掃除のお礼
カズハが帰宅すると家の中がすっきりしている。
もう、それだけでテンションが上がる。気になっていた部屋の隅の埃がない。テーブルや椅子もきちんと拭いてあるようでぴかぴか。真新しいものではなくても手入れがきちんとされていれば綺麗で気持ちいいものだ。
こうなると、夕食を作るのもとっても楽しくなる。
……ふと気づくと、台所もきれいになってるし!
そんなわけでできた食事は肉と一緒にタマネギとジャガイモとニンジンを煮込んだスープ。味のアクセントはセロリ。ここまで来るとヒシバの苦手なものを見つけてやろうという変な意識に火がついている。……とはいっても結局これも「美味い」って言うんだろうな、と予想は出来ているのだが。
パンは発酵させたりする時間を取るのが面倒なので、もうすっかり仕事の帰りに安くなったパンを買ってくることが定着している。残ったものなのでこちらで選ぶまでもなくその日によって種類も変わる。
毎月の給金が入ったらまず家賃を払うので残りでやっていこうとすると少しずつでも節約が必要なのだが、いろいろ工夫すると結局生活は楽しめてしまっているのでカズハはこのやり方が気に入っている。
「うん、美味い。セロリってこうやって食べると食感が変わるんだな」
案の定、セロリの入ったスープを口にしてヒシバが絶賛するのでカズハは「だよねー」とこっそり笑ってしまった。
で。
「え、なに、ヒシバってセロリ生でも食べるの?」
「え、ああ。食ってたよ。あれ歯応えがすげー好き」
わー。こりゃ苦手なものなんかないだろうな。
にっこり笑うヒシバにカズハは心の中で白旗をあげた。
「で、そのあと大丈夫だったのか?」
「へ? 大丈夫って?」
「だってアイゼンの総司令官と模擬試合やって褒められたんだろ? 騎士でもないのに。隊長とかさ、周りの騎士に変な目で見られなかったか?」
「ああ、それ……」
日中の出来事を帰宅してヒシバに話すのはもう習慣と化している。
で、帰ってくるなりそんな話をしたもんで……食事を始めたところでその後のことを気にしてくれた、ということらしい。
確かに、そのあとちょっとあったといえば、あった。
着替えるために食堂に戻った女子たちの視線の質が変わったのはもう気にしない事にしたからいいとして。
午後、賄いで作る軽食を食べにくる騎士たちがカズハのことを絶賛した。
「こんなところに置いておくのはもったい無い」とか「今までよくこんなところで大人しくしてたもんだ」とか言われて悪い気はしなかったのだが、それでも結局今の騎士隊にそういう剣の腕が必要かと言われればそれも疑問。
そんなことを遠まわしに言ったところで。
「あー、まぁね。なんかさ、隊長の反応も微妙だったよなー」
「ああ、あれ。寮の世話係が騎士並みに腕があるなんてことになったら待遇変えなきゃいけなくなるからってことらしいけど」
なんで言い出す騎士がいて。
「あ、いいんです。私、今の待遇で十分なんで。それに騎士の仕事には未練ないですから」
なんてカズハは慌てて手を振りながら答えた。
そんなカズハに、デビッドが「凄いなカズハの潔さ。その仕事しながらでも空き時間に騎士たちの剣の相手するとか言えばもっと給金上がると思うけど」なんて言うのだが「そこまでしてお金が欲しいわけじゃないから」と答えるとその場ではこっそり目を丸くされた。
で、他の騎士たちが次の仕事に向かったあと「あのさ」と、改まったように。
「それだけ腕があると、ここの騎士とか見てて嫌にならない?」
と聞かれた。
一瞬答えに戸惑ったが、どうやらデビッドは次の仕事まで時間を持て余しているようで雑談に興じる気満々のようだったので、あまり重い雰囲気にならないように、思っていることを話してみたのだ。
つまり。
なんとなく、騎士隊に対して持っていたイメージがここに来てだいぶ崩れた、ということ。騎士隊の組織だってもう少しきちんと立て直せばいいのに表面だけ取り繕ったように見えて、こんなんで良いのかな、と思えてしまうこと。
そんな話をするとデビッドがふと改まって。
「本当にそうだよね。やっぱり分かる人には分かるんだよねー。僕もさ、本当はもっと色々隊長に意見して、正しい認識で働く者が正しく評価される組織にしたいところなんだけど今はそこまで手が回らず申し訳ないと思ってるんだ」
と頭を下げた。
「もうね、びっくりしたのよ。騎士がこんな寮の世話係なんかに頭下げるなんて。そもそも私が騎士だったとしても女騎士よ。女騎士に頭下げる人なんか騎士隊にはまずいないもんなんだから!」
一通り話したカズハが目の前のヒシバに力説する、と。
「ふーん」
思ったより淡白な返事をしながらヒシバはパンをスープに浸している。
ちょっとだけ表面が硬くなったパンはスープを吸い上げて重さが変わると指先から落ちそうになって美味しそう。
「ま、カズハがそれだけ良いこと言ったってことなんだろ?」
どういうわけかほぼ棒読みな返事。
「いや、でもね。デビッドって本当にすごいのよ。あの人、時々見かけるけど毎回走り回ってるの。あれ、隊の中でいきなり調整しなきゃいけないことができた時に、対応に走って実際に調整してるの全部あの人なのよ。あれだけいいように使われてて文句言うどころか私みたいな者に頭下げるって、ありえないわよ」
「へーえ。立派なやつなんだな」
やっぱり棒読みなヒシバ。
さすがに二回続くとカズハも「おや?」と思って。
「え? なんで? なんか変なこと言った? 私」
と、食事の手を止めた。
「べっつにー。珍しいな、と思って。カズハの口から男の名前連呼されるの聞くなんてさ。いつの間にユリウスから乗り換えたんだ?」
「は?」
今なんて言った?
