冥界七門
いつものように学校を終え、ゲームにログインしたソートを待っていたのは、
「マスター。試練が動きました」
「……そうか」
厳しい表情を顔に浮かべた、シェネの緊張した言葉だった。
…†…†…………†…†…
「今回の試練はおそらくイシュタルの冥界下りが原典となったものです」
「イシュタルの冥界下り?」
その言葉によってソートの脳裏に真っ先に浮かぶのが、
「女神のストリップショーか?」
「言い方!」
――いや、だって実際その通りだろ?
顔を真っ赤にするシェネにだが、ソートの言うとおりそれは事実でしかないため、ため息と共に肯定した。
「より正確にいうならば、冥界を下るに当たり、地上の生気を持ち込むことは許されないってことで、女神イシュルに力を与えるあらゆる装飾や服をはぎ取られていくという話です」
「でも実際のところどうなんだ? あれが再現されるとするなら、揉めるのはイシュルとエシュレイキガルだろう?」
実際のところを言えば、ソートから見ても相手にならないと推察できた。
死者の軍勢を操るエシュレイキガルは確かに強敵ではあるが、それはまだ世界に対軍攻撃がなかったからだ。
現状イシュルは山脈をうがち貫く弩を有しており、上空から一方的な爆撃を実現するマアヌルァに騎乗している。
死者の軍勢を率いている程度では、まるで相手にならない存在だ。
「えぇ、確かに地上で戦えば、マスターの予想する通り、エシュレイキガルはイシュルには勝てません。ですが、今回イシュルは冥界に下ります。冥界はすべてがエシュレイキガルの領域にして、彼女の思うが儘になる場所。いかなる強力な神格であっても冥界にいる限りエシュレイキガルに勝つことはできません。唯一はり合えるのは、それと戦い続けているという伝承を持つザバーナくらいです」
そういうと、同時にシェネは冥界にいるエシュレイキガルのステータスをソートへと飛ばした。
それに目を通したソートは、エシュレイキガルにかかっているバフの部分にでかでかと記載されている一文――《冥界の加護:いかなる敵もエシュレイキガルの領域を犯すこと叶わず》の文字を見て顔をしかめた。
「なるほどな。にしてもどうして、イシュルはいまさらエシュレイキガルの元へ行こうなんて……」
「エアロからの指令だそうです。冥界で善悪のバランスが著しく崩れたとか」
「……そんなことがあるのか?」
「そこは、冥界に関する信仰が大きくかかわっているかと」
続いてシェネに開かれる別画面には、現在信じられている冥界の状況に関する神話が記されている。
「ようするに、天国と地獄が同じ場所にあって、常に争っている状況と信じられているわけか。それで、悪い奴が増えたらエシュレイキガルの力がまし、冥界は完全な不毛の大地へと変貌を遂げると……」
「そういうことです。ある意味中々合理的なシステムではありますね」
「でも、これよくよく考えたら死んでもあっちで戦い続ける必要があるってことだよな?」
「まぁ、戦うのが好きな人がこの時代は多いでしょうから、気にする必要はないかと?」
そんなもんかねェ……。と、平和な国生まれのソートはとっても微妙な顔をする。
――死んだあとくらいのんびりしたいと思うもんじゃないのか? いや、よくよく考えてみると、元サ●ヤ人の●●空は、死んだあとも修行していたな……。
そんな風にソートが内心で折り合いをつける中、シェネは現在イシュル達がいる場所を移す画面を開く。
そこは、エルク・アロリアにほど近い密林。その真ん中にあく巨大な大穴だった。
「それで、今回の方針はどうしますか?」
「信仰を取り戻すためには積極的に介入したいんだが……ブッチャケ手を入れる必要があるか? あの神話が原点ならなんやかんや言って帰ってくるだろう? それに帰ってこなかったとしても、あの女神はいいかげんちょっと痛い目見るべきだと思うし」
「でもマスター。イシュルは一応豊穣神ですから、その……冥界にとらわれると、地上の農作物に致命的なダメージが入るみたいなんですが……」
