裏切りの宴
イシュルは流星のように空を駆ける。
「早く……早く! 急がないと!」
途中彼女の知り合いの神や、彼女が支配下に組み込み義理の母娘としての縁を結んだ神々ともすれ違ったが……会話や挨拶をしている余裕はなかった。
イシュルが目指す場所は、エルク・アロリアの大監獄。そこに収容されているセント派の残党だ。
そのどれもがいつ死刑実行を食らってもおかしくない凶悪犯罪者たちであり、わずかでも時間をロスしてしまえば人数が減ってしまう。
だからこそ、イシュルは止まることなく天を翔ける!
マアヌルァの全力を振り絞り、早く――速く――ただ疾く!
やがて明け方の日差しが差し込む頃、イシュルの視界に原始人類の都――エルク・アロリアがその威容を現した!
周辺を覆う巨大な城壁に、自分の神殿とは比べ物にならないほど巨大な黄金の階段神殿。
農耕などの民のほとんどはエルクに流出してしまったため、現在この町に住まうのは、エアロや神々を称える神官たちのみ。
白いヴェールを頭にかぶり、しずしずと街の中を歩く神官たちの一団を見下ろしながら、イシュルは一直線に町の東にある箱型の建築物――エルクの大監獄へと吶喊した!
「どっりゃぁあああああああああ!」
激突。轟音!
盛大に壁を粉砕しながら、監獄に乗り込んだイシュルは、マアヌルァから軽やかに飛び降り、高らかに告げる。
「私は女神イシュル! セントの罪人たちに用があってきたわ! どこにいるか教えなさい!」
突撃したのはちょうど牢屋の中だったのか、中にいた一人の男はイシュルの威容に度肝を抜かれながら、震えた手で監獄内部にある中庭を指差した。
「え、えっと……その」
「なに! 急いでいるの! 早く言いなさい!!」
「せ、セントの罪人なら昨日夜遅くに刑が執行されて……」
「……え?」
慌てて監獄の鉄格子をぶち抜き、イシュルは廊下にあった窓に駆け寄る。
そこで見たものは、
「あぁ、ようやくだ……ようやく終わったよ。これで、これで……」
無残にも首を亡くした無数の死体と、その前で泣きくれる老神官の姿があった。
「そ、そんな……」
騒ぎを聞きつけ、大きな仕事を終えて休暇を取っていた浄罪官が集まる中、イシュルはへなへなとその場に座り込み、あんまりな現実に膝を屈した。
…†…†…………†…†…
「えっと……つまりイシュル様は、昨日処刑された罪人たちを冥界に連れ帰りたいがためにここに吶喊かまされたと」
「まぁ、そういうことよ……」
「あの……ここの修繕費もただではないんですけど」
「なんいかいった?」
「いえ……なんでもないです」
監獄の取調室。
そこでは、ちょっと泣きそうな顔をしながらも、それでも不満はもれてしまった今代浄罪官代表――クユリアが、不機嫌そうなイシュルの鋭い眼光に沈黙を余儀なくされた。
失った右目とそこに走る古傷によって、顔に凄みがでている彼女は、眼光のみで罪人をおびえさせ、その名前を聞いただけで罪人が逃げ出すという偉大な戦士なのだが……さすがに神の眼光には抗えぬのか、ちょっと肩身が狭そうな雰囲気を発しながら、使い慣れていない敬語で事情を説明した。
「実は昨日の夜、たまたまエアロ様が暇だったらしく、書類仕事を一気に片づけられまして……。その中にあの罪人どもの処刑認可もあったんです。あいつらに娘を殺されたシャマル神殿に仕えるあの神官長は、それにもう喜ばれて……勢い余って昨日のうちに罪人すべてを処刑されてしまわれて……」
「千人ぐらいいたはずと聞いているけど?」
「はい。おかげで神官長には《千罪斬》という二つ名が与えられました。死後は断罪の神として、シャマル様に仕えられることが確定したとか」
当然のごとく、今イシュルが聞きたい情報はそれではない。そのため、見る見るうちにイシュルの体からは怒気があふれだし、歴戦の浄罪官たるクユリアを締め上げた。
「わ、私に一体どうしろと!?」
「決まっているでしょう! 私には代わりに千人ほどの生贄が必要なの! どっかにいないの!? なんか殺してもよさそうなあくどい奴らとか!」
