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シェムシャーハ

「追手は……まだ来てないですね」


――とはいえ、来るとすればあの人一人だけですけど。


 そこは魔獣フワウワが統べる深い森の中。夜であるためその闇はさらに深く、月明かりさえ届いていない。

 その森の中を、白い雨外套を身にまとった女が一人、特に警戒を見せることなく歩いていた。

 そのフードの下から見える髪は、赤い髪と白い髪がまじりあった特徴的な物。

 その女は名はシェネ。人に命を与える神にして、創世神ソートの元から逃げ、仮住まいにしていたエアロの封鎖神殿からも追い出された女だった。

 だが、行く当てがまるでないという訳でもないらしく、今のシェネの足取りに迷いは感じられない。

 彼女はただゆっくりと、暗い夜の森を歩きながら、目的地を目指す。


「それにしてもエアロめ……。もう自分が下界に干渉できないからって、私をこき使って試練を進めるなんて、何考えているんですか全く。仮にも私母親なんですけど」


 ぶつくさ文句を言いつつも、それでもシェネは足を止めることなく、ようやくそこへとたどり着いた。


「よし。ここならいいですね」


 そこは森にできたむき出しの地層だった。

 かつてあった大地震の影響か……それとも他に理由があったのか。

 とにかくそこには隆起した大地があり、まるで折り重なった木材のように、微妙に違う色彩の土が重なり合っている様子が見て取れていた。

 シェネはその中から、比較的灰色に近い色をした土に触れ、


「さてと、ではひとまず……これに命を与えますか。えぇ、あれのライバルは粘土から作られるのがセオリーですし」


 その言葉と共に、シェネの掌が青白く輝き、触れている灰色の土へと何かを流し込んでいく。

 そして、


『う、おぉ……おぉおおおおおおおおおおおお!』


 それは現れた。

 隆起し、むき出しになった地層を内側から突き破りながら!


「お、おっと……思ったより大きい?」


 むき出しになった地層とほぼ変わらぬ高さで生まれた巨躯。そのサイズはさすがのシェネも予想外であったのか、わずかにひいた様子を見せながら、彼女は数歩飛ぶように跳躍し後退。混乱したように頭をふるい、うめき声をあげる灰色の何かに話しかけた。


「生まれ落ちた気持ちはどう? 粘土の怪物」

『うぉ? あおぉああぉ?』

「やっぱり知能がないのね。まぁ、ただの無機物にHPを与えただけなんだから、ステータスなんてなくて当然なんだけど。扱いとしてはゴーレムが近いモノね」


 言葉など知らぬと言わんばかりの粘土の怪物の態度に、シェネは困ったように眉をしかめ、なにやら考え込むように顎に手を当てる。


「とにかくまず知恵をつけさせないと。ステータス付与はそれからか。とはいえ、リンゴはもう作れないし……別の手段があったはず。たしか女を抱かせる……」


 そこまで言った時、シェネの体は固まった。

 そして、おずおずと粘土の怪物を見上げ、


『うぉ?』

「あ、え、えっと……その、私は抱いてもなんというかアレな感じだから。そ、そのね?わ、わかるでしょう? き、近親相姦とか誰も喜ばないし!?」

『うぁ? ぁああああああああああ!』

「ひっ!? と、とにかくあなたに知恵を与えられる人を連れてくるから、待ってなさい!!」


 それだけ言うとシェネは、一目散にその場を逃げだし、放置された粘土の怪物はほとほと困り果てたように首をかしげる。

 夜の森の中、天を突くような巨躯がただ一人、困惑した様子で身をゆすり続けた。



…†…†…………†…†…



「なんだ今の夢は……」


 頭痛を覚えるその夢の内容を反芻し、朝になって目を覚ましたギルガメスはため息をついた。


「予知……いや。託宣に近いか?」


 彼はたびたびそういった夢を見る。これから起こること、もしくは起こってしまったこと。彼にかかわる重要なイベントの予兆を感じ取ることができたのだ。

 だが、問題なのはこれが未来に起こることなのか、それとももう起こってしまった後の出来事なのか、彼にはわからないということだ。

 対策を立てようにも、それがわからないことには今のところ手出しは難しい。


「それにあの夢の中に出てきたのはフワウワの森。我らはあの森に立ち入ることはかなわん」


 魔獣フワウワの森は、いまだに人類からの侵略を阻み続ける大自然の脅威だ。知恵神ナーブの手により今は休戦体制を築かれているためか、あちらからちょっかいを出してくることはないが、友好的になったわけでもない。

