明星の導
そろそろ夕刻。太陽が強大な山に食われ、その身を隠す時刻だ。
赤く染まりつつある空を見上げながら、再び町はずれの密林に帰ってきたナーブは、小さくなった天船の周りで、あぁでもないこうでもないと歩き回り、首をかしげるイシュルに言う。
「そろそろわかりましたか?」
「む~ん。多分これ? ……違うわね」
「はぁ~。せっかくもらったのに大きくする方法がわからないんじゃ、宝の持ち腐れですね」
どうやら、天船マアヌルァの縮小機能解除に手間取っているらしい。なにせエンリゥがあの惨状だったのだ。マアヌルァの詳しい機能を聞くことはできなかったのだろう。
――もうちょっと加減してあげれば、その余裕もあったろうに。と、ナーブは内心ため息をつきながら、近くの木にもたれかかりイシュルに半眼を向けた。
当然イシュルもその気配に気づいており、
「仕方ないでしょう! あの粗●ンが思った以上に口ほどにもなかったんだから! そう、悪いのは私じゃなくてあの粗●ンよ!」
「そこまでにしておけよ。同じ男として同情を禁じ得ないだろう!」
「あんたは私を満足させられたからいいでしょう?」
「それはそれでちょっと嬉しいけど、だからと言って女の子が粗●ンとかいうんじゃありません! 仮にも女神なのにっ!?」
かつてここまで男性のあれを罵る女神がいただろうか? いいやいない。この女神は本当にどこを目指しているのか……。と、ナーブは思わず天を仰ぐ。
だが、もう威厳など落ちるところまで落ちていると認められないイシュルは、ナーブの態度に焦りを感じたのだろう。とうとう、
「ね、ねぇマアヌルァさん? できれば大きくなってほしいか……な?」
「何やってんですか? 船は胸で挟んでも大きくなりませんよ?」
「あんたは大きくなったじゃない?」
「そーいうこと言うのやめろぉっ!」
それは本当に破れかぶれだったのか……自分への態度が悪いナーブへの当てつけか?
ナーブが判断をしかねる中、それは起こる。
「え?」
「あら?」
イシュルの胸の中で、黄金が拡大した!
「ウソでしょ!?」
「やった! ほら言ったじゃない! なんでも私の胸で挟めば大きくなるのよ!」
「それはそれで問題だろうがよぉ!?」
この船どうなってんだ!? とナーブが驚愕する中、黄金の船は見る見るうちに大きくなり、密林に木々をなぎ倒しながら竜の頭部を模した船体を露わにする。
「ふふっ! さぁ、行くわよナーブ! 乗りなさい!」
「え? 俺も?」
「あたりまえじゃない! ここまで来たら一緒に行くわよ!」
「いや、一応神の国に行くんですから俺はちょっと遠慮したいというか……。あ、ちょ! や、やめろっ!? 担ぐな!」
「それにもうすぐ夜なんだから、つくまでやるわよ!」
「まかり間違って最中に着いたら、普通に怒られるぞ、エアロ様に!?」
「うっさい! 私は不完全燃焼でまだ体のほてりが治ってないんだから、文句言わずに付き合え!」
「ぎゃぁああああああああああ!? 犯されるぅううううう!?」
「人聞きの悪いこと言わないでよっ!?」
「実際その通りだろうがよぉ!」
ギャーギャー喚きながらマアヌルァに乗り込む馬鹿二人に、船首に刻まれた目のような模様が一瞬半眼になったような気がしたが……船に乗り込んだイシュル達が、それに気付くことはなかった。
かわりに、彼らは、
「では、出発進行!」
「で、どちらに向かうんですか?」
「さぁ? 天の国っていうくらいだから、ひたすら上に上がっていったらつかないかしら?」
「何でそこだけノープラン!?」
飛翔せよ! と指示を出す。新たな主たちからの指令を受け、黄金の帆を従順にはためかせたマアヌルァは、唸りを上げて大地から離れ、
「お、本当に飛んだ!」
「すごいじゃない! あの粗●ン、あそこは貧弱だけど道具作りの腕だけは褒めてやってもいいわ!」
「……これ作ったの、船大工たちだって話だけど」
「じゃぁ、ただの粗●ンね!」
「やめたれ!」
加速した!
…†…†…………†…†…
エンリゥの宮殿内にあるため池から、一人の男――いや、少年が浮上した。
「ぶはっ! げほっげほっ! うぁああああ!」
どうやら沈んでいる間に大量に水を飲んだらしい。鼻や口から夥しい量の水を吐き出しながら、
「……なんが、ぢっざくなっでないが?」
いろいろ絞られ縮んでしまった自らの体に、ちょっとだけ泣きそうになる。
そんな中、彼の頭上を黄金の風がとんでもない速度で駆け抜けた!
「あ……」
それは、自らの野望の象徴。天の頂に手を賭けるための、自分の切り札。
今回ばかりは自業自得とは言え、それで諦められるなら、彼は天に手をかけようと思いはしなかっただろう。
だから、
「返せ……」
彼は怒る。怒り狂う!