「し、神官の中にでしたら、あなたのためになら命を投げ出すというモノもいるのでは!」
「ダメよっ!」
恐怖のあまり、クユリアの口からとんでもない提案が飛び出したが、イシュル自信がそれを強く否定した。
「そんなことしたらソート様にわたしが殺されちゃうでしょう!」
「え? ソート様にあったのですか!?」
「いまそれは関係ないでしょう!?」
「あ、はい」
「それに……」
「……それに?」
「私のことをそこまで崇めてくれる人たちの命を、むげに扱うことはできないわ!」
その言葉を聞き、クユリアの体から一瞬力が抜けた。
――あぁ、そうか。この人は身勝手でとんでもないわがままを言ったあげく、自分の目的のためなら他人の迷惑なんて顧みない人だけど、それでも神としての資質はきちんと持っておられるのか。
それを悟ったクユリアは、先ほどまで浮かべていた怯えの表情をかきけし、事実を告げる。
「申し訳ありませんが、セント派の罪人どもは昨日処刑された連中で最後です。いまのバビロニオンには、大規模な犯罪者集団はもうありません」
「そんな……」
「ですが!」
それと同時に、クユリアは立ち上がり、部屋の壁際においてあった書棚の中から、一枚の粘土板を取り出した。
それは、どうやら地図のようで……。
「何よこれ?」
「セント派を追っていた時に、各地の浄罪官が見つけた、罪人たち所在が記された地図です。その中にはセント派の追跡を継続するために見逃された罪人も多く、ほとんどが元の場所に残っているはずと言われています」
「……つまりっ!」
「本当なら休暇が終わった時にまとめて一掃する予定だったのですが……これだけ数がいれば、イシュル様の目標には届くかと」
そこまで聞いた瞬間、イシュルは思わずクユリアに飛びつき、その無骨な体を抱きしめた。
「ありがとう! ありがとうねっ! あんた本当に最高よっ!」
「あ、ありがたき幸せ!」
「なんなら私の神官として迎えてあげてもいいわ! 絶世の美貌を与えてあげるわよ」
「あ、いえ。私一応シャマル様の神官なので、それはちょっと」
「そこは素直にありがとうって言いなさいよっ!」
割と本気で遠慮された事実にイシュルが怒号を上げる中、少し笑みを浮かべたクユリアは言う。
「あなたがいないと、世界はまわりません。どうか、ご武運を」
「言われずともよっ! 期待して吉報待ってなさい!」
そう言いながら、イシュルは取調室から飛び出し、崩壊している牢屋に放置してあったマアヌルァの元へと駆けて行った。
そんな彼女を見送った後、クユリアは座っていた椅子にもたれかかり、吐息を漏らす。
「それにしても、タイミングが良すぎますね」
『やはりそう思うか?』
彼女の疑問に答えを返したのは、エアロジグラッドにてその光景を見ていた彼女の守護神――シャマルだった。
「えぇ。今回の処刑はいきなりすぎた。確かに死刑は確定な連中でしたが、わかっていない余罪も多く、どの程度被害を出したのかはまだ把握できていなかったのに……まるで狙いすましたかのような処刑執行許可です。それに、あの老神官にのみ託宣が下ったのも気になります」
『確実に殺し、迅速に終わらせる。そういった人材を選んだとも取れるな……』
シャマルの言葉に首肯を示しながら、クユリアは立ち上がった。
「エアロ様は……やはり何か企んでおいでなのか。シャマル様は何か御存じで?」
『いや。あの方の目論見だけは俺にも読み取れない。ただ、リィラとニルタも、最近のエアロ様の行動に疑問を持っているらしく、俺に相談に来た。話を聞く限り冥界のソート様とも連携は取られていないようだし……いくらなんでも怪しすぎる』
「ですね……」
そしてゆっくりと歩を進め、監獄を出た彼女は、街の中央にそびえたつ黄金神殿を見上げ呟いた。
「暫く、ジグラッドの監視をしてみます。天界の方はお任せしても」
『あぁわかった。最悪あの監獄からマルアトに来てもらう必要があるかもしれんな……』
