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現状維持とは。

 


「体、もう大丈夫なのか?」

 帰宅するなり台所に立つカズハにヒシバが声をかける。

 もうここ数日、カズハがいる間は人化したままだ。


 カズハはそんなにずっと人でいると力が枯渇するのではないかと心配になったが、どうやらそういうことはないらしい。という説明を受けて安心したのだが。


「うん。お陰さまで。ヒシバが徹底的に看病してくれたからね、もう元気よ?」

 そして、わざとなのかどうなのかだだ漏れの色気を振りまいて気怠げに視線を送ってくるヒシバにもちょっと免疫がついた。

「ふーん……で、何作ってんだ?」

 作業しているカズハの肩に顎を乗せるくらいの距離で手元を覗き込んでくるヒシバに。

「んー。クレープ……」

 ええ、慣れましたとも。慣れましたけどね……それをいいことに耳元でいい感じの低音で囁くのは反則だと思うんですけど!

 カズハがそう思いつつも反応しないようにと気をつけながら答えると。

「クレープ……ってなんだ?」

 なんてさらに食い下がってくる。ので。

「えーと……薄く焼いたパンケーキみたいなものよ。これ、オレンジのジャムをソースにしてかけて食べたら美味しいと思うの。……ああ、夕飯はこないだのグラタンもう一回作ったわよ?」

 そう言いながら至近距離のヒシバを振り切ってフライパンに生地を流し入れる。

 途端にヒシバが嬉しそうな空気を纏った。


 先日、具合の悪い中で作ったグラタンはそのあとヒシバが食べたのだがなにしろカズハはまだ固形物が食べられない身だったせいで一緒には食べられなかった。

 ヒシバはとても気に入ったらしいのだが一緒に食べられないということでとても残念そうにしていたので「元気になったらまた作るから一緒に食べよう」と言っていたのだ。


 グラタンは案外簡単なのですぐにできる。オーブンを温めている間に野菜を茹でて、茹でている間に小麦粉とミルクのソースを作る。で、それを合わせてチーズをかけたらオーブンに入れて……焼き色がついたら出来上がりだ。

