苺のケーキとユリウス
夕飯を食べながらその日の出来事をヒシバに話すのがカズハの日課になった。
ヒシバはほぼ愚痴にしかなっていないカズハの話でも気持ちよく聞いてくれる。カズハも話しているうちに自分の周りで起こることを怒るのではなく笑い飛ばせるようになってきて気が楽になっていることに気づく。
誰か、話を聞いてくれる人がいるというのはありがたいものだ。
こんな風に、ただ聞いてくれるというだけでもありがたいのだ。
ただ自分の中だけに閉じ込めていたら……ただ自分だけが悪者なんだと思うようになって、ただ自分を追い詰めて……周りは本当は前と変わらずに優しいのかもしれないのに……周りに目を向けられなくなって……逃げて、閉じこもってしまうことだって、ある。
こんな子供相手なのに……それでも彼がちゃんと聞いてくれて、過剰な反応もせずに笑ってくれるのは、きっと、彼が言う通り本当は大人だからなのかもしれないなぁ。
「なんだよ、変な目で見やがって。なんでいきなりニヤけるんだ?」
今日で二回目の苺のケーキを頬張りながらヒシバが胡乱な目を向けてくる。
四角い型で焼いて切り分けたケーキはつい何枚も食べてしまうので一つをちょっと厚めに切って四枚出している。もちろん二人分だ。
「……失礼ね。微笑ましいなと思って見てるだけじゃない。紅茶飲む?」
「うん、いる。ミルクのやつがいい」
「あーハイハイ」
テーブルに置いた途端一枚目を頬張ったけど、ミルクティーなんか作ってる間に全部食べちゃうんじゃないかな。
なんて思いながらカズハは台所に向かう。
ヒシバがミルクティーというときは紅茶にミルクを入れるんじゃなくてミルクで煮出した紅茶のことだ。ちなみに蜂蜜を入れたやつが好きらしい。
砂糖は少々高価なので普段使うのは蜂蜜のことが多い。
「で? 今日は無事に一日終わったのか? ケーキ美味いからまた愚痴くらい聞くぞ」
ミルクティーが出来上がって自分の分と一緒にカップに入れてテーブルに戻ると、意外にもヒシバは一枚目のケーキを半分まで食べたところで手元の取皿に置いている。
「あら、ありがとう。……ってあれ? なに、食べないの?」
食べかけのケーキに視線を送りながらカズハが椅子に座ると。
「いやまさか。これがくるの待ってたんだ」
そう言ったヒシバがカップを手に取る。
子供の座った目線から持ち上げられる大きめのカップはちょっと危なっかしいのだが……彼はある程度量がないと拗ねるのでここは仕方がない。
「あー……それに」
ふうん、そうなの? という視線を送りながら自分のカップを取り上げて口に運ぶカズハにヒシバがカップの中をマジマジと見ながら付け足すように口を開いた。
「先に食べたら味が半減する……」
……はい? なんで? 一晩置いてあるからすでに味は落ち着いてる筈ですが……?
と思いながら改めて向かい側のヒシバに目をやると何やら顔が赤い。
「……うん? それどういう意味かな?」
にやっと笑って返すカズハに。
「なんでもねーよ! ……なんか今日は機嫌いいな」
「え……そう?」
いきなりの振りにカズハの方が面食らった。
そういえば……今日はちょっと気分がいいかもしれない。何もなくても頬が緩んでいる気がする。
「仕事が、ちょっと面白かったからかな……」
なんて返してみて。
なにしろ、ここ最近、午後の食堂利用をこっそり続行できているのだ。
残り物を使っているだけなので騎士隊の費用を無断で使っているわけではないし、そもそもその分請求される金額が減るのだから悪いことをしているわけではない。
そして前回来てくれた人たちが、ちょっと期待を込めて覗きに来てくれるので「ありますよー」なんて言うとみんな喜んで寄っていってくれる。
最近、時間の都合上なのかとりわけユリウスがよく来るのだ。
なので今までほぼ一日、挨拶以上の会話なんてしないで帰宅していたカズハがちょっと自分のことを話したりもすることになった。
今日は自宅がここにあるという話をした。騎士隊の中でもこちらの地区での仕事は行き帰りの距離のせいで敬遠されることがあるらしく、遠くから通っているということを知ってくれた人達がこの努力を労ってくれたのだ。
「ふーん……なに、そのユリウスってやつのこと好きなの?」
話を聞いていたヒシバが新しいケーキを一切れ手に取って口に運びながら聞いてくるので。
「はい? ないないない! そういうんじゃないから! もう、なに言ってんのよこのマセガキ! ……って、あ、ちょっと! そのケーキ私の分でしょ! なに一人で三枚いってんのよ!」
「いいじゃん、話聞いてやったんだからー」
途中で自分がまだ一枚目を手に持ったままなのに皿にあったケーキがもう無くなっていることに気づいてカズハが腰を浮かせるも、お構いなしでヒシバが大きな口を開けてこれ見よがしにその一枚を頬張った。
と。
コンコンコン。
ドアを叩く音がした。
「ん?」
ヒシバが口の中のケーキを咀嚼しながらカズハに視線を送る。「誰か来ることになってんのか?」と言いたげな視線だ。
「いや、誰か来るなんてないと思うんだけどな……」
そう言いながらカズハが立ち上がり、玄関のドアを開ける。
「……え? ユリウスっ?」
開けたドアの外にはユリウスが立っている。
「あ、すいません、こんばんはー」
何やらちょっと決まり悪そうな笑顔のユリウスだ。
「えーと……え? なんでここが分かったの?」
いや確かに今日、この辺に住んでいるという話はした。でも明確な場所を言ったわけではない。それに、そもそも騎士がうちに来る理由に思い当たるものがない。
「あっ、えっと……実はこの近くにうちの両親が住んでて。その関係でこの辺は僕もよく行き来してるんですよ。なので実はここにカズハさんがいるのも知ってて! 通った時に外の花壇のところにいるのとか見かけたことがあったから! で、今日の話でやっぱりそうだったんだ、と確信して!」
一気に捲し立てるユリウスは必死感が半端ない。必死に一生懸命、体を揺らしながら話すその様子が、だんだん気の毒にさえなってくる。なので。
「あ……そう、なのね」
カズハがにっこり笑って頷いた。
そう、よね。
多分この人、こんな簡単に女の子の家にふらっと寄るタイプじゃないような気がする。しかもこんな時間に。もしかして思いついてしまったから勢いで来ちゃって、自分でも焦ってるんじゃないかな。で、変に思われないようにとか思って必死に説明しちゃってる感じ?
