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仕事始めに嫌な予感

 


 まだ暗い夜明け前。

 カズハが家のドアに鍵をかけて一呼吸。

「さて、仕事始めだ!」

 小さく呟いて家を出る。

 なんだかんだで今日は初仕事だ。


 顔合わせの後の数日は近所を知るために動き回った。

 パン屋の奥さんは気さくないい人で、近くの食材屋さんをいくつか教えてくれた。

 やはり移住してきた人が多いこの辺は人懐っこい人が少ない。初見で仲良くなるのは難しいと言われ……いや、私たち初見でかなり仲良くない? なんて内心突っ込みつつパン屋の奥さんと一緒に幾つかの店を回った結果、行きつけにできそうな店を見つけ、それぞれの店主とも仲良くなった。


 そんなことを思い出しつつパン屋の前を通ると、まだ暗いとはいえしっかり仕事を始めている様子が窺える。

 店の外にまでいい匂いが漂っていてついふらっとカズハが店の方に近寄ってしまうと。

「あら、カズハちゃん。これから仕事?」

 窓から顔を出した奥さんの声がかかる。

「あ! おはようございます。はい、今日から仕事です!」

 カズハが笑顔で答えると。

「帰りは遅いんでしょ? 暗くなってからだったらうちの売れ残りのパン、安くなるわよ」

 ニヤッと笑って声を潜める奥さんに。

「あら、そんな時間まで売れ残るパンなんかありますかねー」

 なんて返してカズハの足取りが軽くなった。


 こんな時間帯にこんな風にやりとりができる人がいるなんてありがたい。

 初仕事で緊張していたカズハの気持ちがふっと軽くなった。



 打ち合わせに指定されていた時間は騎士達が寮を出て勤務に入った後ということだった。

 食堂がしっかり機能し始めるまではみんな外の大衆食堂で食事をすませることになっているのだとか。それでもやはり、早いうちに寮の食堂を機能させて経費を浮かせたいというのは組織としての本音だろうに、とカズハは思っていたものの……まぁ、個人的な意見だ。

 一応今日は朝のうちに今後の打ち合わせをして昼食から様子を見ながら食堂が動き始めるようにしようというのが隊長の意見だった。

 上司の意見には従うのが常識なので異議を唱える事はしないが、どうせ朝から集まるのなら少し時間を早めて今朝から調理場で働き始めてもいいのに。というのがカズハの本音ではあったが。


 とはいえ。それでも、カズハも。

 なんとなく、リオをはじめとした他の人たちの雰囲気。

 あれを見ると、いきなり気忙しく本気で働き始めるのは無理なのかもしれないな……とも思った。

 なにしろ、キャピキャピと賑やかだった。会話の内容はいわゆる女子トーク。ここの騎士でかっこいいのは誰かとか、よその町の騎士隊にはどんな人がいるのかとか。


 それでも言われていた時間よりかなり早めに到着したカズハは食堂のドアを開けようとしてふと、緊張する。

 あれ。

 中から話し声がする。

 これって……。


 そーっとドアを開けると中にいた女の子達の視線が一斉にこちらに集まった。

 ……うそ。打合せ、始まってるじゃない……。



「えー、では皆さん、仕事を始めてください」

 そんな声と共に隊長が手にしていた書類らしきものをテーブルの隅でトントンと揃え直して席を立ち、退室した。


「……カズハ、遅かったねー。寝坊したの?」

 調理場に入りながらリオがカズハに声をかける。

 集まっていたみんなもそれぞれ持ち場に就くべくいそいそと食堂を出て行った。

「え……いや、だって……え? こんなに早く打ち合わせすることになってた? 今日って朝食は作らないんだよね?」

 カズハは何がなんだかわからない、といった顔で目を丸くしている。

 意外にみんな仕事熱心ですっごく前もって集まっちゃったってこと? いや、この場合「意外に」は失礼か……。

 なんて思っていると。

「あー! そっか! 知らなかったんだね。今日の打ち合わせの時間、前倒しに変更になったんだよ。こないだの顔合わせの後みんな意気投合してあちこちでお茶したりしたじゃない? 結局外で会うくらいならここで職場の下見をしようってなってそれぞれ誰かと一緒に各自の持ち場も確認したからさ、隊長が『じゃあ、もう仕事始めちゃいましょう』って言ってくれて。……あれ? カズハって誰と一緒に下見に来た?」

