聖獣だったらしい。
「聖獣……?」
どうにか落ち着いたカズハをソファに座るように促したヒシバが自分の身の上を軽く説明した。
自分は数少ない種族として存在している聖獣、と呼ばれるものだと。
大抵は竜族と共に生きることが多く、主人と認めた者にのみ追従し、馬や大型獣の形をとるものであればその主人のみを乗り手とする。
竜族並みの寿命と強さを持つことと、こうして人化する力を持つこと。
「……竜族並みの寿命……ヒシバ、何才なの?」
「……お前よりずっと年上だぞ」
ソファに座ったカズハと向かい合うようにちょっと間を置いて床にちょこんと胡座をかいたヒシバがぶすっとした顔で答える。
ので。
「……ぷ」
カズハが思わず堪えきれない笑いを漏らした。
……だって。可愛いんだもの。なんだこの子。
よくよく落ち着いて観察してみると、やっぱり猫のヒシバを彷彿とさせる姿ではある。黒い髪の、前髪の中には一房白い髪が混じっている。そして瞳の色も猫の時と同じ。黄色というより深い金色。深みがあるから異常な色には思えないけど、人間でここまで綺麗な金色はそうないんじゃないかと思う。その瞳はこぼれそうに大きくて……なんというか……庇護欲をそそる。
これ、多分、子猫ならではの特徴だと思うんだよね。
動物って確か子供の頃って自分で自分の身を守る力がないから外見がすごく可愛らしくて周りが自主的に守ってあげたくなるような気持ちにさせるの。
鳥の雛が大きな口を開けて餌をねだる姿とか、ある種の肉食獣の子供の毛の色とかもそういう効果があるんじゃなかったっけ?
「なんだよ! なんでそこで笑うんだ!」
カズハの反応に顔を赤くしたヒシバが大きな目を吊り上げるようにして叫ぶ、ので。
「えー、だってどう見ても十才くらいのお子ちゃま……」
「三百歳だっ!」
カズハの台詞が終わる前にヒシバが叫んだ。
「……は?」
「だから! 三百年は生きてるって言ってんだ!」
ぽかんと口を開けたカズハに、ヒシバはそう言い捨てるとふんと鼻を鳴らして腕を組み、横を向く。
「……えーと、数の数え方は……」
「分かってる! ちゃんと知ってる! 一年360日の三百回分で三百歳! なんならその間に閏月が入るから日数的にはもっと経ってる!」
つんと顎を上げたドヤ顔のヒシバが憤然と言い放つ。
……おお、合ってる。
確かに一年360日プラス閏月の数日。一ヶ月を30日にした12ヶ月は季節祭というものが少しずつズレるらしくて年に一度入る閏月の日数で調整されている。
今まで世の中が危険すぎて夜を徹して行うような季節祭はちゃんとやる地域なんかなかったから古代のしきたりとしての閏月の知識だったけど。
「……ふうん。じゃ、なんで子猫だったの?」
からかうのもかわいそうになってきてカズハがちょっと背筋を伸ばした。
と、ヒシバの視線が拗ねたものからちょっと柔らかさを取り戻し、ふっと小さくため息が吐かれる。
「……力をさ、使いすぎたんだ」
ポツリと呟くその姿は、今度は打って変わって……なんだかとても切なげで、今度こそカズハは口元を引き締めて、まっすぐに目の前の少年を見つめ直した。
「前にオレの主人だった奴は、風の竜族でさ。メチャメチャ強い奴だったんだぜ? オレも一緒に戦うの楽しくてさー、けっこう無茶やったんだけど……最後に力を使いすぎちまって……気がついたらこうなってた。しかも人化する力もなくなってたからもうけっこう長いこと子猫生活してたんだ」
そう言って、へへっと笑うヒシバは。
それ……子供の笑い方じゃない!
