終わる謀り
お待たせしました!
空中で、巨大な水の蛇が砕け散る。
その中から、赤い少女に抱えられながら、ゆっくりと落ちてくる青年。
それを見て、シェネは愕然とした様子で呟いた。
「嘘。あり得ない。まさか、知恵の果実の力を使わずに、あのムシュシュフに勝ったというの?」
それがどれ程あり得ない事態か、シェネは知っている。
青年――神納には神器と呼べるものは一切なく、神々の権能に対抗できそうな唯一のすべがあの鳳凰によるエンチャントだったのだから。それも無しにいったいどうやって生き延び、ムシュシュフを倒したのか、シェネには一切理解できなかった。
だが、どれ程信じられなくとも現実は変わらない。
「驚いている場合でも……ないか」
何をしたのか云々はさておき、 これで彼が明確な驚異になり、自分を害する存在になったのは代わりないのだから。
――バビロニオンでの英雄製作が終わるまで、私は負けるわけにはいかない!
シェネがそう覚悟を決め、最後の非情な命令を出そうとする。
それは、残ったムシュシュフに容赦なく伝わり、
「もう一度、その男を食い殺せ!」
『さすがにそれは看過できないな』
「っ!?」
聞きなれた声が聞こえた。
同時に、
『もう射程圏内にはいった以上、勝手はさせない」
轟音と共に、水中から巨大な竜が飛び出し女禍の上半身に食らいついた!
呆然とするシェネの眼前で、シェネが今までいた場所の天井が食いちぎられていく。
そして差し込む光と雨をともない、
「さて、終わりだシェネ。これだけ派手に壊せば、もう転移も使えまい」
雨外套の神――ソートが、二丁の拳銃をシェネに向けながら、大穴の空いた天井の縁にたたずんでいた。
…†…†…………†…†…
「どう、して……」
自身を見上げ、呆然とするシェネに、ソートは首を降りながらため息をつき、
「それは俺が生きていたことに対する疑問か? それとも、俺がどうしてお前の居場所を探り当てられたのかという疑問か?」
「っ!」
「別に創世神だからなんてことはねぇよ。すべては神納達の努力の賜物だ」
種明かしをするソートの視界で、最後のムシュシュフが砕け散り、水盆へと撒き散らされた。
それを見て鳳凰と共にほっとするなか、ソートは油断なくシェネに銃口をむけ、
「神納達の矢の連打。あれはお前を仕留めるためのものじゃなく、お前の居場所を探るためのものだ。俺とお前の戦いは、お前が連れ戻されることによって敗北になる。だったらお前はもっとも安全な場所にいるべきだ。なら、お前がいる場所は絶対に女禍の中だと睨んでいた」
「……それで、あの人たちに爆裂する矢を連打してもらったわけですか」
「あぁ、何せあの巨体だしな。女禍の中にいるといっても、それをさがしだすのは至難の技だ。だが、あいつらの矢の連打は、無視できるほど脆弱じゃあるまい。そこで、その攻撃に対する反応を見ていたわけだが、一ヶ所だけ、お前が女禍に身を切らせて守りに入った場所があった。それが、この胸部……心臓辺りの胸一帯だったというわけだ」
といっても、それでも十分広かったから、十分近づいてからむしり取るという手段になっちまったが。
ソートがそういって、周囲の惨状に目を向けため息をついたときだった。
「さすがマスター……私のことをよく理解していらっしゃる!」
おべっかを使うような猫なで声のまま、シェネは右手を床に叩きつけ、樹木操作を発動。
ソートの体を貫く、樹木の槍を生成し、
「あぁ、お前がそう来るだろうということも、予想していた」
「っ!」
生成された槍を、瞬く間に銃の連射で打ち落とされた。
絶望に染まるシェネにたいし、ソートは鼻をならしながら、シェネが女禍を制御していた心臓部へと降り立つ。
そして、
「さて、申し開きはあるか?」
「わ、私は間違ってません!」
「そうかな?」
「私はサポートAIシェネ・レート。マスターの皆さんに楽しくゲームをしていただくためのコンテンツにして、マスターの皆さんが、そばに置いて苦にならないよう、マスター達の性癖に会わせて人格調整が行われる、マスターの皆さんの疑似ヒロインとなるために作られた、人工ヒロイン」
「初耳すぎるんだが!?」
――俺こんなに面倒な女はごめんなんだが!? なに、内心ではこういうめんどくさい女を求めているとでも言いたいのか!