「え?」
シェネの指摘にソートの顔が引きつった瞬間だった。泥だらけのナーブと何か言いあっていたイシュルは、ためらうことなく大穴へと身を躍らせた。
…†…†…………†…†…
「本当にいかれるのですか?」
「しばらく私がいなくたって大丈夫でしょう! あと、そこから先に近づかないで。泥臭い」
「ひどい!」
時は少しさかのぼる。イシュルはエルクアロリア近郊にある、巨大な洞窟の前へとやってきていた。
それは、密林の地面にぽっかり空いた大穴。不思議と一部が階段のようになっており、下りること自体は苦労しなさそうだ。
そして、その上にはエアロの手によると思われる結界が張られており、出入りを厳しく制限している。
「それにしても冥界の善悪のバランスが崩れるとは、浄罪官はいったい何をしていたのでしょうか?」
「さぁね。予想以上に相手が上手だったか……それとも他に理由があるのか。ともかく、崩れちゃったものは仕方ないわ。適度に削ってすぐ帰ってくるから、あんまり心配しない様に」
そう言って、エアロの石板と共に預かった冥界への通行許可証を片手に、イシュルがその大穴に飛び込もうとしたときだった。
「それなんですが……今回のことはできれば戦ではなく、交渉で納めていただきたいのです」
「え?」
ナーブの口から飛び出したまさかの非戦案に、イシュルの動きが見事に止まる。
「それって、どういうことよ? まさか私が負けるとでも思っているの?」
「イシュル様が気分を害されることを承知で進言いたしますが、その通りです」
そして、イシュルの口から放たれる、明らかに声音が低い声。
恫喝にも似たそれを聞きながらも、しっかりそうなることを予想していたナーブは特に取り乱すこともなく、平然と「お前じゃ勝てない」と言い切った。
「それはつまりあんた、私に討伐を指示したお父様を疑うというの? 天空神舐めてんの?」
「そういうわけではありません。ですが、此度の指令はあまりに短慮であるとは思っています」
「あんた! 元人間でお父様に天命を授かっておきながら、よくもそんなことが!」
「知恵の神として召し抱えていただいた恩義は覚えておりますが、ですが私はあなたの従神だ! 警告はしっかりとさせていただく!」
そういうと、ナーブは懐から石板を取出し、かつて自分を助けてくれた神話の知識を展開する。
「イシュル様! 冥界神というのは、下界にかかわる権限すべてをはく奪されているがゆえに、人の魂の管理と、冥界における絶対権限を保有する神です。地上に出てきた状態であるならまだしも、冥府にいる状態でのエシュレイキガルの権能はエアロ様すら上回ります! イシュル様が落としたエンリゥがいまだ冥府から逃れられぬのが何よりの証拠です! たとえイシュル様であっても、冥界に入ったら最後、エシュレイキガルには決して勝てません!」
「なんですってぇええええええ!」
イシュルは戦神だ。あの強大なエボフの主を倒し、軍神ザバーナの代わりに人々に闘争の加護を与えてきた。
その矜持が否定されて怒らない神は、もはや神ではない。それは即ち己が権能の否定につながるのだから。
だがそれでも、ナーブは従神としての役割を果たさんと、声を大にして警告する。
「エアロ様が何を考えておられるのかはわかりません。ですが、冥界での闘争はお控えください! それだけが、イシュル様が無事下界に帰る唯一の方法であると信じております!」
「黙りなさいナーブっ!」
だが、やはりイシュルにその言葉は届かなかった。
憤懣やるかたないという様子で、顔を怒りで真っ赤に染めながら、イシュルは思わず手を振り上げ、
「――っ!」
泥まみれのナーブの姿を見て、舌打ちを漏らした。
これでは触れられないと思ったのか……それとも、泥だらけになって働く彼にいろいろ思うところはあったのか。
その心中は定かではないが、確かにイシュルは己のわがままな部分を抑え、その手をゆっくりと降ろした。
