カルマ霊の代償
冥界には、カルマ霊と呼ばれる特殊な亡霊がいる。
この亡霊は生前、人を脅し物を奪った罪によって、エシュレイキガルの領域へと投獄された者たちがなる霊で、その性根は非常に残忍冷酷。
本当の強者には強気に出れないという、戦士には向かぬ性格であるが故、ザバーナとの戦いでは呼ばれないが、代わりに彼らにはある特別な役割が与えられている。
それは、何らかの理由によりエシュレイキガルに代償を支払わなくてはならない者達からの、代償の徴収。すなわち、冥界の取り立て屋である。
特に冥界へと続く七門を預けられたカルマ霊たちの力は強大で、冥界七門の周辺においては神すらも抗えない力を発揮する。
「何よあんた? いきなり私の物を奪おうだなんて、失礼な奴ね」
「うごごっごごごご!」
たとえ、イシュルに叩き落とされた挙句、その足でグリグリ踏みつけられようが、強大な力を持つ亡霊なのだ!
ほんとどうしてこうなった……。
「き、貴様っ! こ、このカルマ霊に向かって不敬な!」
「はあ?」
「いだだだだだ!? す、スイマセンスイマセン! チョーシこいてスイマセンでした!」
所詮はもともと雑霊上がりの亡霊。しかも罪人の魂上がりの使役霊である。未だ下界の色が濃い第一門では、さすがにイシュルに対抗しうるほどの力はもっていない。
だが、
「とにかく、これを通れば冥界に行けるのね?」
「そうです! ただまぁ、なんと申しましょうか……」
「じゃぁ、通るわよ?」
「あ、ちょ!」
だからと言って仕事ができないわけでもないのだが……。
カルマ霊をボッコボコにして、門をくぐる許可をとったと勝手に判断したのか、イシュルはカルマ霊の静止の言葉も聞かず、ひとまず岩のアーチをくぐってみる。
だが、特に何も起きない。岩のアーチをくぐっただけで、イシュルが別の空間に行くことはなかった。
これではただの間抜けの所業。イシュルは額に青筋を浮かべながら、申し訳なさそうに浮遊するカルマ霊の首めがけて蹴りを放つ!
「あだっ! ひどい!」
「どういうこと? あんたボコボコにすれば通れるんじゃないの?」
「そんなこと一言も言ってないんですけど!?」
理不尽すぎるイシュルに悲鳴を上げながら、蹴り飛ばされクルクル空中で回転しながら、カルマ霊は冥界七門の説明を開始する。
「冥界は陽のささぬ、冷たい静寂の国。それこそが秩序であり、守るべき掟です。その静寂を守るために、エシュレイキガル様は冥界にはいるための法を設けられたのです」
カルマ霊曰く、
『一つ、冥界に入るものは財産を持っていてはいけない。
一つ、冥界に入るものは権力を誇示する装飾をしてはいけない。
一つ、冥界に入るものは他者を傷つける物を持っていてはいけない。
一つ、冥界に入るものは衣をまとってはいけない。
一つ、冥界に入るものは肉体をもっていてはいけない』
それこそが、エシュレイキガルが定めた法律であり、何人も破れぬ聖なる掟なのだという。
「なによそれ、勝手な話ね!」
「ですが冥界においてはエシュレイキガル様こそが法にして掟。あの方が決められたことは、神であろうと逆らえません。幸いあなた様は神であるため、肉体をもっておられませんから最後の一つはクリアされておられますが」
そう言いながら、カルマ霊はイシュルの周囲を飛びながら、持ち込み禁止の物品を指摘していく。
「装飾品、洋服、そして先ほど使っておられた船や弩などは、置いていってもらわねば」
「……弩は見せていないはずだけれど?」
「おぉ! そう荒ぶらないでくださいませ。私めは七門を通れるよう、死者の体裁を整える亡霊なのでございます。当然のごとく、その魂が持っているものを見定める権能を有しており、断じて不正な手段でのぞき見したわけではないのです」
「……ちっ」
女神らしくない舌打ちを漏らしながら、イシュルは弩を顕現させる。
それを見て、観念したかとカルマ霊がほっと溜息をつき切かけたときだった。
「つまり、この門をぶっ壊せば死者が冥界に行くこともなくなるってことね? 冥界のバランスを取り戻すことが仕事だったけど、背に腹は代えられないわ。あっちはザバーナ様に頑張ってもらいましょう」
「と言いたいところだったのですが! 今ならなんと冥界門通行料は九割り引きっ! 御耳に付けていらっしゃるイヤリングだけでいいですよマジでっ!」
「あらほんとう?」
