ソート・アシスタント
「はぁ……女神さまですか?」
「そうよ、見ればわかるでしょう?」
たき火の炎で多少あったかくなった中、青年――ナーブは妙に性欲をそそる体をしている女――自称女神のイシュルを見つめる。
その美貌は確かに女神と名乗るにふさわしいモノであったが……。
「ぷっ……くくくく! はははっ!! またまた御冗談を! あんたが女神になれるんだったら、俺は今日からソート様だって!」
あいにくと彼女には、女神に必要な知性と品性が欠けているように見えた。
だから彼は笑う。何ってんだろうこの人? 頭大丈夫かな? と。
当然のごとく、イシュルはそんな無礼を許さなかったが……。
「でね、私はある大いなる目的をもってこの盆地に降臨したの!」
「そ、そうでしたか……」
神霊の身体能力にものを言わせて散々折檻されたナーブは、後頭部を踏みつけられ、顔面を地面に擦り付けられた状態でかろうじて返事を返した。
なんというかひどすぎる。これが女神のやることだろうか?
「そ、それで、その目的というのは?」
「決まっているでしょう! 私を年がら年中ちやほやしてくれる国をつくるためよっ!!」
「……はぁ?」
「おや。折檻が足りなかったかしら?」
「イタイイタイイタイイタイ!? 素晴らしい目的ですイシュル様! マジ最高っす!!」
「でしょう!」
褒めた途端上機嫌になり、顔を赤らめながら花のような笑みを浮かべるイシュル。だが、もうナーブは彼女の笑顔には騙されない。
普通の男なら数分は忘我の彼方に追いやる笑みではあるが、散々痛めつけられたナーブとしてはもう悪魔の微笑みでしかないのだから。
「というわけで、あなた!」
「ナーブっす」
「ナーブ! あなたに大切な使命を授けるわ!!」
「使命?」
俺、天命の遂行で忙しいんですけど……。と、微妙に嫌そうな顔をするナーブに対し、ナーブの内心など知ったことではないイシュルは命令を下した。
「私の第一信者として、私の神殿を作りなさい!!」
「あれ? いつのまにか俺信者にされてない? っていうか、無理なんで。勘弁してください」
「……………………」
「イダダダダダダダダ!?」
イシュルの踏み付けの圧が上がる!
「なんでよ?」
「だ、だって建築の天命授かってないから、親方方に指導なんて受けてないですって! 仮にも神を名乗るんだったら、素人仕事の祠なんかじゃ満足してくれないでしょう!!」
「だったらあんたの天命はなんなのよっ!?」
「少なくとも大工じゃねぇよ!?」
若干キレ気味に何とかイシュタルの足から逃れたナーブは、散らばった荷物を慌ててあさり、その中に納まっていた一つの石板を取り出した。
「……なによそれ?」
「お、おれの天命は代書士です! 神々に代わって、神々が成し遂げた偉業を石板にしるし、後世に残すのが仕事なんですっ!!」
「……なによそれっ!? 滅茶苦茶私に必要な人材じゃない!」
「え?」
そもそも俺ほんとうはあなたを女神として認めてないんですけど……。と、内心呟くナーブをしり目に、可愛らしい瞳をキラキラ輝かせつつ、イシュルは手を合わせる。
「つまりあなたがここを訪れたのは運命だったのよ! あなたは私の神話を紡ぐために、お父様がここに遣わせてくださったに違いないわ!!」
「え……えぇ」
当然のごとくそんなつもりは全くないナーブは、勝手に盛り上がるイシュルにドン引きする。
そして、
「ではナーブ。あなたの天命の遂行を許します」
「いや、許されなくてもするつもりではありますけど……」
「存分に私の神話を紡ぐがいいわ!」
「そうっすね。じゃぁ、神殿ができたらまた来るんで。さいなら」
とにかくお許しが出たと、荷物をササッと纏めてその場を後にしようとした。
が、
「…………………」
「……………………ふふん!」
とんでもない速さで移動したイシュルが目の前に立ちふさがる!
「……くっ!」
「ふん! ふん!!」
荷物を背負っている割には身軽なフットワークでイシュルの妨害を突破しようとするナーブ。だがイシュルはそれ以上のフットワークでナーブの進路を妨害し、ナーブの体力を極限まで削った。
結果……。
「はぁ、はぁ、はぁ!」
「ふふん! 知らなかったの? 女神イシュルからは逃げられない!」
「あんた本当に何がしたいんだ!?」
石板含みの荷物の重量に押しつぶされ、とうとう体力がつきたナーブが膝をつき、その眼前にイシュルは君臨した。
この瞬間、二人の上下関係が決まったのだ!