 ミルクと小麦粉ではなくてトマトのソースでもいいな、なんて思いながらも今日はこないだのリベンジなので同じものを。


 で、クレープはデザート。

 ゆるく作った生地はフライパンで薄く焼く。チリチリとレースのような焼き目がこんがりついたところで裏面も焼いて四つ折りにして、皿に移していく。

 数枚づつ重ねていって冷ましてから、最後にゆるめたジャムをかけるつもり。仕上げは食後でいいかな、と。



「……で、仕事は大丈夫だったのか?」

 食事を始めながらもヒシバの関心はカズハの体調に向いたままのようだ。

「うん。大丈夫。……なんかね、メンバーが増えたんだけど、その子が手の空いてる騎士を調理場に引っ張り込んでくれてて。手伝いが増えたから仕事も楽になってた」

 心配そうなヒシバを安心させるべく昼間にあったあれこれを報告してみる。

 荒んだ心については……伏せておくことにして。

「そっか。……で?」

 グラタンにフォークを差し入れながらカズハの方に疑わしそうな視線が向けられる。

「……え?」

 カズハがそんなヒシバにきょとんとした目を向けると。

「それだけじゃないだろ? 帰ってきた時、泣きそうな顔してたぞ」

「……あ……」

 ため息まじりに言われてカズハが言葉に詰まった。

 ……いや、鋭すぎるから。

 確かに……家にたどり着くまでの間、かなり疲弊していた。けど。

 視線を逸らすことなくじっと見据えられているのでついにカズハが観念して口を開く。

「えっと……うん……久しぶりで疲れただけよ。料理してたら気が紛れたわ。もう大丈夫!」

 と笑ってみる。

「へぇ……料理だけか?」

 にやりと笑うヒシバの笑みはどことなく意地悪で。

「あー……はい。ヒシバがいてくれるからかなり気が楽、デス」

 と、白状してしまう。

 料理をして気が紛れる、は、結局後付けなのだ。ヒシバがいてくれて、作ったものを美味しいと言って食べてくれるから料理が楽しいのだ。

「よく出来ました」

 そう言うとヒシバが満足そうに笑って食事を再開する。

 やっぱりグラタンは好物らしい。

 そして深く話すのは避けようと思うカズハの気持ちも汲んでくれたといったところのようだ。


 食後のデザートも好評だった。

「へぇ、これ美味いな……」

 目を輝かせたヒシバは幸せそうに目を細めて口元に笑みを浮かべてくれる。

 このデザートにはストレートの紅茶が合うだろうとカズハは思うのだが、ヒシバはやっぱり蜂蜜入りのミルクティーだ。

 ……本当に甘いものが好きなんだな。

 とカズハはこっそり目を丸くした。



 カズハはふと気がつくと、ヒシバがいてくれること自体が心のバランスを保つのにかなり役に立っていることを実感させられていた。

 周りが変わるということはなくても自分の心を維持していくことが出来ているんじゃないか、と思えてきている。


 そもそも、悪意のないちょっとした言葉は気にし始めるとキリがない。

 そう、悪意はないのだ。きっと。

 だからそんなことにいちいち突っかかるのもどうかと思う。

 それで、帰宅して癒されるまでは! と我慢するのだが、仕事がひと段落する昼過ぎにはやはり心身共にぐったりしてしまう。

 食堂は昼食の提供も始まったとはいえ、その後やはりリオはユリカも連れてみんなで外に食べにいく。

 なのでカズハはその間、ちょっとした賄いを作って合間に訪れる騎士たちに軽食を提供したり自分の休憩に時間を当てたりしている。


「あ、今日はあるんですね軽食」

 昼過ぎに食堂を覗き込んだナーシルが声をかけてきた。後ろにいるのはデビッドだ。

「はい、少しですがありますよー」

 最近カズハが休んでいたせいでこの時間帯の軽食提供はなかった。なので立ち寄る騎士もほとんどいなくなっていたのだ。

 さらにはユリカが入ってきて昼食も提供されるようになり、そのちょっと前からカズハがあまりに沢山残る食材がもったいないからと使う量を控えた結果、大量に消費しなければいけない残り物は減ったのだ。

 なので今日は朝と昼の残りのパンで作った揚げパンと、サンドイッチ。朝食で使いきれなくて残った果物を混ぜ込んだカップケーキ。果物は刻んで砂糖と一緒にざっと煮て水分を飛ばせば扱いやすいし時間もかからずに出来る。


「いや、少しじゃないって! これ全部カズハが作ってるんでしょ?」

 デビッドが目を丸くした。

「まぁね、でも最近ここにくる人も減ったから前みたいに大量生産してないのよ」

 そういえば、ユリウスは見かけなくなった。

 前は毎回来ていたような気がするんだけどな……いや別にこの際来なくてもいいんだけど。

 なんて思いながらカズハがお茶を淹れると。

「いただきます。僕の時間帯ってどう頑張っても昼食の提供には間に合わないのでこれ、本当に助かるんです。しかも甘いものもあるし」

 と言いながらナーシルがまずはサンドイッチに手を出した。

「そうだよな、本来はこういうところで騎士隊の運営費削減していけるはずなのになかなかうちの隊長こういうことにまで気が回らないからなー」

 なんて言いながらデビッドはカップケーキを手に取った。

 カズハはそんな話を聞くとつい「ああ、やっぱり」と、思うのだがそんなところに口を出せる立場ではないのもわかるので頷く程度の反応に留めた。

 と、カップケーキをひと口食べたデビッドが。

「……やっぱりさ、カズハってこういうの見ててわかっちゃったりする?」

 なんて意味ありげな笑みを向けてくるので。

「……んー、まぁ、ね。なんていうか……以前の騎士隊と比べたらやってることがママゴトみたいに見える、かな。あとアレよね、視察の時なんて上官の機嫌取るのが優先なんじゃないの?」

 ついぽろっと言ってしまってから「おっと、しまった」と舌を出す。

 でも意外にデビッドが深く頷いた。

「まさにそんな感じだね。もう、今更仕方ないんだけどさ。……一回そういう空気を作っちゃうと改めるのって難しくて」

 はあああ、とデビッドが深いため息を吐くと隣でナーシルが力なく笑う。アッシュグレーの髪がさらりと揺れて灰色に近い青い瞳が細められるのはなかなか綺麗で、こんな表情も様になっている。

 そんなナーシルの笑みにつられるようにデビッドも眉を下げて、はははと乾いた笑いを漏らし。

「ああほら、町の西側に酒場があるじゃない? あの通りなんて治安が悪いから警備の仕事なんて結構ハードなんだけど。だからといって特別部隊にするわけじゃないんだよね、他の所とおんなじ。だから騎士の負担が大きくなるんだけど……ああいう所ってさっさと引き上げてきてもお咎めなしだもんな」

「はい?」

 思わずカズハが勢いよく聞き返した。

 さっさと引き上げる……って何?

 と、その話を受けてナーシルがくすりと笑った。

「……あれね……この町の騎士隊ならではですよ。天気が悪いなんていう理由でも引き上げてきちゃいますからね……」

「ええええ!」

 カズハが思いっきり目を見開いて聞き返すと。

「……そういう騎士隊です」

 とナーシル。


 え?

 いいの?

 そんないかにも「仕事やる気ありません」ていう意思表示全開みたいな人たちに、この町の安全預けちゃってるんだよね。

 ……なんか……色々脱力する。

 今って……本当に平和なのね……。






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