そう、ソートが戦慄するなか、シェネの良いわけは続く。
「だから私は、マスターをゲームに勝たせ必要がある」
「それは……そうだな」
「マスターを助ける必要がある!」
「それが仕事だもんな」
「例えそれが不可能な願いであったとしても!」
「………………………」
――そんなに難しいことをいったつもりはないんだが……。
ソートが内心愚痴を漏らすが、シェネの言いわけは止まらない。
「誰も犠牲にしたくない。自分のせいで誰かが苦しむなんていけないと! マスターはそう言いました。私だって同じ気持ちです! 誰が好き好んで、意思ある存在を殺さないといけないんですか! でも、これはゲームだから。世界を守るためには、英雄が必要だから! 仕方ないじゃないですか。英雄には、立ち上がるための理不尽が必要なんです!」
「……………………………そうか」
そして、俺は自分の勘違いをする。
どこぞのアニメでいっていた。「人間とは他者を犠牲にしなくては生きていけない獣の名だ」と。
このゲームでは、それがきちんと実現されていた。
ただ、それだけのことだった。
「何の理由もなく、ただ化け物だからと殺し、ただ危ないからと殺す。それは英雄の所業ではありません。ええ、だから英雄を作るためには、邪悪ななにかを作り出す必要があった! でもそんなこと、優しいマスターには任せられないから。マスターには、優しいままでいてほしかったから! 私は、私は!」
シェネはあくまで自分の正当性を叫び続けた。自分は間違っていない。自分は正しいことをしたと。
だが、その表情は?
「わた、しは……!」
「シェネ……」
到底、自分が正しかったと認めていないものだった。
「間違ってなんか……いない 」
自分に言い聞かせるような言葉だった。
――そうか。誰より苦しんでいたのは、お前だよな。
サポーターは基本的にプレイヤーに従順だ。
プレイヤーにゲームを楽しませるためのコンテンツなのだ。反抗的なサポーターがいるわけがない。
それでも、シェネは俺に逆らって見せた。
何よりも、俺を大切に思ってくれたから。
だからこいつは、身を切るような罪悪感と、悲鳴をあげる本能を押さえつけながら、必死にここまで戦ってきた。
「マスターはきっと、これで救われるはずだから。これでマスターは、きっとあいつに勝てる! だから、私は……どうなっても、あなたに許してもらえなくても!」
「もういい、シェネ」
「っ!」
なら、俺がこいつにしてやれることはひとつだけだ。
銃を下ろし、それを投げ捨てる。
「マスター? なにを」
「許してくれと願うのは俺の方だ。すまなかった!」
そう言って、俺はシェネに対して頭を下げた。
…†…†…………†…†…
「どうして……どうして、あなたが頭を下げるんですか? 悪いのは、勝手をしたのは私なのに。どうして!」
明らかに動揺した声が、心室に響き渡る。
今のソートは無防備だ。今なら簡単に殺し、本当にデスペナを与えることができる。
だが、シェネはソートを攻撃できなかった。
なにかにたいし、真摯に向き合おうとしている彼の、邪魔をすることはできなかったのだ。
「お前を、そんなになるまで追い詰めたのは俺だからだ」
「ち、ちがっ!」
「いいや、違わない! 俺は自分の勘違いで、お前たちを苦しめた大馬鹿野郎だ!」
ソートは自分の心にあったものをようやく発した。
ようやく、シェネに伝えることができた。
「俺は、ヒーローになりたかったんだ」
「えっ?」
「お前も知っているように、現実世界じゃ、俺はただの学生だ。何の力もない、何の取り柄もない……ただのガキなんだ」
そして、ソートは告白する。自分自身の内心を。
なぜ、犠牲を厭うのか。その理由を、
「だけど、そんな俺にも夢があった。ガキの頃見た正義の味方。俺はそれに憧れたんだ! 誰もにも好かれ、誰もが憧れ、できないことなんて何一つなくて、最後には笑って、誰も犠牲にせず、すべてを救える……そんなヒーローに」
無論現実でそんなものになれるわけがない。そんなことは、たかが十数年しか生きていない、高校生のソートでも、理解できていた。
だが、それが現実でないなら?
