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エボフ討伐神話

 それから一時間ほどたち、雨によって濡れ動きが鈍った黒焦げの樹霊たちの掃討を終えたナーブは、突如頭上に止まった白い鳩に疑惑の目を向ける。


――ソート様の使い? この小っちゃいのが?


「おい、今何か失礼なことを考えたであろう知恵神」

「いえ、べつに」

「ふん! 我はいまだに生まれたてであるからな。幼い姿なのは仕方ない! だがいずれは、ソート様の使いとして堂々たる体に成長する予定」

「で、あなたは何をしに来たので?」

「おぉ、そうであった!」


 体に関しては割とコンプレックスだったのか、不機嫌そうに嘴を鳴らしたのち、バッと翼を広げて何か語り出した鳩に、ナーブは慌てて問いただす。


「喜ぶがいい! このアークエ、幼いがゆえに下界にて修行するようソート様に申し付かった。その教師役が、知恵の神として名高い貴様というわけだっ!!」

「えぇ……」


――この状況でこんな厄介なの、押し付けてくるとか何考えてんの、ソート様?


 ナーブは頭上に乗せられた鳩の重みがさらに増えたような気になり、思わず肩を落とした。

 だが、


「無論ただではないぞ?」

「え?」

「我は先ほども言ったように下界の降雨管理を任される神獣だ。ソート様も降雨をつかさどっておられるが、あの方が生み出される雨はティアマト様の残滓。早々簡単に降らせて良いものでもない」



…†…†…………†…†…



「そうなの?」

「そうなんですか?」

「そういう設定にしたんだよっ!」


 海中の神界にてソートの怒号が響き渡る。



…†…†…………†…†…



「それにティアマト様は死にざまがあれであろう? ゆえにソート様の雨は荒ぶることが多く、必要以上に大地に水を注いでしまう。そこでソート様は程よく大地をゆらし、草木をはぐくむ雨をもたらす我を作られたのだ!」

「……つまりどういうことですか?」

「知恵の神にしては、察しの悪い奴め。修行中は貴様について、望む時期に臨む量だけ雨を降らせてやると言ってるのだ」


 豊穣の女神の眷族としては、悪くない権能であろう?

 そう言って、鳥特有の無表情を笑みのような形にゆがめた鳩――アークエに、ナーブは雷に打たれたような錯覚を覚える。


――いわれてみれば確かに、この力はかなり有用に使える。今回の一件で農作物はほぼ壊滅的だし、水の心配をしなくてよくなるのは非常にありがたい!


 そして、


「それに……あれほどの怒りの熱を抑えたあなたなら、もしかしたらこのエボフの怒りも」

「あぁ、それは無理」

「……………」


 にべもなく告げられた残酷な真実に、思わずナーブが半眼になる中、ちょっと気まずそうに身じろぎしながら、アークエが言い訳を始めた。


「し、仕方なかろう! 山の怒りの咆哮は、即ち原始の世界の残滓。ソート様が鎮めるために神を一柱造られるほどの大災厄だ。私は神の使いではあるが神ではない。あれを本気で抑え込むほどの雨は降らせんのだよ!」

「こんなに偉そうにしているくせに、今回の件は役立たずだと?」

「なにおう! 火砕流の沈下や、あの化物じみた燃える木々の消化を誰が行ったと思っておるのだっ!! もっと感謝してもいいくらいだぞっ!!」


 羽を逆立たせ、ばさばさ翼を鳴らす鳩の言葉はもっともだった。ナーブとて、いまだ火中の状態でなければ、素直に感謝を述べただろう。

 だが、


「それでは根本的な解決にならない」

「まぁ、だろうな」


 アークエが同意した時だった。


 火砕流や、樹霊たちを沈黙させた際に発生した霧。

 それを突き破りながら、とうとう元凶が顔を出す。


『グルルルルルルルルルルッ……』

「……来たか」

「うむ。想定より早いな。眷族が抑えられたことに気付いて重い腰を上げたか?」


 それは、理性無き巨躯だった。

 爛々と輝かせる灼熱の瞳を持ち、かつて新緑を現した毛皮を、醜い赤と岩石に変え、口からは轟々とした炎をまき散らす怪物。

 今の山の憤怒を表すかのように、その身を燃えたぎらせた灼熱の狼が、山頂を覆うほどの体をゆっくりと動かし、エルクめがけて下ってくる!


「エボフの主……あんな姿になったのか」

「仕方があるまい。山の憤怒とは原始世界の申し子。かつてソート様すら畏れた、猛り狂う命無き星の残り香だ。あれを正しく振るえる存在など、命より生まれ出でたものである我らの中にはいない」

「対抗策は?」

「無論ない。せいぜい間断なく水を注ぎ、駆動に必要な紅い部分を冷やして石に変えてやるくらいだ」


――あぁ、だから今はあの俊敏さが見る影もないのですね?


