば、言い方ー!」とか「あのときのユリウスの顔見たぁ?」なんていう小さく笑いを含んだヒソヒソ声を聞き流す。
なんとなくね、ただ面白おかしく人のことを茶化したいだけなんだろうな、なんていうのも感じ取れてしまうので。もうここは深く関わらないで撤退する方向で。
こういう時ほど、この手の人たちともともと深く関わっていなかったことをありがたいと思う事はないかもしれない。
いや、私だってね、好き好んで孤立したわけではありませんけども。
なんならやり直したほうがいいんじゃないか、的なことを考えた事もちらっとはあったけれども。
でも、もし無理やりみんなに合わせていたら……多分今頃、ヒシバのことを根掘り葉掘り聞かれていろんなものを踏みにじられていたんじゃないかと思うもの。大切にしたい気持ちとか……まだ自分の中でさえ消化できていない気持ちとか考えとか感覚とか……そういうものに全部適当な名前をつけられてくだらないもののように扱われていたような気がするもの。
そう思うので、カズハはちょっと深めのため息をついた後は仕事に専念すべく本日の作業工程を頭の中で整理してみる。
「ねぇねぇ、こないだの人ってさ、カズハの恋人?」
……空気読まない人がまだいた。
「でもさ、すっごい仲良さそうでしたよね。……あ、親戚の人とか?」
……空気ってきっと読むものじゃないんだろうね……。
「えー、じゃぁさ、ちゃんと紹介してよー」
……なんでだ。
「あ、そうですよー。折角寮まで来てくれてるんだからみんなでおいしいご飯でも食べに行きましょうよ。私たちでおもてなししますよ?」
……そう来たか。
「あ! それ良いね。私たちならカズハより男の人が喜びそうなご飯の店とかいっぱい知ってるしね!」
……なんだろう、ちょっとイラっとしてきた。
仕事に入ったところでリオとユリカが交互に話しかけてくるのは、カズハにとって予想外だった。まさかこんなにしぶとく食いついてくるとは。
「……お気遣いなく」
うわ。思ったより、低い声が出た。
と、カズハが我ながら内心慌てたのだが……一度出してしまったものは仕方ない。もう引っ込められないからね。
洗い物をする手つきがいつもより乱雑になっているような気もして、一旦気を沈める。
うん、物に当たるのは良くないです。これでお皿割っちゃったりしたら大変だ。
と、一瞬息を飲むような気配がして、まずユリカが自分の仕事に戻った。
で、そのまま立ち尽くしているリオは、思わせぶりなため息をついてから仕事に戻る。彼女の場合はカズハのすぐ隣で、野菜の皮むきを始めたので結局物理的な距離はないのだが。
「……あのさ、オーリン結婚するらしいよ」
声の調子を変えないままリオが話しかけてくる。
「……そうなの?」
一応さっきのドスの効いた低い声は悪かったかなと思うので、カズハの声の調子はいつものものに戻っている。
「そう! ずっと仲良くしてた騎士隊の人なんだよねー」
くすくすと楽しそうに笑いながら肩を寄せてくるリオは、本当にこういう話が好きなのだろう。今までのカズハとの温度差なんかもうすっかり忘れているようで……これはある意味人格者かもしれない。なにしろ聞こえていない筈はないのに後ろの方で作業しているユリカの方は話に加わってくる様子すらない。
「ふーん……」
話を聞きながらカズハは軽く相槌を打つ。
特にこれといって思うところもない。
オーリン自体そんなに仲良くしている相手でもないし……よく知らない。いつもオレンジ色とかレモンイエローとかの華やかな色の服を着ているなぁ、くらいの認識だ。
ああ、確かにああいう格好は男性の目を引くだろう。そう言えばヒシバもここに来た時、最初にオーリンを見つけて声をかけたって言ってた。「なんかやたら派手なのがいたから取り敢えず声かけてみた」って言ってたな。
「もぅさー、あの二人すっごい仲が良くて。しょっちゅう仕事抜けてデートしてたんだよー?」
とっても楽しそうにくすくす笑うリオは、カズハがそんなに話題に乗ってきていない事にはお構いなしのようだ。
で、ここに来てカズハがふと顔を上げた。
「え、仕事抜けてって……大丈夫だったの?」
……ああ、これだから仕事熱心な生真面目人間は! とか思われるんだろうな、と思ってしまうけど……これはもう反射的に。
「えー? 大丈夫だよ。誰かしらフォローしてくれるから。それに貴重な出会いのチャンスを仕事なんかで無駄にしたくないじゃない? ああ、ほら私だって時々早めに上がるじゃない? まぁ、付き合ってるわけではないけどね、騎士隊の人から時々一緒に飲みに行こうとか誘われるからさ」
なんて言いながら後ろで作業しているユリカの方をリオが振り返ると。