「一から世界を作り出せる。それが可能なこのゲームなら、俺の理想が、ただの夢物語が……叶うと。俺は本気で、勘違いしていたんだ」
「ます……たー」
「だが、結局のところ、これはやっぱりゲームなんだな、シェネ……。ルールがあって、やれることがあって、できないことがある。そんなこと……エシュレイキガルの時に、気づいていたはずなのに……俺より早く、お前が知っていることに気づくべきだったのに……。俺は、ただ暴走する試練を何とかするので手一杯で、お前を省みてやれなかった」
だから……。と、ソートは頭を下げたまま、そう続けた。
「すまなかった。お前をそこまで追い詰めたのは、俺の幼稚な夢と無知だ。許してくれ」
「あ、あぁ……」
その言葉を聞き、シェネはまるで絶望するかのように……それでいて、どこか安心した様子で座り込み、
「許してくれと、私に言わせてくれないんですね」
「ああ」
「私もあなたも、はじめから間違えていたと……」
「そうだ。何一つ、俺たちの行いに、正しいことはなかった」
「それは……」
一瞬。二人の間に言葉がなくなった。
そして、
「私は、誰にも正しかったんだと認めてもらえないということなんですね……」
「ああ、そして、お前は俺と償うんだ。まずはエアロの企みを止めて、そして一緒に、色々苦しめたこの世界に、贖罪を続けていく」
「それはまた……ずいぶんとしみったれたゲームになりそうですね」
「だな。たぶん俺一人じゃすぐに飽きてやめちまう。だから」
ソートは頭をあげ、シェネへと手を伸ばした。
「だから、帰ってきてくれシェネ。また俺と一緒に、世界を救ってくれ」
「……もう、私は一度だって世界を救ったことなんてないのに」
また、無茶をいってくれて……。そういいながら、シェネはソートの手をためらわずにとる。
目から涙が溢れ帰っていたが、何一つとして報われることがないと自覚させられたばかりだったが、
「はい、マスター。きっと、世界を救いましょう」
不思議と、心は軽かった……。
…†…†…………†…†…
「おわったかい?」
「辛うじてな」
それからしばらくして、ゆっくりと崩壊を始めた女禍を眺めつつ、水面に座る鳳凰に膝枕されながら、水面を漂っていた神納は、水面を歩きやって来たソートに目を向けた。
傍らには見慣れない女。
それを見て、神納は察する。
自分達の努力が報われたのだと。
「そうか、助けられたか……よかった」
「あなたは……。そう、マスターとグルだったんですね」
「ずるいとかいうなよ。あんな化け物使役する奴相手だったんだ。切り札はいくつあっても損にはならんだろ」
そう言って苦笑いを浮かべながら、神納は深々と息を吐き、
「とはいえ、今回はさすがに疲れた……」
「お兄ちゃん……」
まるで、とどめていた魂そのものを吐き出すように。
神納は、今回の戦いで魂を燃焼させていた。
当然のごとく、そんなことをして何のリスクもないまま終わるわけがない。
魂の燃焼はそのまま生命力の喪失――寿命の減少へと繋がるのだ。
おまけに、最後のムシュシュフ殺しは、鳳凰の力を借りることなく、自身の魂のみでの攻撃だった。
神を殺す獣の討伐。その偉業は一人の人間が成し遂げるにはあまりに大きく……そして、無謀な試みだ。
寿命すべてを削り取って成し遂げられたことこそが、奇跡と言えるほどの……。