やべぇ。と本能的に察知したのだろう。この女はやると言ったらやる女だと。
そのため、カルマ霊は慌てた様子で譲歩をイシュルに告げた。
さすがのイシュルも九割り引きと聞いては特に損した印象をうけなかったのか、今度はおとなしくイヤリングを渡してくれる。
次の瞬間だった。
「あら?」
「いま、代償の支払いにより第一の門が開きました。先にお進みください」
何もなかった岩のアーチの中が一変。まるでアーチの中の空間だけが切り取られ、別の空間が張り付けられたかのように違う景色を映し出した。
広がるのは、こことは違って巨岩が目立つ、凹凸の多い黒の世界。
「これが、冥界なの?」
「いえ。冥界門はすべてで七つあり、それらすべてを潜り抜けなければ冥界へとたどり着けません」
「ふ~ん」
七つあるということは、全部で七つの物を奪われるということ。
だが、イシュルはさして怖気づいた様子を見せなかった。
それは第一門のカルマ霊があっさり討伐できたことで、冥界にも自分を害する力を持つ者はいないと、確信を得たからだ。
何より彼女は地上最大都市の守護女神。最近は装飾品が貢物として贈られることも多く、いまも彼女は大量の金銀財宝を身に着けている。七門程度では、すべてはぎとられることはないと考えた。
ゆえに、
「それじゃぁ、お仕事ご苦労様。私が帰ってくるまで、その装飾はきちんと預かってなさい!」
イシュルはためらうことなく、その門をくぐった。
「えぇ……行ってらっしゃいませ」
門番であったカルマ霊が、不気味な笑みを浮かべていたことなど気づかずに。
…†…†…………†…†…
それからもイシュルの快進撃は続いた。
第二門、第三門のカルマ霊にはすでに連絡が言っていたのか、先程と同じように装飾を一つ預けるようにと言われただけだったし、通常人間の魂が徒歩でこえるべき広大な階層を、彼女はマアヌルァの一っ飛びで越えられた。
だが、第四の門に到達したとき、それは起こった。
「さぁて、次はいったいどんな奴が出てくるの!」
真っ黒な砂によって構成された砂漠地帯を超えたイシュルが、降り立った第四門。
そこから現れたカルマ霊は、いままでのような首だけの存在ではなかった。
「あれ?」
「……ずいぶんと上の連中をかわいがってくれたようだな」
それは、残っている肉体部分が前足のあたりまでのび、胴のあたりでスパリと体を切り取られ、断面から黒煙を噴出する、上半身有りのジャッカルだった。
「ふん? 多少は霊格が上がって体が元に戻っているのかしら? でも、女神相手に、ちょっと霊格が上がった程度で、態度がデカすぎるんじゃ」
「黙れ! 小娘っ!」
「―――――――っ!」
瞬間、ジャッカルの大喝によってイシュルの口が強制的に閉ざされる。
驚き慌てるイシュルをしり目に
ジャッカルは憤怒の形相で口から火を吐き、
「――――――――――っ!?」
イシュルが来ていた服を焼き払った!
唐突に全裸にされ驚きしゃがむイシュルをしり目に、ジャッカル――第四門カルマ霊は、ギリギリと歯ぎしりをする。
「多少霊格が戻っただけでは勝てないだと? 愚か者めが。門をくぐり冥界に近づいていくということは、貴様に力を与えてくれる下界から離れ、我らに力を与えてくださるエシュレイキガル様に近づくということだ。貴様はこの冥界に深く潜れば潜るほど、力を失い、我らは力を強くする。つまり、貴様は今我々カルマ霊程度に負ける霊格しか持っていないということだ!」
「――――ッ! ――――っ!!」
なによそれ、聞いてないわよっ! と、イシュルが憤怒の怒号を上げるが、もう後戻りはできない。慌てて逃げようとするイシュルの髪に食いつき、カルマ霊はその金剛力によってイシュルを振り回し、第四門へと放り込んだ。
「せいぜい後悔しろ、奈落の底にて貴様の愚かさをな!」
憤怒に満ちたその声に、凍える第五世界を放物線を描きながら飛んで行ったイシュルはもがく。
だがもう手遅れ。狙って放ったのか、第五世界を一気に飛び越えたイシュルは、そのまま第五門前へと飛んでいき、
「いらっしゃ~い」
「っ!」
落下と同時に、第四門のカルマ霊と同じように待ち構えていた、白い半身ジャッカルが吐き出した吹雪にさらされる。
それにより、自分の中にしまわれていた天の船が凍りつき、砕け散るのを感じ取って、彼女は思わず瞠目する。
「――な、なんてことを!」
「代償は頂きました。通りなさい」
