なんでも願いをかなえてあげる!
「ここね! 生意気な。結構いい神殿に住んでいるじゃないの!」
「――――――――――――」
口から魂が抜け始めているナーブを伴いイシュルが降下したのは、切り出された岩を無数に積み上げ構築された町。
頂上に巨大な神殿を掲げ、扇のように広がった巨大神殿都市――ニプリスであった。
「す、すごい……。こんな斜面にこんな大きな町を! 水源はきちんと確保されているみたいだし、街から少し出た場所の道路の舗装もされている。ただの調子に乗っているだけの神かとも思いましたが、天空王は確かに力があるようです」
「ふん! こんな町、いずれ私を称える神殿都市が抜き去るわよ!」
「だからその根拠のない自信はどこから……。いや、もういいですけど」
抜け出た魂で会話をしながら、ふと下を見るナーブ。そこでようやく自分の足が地面についていると悟ったのか、抜け出ていた魂がするっと体の中に戻った。
「……あの、イシュル様」
「なに?」
「いまちょっと、自分の体を見下ろしていたような気がするんですけど」
「気のせいじゃない?」
「そうですか! 気のせいですよね! そんなことあるわけないですもんね!!」
現実は必死に見ないようにして、とにかくナーブは眼前にそびえたつ巨大神殿を見上げた。
「で、イシュル様。どうなさいます?」
「どうって?」
「仮にも相手は神殿の主ですよ? 早々簡単に会えるとは思いませんが」
「はぁ? なにいってんの!」
ナーブの言葉に眉をしかめながら、再び胸を見せつけるようにはり、イシュルは堂々と宣告した。
「私は「自称」天の女主人イシュルよ! 私が会いに来たのなら、伏して迎え入れるのが当然――って、今私の名前に不穏な文字入れなかった!?」
「気のせいではないでしょうか?」
「くっ! 神様だって認めたくせにちょっと尊敬が足りないんじゃないの!?」
「むしろ尊敬することしていた気でいるんですか?」
半眼になったナーブの率直な指摘に、とうとうイシュルは眉を吊り上げ顔を真っ赤にしながら憤った。
「いいわよっ! 見てなさい! 天の女主人の真の力、あなたに見せつけてあげるわ!」
「あぁ、はいはい」
ナーブからの気のない返事を背に、肩をいからせイシュルは神殿に突撃する。
当然、突然目の前に降りてきて騒ぎ出した不審者の片割れが近づいてきたのを見て、神殿の入り口を守る二人の衛兵は、慌てた様子で槍をイシュルに向けるが、
「な、何者だ!」
「名を名の……」
「木端の兵隊風情が! おどきなさい! 私を誰だと思っているのっ!」
「「ひいっ!?」」
意外なことに、怒ったイシュルの眼光には本当に力があったらしい。端正な顔を怒りにゆがめた凄絶なイシュルの睨み付けに、兵士達は蛇に睨まれた蛙のように固まり、構えていた槍を取り落した。
そのまま冷や汗をダラダラ流して動けない二人を無視し、悠然と通り抜けるイシュル。
その光景にちょっと驚きながら、ナーブもその二人の間を通り過ぎた。そして、
「いや、なんかすいませんね……。うちのわがまま女神が御迷惑をおかけして」
「…………………」
固まる二人に頭を下げ、そそくさと神殿へと入っていくのだった。
…†…†…………†…†…
偉大なる神とは好色な物である。
エンリゥは本気でそう思い、それを実行していた。
エアロのように、嫁の一人もとらぬ甲斐性無しなどと自分は違うと。
逆に言えば、エアロにはそのくらいの瑕疵しか見当たらなかったということなのだが、それはそれ、これはこれだ。
もとより性欲の強い男でもあり、神に至る前は多くの女をめとり、惚れた女は他人の妻だろうが己の物としてきた暴虐の魔術師であった彼。
必然的に、その性は神になってなお受け継がれており、巫女として神殿に仕える女相手に、毎日淫蕩三昧を送っていたのだ。
当然今日も、天船マアヌルァの視察を終えた彼は、神殿にある私室――もとい奉納室にこもり、巨大な寝台の上で幾人もの巫女をはべらせそういった行為にいそしんでいた。
そんなときに、
「お邪魔するわよっ!」
「……あぁ?」
本当に邪魔するかのように、誰かが殴りこんできては、そりゃ機嫌も悪くなるというところだ。
「なんだ貴様は!」