「返せぇええええええええええええええええ! それは、それは俺のものだぁあああああ!」
自分の力が大量に込められたため池の水を回転させ、少年――エンリゥは竜巻に変貌し、雷鳴を伴いながら黄金の疾風を追撃する!
後の天船追走神話――またの名を、女神イシュルのスーパーライドと呼ばれる逃走劇が、幕を開けた!
…†…†…………†…†…
イシュルは気づく。それは、もうそろそろ手馴れ始めてきたナーブの服を剥く作業にいそしんでいるときだった。
「……? なんかくるわよ?」
「俺へのレスキューとかですかね?」
「バカね! むしろご褒美なんだから、レスキューなんて必要ないでしょう! それに、あんたは私の信者なのよ。助けるのは私の仕事じゃない?」
「なんてこった、神は死んだ。いや、死ね」
「さっきの粗●ンみたいに絞り殺すわよ」
文字通り減らず口が減らない信者に呆れながら、イシュルは半裸のまま甲板へと飛び出し、先程察知した何かがいる船尾へとかける。
不満を漏らしながらも、ナーブも大人しくそのあとに続いた。そして、
「なにあれ?」
「竜巻……いや、嵐っぽいですね。巻き込まれればひとたまりもありませんよ!」
「さっきまでなかったわよね?」
「神力が感じられますから、どこぞの神が変じた嵐では……あ!」
「なに? 何かわかったの!?」
そこで、ナーブは気づく。
「イシュル様……エンリゥ様がつかさどるものってたしか?」
「? 粗●ンでしょう?」
「ちげぇよ!? 今回の醜態で定着しちゃうかもしれないけど、少なくとも今はちげぇよ!!」
「それ以外私があいつに感じたことなんてないわよ!」
「ひでぇ!? 仮にもいろいろ搾り取った相手なのにっ!?」
「いいから答えなさい! 何なの一体!」
「暴風と稲妻ですよ!」
「――っ!」
瞬間、イシュルは嵐の中心地に目を凝らす。そして確認した。
「あんのやろう。縮んでなお未練たらしく追いかけてくるなんて……絞り足りなかったかしら」
「いや、あれ以上されたら死んでたでしょう……。神様って死ぬのかどうかわからないですけど」
「じゃぁ殺しとくべきだったわ」
失態ね。私を責めてくれて構わないわ。と、珍しくイシュルは己の失態を認めた。
本気で悔しそうな彼女に対し、珍しいものを見たと思ったナーブは僅かながらに目を見開き、
「で、どの失態を責めてほしいんですか?」
「数が多すぎて数えきれないみたいに言わないでよっ!?」
「実際そうだろうがよぉ!?」
悪態をつきつつ、広がる帆の方へ歩き出す。
「とにかく逃げますよ! 操船はこの帆を使ってやるみたいですから、私も手伝い」
「どきなさい!」
瞬間、まるで竜の角のように生えた六枚の帆を、それぞれから延びた六本綱を指の間に挟むことによってイシュルは掌握した。
通常ならば数人がかりで引くべき帆の綱を、片手で全掌握したイシュルにナーブは一瞬度肝を抜かれるが、
「よくよく考えれば馬鹿力でしたね……」
「ふふん! 普段は割と加減していると、これでわかったかしら!」
「自重もしてくれ」
「その減らず口減らさないと本気で抱きしめるわよ!」
「やめろ!? 背骨折れちゃうだろっ!」
ナーブが悲鳴を上げると同時に、船室に登ったイシュルは力など一切込めている様子などない、いっそ優雅さすら感じられる動作で腕を動かし、平然と帆の向きを変える。
それによって急加速していたマアヌルァは急制動。同時に上昇気流を捕まえ、一気にその硬度を跳ね上げる!
「なっ!」
「ははは! にしてもこの船凄いわね! まるで私にあつらえたかのようよ!」
風の動き、気圧の変化、湿度の高低に至るまで、イシュルはまるで呼吸するかのように天の状態を感じ取る。
それは、天の女主人が与える加護だったのか、それともイシュルの天性の才覚か。
ともかく、まるでマアヌルァを手足のように動かせるイシュルは、背後から唸りを上げて迫りくる嵐めがけ舌をだし、
「さぁ飛ばすわよ、ナーブ。あんたの神様の実力、ここで見せてあげる!」
「お、お手柔らかに!」
斜めに生えた帆のマストにしがみついたナーブの返答に気を良くしながら、イシュルは黄金の船で天を翔ける!
…†…†…………†…†…
船が加速した。
風のようにという言葉すら生やさしい。それは文字通りの流星が如き速さで、エンリゥの嵐を引き離す!
「バカなっ!?」
俺が試運転したときはあんな速度は出なかった! その事実に歯噛みをしながら、エンリゥは内心焦り始めた。
このままでは相手を逃してしまう。そうなってしまえば、あの船が自分の手元に戻ることはもう二度とないだろう。エンリゥにはなんとなくその確信があった。
「なんとしてでも……何としてでも、あの船をとらえなくては!」
そう焦るエンリゥの目の前に、
「ははっ!」
希望が現れた。
それは、巨大な断崖に挟まれた狭い渓谷。
かつて大地が揺らいだときに現れたその内部は、いまだ続く大地の崩落と、かろうじてつながっている巨大な樹の根によって入り組んだ状態になっており、入りこめば最後、風さえ逃げることはかなわないといわれる天然の迷宮だ。
そこに奴らを追い込めれば!