 今でも、森に侵入した人間は、事情など関係なく容赦なく追いかけられ、フワウワに縊り殺されるという事件が続いている。


「いずれ決着をつけねばならんが、それは今ではない。不用意な干渉は控えるべきだろう」


 ゆえに、今見た夢をどうこうする力はギルガメスにはない。念のため、例の夢に出てきた地層があった地点に視線を走らせてみるが、特に変化も見受けられない。きっとまだ起こっていないことなのだろうとあたりをつけ、今できることは何もないとギルガメスは判断した。

 なにより今は、


「それよりも優先すべきことがあるからな」


 その言葉と共に寝室から出たギルガメスを待っていたのは、格闘用の服を携えひざまづく女官たちだ。

 彼女らに瞬く間に着替えさせられながら、ギルガメスは止めることなく歩みを進め、そして服を着替え終えたころには、彼は謁見の間へと到達する。

 そして、そこで待ち構えていた鎧をまとった兵士たちに向かい、高らかに宣言した。


「待ちわびたか臣民共。さぁ鬨の声を上げよ! 獅子狩りの時だっ!!」

「「「「「おぉおおおおおおおおおおおおおおお!!」」」」」


 本日は晴天なり。ザバーナの伝説の再現にはふさわしい日どりだ。

 そう、これからギルガメスは、神話と同じように現れた街道を縄張りにする人食いの獅子を討伐しに出かけるところだったのだ。



…†…†…………†…†…



 王位を継いでからギルガメスは偉大なる王として名を馳せはじめていた。

 人の痛みを知り、人を思いやり、人と共に歩むことを決めた裁定王。

 彼に手によりエルクはさらに発展し、新たな肥料や建築技術の継承などを行う《大学府》や、《ギルガメス法典》の制定による納税・犯罪の明文化。その他、平民にも文字や数学、法律を教える《学院》など様々な物を作り出し、エルク全体の繁栄のために尽力していた。

 だが、同時に彼は、ルガルバンダの延命をイシュルに断わられたことを根に持っていた……。

 王宮を神殿とは別に作り、行政機関を完全に神殿から分離させ、イシュルに与えている男を削減。おまけに金の無駄遣いとして新たな神殿の建設を禁止し、現存した神殿も極端に参拝者が少ないところは容赦なく取りつぶし、農地やほかの重要施設へとつくりかえて行った。

 これにより人々はギルガメスを称えながらも、内心では神をないがしろにする王として懼れ、神々は明らかに自分たちに対して反抗的な裁定王ギルガメスの態度に、ほとほと困り果てていた。


 そんな中、突如現れた神話を思わせる人食い獅子の台頭。

 これはチャンスだと、ギルガメスと神々は双方に考えた。


 ギルガメスは、この討伐をあっさり終わらせることにより自らが神に匹敵する力を持つと知らしめ、神を称えよとうるさい神官たちを黙らせる契機になると考え、

 神殿側はギルガメスがこの偉業を達成することにより、ギルガメスにザバーナの生まれ変わりとしての属性も付与し、より神々に近い存在であると示し、ギルガメスの考えを改めようと考えたのだ。


 こうして互いの利害が一致したことによって獅子討伐は盛大に行われることになり、直接の討伐を行うギルガメスと、その彼の道中の安全と戦った後の治療などを行う大軍勢が用意され、今日出立することになっていたのだ。

 だが、


「お待ちください! 御考え直し下さいギルガメス王!」

「……また貴様か。シェムシャーハ」


 その遠征に頑なに反対する者がいた。

 きりっとした凛々しい顔立ちに、後で編まれた小麦色の三つ編み。そして背負子に乗せられた無数の粘土板を背負ってなお、ゆるぎなく大地を踏みしめる体の身長は非常に高く、頭部は騎乗するギルガメスとほぼ同じ高さまで到達していた――女性学士であった。


「貴様には新たな家畜の開発と、畜産の効率化を命じたはずだ。獅子を救えと命じた覚えはない。疾く失せよ、シェムシャーハ。獅子狩りにおいて貴様に語るべきことなどないわ」