と、カズハは眉をしかめた。眉をしかめていないと涙が出てきそうで。
きっと、この話、こんなにサラッと話させていい内容じゃないし……ヒシバの口から出た今の話だって全容なんかじゃない。何か物凄く、辛い経験があってその上っ面だけを話させた感じ。
そんな顔をしているのだ、この少年は。
ふいと横を向いたまま黙ってしまった少年は、どことなく儚げで、昨日まで上機嫌でじゃれついていたヒシバの雰囲気はかけらもない。今朝、出かけるときにソファの上で丸まって耳だけこっちに向けて「行ってらっしゃい」の意思表示をしていた小生意気なヒシバの雰囲気も……ない。
なんだか……なんだか無性に、抱きしめたくなる。
そんな気持ちに動かされてカズハがソファの上で少し身を乗り出した。
なにしろいつもだったら膝の上に無遠慮に乗っかってくる距離感なのに、人化したから改まった感じなのかちょっと間を置いて床に座っている。
「……なんだよ」
そんなわずかなカズハの動きに反応したヒシバは今度はわずかに眉を寄せて不審そうにこちらを見上げてきた。
かき消えそうな、切ない雰囲気は一瞬でなくなった。ので。
「いや……あの……なんでそんなに離れて座ってるのよ……」
鼻白んだカズハが、ついつられて不審なものを見るような目になってしまいながら返すと。
「え……だって、怖いだろ? いきなり飼い猫が人化なんかしたら。聖獣なんて予想だってしてなかっただろうし、そもそも聖獣の存在すら知らなかっただろうが」
表情を全く変えることなくヒシバが答える。
「は? ……怖い?」
「怖いだろうが! 言ってみれば化け物だぞ、オレ!」
なぜかヤケになっているヒシバに。
「もう! 何言ってんの、この馬鹿!」
「え……おい、うわっ!」
今度こそ遠慮無く、カズハが飛びつくようにして抱きしめる。
勢いがつきすぎて床に降りた時、ちょっと膝を打ったけどそんなのもうお構いなしだ。
なんなのよ、もう。
こんな可愛い顔して「怖いだろ?」なんて聞かれちゃったら、もう何も言えないじゃないの!
そもそも怖くなんかないし!
それに、その言葉、ちょっと胸に引っかかったりもしたのだ。
いつもは私が自分に対して思ってることでもあったから。
目つきがキツいからっていう理由でよく「怖い」って言われる。仲良くなった友達からも「カズハって最初の印象は怖い人だったよね」なんてサラッと言われるのだ。周りの人が自分と目を合わせないようにして目の前を素通りしていくのは大抵私が「怒っている」ように見えるから。
そんな相手の気持ちを察してしまうだけでも胸が痛むのに、「私って怖いでしょ?」なんて言えないわよ、普通自分からは!
それを言っちゃうヒシバの心境を考えたらもう、いたたまれない!
そう思うと抱きしめるカズハの腕には力が入り。
ふと気付くと、最初は緊張したように強張っていたヒシバの細い体からは力が抜け、その腕はカズハの背中に回ってまるでこちらの思いに応えるようにぎゅっと抱きつき返してきてくれていた。
「……そろそろ離してくれ」
胸元で小さい咳払いとそれに続いて声がしてカズハが我に返る。
ゆっくり腕を緩めると金色の瞳がおどおどと揺れており、きまり悪そうに視線が逸らされた。
……そっか、照れくさいとか、あるのね。
ふふ、とつい笑みが漏れる。
と。
「そんなわけだから、主人として認めてやる。オレが主人として認めるからにはちゃんと助けるからな! ……まぁ、今んとこは……何しろこんななりだし力も完全じゃねーから出来ないことはあるが……出来る限り、全力で、だな……」
「え、あああっ!」
「うわ、なんだ!」
照れ臭そうに大事なことを言っていたらしいヒシバの台詞をカズハが途中で遮ったのでヒシバがびくりと肩を震わせてこちらを睨みつけてくる。
「いや、あの。助けるって……もしかして片付け物とかしてくれたの、あなたなの?」
今日の洗い物と……あと他の日は、多分……掃除。
いや、ちょっと気になっていたと言えば気になっていた。