「……いや、来てないけど……」

 うわー、なんかめんどくさい事になってる……。

 カズハの表情が凍りついた。



「えーそうだったんだー」

 なんて言うリオは特に悪びれる風でもなく作業に入る。

 今朝は仕事始めの朝食という事で軽いものでいいから取り敢えず人数分出せばいい、という事らしい。

 まぁ、仕事が始ってしまえばやることなんて単純だ。貯蔵庫に定期的に補充される食料品を使って人数分の食事を作って、後片付けをするだけ。

 で、それがなるべく安価にできるようにやりくりできればなお良い。といったところ。

 メニューもまだ決まっていないというのでカズハはスープを担当する。

 昨日の仕込みがないから今朝はパンはない。リオがパンケーキを焼くのが好きだというのでそちらを任せる事にした。

「まぁ、気にすることないよ。なんなら私が必要な連絡事項は教えてあげるしさ!」

 なんて明るく言うリオに「ありがとう」とお礼を言いながら野菜をどんどん刻んでいると。

「わー、手際いいねー」

 リオがこちらを覗き込んでくる。

「え。そう?」

 いやね、いいんですけどね……急がないと。

 三十人分ですよ。しかも働き盛りの男たち。

 いくらできる範囲でいいと言われていても限られた時間の中で作るとなると手際、大事だと思うんだけど。

 そう思いながら大鍋の中をくるりとかき混ぜてリオの手元にちらりと目をやる。

「っと! リオ! 焦げてる!」

「え? わぁ!」

 大きめの天板の上で焼いていた数枚のパンケーキから煙が立っている。

 ああ熱が落ち着く前に生地を落としたな。周りだけ黒く焦げてしまっている。

 そんな失敗作は、惜しげもなくごみ箱にぽいぽいと捨てられていき。

「……私、この匂い好きなのよねー。なんかパンケーキって幸せな匂いだよね!」

 立ち直り早いなってくらい、うっとりしながら目を細めるリオにカズハが困ったような笑顔を向けた。


 結局パンケーキを大量生産し始めたリオはそこから離れることはできなくなっているので、カズハはスープを煮込んでいる間に肉の腸詰を茹で上げていき、茹でたじゃが芋と茹で卵を潰して味付けした物を大量生産する。

 簡単な朝食ということでいいなら量さえあれば品数はこんなもんでもいいのかもしれない。



「いやー疲れたねー」

 その勢いで昼食も作って提供を終えた午後、リオがそう言うと食堂の椅子に座り込んだ。

「そうね。でもまだ初日だからね、ペースが掴めるまではしばらく頑張らないとね」

 なんて笑いながらカズハは人がいなくなった食堂のテーブルを片っ端から拭き上げていく。


 料理の評判は上々だった。

 朝食はもちろん、昼食も、量や品数もちょうど良かったらしくカズハもリオも胸を撫で下ろした。

 リオも昼食を作るあたりでは手際が良くなって一人で一品にかかりっきりなんてこともなくなったのでカズハも一安心だ。

 ぐったりしているリオを尻目にカズハは貯蔵庫を見に行く。

 打合せには出なかったが、一日でどのくらい食材を消費するのかなんていう情報は報告しなければいけない可能性がある。

 戻ってきたカズハはリオに「真面目ねー」なんて声をかけられて一応説明すると。

「ああ、それね。最初のうちはそんなの適当で良いみたいだったよ。慣れてきたら報告するんだってー。だから今のところは食材、使いたい放題だよ」

 と、言われて軽くギョッとする。

 ……経費削減、大丈夫なんだろうか……。



 夕食は量もボリュームも増すので調理場は忙しくなる。

 とはいえ前もって準備もできるわけだし、二人で回しても不可能な仕事量ではない。

 カズハはこういう何も考えないで目先のことに集中しながらいかに効率よく作業するか、という仕事は嫌いではなかった。

 だんだん効率よく動けるようになってくる。

 一つの作業が八割がた片付いてきた頃には次の作業の段取りを考えて、次の作業に移る頃には全体の作業工程を再確認して時間をかけるべきところと急ぐべきところを調整する。

 こういう作業は少人数の方がやりやすい。


 夕食を食べに食堂に入ってくる騎士が増えてくると、リオは食堂の方での給仕に徹し始めるので追加要請や洗い物の同時進行をカズハが受け持つのだが、作業のペースが少し緩やかになってくるのでそれもさほど大変ではなかった。


