聖獣と主人
「……た、ただいまー」
疲れ切ってドアを開けるカズハにヒシバが顔を上げた。
「おう、おかえり……おい、大丈夫か?」
ぐったりとしているカズハを見るなり駆け寄ってきたヒシバがカズハの顔を覗き込む、ので。
「あ、うん……大丈夫。ちょっと……疲れただけ……気持ち的に」
えへへ、と力なく笑うと訝しげな顔をしたヒシバがテーブルへと促してくれるのでそのまま椅子に直行。
なんだか、かなり疲れた。
午後の休憩の間、デビッドとナーシルと話し込んでいるところにいつもよりちょっと早めにリオとユリカが帰ってきた。
で、ユリカはおそらく自分がいない間にカズハが食堂で賄いを提供していることを知らなかったようなのだ。
そのせいか食堂に入ってきた瞬間、それまで楽しそうにリオと話していた空気が一変して固くなった。それは「なんでこんなところで楽しそうなことしてるの?」というあからさまな空気だったがリオが「カズハは残り物を騎士たちに出しているんだよ」なんてそっと耳打ちしながら意味深な視線を向けてユリカの気を沈めて。
デビッドとナーシルがカズハの体調を気遣う言葉にも反応したユリカは夕方仕事が終わった後、帰宅しようとするカズハを呼び止めて「一緒に帰ってあげる」と言い出したのだ。
そもそも帰る方向が違うと説明すると「だって、カズハさんみたいな人を一人で帰らせたらみんなが心配しちゃうじゃない! デビッドとかナーシルが送って行くとか言い出したらお仕事の邪魔をさせちゃうし!」と妙な力説をされた。
いや、そんなこと言われたことないから大丈夫なんだけど。と思ったがあまりにも興奮しきったように捲し立てられて断りきれず、本当に途中まで彼女はついてきたのだ。
そして道中、彼女は自分たちの昼食がいかに美味しく楽しかったかを喋り続け、挙げ句の果てには「カズハさんもあんな事してないで私たちと一緒に食事に来るべきよ!」と興奮したまま力説された。
いや、そんなお金ないし……そしてそれを経費で落とすのはよろしくないですし……なんていう反論は口にする気力もなく結局公園の手前まで彼女のお喋りに付き合いながら帰ってきた。
で、意気揚々と引き返して行く彼女を見送って、公園で一旦休憩してから家まで帰ってきたのだが。
なんだか久しぶりに、ものっすごい興奮した女の子のお喋りに付き合ったら……酷く消耗した……。しかもこちらは元々疲れていて相手に合わせるのがちょっと辛い状態で……となるとついて行くだけで精一杯。
と、脱力しきったところで家のドアを開けることとなり、その顔色を見たヒシバが心配したという事のようだ。
「……うわ、すごいわね」
テーブルについてカズハがまず目を見張る。
テーブルにはすでに食事が並び始めていた。
「ああ、暇だったから作ってみた」
照れ臭そうに笑うヒシバが、手にしている皿をテーブルの真ん中に置く。
テーブルに揃ったメニューは何気に野菜中心だ。
蒸したジャガイモとタマネギには温かそうなソースがかかっている。どうやらチーズが入ったソースのようでいい匂い。
フレッシュなトマトと葉物野菜のサラダには乾燥ハーブと塩を混ぜたものが振りかけられ、レモン果汁とオリーブ油がかかっている。
さらにヒシバが最後に持ってきた皿に乗っているのはフライだ。
早速ひとつ取って食べたカズハは目を見開く。
「……うわ! これ、美味しい。え、魚?」
白身魚のフライだ。
「え……ヒシバって魚、捌けるの? っていうか買ってきたの? ……ちゃんと選べるの?」
この町は近くで魚がとれるわけではないので売っている場所が限られる。しかもそうなると高くつくし、目が利かない人が買うと失敗する。
「オレ、猫だからさ」
なんでもないことのようにそう言うとヒシバも一つとって口に運ぶ。「うん、美味い」なんて呟いて。
え……猫だから?