 と、納得するナーブの視線の先では、忌々しげに身じろぎしながら、体に張り付く岩石を振るい落とすエボフの主の姿があった。

 彼の体に触れた水が、爆音を立てて衝撃をまき散らすのも功を奏しているのか、その歩みは遅々としたものだ。

 だが、遅くとも前進は前進。このままでは、いずれエルクに到達するだろう。

 そうなればもはやナーブ達に抗うすべはない。絶対的な灼熱を持って、エルクの街は焼き払われる!


「いったい、どうすれば!」

「なに、そう焦る必要はない」

「何を悠長な!」

「悠長である言こそが我らの救いよ」

「え?」


 だが、ナーブの焦りをしり目に、アークエはあくまで余裕の態度を崩さなかった。

 彼は知っていたからだ。


「ソート様が何の考えもなしに、私をここに送りつけたと思うのか?」

「そ、それは……」

「私とてこれから留学する場所が一瞬で灰燼に帰すなど、許容できるはずもない。そんな私をこの場に遣わせたのだ。私がここに来たのは私がやるべき役割があるからだと考えられんか」

「……役割。まさか、今やっていることだけで、この状況を打破できるとでもいうつもりですか」

「無論だ。時間稼ぎこそが、今回私に与えられた役割。なぜなら……」


 そして、アークエは笑いながら、雨雲をわずかに開き――イシュルの「女は秘されてこそ耀くのよ!」という鶴の一声で、雲でも隠せるようになった金星を晒した。

 時刻は、いつのまにか夕方になっていたようだ。

 宵の明星が、燦然と輝く……。


「時間さえ稼げば、お前の主が間に合うからだっ!」


 瞬間、山頂からズルズルと下りてきていたエボフの主めがけて、明星から黄金の光が放たれた!

 爆音と共に、苦悶の声を上げるエボフの主の体は、その光によって見事に貫かれ、煙を上げながら巨大な穴をあける!

 だが、その程度ではエボフの主は死なない。

 一身に山の憤怒を背負った彼の体は、空いた穴めがけて灼熱の血流を流し込み、その傷を見る見るうちに癒していく。

 だが、


「随分と醜い姿になったわね、あんた」


 その間は回復に専念せねばならないのか、エボフの主は身動き一つとれなかった。

 それが致命的となる。

 金星の光に乗り、黄金の船がエルク上空に到達したのだから!


『ウルァアアアアアアアアアアッ!』

「理性まで失っちゃってまぁ、そんなに私が憎かったの?」


 咆哮と共に大地から放たれる灼熱の槍。

 マアヌルァ眼光によってそれらを次々撃ち落としながら、天の女主人は胸を強調するように腕を組み……嗤う。


「いいわよ、そこまで私が気に入らないって言うなら徹底的にやったげるわ。私は女神イシュル。信仰には愛を返し、侮りには憤怒を、憎しみには暴力を返す素直な女よ。よかったわね、そんじょそこらの女みたいに私はネチネチ言わないわ……あんたをぶっ殺してそれでチャラよっ!」


――割と無茶苦茶言ってんな。


 心の冷静な部分が半眼になるのを感じながら、ナーブの口元にはたしかな笑みが浮かんでいた。

 安堵の……笑みが。


「お帰りなさいませ、イシュル様」

「ただ今ナーブ。よく私の街を守ってくれたわ。あとでお礼に一晩抱かせてあげる!」

「遠慮してもよろしいでしょうかっ!」

「なんでよっ!? 泣いて喜ぶところでしょうがそれっ!?」


 いや、あんたと寝たら明日の事後処理ができないじゃん……。と、内心愚痴を漏らすナーブに頬を膨らませながら、その怒りもついでに込めて、


「いいわよもう! ちょうどいいサンドバックがあるんだから、それで憂さ晴らししてやるわよっ!」


 イシュルは、手に入れた弩を構え、マアヌルァを山頂へと飛ばす!

 それを追いかけるように、エボフの主も進行方向を変え、再び自らの縄張りである山頂へと戻り始めた。

 それが、エルクを巻き込まないようにするという、イシュルの目論見であると、狂った頭では気付けない。


「行くわよマアヌルァ! あの犬っころと決着を付けてやる!」

『ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!』


 咆哮と黄金が空中にて激突する。

 イシュルを後に武神として崇めさせる逸話……女神イシュルのエボフ討伐神話が、今幕を上げた!



…†…†…………†…†…



 先制攻撃を仕掛けたのはエボフの主だった。

 彼の咆哮と共に山が鳴動し、黒焦げになった大地に亀裂が入る。

 そこからあふれ出るのは、己が熱で大気をゆがませる灼熱の血潮。

 それがまるで生きているかのように伸び、自らに襲い掛かる天船マアヌルァめがけて襲い掛かった!