「わー、すごい。こんなに片付いたの?」

 騎士たちが引き揚げていき、食堂での給仕を終えて戻ってきたリオが洗い場に残っている洗い物を見て声を上げた。

「ああ、合間合間に片付けておいたから」

 額に浮かんだ汗を拭きながらカズハがにっこりと笑う。

 そんな様子を見て「じゃあこれは私が洗うね」なんて言いながら洗い物を始めるリオは頼りになる。同じ仕事を一緒にしているとお互いの間にちょっとした信頼関係もできるようだ。


 リオが洗い物をしているのを横目にカズハは調理台の方を片付けて明朝のパンの仕込みを始める。

 そんなカズハにリオがちょこちょこ視線を送ってきて。

「カズハも給仕したいでしょ? 明日は変わろうか?」

「え?」

 カズハが目を上げると、リオが意味ありげに笑っている。

「だって騎士とお喋りできるチャンスだよ。仲良くなったら好きな人もできるかもしれないしね!」

「え……いや、私、そういうのは興味ないから……」

 慌ててカズハが首を振る。

「えー、そうなの? じゃなんでここで働く事にしたのよー?」

 悪びれることのないリオの言葉に。

「え……なんでって……普通に食べていくための仕事だけど……」

 もはや聞こえるか聞こえないか程度の声になってしまっているのは自覚済み。


 ……そうか、騎士と仲良くなりたいという動機で女の子たちはここでの仕事を選択しているのね……知らなかった……。

 そういえばなんだかんだで、今朝見かけたみんなは可愛らしい出立だった。

 リオはもともと綺麗な髪をしていたが今日は特に艶々。他の子たちもこれから雑用をするという割にはちょっとお化粧が入っていたり、髪のまとめ方もちょっと手がこんでいたり。最初に会った人の中であまり変わらなかったのはナリアくらいだったんじゃないだろうか。既婚者のミカリアさえ、ゆるく編み込んだ髪はちょっと可愛かった。……ああ、いや、あれは元々オシャレな人ってことなのかもしれないか。

 なんだかこういう発言を聞くと全てが疑わしくなるっていうのは良くないよね。


 なんて思いながら口元が引きつるカズハに。

「えー、そうなの? いいの? あっ、そうだ。今日仕事終わったらミカリアのところでお茶する予定なんだけど、カズハも来る?」

「え? ……は? 仕事、終わってから? 今日、これから?」

 仕事が終わるのはこの仕込みが終わって、ここが全部片付いてからだ。

 明るく提案してくるリオの言葉を思わず疑ってしまう。

「そう、これから! 多分他にも何人かくるんじゃないかな。ナリアとかは旦那さんいるから帰るだろうけど」

「いや……私は……」

 もう断るテンションで言い澱みながらカズハはさらに苦笑。

 そうか、みんなご近所さんみたいだったもんね。仕事上がりにここで少しゆっくりして、そのあと帰って……というのでも時間的にはゆとりがあるということか。

 私の場合、ここから家まで歩いて帰るのにかかる時間と、明日もしっかり早朝、というか厳密にはまだ夜のうちに家を出ることを考えるとなるべく早く帰ってしっかり休まなくてはいけないわけで。

 言葉を濁したところで相変わらず悪びれることなく笑顔を向けてくるリオにカズハもここはちゃんと言わないと分かってもらえないのかもしれない、と思い直す。

「えーと、あのね。明日も早いし、私、家が遠いから終わったら急いで帰ろうかと思うのよね」

「あー……そう、なの? じゃ、仕方ないかぁ……」


 ……あれ。

 なんだか、いろんなことが確定していく瞬間だったかもしれないな。

 今日、いろんなことが確定していったよね。


 ……少なくとも私、ここで、もう、孤立が確定したんじゃない?




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