「神に頼らず、自ら考え、自ら行動することを推奨されたのは我が王ではありませんか! ですから私は王に任命された学士として、この遠征に異を唱えさせていただいているだけです! どうかおやめください!」


 そういうと、女性学士――シェムシャーハは、無数の粘土板を地面に並べ、この遠征がいかに無駄で、かつ自然に打撃を与えるものかを滔々と語りだした。


「私の調査したところ、この獅子達ははるか南の草原にて活動していたものが北上してきたものであると推測されます。現在あちらの草原では干ばつが続いており、草の類が激減。草食動物がいなくなっています。ですから彼らは食料を求め、この国へとやってきたのです。あちらの食糧事情が改善しさえすれば、彼らは再びあの草原に戻るはず。ですが、ここでわれらが彼らを殺してしまえば、次に生態系が崩れてしまうのはあの草原です! 天敵がいなくなった草食動物たちは復活した大地にて更なる繁栄を手に入れ、瞬く間に草原の木々を食いつくしてしまうでしょう! そうなれば貴重な草木の資源はなくなり、残るのは不毛の大地だけです! どうかご再考を! ここで獅子を狩ってはなりません!」

「わからん奴だな貴様もっ!」


 ギルガメスも、その主張が正しいことは認めていた。

 確かに奴らは食糧難で北上していた脅威だ。実際南の草原がまともな状態になれば帰る可能性も低くはない。だが、


「奴らはすでに人を襲った。人の肉の味を覚えた! 狩るのも苦労する草食の獣を襲うよりも、あっさりと栄養価の高い肉を得られる存在であると、我ら人間を認識したのだ! 放置すれば再び我が国の人間が襲われる。王として、それを許容するわけにはいかん!」

「っ! で、ですが……」

「それともなんだ? 貴様は今回獅子にくわれて家族を失った面々に言うのか? どうか自然の調和のために、お前たちが払った犠牲は無視してくれと。これから家族を失いかねない人々に言うのか! 自然のために獅子の飯になれとっ!」

「……………………」


 ギルガメスのその言葉に、シェムシャーハは黙り込むしかなかった。

 確かにギルガメスの言うとおり、獅子はもう人に被害を出し始めていた。食われた人間も多数いると聞く。

 それによって貿易路は寸断され、商人たちは獅子討伐が終わるまで行商を自粛したい旨をギルガメスに報告しているのだ。

 このままではせっかく構築された行商路が再び自然に飲み込まれる。

 数多の輸入品の恩恵を受けている都市の王として、それは許容できないことも、優秀なシェムシャーハは理解できていたのだ。


「……シェムシャーハよ。貴様の無念もわかる。もともとはフワウワとの和解を行う為、獣との共存をめざしていた貴様が、畜産の発展に尽力することすら不服であることもだ。だがそれでも、貴様は人間で、俺の国民だ。貴様を獣に落とさぬために、俺は貴様を人の側に立たせる義務がある。わかるな?」

「……はい。ギルガメス王」

「政治的色合いが強い遠征と聞き、政治的不利益を示せばまだ止める余地があると考えたのだろうが……賽はすでに投げられたのだ。もはやこの遠征、止めるわけにはいかぬ」


 ギルガメスのその言葉を聞き、シェムシャーハはがっくりとうなだれながら粘土板を背負子に戻し道を開ける。

 それをギルガメスは申し訳なさそうに通り、彼の後ろに続く兵隊たちからは「せっかくの偉業にケチをつけやがって」という不満の色がにじんだ視線が届けられた。

 そうして獅子討伐へと向かっていったギルガメス王とその軍勢の背中を見送り、シェムシャーハがそっとため息をついたときだった。


「あんた一体何考えてんだぁああああああ!」

「いったぁ!?」


 見物客の中からその様子を冷や汗交じりに見ていた、彼女の弟子が、盛大な怒号と共に粘土板を背負った彼女の背中にドロップキックを叩き込んだ!



