開幕・魔の試練
現在、バビロニオンの冥界は二分されているといわれている。
一つは、何もない不毛の大地である、エシュレイキガルの領域。
罪を重ね、太陽のもとを歩けなくなった愚か者たちが、骨と肉によって作られた檻にとらわれる大監獄。
彼らはザバーナとの戦いのときのみ解放され、功績をあげれば解放されるといわれている。
もう一つは、広大な草原と、巨大な城壁都市によって守られたザバーナの領域。
偉大なる戦士や、心優しき人々が守られる、偉大なる軍神の都。
絶対護国の軍神に率いられるこの都市の軍勢は強大で、死者魍魎の軍であるエシュレイキガルの軍勢とほぼ互角の戦いを繰り広げている。
二つの領域は互いに相争い、己が領域の拡大を目標に掲げているのだという。
それゆえに、罪多きものが増えてしまえばエシュレイキガルの戦力が増してしまい、ザバーナの領域が縮んでしまう。
そんなことにならないためにも、人びとは生前善き行いを心がけ、ザバーナ様のところへ行けるように努力するべきだと、冥界の解説は締められるのだが……。
…†…†…………†…†…
現実世界。創人たちの学校において。
「にしても、さっさとエアロと決着つけないと不味いわな」
「それな」
机を突き合わせ、各々の机を突き合わせ、勇太と共に学食のパンをカッくらっていた創人は、忌々しげに食んでいたパンを食いちぎる。
「実際のところ権限奪われた場合ってどうやって奪われた権限を取り返すんだ?」
「そっちも一応クエストが出ていてだな……
『手順一:信仰を増やそう』
内容はまぁ分かりやすいことに信仰の回復だ。権限とられたのだって、おれよりもエアロの方がよく信仰されるようになったから、力が増したアイツが俺から権限を奪っていったって感じだし」
「でもそれってだいぶん難しいだろう? 神様っていうのは、現世利益があって初めて信仰されるわけだしさ……。エアロが持っている属性は《天の主》《太陽神》《天命の付与》《神々の王》だろう? 対して、今のお前って何持ってんの?」
「《創世神》?」
「で、その現世利益って何?」
「……………ないなぁ」
言われてみると、創世神って実は現世利益少ないんだよな……。と、いまさらながら創人は思う。
何せ創世神とやらは世界を作ったら即退場と言ったメンツが多い。世界をつくるほど高貴な存在なのだから、基本的には下界の事情にかかわらないという印象が強いのだろう。
実際、日本神話の神だって、天照への信仰が主流で、その上の別天津神たちへの信仰はあまりきかない。
要は、天地創造さえ終わってしまえば、創世神というのは暇人に成り下がる場合が多いのだ。
「一応帰ったら調べてみるけど、ティアマトを作ったっていう神話は残っているらしいから、雨の制御とかは使えるかもだけど……」
「お前この前ガッツリ別の奴に渡してなかった。あの鳩に」
「あの時はああするしかなかっただろうがっ!」
確かに失態と認めてはいるのか、創人は気まずそうに顔をそらしながらも、ひとまず言い訳を重ねておく。
そんな友人の姿に嘆息しながら、まだ放送されている三角サンドイッチを付きつけ、
「とにかく、帰ったら神話の確認をしっかりしといた方がいいだろ? 無いなら今回の試練できちんと付け足す必要があるし。俺なんかあれだぞ! 生まれた時から赤ん坊に拳銃を与えるという素晴らしい現世利益をだな!」
「おいまて。それ母体に凄い負荷がって……それ以前に人体からどうやって拳銃生み出してんだよっ!?」
「……そこは、ほら、創世神の不思議パワーで?」
「銃社会にしたいからって無茶しすぎじゃないかそれ!?」
心底びっくりすぎる勇太が作った世界の人間たちに、創人はまじめにドン引きし引きつった顔で椅子を後ろに引く。
極力勇太から距離を取りたかったらしい。
「ちなみに生まれた最大の銃って何?」
「おいおい、いくら俺でもさすがの母体の段階からアンチマテリアルライフル与えるなんて愚行は犯さないよ? せいぜい、M1887程度だよ?」
「お前それショットガンだろうがっ! 十二分にでかいからなっ!?」
――腹の中で暴発とかしないんだろうか……いや、流石に実弾は抜いているか? と、ソートが戦慄する中、とにかくと勇太はその話題を切り上げ、
「それで、段階があるってことはあといくつかあるんだろう? それは」
「お、おう。そうだな。お前の世界のことだし……うん。俺が気をもんでも仕方ないよな……。それで、手順二つ目は、
『手順2:信仰を奪った相手と交渉。(物理)も可』」
「要するに殴り倒して勝ち取れと?」
「(物理)も可ってだけで推奨しているわけじゃないからな!」
とはいえ、高い確率で殴り合いになることは否定していなかった。それはそうだろう。ウッカリ信仰取りましたから返します! なんて奴は居ないのだ。
狙って奪っているがゆえに、返すつもりはない。なら交渉などできるわけがないのだから、殴り合いになるほかない。
「ということは……お前は何らかの現世利益を確立して、エアロの信仰を凌駕したのち、エアロと交渉して取られた権限を取り戻す必要があると」
「まぁ、そういうことだな」
その前途多難っぷりに勇太は、パンと一緒に買ってきたパック牛乳にストローを突き刺しつつ、肩をすくめた。
「それ、最後の試練までに間に合うのか?」
「……何とかするしかないだろう。英雄が出てくる試練までそう間はなさそうだし、火の試練だって省略されたしな……」
「それで今日は?」
「魔の試練・天の試練……それで、省略された分一つ追加して、竜の試練。後二つのどっちかで、エアロが英雄作成に移る可能性が高い」