怒りのあまりエンリゥは、自分の上にまたがっていた女を乱暴に押しのけてしまう。女が悲鳴を上げたが知ったことではない。そんなことよりも、自分の楽しみを邪魔した不届きものをぶち殺すことが肝心だと、彼は本気で思っていた。
その闖入者の美貌を見るまでは。
「私の名前は天の女主人イシュルよ! あんたが持っているっていう天に至るための船とやら、私がありがたく頂戴しに来てやったわ!」
「ちょ、乗せてもらうだけ! 乗せてもらうだけですから!! 何勝手に貰おうとしているんですか!」
「乗せて、もらうんでしょう?」
「都合のいい解釈してんじゃねェ!?」
輝くような黄金の髪に、吸い込まれるようなアメジストの瞳。なにより、その体つきは実に男好きするものであり、今すぐにでもむしゃぶりつきたいという本能を、抑えることすら一苦労した。
だが、いくら相手が美人とは言え聞き捨てならないことを言われたからには、黙って見過ごすわけにはいかない。
「天の女主人だと。傲慢な名乗りだな……。いやそれよりも、貴様今なんといった? まさかこの俺から、あの天船を奪い取るといったのか?」
「そういったのよ!」
「バカも休み休み言え! そのようなこと、許すわけないだろうが!!」
視線が吸引されそうになる豊かな胸や、美しい顔から必死に視線をそらしつつ、エンリゥは大喝を放った。
それも当然。天船はエンリゥにとってエアロに挑むための唯一の手段だ。譲っていいものではないし、譲るつもりも毛頭ない。
「え? くれないの?」
だが、稲妻を呼び雷鳴と同義と言われるエンリゥの大喝を受けたにもかかわらず、イシュルの反応は至極あっさりしたものだった。
きょとんとした顔をして、理解しがたいものを見る目でエンリゥを見た後、背後にコソッと控えていた男を振り返り言ったのだ。
「ねぇ、言葉が通じなかったのかしら? この男。私に献上して当然の物を、献上する気がないって言っているのだけれど?」
「あたりまえでしょうが!? それが普通の反応ですよっ!?」
「マジで!?」
「いくら格が足りずにジグラッドに登れず、こんなところでうだつ上がらない毎日を過ごしているマイナー神だからって、相手は一応都市を支配する都市神ですよ! さっきの兵隊みたいに、あんたの美貌であっさり伸びてくれる安い相手じゃないんですよ!」
「ちょっと、それじゃ私の美貌が安いみたいじゃない! 舐めてんの!?」
「いや、確かに美人ではありますけど、その性格ですべてがマイナスになるというか……」
「はっ倒すわよ、あんた!?」
自分を放置しギャーギャー喚きだした馬鹿二人に、流石のエンリゥも呆然となる。
神に至った時より十数年。シカトされる経験など味わったことがなかったからだ。
だが人間……もとい、神とは状況に慣れるもの。
自分が無視されている現状を正しく認識した彼は、怒りに体を震わせながら憤怒の暴風を室内に吹き荒れさせた!
「貴様らぁあああああっ! 勝手に人の部屋に入っておいて夫婦漫才とか舐めてんのかぁあああああっ!」
「「夫婦じゃないしっ!!」」
その怒りは至極もっともな物ではあったが……とりあえずそれだけは否定しておかねばならないと、神殿から暴風で吹き飛ばされた二人はそんな叫びだけを残していった。
…†…†…………†…†…
「………………………」
頭痛を覚えるように、ソートが頭を抱えていた。
その肩をポンとたたきながら、U.Tが遠いところを見るような目で一言。
「どん、まい!」
「死ぬほどうれしくないし、身がない励ましありがとよ……」
「でもどうします? このままじゃ彼女いつまでたっても天に上がれませんよ?」
「う~ん」
神殿から吹き飛ばされ、町の郊外に落下した馬鹿二人を見つめながら、ソートは眉をしかめながら腕を組み、
「もうちょっと様子見かな。いちおう神器は預けているし……。どうしようもなさそうなら、最悪俺らがまた下界出張になるが」
「おう! あのエンリゥってやつを殺すんだな? 任せろ! ヤリ○ンには死を!!」
「あの、マスター。U.Tさんって、モテる人に恨みでもあるんですか?」
「そういえば中学の時、初恋の女の子をクラスのイケメンにとられて泣いていたな……」
「割とガチ目なトラウマ提供やめてくれません? 聞きたくなかったんですけど?」
「お前が聞いたんだろうっ!?」
…†…†…………†…†…