「封緘神――神を封じる神の御出座ですか」
――できれば、そんなことにはなってほしくないのですが。
ため息交じりの呟きをもらし、彼女は振り返る。
そこには、監獄から飛たつ黄金の矢が、中天の太陽を貫くように空を駆けあがっていた。
…†…†…………†…†…
それから約二日……イシュルはバビロニオン中を飛び回った。
東に盗賊団がいれば、黄金の矢を降らせ駆逐し、
西に殺人鬼がいれば、空中からの奇襲で蹴りを叩き込み意識を刈り取り、
北に悪徳神官がいれば、神殿もろとも消しとばし、
南にできつつあった第二の悪徳の都を、山脈を滅ぼした光線で焼き払った。
だがしかし足りない。まるで足りない。
中途半端な規模の盗賊や、悪徳の都モドキ風情では、到底イシュルの目標に到達する人間を集めることができなかった。
「どうする……どうするの! どうすればいいのっ!」
そして三日目。いよいよ与えられた地図の罪人たちの居場所がすべてつきてしまった。
もう罪人のあてはない。一から探し回っている余裕もない。
クユリアが計算を間違えたのか……それとも何者かによってすでに討伐されたか……。目標まで足りていない人数は、百人弱もある。探している間に制限時間を過ぎてしまう。
「あぁ、もう! こんな時に限っていい考えが……いい考えが……いい考え?」
そこでイシュルは気づいた。
エルク・アロリアに行くときは早さが命だったためよらなかったが、よくよく考えれば時分には優秀な副官がいるではないかと。
「そうだ、ナーブに知恵を借りよう! あいつなら……あの人なら、きっといい案を私にくれるはずだ!」
それは冥界から自分を脱出させてくれた男の名前。奪われてしまった絆を結んでいた、自分が最も信頼する男の名前。
今はその絆を失ってしまったため、特別な信頼を預けているわけではないが、だがそれでも自分を冥界から出してくれた男だ。きっと、いいアイディアをくれるだろうと――イシュルはそう考えた。
だから彼女は船首をエルクに向け、一筋の光となって天を翔ける。
――きっと彼ならなんとかしてくれるという気持ちを胸に抱き。
それが新たに生まれた絆だということに気付かぬまま……そしてその絆こそが、イシュルを生き地獄に落とす罠だということにも気づかぬままに。
…†…†…………†…†…
エルクの堤が完成した。
巨大な大河が街の中を通り、目に見えて減っている食料に不安を覚えていた人々は、ひとまず水の心配をしなくてよくなったと喝采を上げる。
歓声と共に、河に入り、仲間たちと泳ぐエルク市民を神殿から見下ろしたナーブは、ほっと一息を付きながら、
「ほ、本当によろしいのですか?」
「かまわない。あれだけ頑張った職人や、飢饉対策よりも、この工事を優先させることを許してくれた市民のために、これはやらなくてはいけないことだ」
「で、ですが……イシュル様が大変な状況で」
「それを解決するためでもある」
神聖娼婦から届けられる震えた声に、ナーブはそっとため息をつきながら、わずかに傾き始め西の稜線に近づいていく太陽を見つめる。
「これは命令だ、リタニ。拒否は許さない」
「……はい」
太陽から届けられるイシュルの現状は以下の通りだ。
このままでは到底間に合わないという事。
そして、それを悟ったイシュルが自分に助けを求めに来るという事。
なら、自分のやれることは一つしかない。
神官や人間を犠牲にできないというのならば、犠牲にしやすい相手を作ってやればいい。
幸いなことに、イシュルは自分との絆を失っていると聞く。ならばなおのこと、自分のことはなら犠牲にしやすいだろう……と。
だから、イシュルが大変な時だからこそ、
「さぁ、盛大な宴を始めよう!」
ナーブは、イシュルを裏切った。
「イシュル様が大変だろうがそれは神々の事情だ、君たちには関係ない! どうか思うままにのみ食らえ! このナーブがすべての不敬を許そうぞ!」
今、エルク史上最低と言われた、女神を裏切り宴が始まる。