「お前、やっぱり死ぬのか?」
「はっ。すまなかったなんて言ってくれるなよ、創世神。俺は自分がやれることをやっただけ。ああそうだ。できたからやったんだ。無理なんて何一つとしていない……最高の結末だ」
――そうさ。俺の人生に、後悔なんてない。やれることをやって、やりたいことをして、最後には自分の望みの通り、誰かを助けて死ねるんだ。これ以上ないくらい、俺は俺の人生を全うした。
神納は心の底からそう思い、そして心の底から、笑みを浮かべた。
ただひとつだけ、思い残しがあるとするなら、
「ただ、あんたが俺に恩を感じてくれるなら、ひとつだけ、俺の願いを聞いてもらいたい」
「……なんだ?」
「これからは、優しい世界を作ってくれ……。結局俺にそれはできなかったから」
そう、神納の人生はまさしくそれを求めるための物だった。
彼が人助けをしてすごし、誰かのために戦い続けたのは結局……それを得るための努力に他ならない。
「困っている誰かのために、回りの人間が手を伸ばしてくれるような。誰かを助けるのに、理由なんて必要ないのが当然というのが当たり前な……そんな、優しい世界がほしくて、俺は戦い続けたんだ」
「神納……」
「だから、最後くらいそれを望んだっていいよな……」
誰もが笑って過ごせる。そんな理想郷。
神納のその最後の望みを、
「すまない、神納」
「それは俺にはできなかった……。さっきまでの戦いを見てわかっただろう。そんな世界を作るには、俺はあまりに未熟すぎる」
「そう……か」
薄々察していたその事実を、ソートは偽ることなく正直に告げた。
それを聞き、少し悲しそうに、だがどこか納得した様子で神納は笑った。
――そうか、たった一人の女のために、恥も外聞も投げ捨てられるような神様が、どうして世界をこんな風に作ったのか、理解できた。
別段ソートが特別悪意を持ってこんな世界を作ったわけではない。
世界とは、できてしまえば、必ずこの形になるのだと、芯まで思い知らされる。
だが、
「だから、お前がやれ」
「え?」
「俺と一緒に、世界を救ってくれ」
その言葉と共に、神納は消えつつあった自分の魂が、徐々に活力を取り戻していくのがわかった。
慌てて体を動かすと、問題なく動く。
それどころか、小さな傷をいくつもおっていた体はきれいになり、力も普段以上に入った。
「まったく、魂の燃焼なんて……。HPではなく、HPのゲージそのものを削るような暴挙ですよ。今後は絶対にしないでください! 魂を生成できる私と」
「削れたHPゲージをもとに戻せる俺がいないと、お前は確実に死んでいたぞ?」
「………………」
神納は口をあんぐりあけながら、そういえば目の前の二人が神様だったと思い出す。そして、
「お兄ちゃん……よ、よかったね?」
「鳳凰。てめえ、知ってたな? 何で教えなかった」
「えっ? だって、しおらしいお兄ちゃんなんて激レアだよ! 少しでも長く楽しもうとするのは当然でしょ!」
瞬間情け容赦ない鼻フックが、鳳凰を襲う!
ぶちギレた神納の怒号が響き渡り、なにかを思い出すかのように鼻を押さえるシェネ。
そんな騒がしい周りに、ソートはため息をひとつと、
「まあ、いいか。間違いだらけだった今までよりもずっと……」
今の光景は、本物に満ちていたのだから。




