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神の悪戯

深夜。月がわずかに西へ傾き始めた頃。


「はぁ…はぁ……」


炎の光に照らされ、深紅に染まるエルクの町の中央にて、ネンキドゥは追い込まれていた。

肉体には無数の穴が開き、体は間接部分からひび割れ、砂ぼこりをともない、ボロボロと崩れ始めている。


「どうした怪物。明らかに動きに精細がかけ始めたぞ? この程度の攻勢で、よもや音を上げたわけではあるまい?」


それを忌々しげな無表情で見つめるギルガメスは、先程ネンキドゥの体に穴を開けた剣を投げ捨て、近衛が新たに持ってきた灼熱の剣を手に取る。

投げ捨てられた剣もつい先程まで赤熱していたのか、鋼の美しさは損なわれ、真っ黒に黒ずんでいる。

徹底的なまでの熱量攻勢。それが、ネンキドゥの体から最大の武器である自在性を奪いつつあった。


それも当然の事と言えた。ギルガメスが見破った通り、ネンキドゥの体は粘土が原料。そして、粘土が自在に形を変えるためには、適度な水の含有が必要不可欠だ。熱によってそれが奪われてしまえば、ネンキドゥの無敵を保証した自在に変化する肉体の無敵性は失われてしまう。


だが、


「はっ。愚問だね?」

「貴様っ……」


ネンキドゥの口許には未だに不敵な笑みが張り付き、ギルガメスに挑みかかったときの快活さは、消え去ってはいなかった。


「当然、僕はまだ屈したりしないさ。むしろ、ようやく体が暖まって調子が上がってきたところだ。さあ、続けようじゃないか。まさか、人界最強の王ともあろうものが、誇れるのはこの程度何て事はないだろう?」

「減らず口を!」


もはや近衛すら直接攻撃を加える必要はないと判断する死に体のネンキドゥに、ギルガメスの憤怒の一刀が襲いかかる。

そして、灼熱した剣の一撃をその身に受けたネンキドゥの体は、とうとう右肩から左脇腹にかけて切り裂かれ、分断された。


「がぁあっ!」

「土くれの体なりに痛みを感じるか!? ならば予想できるだろう! ならば理解できるだろう! 生きたまま食まれる痛みは、この比などではないと! 木々に串刺しにされる痛みは、この比ではないと! このままではエルクの民の全てにその痛みが与えられるのだ! それを回避するために、たった一人の犠牲で済まそうとすることの、一体何が悪いと抜かす!」


斜めに切り分けられた上半身だけとなり、それでもなおネンキドゥは戦おうと、残った左腕使いギルガメス目指して這いずる。

その背中をギルガメスは、何度も何度も踏みつけた。

まるで自分に言い聞かせるように、諦めの言葉を何度も何度も叫びながら。

その悲痛な叫びに、近衛たちが思わず目を背けた時だった。


「もうやめてください、我が王! 決着は着きました! 私もおとなしく生け贄になりますから、お願いですからもうそれ以上……ネンキドゥを傷つけるのはやめてください!」


涙混じりの懇願を放ちながら、一人の女がネンキドゥとギルガメスの間に割ってはいった。

ネンキドゥに覆い被さるように彼を庇ったその女の姿に、ギルガメスは不機嫌そうに目を細める。


「シェムシャーハ! 貴様、こいつの存在を俺に隠していたな? どういうつもりだ! 貴様ほどの女が禁を破ったのもこの化け物が関係しているのだろうが! なぜ、その事実を隠した!」

「そ、それは……」


それは騒ぎを聞き付けやって来たシェムシャーハだった。

彼女はギルガメスの詰問に、思わずと言った様子で目をそらし、


「せ、先生……」

「ネンキドゥ……」


ボロボロになったネンキドゥの、


「よかった。無事だったんだね? 待っていて。いま、このわからず屋の王様を説得して見せるから」


笑顔と、自身を気遣う言葉に、覚悟を決めた。

彼女はそのままギルガメスへと向き直り、


「王の予想された通り、この子はフワウワの森で見つけました。私がフワウワの森に入ったのも、この子が主な原因と言えます。確実にフワウワの怒りを鎮めるためには、この子を連れてきた方が良かったのも、全部理解できていました。でも、つれてくればきっとこの子も、フワウワに捧げられてしまう!」