カズハが黒猫が店先から魚をくわえて猛ダッシュする姿を思い浮かべてしまいながら冷や汗をかいていると。
「……安く買ってきた……んだけど……」
ヒシバが眉をしかめている。
ああそうか、魚を見る目はあるって事か、なんてカズハは一瞬納得しかけて。
「お金って……」
高い、よね。こんなに美味しい魚。
カズハがそろりと視線を向けると。
「財布、カズハのを持って行ったけど」
「なんですと!……い、いやそりゃそうよね……お金持ってないもんね。うちに食材もそう無かったし……あれ、そんなに使ってない?」
差し出された財布をそっと覗いたカズハは中身がそう減っていないことに驚いて目の前のヒシバに目を向けると。
「あー、やっぱこの見た目は有効活用しねーと」
と、ヒシバが若干気まずそうに目を逸らせた。
……有効活用……ということは。
「……若いおねーさんのいる店に行ったの?」
「あ……いや、どっちかってゆーと、おばちゃんキラーだぜオレ?」
そう言いながらも視線が頼りなく泳いでいる。
「おねーさんのいる店に行ったんだな……」
まぁ、この見た目だ。こんな感じで店にふらっときて、いい食材を見る目もあったら商売してる人からしたら嬉しくて仕方ないだろう。そりゃ、安くしてもらえるよね。
なんて思うと、つい笑みが漏れる。
「……怒らないんだな」
「……は?」
不意にヒシバがこちらに視線を送ってくるのでカズハが食事の手を止めた。
「いやさ、オレが他のやつの前で人化すんの嫌だったんだろ?」
「え……あ、あー……」
そういえば……そんなようなことをぽろっと言ったような言わなかったような、気も……するな……。
「いやいやいや! そういう意味じゃないからね! 別に良いのよ。ヒシバの自由にしてくれて。アレは私の気が弱ってたからついそんなような事を言っちゃっただけで……別にヒシバを縛りつけようとかそんなんじゃないんだから!」
なんだかこのままいくと物凄い束縛する女みたいな気がしてきて、慌てたカズハが訂正した。
「あー……いや、あのさ。カズハがそうしたければ別にそれでもいいんだけど」
「……はいっ?」
なんだか不穏な言葉が出たけど!
そう思って顔をあげると目の前のヒシバは妙な色気をまとった視線をこちらに送ってきていてカズハが思わず赤面しつつ声を上げてしまった。
「言っただろ、オレ聖獣だって。聖獣って元々ただの使役動物だからな。主人の意思に沿わないことは一切しないし、こうしろって言われたことには従うもんだ」
「え、いや、何を言い出すの! 使役動物って……いや、それはそうなのかもしれないけど、私は別に竜族じゃないし、そんな風に思ってないわよ?」
そして、そういう趣味は、ない! 断じてない!
ああ、でも。
そういえば前に買った本。
読んでいて気になったのは聖獣の立場。本当に使役動物としての扱われ方ばかり記載されていた。
でもそれは、カズハの考える聖獣とは違う。
カズハなりのイメージでは心を通わせられる動物、そして友としての絆。決して便利な奴隷とかじゃない。
「ああ、知ってる。カズハは使役動物って思ってないよな。なんか……そういうところが居心地いいんだ。前の奴もそうだった。オレの事、友人だって言ってくれたしな。なんかそういう気持ちって伝わるから……オレもそういう奴に惚れ込んで……絆を持っちまうんだと思う。でも一度絆を持つことを許したらそのあとは裏切ったりしないからなんでも言って良いんだぞ?」
ゆったりと、テーブルに肘をついて頬杖をつきながら諭すような口調で話されて、カズハがつい聞き入ってしまう。
ああ、そういう事か。と。
読んでいた本の中に、聖獣と乗り手の間に契約がある、というようなことが書いてあった。
でも「これ本当?」と聞いた時にヒシバは「そういう契約はない」と言ったのだ。おそらく、契約というようなものではない。でも、それに近い感覚。一度、主人と認めた者に対して持つ彼らの忠誠心はまるで契約のようなものなのだろう。主人の方から捨てられるのでもなければ絶対に裏切ることがない。
だから彼らが乗り手を選ぶこと自体が稀なのだ。
そんな対象に選ばれたということの稀少さを思うとなんだか怖くもなる。
「……うん。ありがと。でもね、本当にヒシバは好きにしてていいのよ? 私に言われたことが嫌な時も嫌って言ってくれていいんだからね。それに……お買い物はとっても助かるし!」
買い物だって金銭感覚がしっかりしているようで無駄遣いとか欲しいものを手当たり次第買っているわけではないようだった。
まずそこには安心したのだ。
そして。
神妙な面持ちで聞き入ってしまいながらも、カズハは極力笑顔を心がけながら答えていた。
だって、折角そんな貴重な対象に選んでもらって、折角巡り逢えたのに、その繋がりを自分に都合よく利用しようなんて絶対しちゃいけないことだと思うから。自分の好きなように相手を使うなんてことは、絶対してはいけない事だ。
頬杖をつきながらこちらを眺める金色の瞳はうっとりと細められている。
まるで心地良い音楽を聴いているかのような表情だ、とカズハは思った。
そんな事を思った直後、その金色の目が不意に悪戯っぽく光った。
「ふーん……魚屋のおねーさんに笑顔振りまいてもいいのか?」
「う……それは……」
「それは?」
「……だって、お買い物で必要な取引上の技術みたいなもんでしょう?」
ええ、あなたの行動をとやかく言うつもりはありませんよ。という意思を貫こうとカズハが口元を歪めながらそう言うと。
ヒシバが一瞬目を見開いて「ぷっ」と吹き出した。
「なんでそこで笑うのよ!」
突っ込んだところで、ヒシバの笑いはおさまるどころか喉の奥でくっくっと続くのでなんとなく居心地が悪くなったカズハがおもむろに席を立つ。
……なんか追加メニューでも作ろうかな。
そんなカズハを眺めながらヒシバは。
「……我が主人はけっこう手強いな」
と小さく呟いて……再びうっとりと目を細めた。