「返せ! 私の天船を返しなさいよっ!」
「もちろん、神様の物をいつまでも奪ったままではいませんよ」
憤怒に燃え上がる瞳をカルマ霊に向けるイシュルだが、白いカルマ霊は平然とした顔でそれを流し、最後通牒を告げる。
「冥界の掟として奪ったものは、冥界の掟から逃れることによって返却されます。つまり、冥界から地上に戻る際に返却されるという訳です。ですがそのためには、あなたはまずエシュレイキガル様に会い、命数の回復を願わなくてはなりません」
「命数……命の回復ですって。あんた、いったい何をっ!」
「おやおや、気づいておられないのですか? 前の世界であいつの炎を浴びたでしょう?」
「っ!」
その言葉を聞き、イシュルは慌てて自分の体に触れる。そして、神であるが故か即座に服以上に大切なものを失っていることに気付いた。
「うそ、命が……私の命が!」
「あんな炎をくらって生きているものがいるわけないでしょう? それに、御存じのはず。冥界は、死者の都――生きているものが到達できる場所ではないと」
にやりと笑った白いカルマ霊の一言に、イシュルの目に初めて怯えの色が現れた。
だが、もう遅い。
「ようこそ死者よ。第四門こそが本当の冥界への門。命あるものには通れぬ現世との決別の場。さぁ、生きて帰りたいのなら再び門をくぐりなさい。あなたにはもう、それしか選択肢がないのだから」
震えて、へたり込むイシュルの体をそっと押し、白いカルマ霊はイシュルを冥界のさらに奥へと押し込んだ。
…†…†…………†…†…
その後、イシュルは第六問で弩を奪われ、第七門に到達するころには、全裸に宝飾品のみという、何とも言い難い情けない恰好へとなり果てていた。
おまけに、第七世界はいやらしいことに、貴金属が熱を持つ不思議な黒霞の世界。
イシュルはその中において、体がやけどするほど熱を発する宝飾品たちを次々と投げ捨てており、今や彼女が持っているものは何もないというありさまだった。
そしてとうとう、
「ようこそ、第七門へ」
「あ、あんた達……この《天の女主人》イシュルにこんなことをしてタダで済むと」
「おうおう、恐ろしい話です。ですが、何一つとして持っていないあなたでは、私を傷つけることはかないますまい」
最後のカルマ霊は、巨大なジャッカルだった。
全身すべてが残っており、尻尾だけが黒い煙となって、第七世界全土を満たす黒い霞を作っているようだった。
「さぁ、代償を。第七門を通るための代償を」
「……見たらわかるでしょう。そんなもの持っていないわ」
「いいえ、あなたはもっておられる。あなたが宝物のように大事にしている、ただ一つの宝物を」
「な、何を言って……」
「左手をご覧なさい」
二つの世界を徒歩で越えるほかなかったイシュルは、もう疲れ果てており、抵抗する気力さえなかった。
言われるがまま、左手を見ると、薬指あたりに白金に輝く指輪がついている。
「ウソ? 宝飾品は熱くなって全部捨てたはず……」
「それは絆です」
「絆?」
「えぇ。現世の人間が人間らしくあるために必ず持っているもの。何物にも代えがたい形無き宝石。この世界ではそれが可視化・物質化され代償として支払えるようになるのです」
その怖ろしい事実に、イシュルは震えあがる。それはつまり、
「わ、私に誰の絆を差し出せというの?」
「絆というモノは双方の思いによって結ばれるもの。あなたが強く思い、相手も強く思ってくれる相手との絆のみが、真の絆としてこの世界で具現化する。そういう相手ならば、あなた自身がよく理解しているはずですよ?」
「……………いや、いやよっ! 絶対にいやっ! 他の何を渡しても構わないけど、これだけは絶対に渡せないわ!」
首を何度も振りながら、後ずさるイシュルに対し、巨大なジャッカルはにやりと笑いながら、追い打ちをかける。
「では、ここで逃げられますか? 現世にも帰れないのに? それもいいかもしれませんが、おすすめはしませんよ? ここは誰にも会えぬ、だれとも話せぬ黒霞の世界。たった一人しかいないこの孤独の世界で、会えもしない絆だけを頼りに生きていける程、心というモノは強くはない」
「……でも、でも!」
考える。イシュルは考える。
これを渡してしまったら、これを渡してしまったら……私はあいつを、あいつを忘れてしまうんじゃないかと。
それだけは怖かった。死ぬ程など生やさしい。死んでもそれだけは嫌だった。