そういって、シェムシャーハは精一杯の力を瞳に込め、ギルガメスの目を見返す。


「この子は……ネンキドゥは、私の弟子で……家族です! 守ろうとするのは当然の事です!」


そして、確かに彼女はそう言ったのだ。

ネンキドゥは、自分が命を懸けて守るに値する人だと。



…†…†…………†…†…



その圧力すら感じるシェムシャーハの言葉に、ギルガメスは思わずと言った様子でたじろいだ。

尊敬する父親を持っていた彼は、実は家族愛と言う類いにめっぽう弱く、それが理由と有ればどのような罪人でも深く攻められない事があった。


これが、言い訳混じりの口から出任せなら、真実を見抜く目で即座に看破して見せたのだが……。


「…………くそっ!」


いまいましいことにシェムシャーハの目には偽りの色は見えなかった。

それどころか、ネンキドゥを守るために膝立ちになった彼女からは、刺し違えてでもネンキドゥを守る気概が見てとれた。

あの明らかに他人に価値を見いだしていなかったシェムシャーハがだ。


「それは……貴様ほどの女が命を懸けるほどの者なのか?」

「はい! 私は確かに人でなしですが……それでも、この子の親だけは、きちんと全うすると決めていますから!」


そう言いきったシェムシャーハに、ギルガメスは握りしめていた、灼熱の剣を投げ捨て、舌打ち混じりに背を向ける。


「ならば、別れの挨拶くらいはきちんとしておけ……。此度の王宮襲撃は、貴様の顔を立て不問としてやる」

「っ! 有難うございます! 温情に感謝を!」


そんなギルガメスが背中越しに届けた言葉をきき、シェムシャーハはようやく肩の力を抜き、目元に涙さえ浮かべながら、ホッと安堵の息をついた。

これで、ネンキドゥの命だけは助かると。


だが……。


「感謝だって? 何を言っているの、母さん」

「っ! ネンキドゥ!?」


その温情を投げ捨てるように、地面に伏せていた怪物が叫んだ!


「人でなしはあの王様の方だ!」



…†…†…………†…†…



「ネンキドゥ!」


せっかく得た温情をどぶに捨てるような行為に、シェムシャーハは悲鳴をあげる!


――体何を考えているの? あなたを助ける方法は、もうこれしか!


そんな言葉がシェムシャーハの内心を埋め尽くした。だが、


「先生は、本当にこれでいいの? 本当にこのまま、顔も知らないような人のために命を懸けて、死んで良かったなんて言われながら死んでいくことを、本当に望んでいるの! あいつが死んでくれたから俺たちは無事過ごしていけるなんて思われて……本当に耐えられるの!?」

「それ……は」


心の奥底に封じていた本音を掘り返すような問いかけに、シェムシャーハが思わず沈黙する中、ネンキドゥの言葉の矛は、ギルガメスにも向けられた。


「王様も王様だ! 本当なら先生を守ってやりたいと思っているくせに、どうして無理に殺そうとするんだ! 理不尽だと思っているくせに、どうして試すことなく抗おうとするんだ!」

「貴様っ……また俺の心理を!」


自分の心は底の底まで見透かされている。

その事実を悟ったギルガメスは憤怒の形相を浮かべる。

常人ならその怒気に貫かれただけで意識を失うほどのギルガメスの憤怒。

だが、それを受けてなお、ネンキドゥは口を閉ざさなかった。

守りたいものがあるから、怪物は決して語ることをやめない!


「何度でも指摘しよう。君が自分の心から目をそらし続けるか切り、僕は何度だっていってやる! 君がなりたかったのは、父親が守ろうとしたものを守りきれる、完璧な王様だったはずだ。誰かに言われるがままに、自分の守りたかったものを差し出す卑劣漢じゃなかったはずだ!」

「っ……!」


ネンキドゥの言葉をギルガメスは否定しなかった。

誰よりも正しい存在であり続けようとする彼に、事実を否定することはできないから。


「仕方ないとか、諦めるしかないとか、妥協をするしかないとか!! そんなおためごかし語る暇があるなら、どうすれば理不尽に抗えるか、頭を捻りなよ……あんたは、この国の王様だろうが!!」


残った腕だけで上体を持ち上げながら、ネンキドゥは叫ぶ!