と、なると、こっちが慌てると余計に煽っちゃうから……せめて私が落ち着いてゆったり構えないと、ね。
そう思えるので、最初はちょっと食い気味に前のめりだった姿勢を戻してちょっと引いて、笑みを深くしてみる。で。
「今日はもうお仕事は終わったんですか?」
なんて、自分のこととはかけ離れた答えやすそうな話題に切り替えてみて。
と、焦りまくっていたユリウスも一旦息を整えた。
「あ、はい。そうなんです。で……実はですね、今ちょっと両親のところに顔を出してきたんですが、今日食堂で賄いが出て美味しかったって話をしたら……これ、近所に住んでるカズハさんに持ってってあげたら、と、たくさんもらったので……」
そう言いながらちょっとドアの影になっていたところから大きな袋を出してきた。
「うわ! なにこれ、いいの?」
思いっきり目の前に出されたので反射的に受け取るとズシッと重い。
開いた袋の口を覗くと中身は野菜だ。土がついたままのジャガイモにタマネギに……多分下の方にニンジンも入ってる。
「はい、僕は持って帰っても使わないし……ああ、もしカズハさんのところで使いきれなかったら食堂の方に寄付してもらってもいいですから……あれ?」
「にゃあ」
「……うわ!」
ユリウスの話を遮るように黒猫がひょいとカズハの肩に跳び乗った。
「いや、ちょっと! いきなり乗るのはよしてって! 爪が痛いでしょうが!」
カズハが眉をしかめてヒシバを睨みつける。
「にゃーう」
そんなことにはお構いなしのヒシバはカズハの右肩に後ろ足、左肩に前足を乗せて体をカズハの後頭部に押し付けるように寄りかかりながらバランスをとってカズハの持っている袋の中を覗き込む。
なのでカズハは必然的に俯いたような姿勢になり……。
「お、重い……ユリウス……ちょっとこの子持ってて……」
と俯いたまま背中をユリウスに向ける。
「え、あ、はい。猫ちゃん、ちょっとこっちにおいでー」
「うにゃっ!」
まさか他人に引き剥がされるとは思わなかったのか若干抵抗するヒシバが爪を立てるのだが「わー痛い痛い!」とカズハが叫ぶととりあえず大人しくユリウスの腕の中に収まった。
なので、一旦受け取った袋をカズハは台所まで持って行って、改めて玄関に戻ってくると。
「可愛い猫ちゃんですねー」
ユリウスが満面の笑みだ。
で、ヒシバが……。
「……ぷっ」
カズハはつい堪えきれずに小さく吹き出した。
だって。
いつもカズハが撫でてあげようとして手を頭に近づけると自分の方から頭をぶつけてきて上機嫌で撫でられるくせに、ユリウスが手を頭の近くに持っていくとなんとなくビクビクしている。そして尻尾の先がピクピクと震えている。
さらにカズハが吹き出したのに反応して……耳がこっちに向かって完全に、寝た。
「この猫ちゃん、名前なんていうんですか?」
ユリウスが完全に耳が寝てしまっているヒシバの頭を無理やり撫でながら訊いてくると、ヒシバがピクリと動いてカズハの方に一瞬視線を送ってきた。
「あ……名前? えっと……」
反射的に答えそうになって……ふと、カズハの言葉が途切れる。
「あー……実はまだ決めてないの。まだ飼い始めたばっかりで。うちに居ついてくれるかもわからないしね。ありがとう、ユリウス。その子、もういいわ。こっちにちょうだい」
そう言うと、カズハが手を伸ばしてユリウスの腕の中にいるヒシバを抱き寄せる。
抱き抱えられたヒシバは全身でカズハにしがみつくように両前足をカズハの肩に乗せて腹をベタっとカズハの胸元に貼り付けた体勢のまま固まった。
耳は完全に寝たままだ。
で。
「あ、ユリウス。これ」
「えっ?」
台所から持ってきた包みを、ヒシバを受け取りながら渡すとユリウスが目を丸くした。
「苺のケーキなの。美味しく作れたからお礼に。良かったら食べて?」
「わー! ありがとうございます! うわー、なんだか得しちゃったなー!」
そんなやり取りをしていると抱いているヒシバがひくひくと動く。
もう大笑いしてしまいそうなのを必死で堪えたカズハはどうにかユリウスに別れの挨拶をしてドアを閉めた。