だが、
「なぁに、そう心配されることはありますまい。あなたは天の女主人。正式な死者でもなければ、人間ですらない。特例としてエシュレイキガル様が下界に返してくれる可能性が高い。そうなれば、下界に変える際に、奪われたものはすべて取り返せるのですよ。いわば一時預かり。帰ってこないことなどないのです」
「ほ、本当に?」
「冥界の門番として、女神に嘘など付けるはずもありません」
その言葉自体が嘘であった。
当然のごとく、ここは冥界最深部にある門。ここを過ぎれば本格的な冥界に到達する死の最終通牒。
その見た目からもわかるように、エシュレイキガルの眷族であるカルマ霊の力も強大になっている。この場でかれらに歯向える存在など、エシュレイキガルとザバーナのみだろう。
力をそがれた女神に嘘をつくことなど……造作ないことであった。
だが、それでもイシュルは縋るほかない。すべてを奪われ、下界に帰る手段さえない現状では、冥界に到達し、エシュレイキガルに縋り付くほかないのだから。
だから、
「ごめん……ごめんなさい。でももう、会えないよりかはましだから」
震える手で、イシュルは左薬指にはまった輝く指輪を外し、
「か、必ず……帰るから」
泣きそうな声と共に、その指輪を地面へ落した。
地面へ到達する前にその指輪は消え、カルマ霊は凶悪なジャッカルの顔をにやりとゆがめ言う。
「代償は受け取った。さぁ、通りなさい。ここより先は女神エシュレイキガルの都。冥界宮殿――メスラムバーナでございます」
そう言って再び開いた門を、イシュルはくぐる。
不思議と、さっきまで感じていた嘆きの感情を、今は感じていなかった……。
…†…†…………†…†…
「まずくない?」
「思った以上にひどい目にあってますね……」
その光景を見ていたソートとシェネは、互いに顔を見合わせた後、眉をしかめて再び画面へと視線を移す。
「原典じゃぁ、結局イシュタルがエレシュキガルを怒らせて戻れなくなったから、エアから使者が送られて、身代わりを用意するならいいよってなるんだったっけ?」
「確かその筈ですけど……今回ってエアロの指令で冥界のバランスを調整するのが仕事ですから、その……その仕事を終えていない人にエアロが援軍送るかどうかというと微妙なラインですね」
「というか、援軍来たら交渉の余地ないよな?」
そのまま戦闘突入待ったなし。いや、その前にイシュルと同じ目に合うのが目に見えていた。
「ろくでもない女だが、こうまで弱っているところを見ると助けてやりたくなるな……」
そう言いながらソートが見る先には、死んだ目をしながら灰色の宮殿を目指す、裸の女が歩いていた。
ちなみにこの映像は、見えてはまずいところは不思議と冥界の土埃によって隠され、見えないようになる親切設計である。
「また神器を送るか……。でも、冥界まで届くのか? 七門に阻まれる気がするし……う~ん」
「ま、マスター。とにかく前みたいに様子見でいいじゃないですか? もしかしたら意気投合してちゃっかり帰ってくるかもしれませんし」
「そうかもしれんが……」
なぜだかわからないが、ソートは心の内から湧き上がる嫌な予感を振るい落とせずにいた。
このままでは何か取り返しがつかないことが起こる気がすると。
だからこそ、
「ん?」
何か手はないかと画面に目を走らせつづけ、そしてあることに気付いた。
「……シェネ。久々に下りるぞ!」
「え!? で、でもマスター。エアロの認識強化があるから下界には降りれないんじゃ」
そこ前言った瞬間、シェネも気づいた。
冥界は果たして下界の中に含まれるのか? と。
慌てて視線を移すと、冥界のステータスを示す画面右上にこんな文字が浮かんでいる。
『デスペナルティー無効化。
加護神霊――エシュレイキガル・ザバーナ』
エアロの名前はなかった。
「死後の国だからデスペナまで無効化されているのか。都合のいいことだ。んじゃ、ちょっと様子見に冥界に降りてくるわ。まずそうならいつも通り武力介入な?」
「は、はぁ……」
そう言って下界に降りて言ったソートに対し、シェネはダラダラと冷や汗を流しながら、
「まずい!」
英雄作成に至る前に、ソートがエアロから権能を奪いかえしかねない現状に、震えあがった。
久しぶりにソート下界堕ち……もとい下界降り。
ザバーナと含めどう動かすかは……実はまだ決まっていなかったり(白目