というわけで、ソートたちに自分たちの醜態をみられているなど知らないイシュルと、ナーブは、ニプリス郊外の森の中で樹に絡まった蔦に吊るされながら、ため息をついていた。
「まさかあそこまで怒られるとは……どうしたもんか」
「のんき言ってないで何とかしてよ!」
「私は石板の重さで蔦が切れ始めているのでもうちょっとで脱出できますよ?」
「わ、私は!?」
「……………………」
「ねぇ、私は!?」
さて、蔦が切れた後、全力疾走で逃げてイシュル様から逃げられる可能性はどのくらいか? と、真剣にナーブが悩み始めたころ、
「うぅ……いやだ。いやだよ」
「泣かないで、シュリナ。仕方がないの」
「だって、私好きな人が……」
「エンリゥ様のご指名には逆らえないわ。大丈夫、いい噂は聴かないお方だけど、この町の守護神をしてくださっているのだもの。そんなに悪い人じゃないわよ」
女の子の泣き声が聞こえてきた。
「なんだ一体?」
ナーブがその泣き声に首をかしげる中、人間がいると知ったイシュルの反応は迅速だった。
「ねぇちょっと! そこに誰かいるの! なら私をさっさと助けなさい!!」
「ちょ、イシュル様! そんなこと言っていたら誰も助けてくれませんよっ!!」
「はぁ!? 仮にも人間なんだったら、この女神イシュルが困っていたら助けるのは当然でしょうが!」
「このダメ神がっ! 女神名乗るんだったら、それ相応の力示して見せろやっ! どこの世界に蔦に絡まれて身動きが取れなくなる女神がいるんだよ!」
「あぁちょっと、こっち見ないで! 今割とギリギリとのとこに蔦食い込んでるから!」
「いっちょまえに羞恥心あります主張か! この追剥め! というかよくよく考えたらまだ私の服パクッタままですよね!? 返せっ!」
「いいじゃないの、予備の服着ているでしょうアンタ!」
「その服どんだけ高かったかわかっての口ぶりなの!?」
「あ、あの……」
いよいよ二回目の堪忍袋の緒の切断が始まったのか、怒り狂ったナーブの怒号が木々を揺らす中、二人の真下から心配そうな女性の声が聞こえてきた。
「大丈夫ですか?」
「「大丈夫じゃない!」」
何故かやたらと態度が大きな二人だったが、どうやら女性は善良な人だったらしく、憤怒の言い合いを続ける二人を何も言わずに助けてくれたのだった。
…†…†…………†…†…
「いや、スイマセンねご迷惑おかけして。すべてはこのダメ神のせいでして」
「ちょっと、何私に責任全部押し付けようとしてんのよ! あんた私の信者なのだったら、女神の失態はあんたの失態ってことにしておきなさいよ!」
「聞いたことねぇよそんな傲慢な話!」
「あ、あの……気にしていないので」
樹上から降り余裕ができたのだろう。とうとう掴み合いを始めた二人におろおろしながら、女性は何とか二人の仲裁をする。
そしてようやく落ち着いたイシュルは、肩で息をしながら女神の体裁を保つことに下らしい。
いつものように胸を張り、口元に手を持っていきながら高笑い。
「おほ、おほほほ! 見苦しいところを見せたわね人間!」
「ホント見苦しかったですね」
「黙りなさい、ナーブ! と、とにかくよく助けてくれました! その奉公に免じ、今なら何でも一つだけ、あなたの願いをかなえてあげてもよくってよ!!」
「あと、なんなんですかその喋り方は?」
「え? 女神ってだいたいこんな喋り方じゃないの?」
「ニルタ様も、リィラ様もそんな話し方はされませんよ?」
「ウソでしょう!?」
むしろ普通の人みたいに喋ります。と、ナーブから告げられた驚くべき先輩女神の実態にイシュルが度肝を抜かれる中、かれらを助けた女性は「願いをかなえる」というフレーズに反応した。
「な、なんでも叶えてくださるのですか!」
「もちろん! 女神に二言はないわ!」
「あ、あの……イシュル様。あなたはまだ何の権能も持っていない典型的なダメ神なのですから、あんまりふかさない方が」
「どういう意味よっ!?」
「そ、それじゃぁ!」
ふたたび言い合いを始めそうになった二人をさえぎるように、女性は大声を上げ、
「どうどうか、エンリゥ様の夜伽巫女に指定された我が妹――シュリナを助けてほしいのです!」
「「…………え?」」
突然放たれたその願いに、イシュルとナーブは互いに顔を見合わせた。
ん? 今なんでもって……