エアロの目論見
エシュレイキガル神殿最上階。そこでは現在、二度目の神々の交渉が行われていた。
「へぇ~、身代わりになってくれる人を連れてくるって?」
「あぁ……」
苦虫をかみつぶしたような顔でその提案を告げるソートに、エシュレイキガルは面白いものを見たと言いたげに口元を吊り上げた。
「あんなに私が地上に出たときは、誰一人として死んでほしくないって言っていた人が、どういう心境の変化?」
「事情があるんだよ……」
「事情?」
「私がいなくなった下界はどうなっているか知っている? 私が帰れないせいで今大変なことになっているのよっ!」
そこに口を挟んできたのは、妙に強気な態度になったイシュルだった。
その声を聴き、あからさまに機嫌が悪くなり眉をひそめたエシュレイキガルは、鼻を鳴らしながら答えた。
「知っているよ? 草も木も動物も、次々死んで行っているみたいだね」
「え?」
「私は冥界の女王だよ。命が死ねば魂はここに堕ちてくるんだから、知っていて当然でしょう?」
「だ、だったら!」
「で、それが私に何か影響を及ぼすの?」
「――っ!」
冷たく言い放たれたその言葉に、イシュルはあんぐりと口を開け氷結した。
だが、エシュレイキガルとしては本気で下界で何が死のうがどうでもいい。
「冥界はただでさえ静かなんだから、にぎやかになるのは大歓迎だよ。なんだったら、地上の生命はみんな死んで早くここに来てほしいとさえ思っているのに。あなたをとらえることで、それがかなうのなら、私は遠慮なくこの交渉を拒絶するけど?」
「というわけだ。はなから価値観が違うんだから、お前は交渉相手にならない。お願いだからちょっと下がってろ」
ソートにそう言われ、すごすごと後ろに下がるイシュルをしり目に、ソートはにやにや笑うエシュレイキガルに言う。
「とにかくだ、そういった下界の事情をかんがみて、これ以上死者が増えるのは創世神として看過できないという訳だ。だから少々主義に反する行為であったとしても、イシュルには下界に帰ってもらう。それに、地上で人が死に続けると、お前にも一つ問題がでてくるだろう?」
「なに?」
「冥界が忙しくなれば、ただでさえ合う機会がないザバーナがさらに来なくなるぞ?」
「それは困るっ!!」
今度のエシュレイキガルの反応は劇的だった。
顔は青ざめ口元は戦慄き、ダラダラと冷や汗をかきながら必死にその未来を回避するための手段を模索する。
もっとも、ダシに使われたザバーナはソートの隣で何か言いたげな顔をしているが、それで交渉がうまくいくならと今回は見逃すことを決め、沈黙を貫いた。
「ただでさえ最近会ってなかったのに! お兄ちゃん、私のことが嫌いになったの!?」
「えっ?」
「うそ……ザバーナ様あんな小さな子が好きなの!」
「風評被害も甚だしいぞっ!」
さすがにそこには訂正を入れてきたが……。
「ご、ごほん。まぁ、お前とザバーナのちょっと犯罪チックな関係は、あとでこいつの嫁に報告するとしてだ」
「ちょ!?」
「お前とザバーナの生活を守るためにも、ここは譲歩しておいた方がいいんじゃないか?」
「………………」
ソートの言葉に、エシュレイキガルは僅かにホゾを噛み……そしてため息をついて、頭を振った。
「仕方ないなぁ……」
「っ! それじゃぁ!」
「三日間だけ、下界への帰還を認めてあげる。まぁ、成功したらお兄ちゃんと遊べるようになるし、失敗したら失敗したでお姉ちゃんへの嫌がらせがはかどるから、私に損はないしね」
「よしっ!」
エシュレイキガルの言葉に、イシュルは思わずガッツポーズをとる。
そんな彼女の態度に呆れつつ、ソートもひとまずひと山越えたかとほっと安堵をする中、
「ただし、一つ条件があるよ?」
「「え?」」
エシュレイキガルが最後の抵抗を見せた。
「お姉ちゃんがちゃんと身代わりを連れてくるように、ソートおじちゃんを担保として冥界にとらえます」
「……なっ!」
エシュレイキガルの提案に、ソートが思わず声を上げた。
当然だ。イシュルの身代わり探しなんて無謀なまね、イシュルだけに任せるつもりなど毛頭なかったソートは、イシュルと共に下界へといき、デスペナ覚悟でイシュルの身代わり探しに付き合うつもりだったのだ。
だが、結果としてそれは封じられた。
「お姉ちゃんは話を聞く限り、身勝手で、勝手気ままで、自分がすべての頂点になっているなんて勘違いしているから、下にいる人との約束は簡単に反故にしちゃうからね。このくらいの保証はあってしかるべきでしょう」
「流石にそこまでひどくはないわよ! ねっ! ソート様!」
あまりにひどい言われように、流石のイシュルも猛然と抗議の声を上げるが、
「……………………」
「あ、あれ? なんでそこで黙っちゃうんですか? ねぇ! 私そこまでひどい女じゃないですよねっ!」
「……サッ」
「何で目をそらすんですかっ!?」
頑なにイシュルの方をみようとしないソートの反応に、ちょっとこれからは自重しようと思うのだった。
…†…†…………†…†…
こうして、イシュルはひとまず奪われたいくつかの力を返してもらい、冥界の門の前へとやってきていた。
返還してもらえたのは神器である、天船マアヌルァと、山脈を滅ぼした弩のみだが、女神としての権能を振るうのならばこの二つがあれば十分だろう。
そんなイシュルに対し、担保として冥界に残ることになったソートはというと、
「いいかイシュル! よく聞け。期限を区切られちまった以上、今回は時間との勝負だ! 幸いエシュレイキガルは誰を連れてくるかということに関しては、制限を付けなかったから……手はある」