私、乗り換えるもなにも、ユリウスに乗った覚えすら無いけど。
ほんの少しの沈黙のあと、カズハの「意味がわからない」という視線が注がれてヒシバが我に返ったようにはっと目を上げた。
で、決まり悪そうに視線を逸らす。
ので。
「ヒシバ……もしかして……」
「……っ! なんでもねーよ! ……あれだ、えーと、ほら! 久しぶりに家中掃除なんて肉体労働したから疲れてるだけだ」
カズハの言葉をヒシバが遮るように捲し立てる。
そうよね……たくさんやってもらってるもんね。
うん。疲れてるのかなって思ったのよ。聖獣だから体力は人の比じゃないだろうくらいには思ったけど……やっぱりそうよね。
それに、私、ちゃんとお礼言ってないから拗ねちゃってるのかなって思ったのよね。帰宅してすぐ掃除してくれたのに気付いて「わー、ありがとう!」みたいな軽い感じでは言ったけど。でも。
「うん。ごめんね。私、こんなにお掃除してもらってるのにちゃんとお礼も言ってなかったよね。本当にありがとう。台所もすっごいきれいになっててとっても使いやすかったの」
カズハはそう言ってにっこり笑う、と。
「あー……うん……」
なんてヒシバも決まり悪そうに言葉を返してきた。
なので、そのまま席を立って台所に。
「え……あれ? カズハ?」
いきなり席を立ったカズハの動きを目で追いながらヒシバが若干慌てたような声を出した。まさか席を立たれるとは思わなかったのだろう。
で、そう間も空けずに戻ってきたカズハはヒシバの前に小さめの皿を置く。
「はい、どうぞ」
「え……あ、これ……」
目を見張ったヒシバの前にあるのは四角く切り分けられたケーキだ。
「こないだのオレンジのジャムを入れて作ったケーキよ。昨夜焼いておいたの。今日のお礼って事で」
カズハがくすりと笑って座っているヒシバを見下ろす。
戸棚にしまっておいたから、家中を掃除してくれたヒシバはこのケーキがあることにはもう気付いていたかもしれないけど。甘さの加減が上手くいくか分からなくて昨日の夜、ヒシバが猫になって眠ってる間に作ってはみたが「こんなの作ったよ」とは話していなかった。さっきちょっと味見したら結構美味しかったので今日の食後には出そう! と思ったのだ。
「ふ……ふーん……」
おどおどしたように視線を彷徨わせてからヒシバがそろりと手を出してケーキを取り、ひと口かじった。
「どう?」
「……美味……い……」
味の感想がその口から出るのを隣に立ったまま見守っているカズハにヒシバはポツリと感想を漏らす。
で。カズハは。
なんだかその顔が。
可愛い……!
もう、どうしようもなく可愛いけど!
もう内心、悶えてしまう。
ついさっきまで拗ねていたくせに、ケーキが目の前に出てきて一瞬目がきらっと輝いた。で、多分今の流れで素直に喜べないと思ったのかちょっとの戸惑いがあってから躊躇いがちに出た手がそっとケーキを取って出た言葉。
素直に感想を言ってくれる時の笑顔も好きだけど、こういうちょっとふてくされた感じの顔で言われるのもなんだかぞくっとする!
なので。
ちゅ。
「……っ!」
思わずかがみ込んでヒシバのちょっと赤くなっていた頰にキスをしてしまった。
で、思いもよらない出来事にヒシバが息を飲んで固まり……見る見る赤くなっていく。
わー、面白い。
なんてカズハがニヤッと笑って。
「ね。次の休みは一緒にどこか出かけようか? こないだ結局どこにも行けなかったもんね! 私、ヒシバと手を繋いであちこち歩くのってちょっと憧れなんだけど!」
と提案してみる。週に一度の休みはもう二日後だ。
「え……っ! 手、繋いでっ?」
真っ赤な顔をしたヒシバがくるん! とこちらを勢いよく見上げると、息を詰まらせるように聞いてきた。
「そ! 可愛い弟連れてるみたいでなんか楽しそうなんだもん! あ、だから猫じゃダメよ!」
「な、な、な……に言ってんだ! え……お、弟っ?」
なんだか一人でパニクっているヒシバはものすごく可愛い。
食べてしまいたい!
なんて思ってしまう。