…†…†…………†…†…



「まったく、殺されたって文句は言えませんでしたよ!」

「ギルガメス王は聡明なお方です。私怨で民を殺したりはしません」

「だとしても無礼だったと言ってんですよ! 王が許しても兵隊の逆鱗に触れれば、王が止める間もなく袋叩きにされた可能性だってあるんですからっ!」


 がみがみ自分を怒鳴りつける少年――メシエトの言葉に、シェムシャーハはシュンとうなだれ、ごめんなさいと呟く。言い訳をしていても、かなり無理をしたという自覚はあったらしい。

 そんな彼女に、目元を隠すように伸ばした黒髪を揺らしながら、メシエトはため息をつき振り返る。


「先生。俺はまだ先生から教えてもらうことがたくさんあるんですから……お願いですから、無理しないでください」

「はい……」

「で、どうするんです?」

「……どうしましょう」

「なんです、諦めるんですか?」

「軍が出てしまった以上、私にはもう止めるすべはありません。あまねく大地を見渡す王の目にかかれば、獅子達も逃げることはかなわないでしょう。彼らは狩りつくされる。これは確定事項です」


 諦観とともに告げられた、絶対王者たるギルガメスに対する信頼。狩ると言えば必ず狩ってくる常勝無敗の狩猟者の実力を、シェムシャーハは疑っていなかった。

 それはメシエトも同じなのか、ため息とともに首を縦に振り、


「なら……今回は仕方ないですね」

「はい……」

「でも、次も諦める必要はないかと」

「っ!」

「頑張りましょう先生! 今回は間に合いませんでしたけど、次までにはきっと……獣たちと会話を交わすすべを、身に付ければいい! そうすればきっと……」


 弟子のその言葉に、シェムシャーハは驚いたように目を見開き、そして笑った。


「えぇ、そうですねメシエト。はい、挫折なんて今まで幾らでもつんできたんですから。このくらいなんてことないです!」


 そう言って笑う師匠の姿に、メシエトはほっと安堵の息を漏らした。


――よかった。これでまた、先生は立ち直れる。


 そう確信できたから。

 だが……。



…†…†…………†…†…



 その日の深夜のことだった。

 動物の意志を読み取る翻訳術式の開発の途中で寝落ちしてしまったシェムシャーハに、女の声が聞こえてきたのは。


『起きなさい……シェムシャーハ。起きて』

「ん? んぅ~。誰?」


 深夜ということもあってか、再び堕ちようとする目蓋を必死に押し上げつつ、シェムシャーハは座っていた椅子の上から立ち上がる。

 そして、


『こちらです。シェムシャーハ。人以外の命を慈しむものよ』

「……え?」


 声が聞こえた方へと視線を向けると、そこにはあり得ないものがいた。


 現在のバビロニオンにおいては民間で使われる建物は二階建が主流であり、シェムシャーハが籍を置く大学府でもそれは変わらない。

 大学府は、その二階建て建築を街のように並べて集めた建築物の集合体であり、その一軒一軒に教授が住み、学生はその教授のすみかである建物を訪れ授業を受けるというのが一般的なスタイルだ。


 余談だが、その授業を受ける学生の中から優秀な人物が一人選ばれ弟子となり、教授の後継として共に寝泊りすることが許される。メシエトはこの制度によって現在シェムシャーハと同居しており、今は彼女の研究室の隣の私室で寝ていた。


 閑話休題。そのような仕組みであるためか、教授が住む建物は、一階は教授が教鞭を振るう教室となっており、二階は教授が寝泊まりと研究を行う居住スペースと研究スペースになっているのが一般的な構造だ。

 当然のごとく、その流れに歯向かう理由もなかったシェムシャーハの研究室は二階にあるわけなのだが……その二階の窓から、真っ白な外套を纏った女がこちらを見つめているではないか。

 バビロニオンの建物は気基本的に土を固めて真四角にした単純な作り。庇やベランダなんて上等なものはなく、足をかけるような余地ももちろんない。

 窓から人が顔をのぞかせるなんて、普通に考えればあり得ないことなのだ。


 だが、その女は確かに窓から顔をのぞかせ、白い髪が混じった赤毛をフードの下から漏らしながら、シェムシャーハに話しかけていた。


『あなたにお願いしたいことがあるのです』

「え? わ、私? いやそれよりも……あなたはいったい?」

『私の名前はシェネ・レート。《生命神》シェネ・レートです』

「なっ!?」


 創世神ソートの眷族にして、生き物に魂を与える者。

 そう呼ばれる神話のビッグネームの出現に、シェムシャーハは度肝を抜かれた。


 この時彼女はまだ知らなかった。

 自分が運命と出会うことを……。


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