今日に限らず、テーブルとか床とか、最近まともに掃除してないのに綺麗だったのだ。猫がいるということを考えても床に毛とか埃とかがここまでないのはちょっと不思議で……もしかして窓を開けて出かけると風で部屋の隅にでも行っちゃってるのかな、くらいに思っていた。
「なんだよ、ほんとに今まで気付いてなかったんだな……」
ヒシバがじとっとした目になった。
そんなわけで。
どうやら本当に、やってくれていたらしい。
カズハがやっていたことを見て覚えたんだとか。で、簡単な掃除はやってみたら面白いから毎日続けていて、それでも気づかないカズハの反応がおかしくて今日はつい洗い物にまで手を出した、と。
食器棚の上の方には手が届かないから全部下の段にしまってやった! というヒシバに、カズハはもう開いた口が塞がらなかった。
「だからさ、窓は開けて出かけなくていいからな」
床に座り込んだままのカズハの前で再び胡座をかきなおし、腕を組んだヒシバがにやっと笑って付け加えた。
「オレ、飼い猫だからここから出ていく気もねーし。なんなら自力でドアから出ていけるしな」
「え、あ……そっ……か」
ヒシバが出て行きたいかと思って開けておいた窓は、もうその必要はなく……
「え、あ、そうなの? やだ、飼い猫でいいの?」
なんだかその言い方は、こんな人化する力がある聖獣相手に使っていい言葉ではないような気がしたカズハはヒシバの目を覗き込むようにしながら尋ねる。
「ああ、もちろん。カズハは我が主人だからな!」
……我が主人……わーかっこいい……。あ、でも。
「いや、あのさ。私、竜族とかじゃないし。特に戦うわけでもないから……物足りなくない?」
「……バカ。そーゆーのは物足りないとは言わねーんだ。そもそも竜族とカズハじゃ格が違う。比べる対象にすらなってねー」
「……なんか失礼ね」
今、主人とか言ったくせに。
カズハがぷっと頰を膨らませると。
「まぁ、オレにとっては大事な主人だ。……オレが選んだんだからな」
「……なんで私なの?」
思いっきり否定的なことを言った割に、ヒシバの口調も態度もそう悪くない。
ここはもう少し突っ込んで訊いてもいいかなと思えてカズハが食い下がった。
「あ? つい、だ。つい! ……あー、えーと……あれだ、ほら……」
一旦視線を泳がせたヒシバはなんとも歯切れの悪い口調になり……それでもどうやら適当にごまかす気もないようで言葉を探している風だ。
「前の主人が風の竜族だったって言ったろ? 風の竜族は人間贔屓なんだ。だからあいつも人が好きだった。ずっと一緒にいたからオレもそういう影響を受けたんだろうな。……公園でさ、毎日死にそうな顔して歩いてただろ? あれさ……ずっと気になって見てたんだ。で、声かけた」
そんなちょっとたどたどしい説明にカズハの視線が床に落ちた。
「……見て、たの?」
そういえばあの公園はいつも通ってて……仕事の帰りなんかはいつも泣きそうな顔してたかもしれない。
なんて思うと、カズハの声が震える。
「っああ! あとはあれだ! 名前!」
カズハの声の調子に反応するかのようにヒシバが慌てて声を上げる。
「お前の名前から一字くれただろ。ああいうの、よっぽどの相手にしかしちゃいけないんだぞ!」
どことなく必死な口調にカズハの視線がふと上がって金色の瞳と目が合う。
「名前をつけるという行為自体、相手との繋がりを持つための行為だ。そこに自分の名前なんかを入れ込んだらその繋がりは特別なものになるんだ! 特に聖獣はな。……あんな名前、提示されたらびっくりするだろうが!」
最後の一言でヒシバの頬が見事に真っ赤になった。
子供らしいぷっくりした頬が見事に染まっていくのはなかなか見応えがあってカズハはそれを唖然としながら見守り……そして。
「……ぷ」
「笑うなっ!」
とにかく。
もう、やり直したいとかは思わない。
……なんだか、最高に良い選択をしてきたんじゃない? 私。