「逃がさんぞ……逃がさんぞ、アバズレがぁあっ!」
怒りのままに声を震わせ、エンリゥはその考えを実行した!
暴風の壁を嵐から放ち、先ずは左右への逃げ道を封鎖。
同時に嵐の頭部を頭上の雲に接続し撹拌。無数の雷雲を作り出し、天空に稲妻の巣を作り出す。
これにより、左右頭上の逃げ道を塞がれたマアヌルァは、仕方ないと言いたげにうなりを上げ、狙った渓谷へと飛び込んだ!
その事実に笑いながら、エンリゥが変じた嵐はゆっくりと、イシュル達が飛び込んだ渓谷へと近づいていく。
「くはははは! 愚かな女神よ。我はお前達が大地に押しつぶされた跡を、ゆっくり探すとしよう!」
死地へと自ら飛び込んだ女神を、嘲笑いながら。
…†…†…………†…†…
躱す、躱す、躱す、躱す!
次々と現れ、行く手を阻む大木根を、イシュルは手をめまぐるしく動かすことによって回避し続ける。
それはともすれば舞踏にすら見える軽さを感じる動作だったが、だが確かに力を伴った動きだった。
速度は一切落とさないまま、うねる風のようにマアヌルァは木々の根の間を縫いすすむ。
初めに現れた、曲がった際に突如出現した樹の根は、全開にした帆を用い船尾を跳ね上げる形で、フワリと上空に一回転してかかわし、
左右を挟むように落ちてきた落石は、ほとんど船を真横に向け、帆をすべて折りたたんで回避し、
道を完全にふさいでいる巨岩は、船首の目のような模様から射出された黄金の光によって焼き払った!
だがそれでも、
「まずいわね」
「何がです」
滅茶苦茶な船の動きに、三回ほど吐いているナーブは、顔色を青くしながら尋ねる。
「道案内に風を使っていたのだけれど、この渓谷の内部で風自体が迷っている。出口への道しるべに使えるものが何もないわ!」
「それ分かっている時点で速度落としません!?」
「落としたらアイツに追いつかれるで――しょうっ!」
「うわぁあああああ!?」
今度は船体を火付け用に使う回転棒のように回転させ、極細の木々の檻を辛くも回避、入り口で待ち受けていた落石にマストの先をわずかに擦らせながら、イシュルは忙しく指を動かしながら、縋るように天を見上げた。
「風以外に何か道しるべがあれば……」
「風以外って……」
そんなものあるわけが。と、言いかけ同じように空を見上げたナーブは見つける。
「あ……」
「ん? なによどうしたの?」
「イシュル様! 上っ! 上に抜けてください!?」
「はぁ!? あんた何言ってんの!? さっきの雷雲の巣を見たでしょう」
「いいから早くっ!」
予想以上にきついナーブの声音。それをきき、イシュルは一瞬面を食らうが、
「信じてください!」
「……あぁ、もう!」
ナーブにそう言われては従うほかなかった。
「雷に打たれそうになったら盾になりますから!」
「調子に乗らないで! 信者を守るのは神様の仕事よっ!」
減らず口を叩きながら、イシュルは思いっきり綱を引く。
それによってほぼ地面に対して水平に広がった帆は、渓谷内での逃げ場を失い上空へとのがれる風を捕まえ、マアヌルァを瞬時に上空へと跳ね上げた!
そして、
「あれは!」
イシュルは見る。雷雲の中に一つだけあいた、暮れはじめた空に一つだけ輝く星を。
「明けと宵を呼ぶ明星。天の移り変わりを示すあれは、エアロ様の命によって何人たりとも隠すことは許されていません。それはたとえ神が呼びだした雷雲であってもです! あれは夜と朝を呼ぶもの。それが隠されてしまえば、夜も朝もこの世界には来なくなるのですから!」
「でかしたわ、ナーブ!」
もう迷いはない。
翔け抜ける――!!
…†…†…………†…†…
そして、エンリゥは見た。大地から放たれ天へと上る流星を。
「まて、やめろっ!」
慌てて暴風を放つが、明星の光を浴びた船体は神の威光すら薙ぎ払い、一直線に天へと駆け上がる。
明星の光は即ちエアロの絶対加護。何人たりとも妨げること能わぬという、神々すら越えられぬ掟。エアロの力が天界から直に注がれる――天界への道しるべだ。
「それは……その道は!」
俺が使うはずだったんだ!!
そんな悲痛な叫びなど聞こえぬと、黄金の流星は天を貫き――そして消えた。
「あぁあああああああああ!!」
嘆きの声が稲妻を呼び、大地に無数の雷を降り注がせる。
だが、その猛威は届かない。天の女主人は、真の天へと昇って行ったのだから。
次回、国の試練最終話!
に、なったらいいな……。