「というと?」
必死の形相で。シェネから伝えられた作戦を、エシュレイキガルに伝えていた。
それはそうだ。この作戦が成功するか否かで、下界における豊穣不足の被害がどの程度で抑えられるかが決まるのだ。
これで失敗しイシュルが冥界に封じられれば、人類全滅待ったなしな状況である以上、失敗は許されない。
「ナーブからの報告を聞く限り、神と身代わりとなる存在は次の二つ。一つは、神の一柱。もう一つは、千人弱の人間の魂だ。だが、身代わりになっていい神なんてそうそういない」
「私の二の舞になるからですね?」
「そういうことだ。というわけでお前が選べる手段は千人弱の人間の魂ということになる」
「それって……私に大量虐殺をしろってことですか!?」
「そんなわけあるかっ! というかしたら、エシュレイキガルの前に俺がお前をぶち殺すわ!」
割と真剣身を帯びたソートの脅迫に、イシュルは顔をひきつらせながら「わ、わかりました」と、だけ答える。
そんなイシュルの姿に、本当にわかっているのかと不安を覚えながら、ソートは解説を再開した。
「当然のごとく虐殺なんて論外だ。お前だってわざわざ自分が守っている人間を、むやみに殺すほど馬鹿じゃないだろう」
「は、はい……」
「というわえで、お前は約千人ほどの冥界に堕ちていい人間を、探し回る必要があるということだ。そして幸いなことに、そいつらは今浄罪官達によってとらえられ、一か所に集められているらしい」
「それって……」
そこで思い至ったのは、なにやら虚言のような気配がしてきた、もともとイシュルが冥界に降りることになった理由。
「そう。悪神セントにかつて仕えた、悪徳の都の残党。死刑執行を待つばかりの、生きた屍どもだ」
…†…†…………†…†…
こうして、冥界の七門をぶち抜き、黄金の矢が下界の天へと駆け上った。
時刻は夜。
星々の海を駆け抜ける黄金の光を、エルクの鐘楼から確認したナーブは、ため息と共に腹をくくる。
「ひとまず無事に脱出できたようですねイシュル様。ならば次やることは……」
ナーブはそう言いながら鐘楼を降り、授けられた知恵の行使を実行する。
すべては、己が神――イシュルが平穏に過ごせるようにするために。
…†…†…………†…†…
同時刻。エルク・アロリアにて。
「ど、どうして突然死刑執行を!?」
「書類手続きなどは終わって……」
「だまれ、すべてはエアロ様のおぼしめしだ」
老いた体を引きずり、一人の老神官が世界最古の監獄の中を歩いていた。
その後ろには突然の老神官の襲来に慌てる看守たちがいたが、かれらの抗議など、馬耳東風と聞き流しながら、老神官は一直線にある場所へとやってきた。
そして、
「でろ……貴様ら」
目的の場所にたどり着いた老神官は、この日をずっと夢見ていたといわんばかりの笑顔を浮かべ、そこにあった牢屋にいる人物たちをねめつける。
「娘を、妻を殺した罪……今こそ償ってもらうぞ。セント派の野蛮人共が」
怒り狂う復讐者の魔の手が、イシュルの希望へと延びていた。
…†…†…………†…†…
海底の神界にて、シェネとエアロが久し振りの邂逅を果たしていた。
「なんてことを……なんてことを! イシュルを地上に戻すだけなら、このまま大人しくすすめさせればよかったじゃないですかっ!」
『何を言う母上。それでは足りないんだよ』
自分のやらかしたことに恐怖を覚え、震えるシェネに対し、エアロはあくまで淡々とした声音で、事の次第を見届ける。
『イシュルにはこの後生まれる英雄のために、神陣営の敵対者になってもらう必要がある。英雄が神に憧れてしまっては、英雄ではとどまってくれず神に上がってきてしまうからな。そのためには、奴には直情的な行動をとる、単細胞な猪女神で居てもらう必要があるのだ。ナーブの補佐を受け思慮深い行動などとられては、それは到底望めまい。ナーブはここで何としてでも殺す』
「で、でも」
『奴を地の底に封じ、私と協定を結んだ母上は言ったではないか? もう後戻りはできないと。いかなる手段をもってしてでも、この世界を守って見せると。まさかそれをたがえる気か?』
「そ、それは……そう、だけど」
言いたいことはいろいろある。だが、シェネはそれを言う資格がなかった。
ソートを欺き、人を殺し、エアロと結託した自分に、いまさら正論を語る資格がないことくらい、彼女が一番理解していたから。
『なぁに、心配することはない。今、英雄が生まれさえすれば、人智を超える存在になる。天の試練により、半神半人の体を与え――竜の試練によりフワウワを討伐させ――神の試練によりイシュルに抗わせ――人の試練によって不老不死を獲得させる。慮外の肉体に、龍と神を殺した実力を付与。そこに不老不死が合わされば、おおよそ外敵など一人で駆逐できる怪物が出来上がるだろう』
そう言いながら、ウィンドウの向こうでエアロは何かを手で弄んでいた。
黄金に輝く、美しい球体を。
『偽りだらけの生活も、終わりは近いぞ、母上。あともうひと頑張りだ』
不気味な笑顔を浮かべるエアロの言葉に、どうしようもない寒気を覚えながら、シェネはそれでも「あとすこし……あとすこしだ」と繰り返した。
エアロを止める言葉は、ついに放たれることはなかった……。
というわけで、次は《魔の試練』クライマックス!
フワウワを竜の試練にするのはちょっとあれかなって思ったけど……まぁいいや。
イシュルとナーブの運命はいかに!