「しゃらくさいっ!」


 だが、ことマアヌルァに乗ったイシュルに回避能力は尋常ではない。

 大気の流れを、天の主として敏感に感じ取る彼女は、ほぼ予知と言っていい精度で相手の攻撃軌道を看破する。

 マアヌルァの制御も、帆綱を片手で握り自由自在に行い、急制動急旋回によるGなど神の体で完全無視。

 結果として空を駆け抜けるのは、尋常ならざる軌道を描く、黄金の矢である!

 鈍足な大地の槍程度では、彼女に飛翔を阻むことはできない。

 そして、灼熱の狼へと至った彼女は、新しく手に入れた弩をエボフの主に向け、


「食らってくたばりなさい! 犬っころっ!」


 金星の光を収束した光弾を射出! エボフの主の体に風穴を開けたっ!


『ルゥオゥウウウウウウウウ!?』


 苦悶の声を上げ再び足を止めるエボフの主に対し、縦横無尽に空を飛びながら次々と光の弾丸を射かけていく、イシュル。だが、


「ウソでしょ!」


 それでもエボフの主は倒れなかった。

 敵はあの俊敏な動きは見る影もない。矢は回避されることなく次々と当っている。だが、捨て去ったものを補って余りあるほどの力を、エボフの主はいつの間にか得ていた。

 それは、


「不死身なの、あんた?」

『ルォオオオオオオオオッ!!』


 咆哮と共に体にあいた穴を埋めていく、灼熱の血潮だった。

 それらはあいた部分に流れ込みながら、瞬時に雨によって冷やされ、不恰好ながら傷口をふさいでいく。

 それはいびつな岩のかさぶたとなり、エボフの主は本来の狼という姿からも、徐々にかけ離れはじめていた。


「これ割とマジで厄介だわ」


 どうしたもんか。とイシュルが内心頭を抱える中、自身の攻撃が意味をなさないことを悟ったのか、エボフの主は次の攻撃に打って出る。

 いびつに歪む前足を地面にたたきつけ、


『ルォッ!!』

「っ!!」


 大地を完全に陥没、その中から新たな噴火口を作り出し、先程とは比べ物にならないほどの巨大な灼熱の槍を作り出した!

 数でとらえられぬなら、規模でとらえればいい。そんな雑な考え方がうかがえる攻撃は、イシュルをもってしても完全回避は難しかった。


「ぐっ! このっ!」


 慌てて上空に逃げるが、帆が一枚焼かれてしまうマアヌルァ。それによって自在であった軌道は見事に劣化し、左旋回の速度が目に見えて落ちる。

 それを見て、明らかな笑みを浮かべるエボフの主に、イシュルは憤怒の眼光を向けた。


「私のマアヌルァによくも! 犬っころ風情が……毛皮にされる覚悟はしてんでしょうねッ!!」


 だが、幾ら憤ったところで状況が有利になるわけではない。

 イシュルには現状エボフの主の回復を妨げる手段はなく、対してイシュルに対する有効な攻撃を見つけたエボフの主は、次々と地面を陥没させ、大規模な大地の血(マグマ)の噴出地を作り出しているのだから!


 次々と生まれては襲い掛かってくる、津波のような灼熱の奔流に、イシュルは歯を食いしばりながら必死にマアヌルァをかり、片手で次々と光弾を放つ。だが、やはり効かない。エボフの主は何の痛みも感じた様子を見せない。


「クソッ! あの変態鍛冶師めっ! こんな役立たずの武器掴ませてっ!」


 本人が聞けば『勝手に改造しといて何抜かしてんだ、このアバズレ!』とブチギレそうな不満をイシュルが漏らす中、彼女の脳裏にナーブの声が響き渡った。


『イシュル様! 無事ですか! こっちからじゃ前の山に隠れて、ほとんど見えないのですが、また火砕流の第二波やら、火山弾の雨あられが来ているんですが!』

「悪いけど、こっちだって必死にやってんのよっ! でもアイツ、私がいくら傷つけてもあっさりと回復しちゃって」

『さっき見ていたあれですが』

「そうよ!」

『でもあれ、穴が開いた部分以外から血潮を補充して穴埋めしていましたよね……全身消し飛ばせば、再生しなくなるのでは?』

「……あんた天才ね!!」


 言われてみればそうだ! と納得するイシュルに対し、『この人そんなこともわからなかったのか?』と、エルクの防衛に従事するナーブは緊急事態にもかかわらず半眼になっている。

 だが、


「でも、そんな力どこから……今うけている金星の光じゃ全然足りないし……」


 それを実現するには、イシュルが今もつ武器では威力不足すぎた。


「なにか、金星の力をもっとたくさん集める方法があれば……」


 その願いに応えるのは……。


「え?」


 同じく、彼女の力によって完成した弩だ。

 イシュルの改造を受けたこの弩には、彼女その物ともいえるイシュルの神気が宿っている。

 その神気がイシュルの願いに応え、照準に使えと言われた照星に、新たなパーツを作り出したのだ。

 それは、


「なにこれ? 氷?」


 光を屈折させ集める……後の時代にレンズと言われる透明な水晶だった。


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