「僕は諦めないぞ! 先生との日常を! 一緒に過ごしたあの日々を! だから、先生も、王様も……自分の望みを諦めることじゃなく、実現する方に進んでいいんだ!」


「………!」


二人の、息をのむ音が聞こえた気がした。



…†…†…………†…†…



――私は何をしているんだ?


そんなネンキドゥの姿を見て、シェムシャーハの心に去来したのはそんな言葉だった。


――私はこの子の先生なのに。この子を導かないと行けない立場なのに!


気がつけば、彼女は立ち上がろうとするネンキドゥの手を握っていた。

目元から流れる暖かいものは、悔しさから来るものか? いいや、違う。


「なっ! シェムシャーハ、貴様。自分が何を望んでいるのか解っているのか! それを口にすれば、貴様はこう告げるに等しいのだぞ!」


エルクの民に死ねというのか! そんなギルガメスの言葉に、躊躇いが生まれなかったと言えば嘘になる。

だが、


「すいません。ギルガメス王」


――弟子にここまで問われて、正解を与えてやれないのなら、自分は教授失格だから!


聖職者として、教えるものとして、何より一人の人間として、シェムシャーハはネンキドゥの問いかけに答えを返した。


「ネンキドゥ。嘘ついてごめんね?」

「先生……」

「私……私ね」





「まだ、死にたくない。生きて……生きていたい! だから、助けて、ネンキドゥ!!」





…†…†…………†…†…



その答えが放たれたとき、その場は一瞬固まったが、


「うん、わかった」


ネンキドゥの返事と共にギルガメスは絶叫した!


「その土くれを殺せっ!」


怒号のような絶叫を受け、近衛たちが無言のままに疾走。ネンキドゥにとどめをさすため、灼熱の武器を振りかぶる!


だが、


「僕に任せてよ、先生!」

「っ!」


その進撃は、地面から突如生えだした植物によって阻まれた!

地面から突然生えた大木たちは、そのまま近衛たちを天高く打ち上げ、ネンキドゥたちを守るように周囲を取り囲む。


「なにっ!?」

「驚くほどのことじゃないだろう? 時間はたっぷりあったんだから」


それと同時に寸断されていたネンキドゥの体が再生。シェムシャーハの体を抱きしめながら、まるで怪我などなかったかのように立ち上がる。

体のヒビもいつのまにか消えていた。


「このエルクではいちど、大規模な河川工事を行ったらしいね。その所為で地下には川の名残である大規模な地下水脈が残っている。あれだけの時間が有れば、そこまで根を伸ばすのは難しくないさ」


ネンキドゥが言うように、起き上がったネンキドゥの体からは、水の取得に使ったと思われる引きちぎられた根っこがいくつかついていた。


その根は主から離れてなお活動を続けているのか、ネンキドゥとギルガメスの周囲にいくつも穴を明け、そこから地下水脈の水を湧きださせる。

彼らの周囲は瞬く間に水で満たされ、くるぶし近くまで水没した。


これでもう、ネンキドゥの体を乾燥させると言う手は使えない。


「形勢逆転だね、王様? で、どうする?」

「…………………!!」


地面に落下して、意識を失う近衛たちを周囲に寝かせながら、ギルガメスは歯を食い縛った。



…†…†…………†…†…



そう。戦いはこれで終わるはずだった。

ギルガメスに勝利したネンキドゥがシェムシャーハをつれて逃げ、エルクはフワウワの手によって滅亡する。

そのはずだった。だが……。


「それでも、俺は!」


国を守るものとして、ギルガメスが最後の足掻きを見せようとしたとき、それは現れた。


溢れた水の中から姿を表した、真っ青な斧槍(ハルバード)が!


「「えっ?」」


最初にネンキドゥとギルガメスは同時に息を飲んだ。

そして、


「っ! オォ!!」

「させないっ!」


ほぼ同時のタイミングで斧槍めがけて疾走する。

いまだ作り出されていなかった珍妙な形の武器だったが、それでも二人にはわかったからだ。


――あの武器はネンキドゥ(自分)を殺せる!


と。

このタイミングで現れたのは果たして狙ってか、神の悪戯か。

とにかく、今までのすべてをぶち壊すその武器を巡り、二人は全霊を懸けて走り、


「―――――――あ――――ッ!」


決着の時が来た。

お待たせしました。

次回、天の試練決着。

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