「あなたの指示は聞いておくわ。心の中にとめておく」
「はい」
「でも、私は戦神よ。戦神たれとお父様に求められた。なら私がやれることは、殴り合い以外存在しないの!」
権能の否定は即ち信仰の喪失。たとえどれほど抗っても、勝てない相手がいるとイシュルは認めるわけにはいかなかった。
だからイシュルは笑う。お前の知恵も大したことがないと……笑い飛ばそうとした。
「私の心配の前にアンタはあんたの仕事をしなさい、ナーブ。工期、遅れてるんでしょう? 私が帰ってくるまでに終わってなかったら承知しないわよ!」
「え? いや、できればあと一週間ほど待っていただければ……」
「いやよ! 言っておきますけどね、あんたの居ない神殿はもういい加減飽き飽きしてんの! さっさと仕事終わらせて返ってきなさい!!」
「他の男どもで、暇つぶしされていると聞いていましたが……」
「はっ、あんな三回も持たないような粗●ンども、あんたに比べりゃ塵芥よ」
「……工事が終わったあとで、あなたに呼ばれた男たちのアフターケアもしておきますね?」
「どういう意味よ!?」
どんな結果であれ私を抱けたんだから役得でしょうが! と憤るイシュルに、ナーブは嘆かわしいと額を抑えた。
ちなみに、話に上がった男たちだが、現在はイシュルの神殿の療養室に隔離されており、神聖娼婦が近づけば、悲鳴を上げて部屋の端に逃げるようになっているとか……。
この後一応様子見をしに行ったナーブはそれを見て「いったい何をしたらここまで男を砕けるんだ……」とドン引きしたという。
「とにかく行ってくるわ! エルクのこと、任せるわよ」
「言いたいことはすべて言い終わりましたので、私からもこれ以上は特にありません。イシュル様……多分無理だとは思いますが、無事の帰還をお祈りしています」
「素直に無事帰って来いって言いなさい!」
そう言って舌を出したあと、イシュルはナーブに対する悪態を残しながら、階段のないふちから、暗い穴の底へと身を躍らせた。
…†…†…………†…†…
そこは、暗いくらい地下の大穴。
イシュルはその中を黄金に輝く船を伴い下りていく。
だが、そこでイシュルは驚きの声を上げた。
「……意外と地表が近いわね?」
割とあっさりと、地の底が見えてきてしまったからだ。
「ここが冥界? そんなはずない。ほとんど下界の空気と変わんないじゃない?」
実際イシュルが言うように、その浅い地表を持つ空間の空気は冥界特有の陰鬱な物ではなく、頭上に広がっていた密林の物と変わらない。
生物もそこそこ入ってきており、時折迷い込んだと思われる蟲の類が、フラフラと空間の宙を飛んでいた。
「どうなってんのよこれ?」
ただひたすら首をかしげ、ひとまず空間内を見まわってみることにしたイシュル。すると、
「あれ? あれは……」
真っ暗な空間の中……黄金の輝きに照らされ、一つの石組みの物体が現れた。
二本の岩の柱に支えられ、一本の岩が屋根代わりにその柱に乗せられている……ただそれだけの単純な建造物だった。
ただ一つ。何もない灰色の大地にたたずむその岩のオブジェに、イシュルは違和感を覚え近づいていく。
そして、彼女が岩のオブジェ前の地面にマアヌルあとともに降り立ったときだった。
「ようこそようこそ、冥界へっ!」
「っ!」
岩のオブジェ――アーチの柱から、ずるりと音を立てながら、一人の男が顔を出した。
いや、男というのは間違いだろう。
何せその顔を出したものは、
「ここは冥界へ続く道の第一門! さぁさぁ、通りたければおいていけ! お前の大切なものを置いていけ!」
「……なにこれ?」
頭部だけのジャッカルが、首の付け根から夥しい黒煙を吐きながら宙を浮遊する、不気味な化物だったのだから。
ようやくイシュルが冥府入り。
内容としては原典をなぞる感じになりますが……ザバーナとソートをどう動かすかはまだ検討中だったり……。
というかエシュレイちゃん丸くなってないの? まじで?