「ということは、本格的な勝負は魔の試練というわけ何だろうが……」
そう言って黙り込んだ二人の脳裏に思い浮かぶのは、昨日突如として改訂された試練の内容。
その内容を二人は読んでいない。エアロが意図的に隠ぺいしたためだ。
「さて、鬼が出るか、蛇が出るか」
「あけてびっくり、大きな葛篭ってか」
「玉手箱じゃないか?」
「悪質具合で言えば、舌切り雀の方がいいだろう」
確かに。と、創人の吐き捨てに、勇太は思わず苦笑いを浮かべるのだった。
…†…†…………†…†…
時同じくして、エルクの巨大神殿。
イシュルの居城であるそれは、年々巨大化と高層化を繰り返し、今では人類の建造物で最大の高さとなる建築物となっていた。
そんな神殿の頂上に座しながら、イシュルは周囲に侍らせた神聖娼婦たちに告げる。
「……退屈だわ」
「はぁ……」
言われても困るんですけど。と、神聖娼婦は、正直な気持ちがこもった気のない返事をイシュルに送る。
「何よその返事ぃ! あなたの主が退屈だって言っているのよ! なんか面白いことないの!」
「そう言われましても……。あ、ナーブ様の仕事の手伝いに行かれては?」
「いやよ! あんな泥臭いところにいったら、服が汚れちゃうじゃない!」
そう言ってイシュルが指さした先には、洪水対策として建築されつつある河の堤があった。
そう。エボフの主という自然を叩き伏せたエルクは現在バビロニオン最大の勢力を誇る都市となりつつあった。
盆地一帯を肥沃な農地と、人びとが行きかう都市に変え、巨大な橋を建造。ついには、対岸にあった平地へと農地を拡大しつつあったのだ。
だが、そこで一つ問題が起こった。
いわゆる洪水対策である。
川の蛇行の関係上、洪水に陥りにくい地形にあったエルクだが、逆に言えば対岸の蛇行は洪水を起こしやすい形になっているということ。
対岸にまでの農地を広げるということは、洪水被害に気を使わなくてはならない場所に農地を広げるということであり、正直それは面倒というよりも今の技術ではほぼ不可能なことと言えた。
さてこの問題をどうしたものか……と、思い悩んでいた技術者たちにたいし、ナーブは至極あっさりとこんな言葉を言い放ったのだ。
「蛇行の関係で洪水が起こりやすいのであれば、河を直線にしてしまえばいいのではないか?」
こうして始まったのがエルク始まって以来の大治水事業。河川直流化工事である。
S字蛇行していた河をエルクの街に引き込むよう直流化し、最低でもエルク近郊での洪水を起こさないようにする工事。
イシュルが指さしたのは、現在川の流れを制御するために建造された堤であり、あれさえ完成すれば既に作られている巨大水路に水を流し込むことが可能となっている。
だが、そんな順調な工事にもひとつ欠点があった。
現在の技術では直流化工事に百年近い歳月がかかることが分かってしまっていたのだ。
当然せっかちなイシュルはそんなに待てるわけがない。途中で飽きて工事を切り上げ別のことに力を注がせる可能性があった。
そんなわけで、ナーブは言い出しっぺの責任を取り工事の現場監督へと就任。粘土と雨を自在に操りながら河川工事の支援を行うために、現在神殿を離れ現場に詰めているのだ。
当然のごとく、今までナーブにかまってもらい、何かと鬱憤を晴らしていたイシュルはこの判断に大層立腹した。
男遊びが激しくなり、毎日ダラダラと寝ころびながら退屈だと連呼し、ナーブはまだ帰ってこないのかと工事関係者たちに脅迫状――もとい、進捗状況確認状を送りつける。
あげくの果てに、そんなにナーブ様に会いたいなら手伝ってくれとキレた責任者に対しては「いやよ。私の玉体が泥に汚れたらどう責任とってくれんの!」と言い放つしまつ。
これにはイシュルを奉るエルクの人間たちも参ってしまい、現在は急ピッチで堤の工事を続けながら、何とかイシュルのご機嫌を取る日々を送っているという訳である。
そんなある日のことであった。
「イシュル様」
「何よ。工事終ったの?」
ある神聖娼婦が、一枚の粘土板を持ちながらイシュルの前にやってきた。
その粘土板は、
「エルク・アロリアの神殿より、エアロ様の託宣が届きました!」
「なんですって!?」
それがすべての事件の始まりになるということを、この時はまだ……誰も知らなかった。
…†…†…………†…†…
『わが娘イシュルよ……ちょ、マジヤバいんですけど?
悪神セントの眷族が、マルアトとの戦いで生き延びたことは知ってるっしょ~。
もうそいつら超ヤバくて、マジありえないてきな、ベリーBAD的なやつらでさぁ~。
なっげぇことそいつらと浄罪官がやり合ってきて、ようやくそいつら全員、磔獄門にできたんだけど……こんどは冥界のほうがやばくってぇ!
セントの眷族たちによって、悪人増えすぎたせいでエシュレイキガルが超元気になっててさぁ! 報告聞いたときはマジでビビったわ!
というわけで、ちょっくら冥界いってきて、バランスの調整シクヨロ。
このままじゃ冥界がエシュレイキガルの領域になっちゃって、下界の奴らがまじチキるから!』
とまぁ、エアロからこんな感じの手紙をもらって(大体あってる)イシュルは冥界旅行へと出かけて行ったわけですね。
その後彼女には、冥界の女神による様々な試練が待ち構えます。
いったい彼女はどうなるのか? その内容は次章の冥界七門下りに……え? なに? 言葉づかい古い?
ウソでしょおい? 若者言葉できちんと検索したし!
古くないよね! チョベリグだよね!?
(勇雅埼天命編(2020)『超訳バビロニオン神話』門藤書房)