「あー、全然大丈夫ですよ。調理場の最後の仕事なんてそう大変じゃないですし。それにリオは付き合いがいいからみんなからよく誘われちゃうんですもんねー。私も時々誘ってもらってるし!」
……そうか。そうなのか。
と、ふとカズハは普段の仕事を思い返してみる。
自分は午後の賄いの提供をやっているということで気を使ったリオが、調理場の最後の片付けくらいは自分たちでやるからと言って早めに帰らせてくれていたけど……そういえばそういうタイミングでリオがいつの間にかいなくなってる時があるな、と。ちょっと場を離れているとかそんなことだろうと思っていたけどあれ、先に飲みに行ってるとかそういうことだったのか。
ま、周りが迷惑してるわけじゃなきゃ、別に良いのか……。
カズハが小さく肩をすくめて再び手を動かし始めた。
「カズハってさ、恋バナは苦手?」
相変わらずのメンタルの強さをさらけ出してくるリオの勇気には本当に頭が下がる。
という思いで、カズハが目を丸くしたのは夕食の仕込みに入った調理場だ。
ユリカなんかさーっと場所を移動して後ろの方で野菜の皮剥きを始めた。
……意外にユリカって世渡り上手かも知れない。そして、この感じ、リオはきっと世話好きの類の人間なんだろうな。
なんて思いながらカズハが苦笑すると。
「まぁ、人の好みと向き不向きってあるよね。……今日はさ、私も友達の話を聞いていたらちょっと疲れちゃって」
ああ、そうか昼食の食べ歩き。今日は騎士たちとゆっくり話をしたということだろうか。なんてカズハは考えながら「そうなの?」と当たり障りなく答える。
「うん……なんかね、今騎士隊もちょっとぴりぴりしてるんだよね。この町って場所によっては治安が悪いでしょ?」
あれ、なんか意外にもまともな話題だ。
と思ってカズハが一旦顔を上げた。
確かに、この町は若干治安が悪い。とはいっても全体ではない。特に街の賑わっている部分でごくごく一部が、だ。
「なんかさ、東の都市の管轄に入ってるってだけで町の人の不満がどうとかって言ってたね……」
そう呟くリオは……これ本当に彼女の意見かな、というくらいあっけらかんとした表情で……ああそうか、昼間一緒だったという騎士の受け売りかな、とも思える。
確かに、そういう傾向はあるらしい。
ここエルガディは町の復興にあたっては東の都市の庇護下にあり、色々な援助を受けている。
直接的には近くの都市アイゼンがエルガディを援助するという形をとっているが、そもそもアイゼンは東の都市の管轄下にある都市だ。
で、その大元になっている「東の都市」は概して評判が悪い。
過去における様々な都市のやり方が先の戦いの後、公になったせいで尚更ではあるのだが、もともとあまり評判のいい都市ではなかったというのも事実。
自分の利益中心で形式にこだわりすぎる政。他者を全く顧みないやり方。弱者を虐げて上層部だけが潤う政。そして騎士や兵士の扱いのずさんさ。特に先の戦いでは周りから援軍として来ていた騎士や兵士の命を軽々しく扱ったそのやり方が広く知れ渡ってさえいる。
今となっては「東の都市」という名前だけで「卑怯者」という新たな意味さえ含んでいる。
現在、西の都市がその東の都市の政を援助しているということらしいが……染み付いてしまった評判はそう簡単には抜けないだろうし、そもそも西の都市が援助しているとはいえいきなり全てが変わるわけではなく……さすがの西の都市も手こずっているんじゃないだろうか、なんていう意見もちらほら聞かれる。
で、そういう都市の管轄にあるというだけで町の人たちの不満は溜まっていくのだ。
独立すべきじゃないかなんていう意見まであるらしい。
なので、そういうのを警備対象としている騎士隊は……仕事がきつい、と。
「勤務がキツ過ぎてもう嫌になるっていう話、しょっちゅう聞くんだよね。今日も一緒にお昼ご飯食べた人たちを午後の仕事に向けて励ますの、大変だったわー」
やれやれ、とため息を吐くリオにカズハも同情の目を向けた。
「……まぁ、それは大変だろうけど……そこは騎士隊の方々には頑張って貰わないとね……」
だって仕方ないものね、今となってはそのための騎士隊だし。
以前は戦って民を守るのが騎士隊だったけど、今は民の治安を守るのがほぼその役目のほとんどだ。
「えー! でもさ、もう少し楽をさせてあげたくなるよ? 折角戦わなくて良くなったんだからみんなだってもっと遊びたいじゃない?」
……いや、遊びたいじゃない? って……それはどういう発想だ? 仕事しようよ。自ら選んだ仕事だろうが。そこは気を引き締めて行こうよ。
内心突っ込みを入れたいところだったカズハは、それでもそれは言葉にせず、ぐっと堪えてみた。