「だってぇ、あなた逃がしたらこんなチャンスもう二度と来ないだろうしぃ~。神殿造りができないのは分かったけど、神々を調べているのなら、神殿つくるためのいい案くらいあるでしょう? お願い! 助けると思って、このイシュルにいい案を献上しなさいよ!」
「お願いと言っている割に信じられないほどの上から目線!? そしてその割には意外と状況は把握しているのねッ!?」
実際、ナーブが彼女から逃げれば、ナーブは立ち寄った町や村で彼女に気を付けるようにと警告をしていくだろう。
そうなれば面倒な自称女神がいる盆地として、ここら一帯は旅人から避けられるはず。
そうなってしまえばもう終わりだ。イシュルに次の機会は訪れない。
なんとしてでもナーブをここにとどめ置き、自分のために働かせる必要があるのだ。
とはいえ、
「いきなりいい案考えろと言われても……」
当然のごとく、ナーブにそんないい案が思いつくわけもない。
むしろさっさと逃げたいという思考で頭を埋め尽くしてしまっているため、普段より頭の巡りは悪い方だ。
それはイシュルも察していたのか、少し困ったように腕を組みその上に豊満な胸を乗せながら、
「そうね。今晩一晩ゆっくり寝て考え……どこみてんのよ?」
「いや、すいません」
男ならそれには抗えないかと。と、言い訳しながら、ちょっとだけ節操のない自分に失望しつつ、ナーブは全身全霊でその魅惑的な光景から目をそらす。
――こんな女神に発情するなんて、男云々以前に人として不味い! と言いたげに。
「それはそれでなんか気にくわないけど、まぁいいわ。とにかく一晩ゆっくり寝て考えなさい。思いつくまでは待ってあげるわ!」
「おや、意外と寛大なんですね?」
「当然よ! 私の信者になった以上私の大切な人ですもの! 珠の如く扱ってあげるわ!」
「それを聞いてひとまず安心……」
「まぁ、信者であるからには、他の巫女や神官がきてくれるまでは私のお世話をきちんとしてもらうけどね!」
「………………」
――早く! 一秒でも早く、この女神を押し付けられる新たな人員を呼ばなくては!
と、ついさっきまでの経験から、イシュタルの理不尽さとわがままさを思い知ったがゆえに、逆に激しい焦燥感に駆られながら、ナーブは寝床に入るほかなかった。
…†…†…………†…†…
「「「…………………」」」
天井に広がる海底空間にて、三人の痛いほどの沈黙が満ちる。
それを破るように口を開いたのは、やはり客観的に現状を見られるU.Tだった。
「あぁ、うん。やっぱりイシュタルの神話が反映されているな、この子。なんというか、傍若無人の塊だわ」
「とかいいつつ、腕組みおっぱいに釘付だったくせに」
「男の子なら仕方ないでしょう!」
涙を流しながらひれ伏すU.Tをしり目に、ソートとシェネは顔を突き合わせてどうしたもんかと眉をしかめた。
「あれほんとうにこのままのさばらせてもいいの? 大丈夫なの? ここでへこませておいた方がよくない?」
「な、なんやかんや言って可愛げがあるじゃないですか! ちょ、ちょっと調子に乗っているだけですから、生暖かく見守ってあげましょう! ねっ! まだ生まれたてですし!!」
「本気で言ってんのかお前?」
「…………………」
ソートの質問に対し、シェネは瞬時に口を閉ざし、気まずそうに視線を逸らした。
そんな相棒の姿にため息をつきながら、とりあえずソートは神器作成画面を開く。
「とにかく、このままじゃあのナーブとやらがあんまりにも可哀そうだ。なんとかしてやろう」
「というと?」
「いい案が浮かんだら解放してもらえるかもしれんのだろう? なら、いい案を思いつく手助けをしてやればいい」
幸いなことに、そういうアイテムのレアリティはあまり高くない。
なぜなら、やることと言えば現実世界のデータベースの引用なのだから。
適当な知識系概念結晶を二つほど消費し、そのアイテムは割とあっさり完成した。
「これを、ナーブに送る」
出来上がったのは、見た目はただの石板。だが、
「じ、人類にはまだ早いんじゃないか?」
「中毒になっちゃいますよ!」
「やめろっ! ちょっと不安になっちゃうだろっ!」
二人の指摘にちょっとだけ顔をひきつらせつつ、ソートはその石板を下界に送り込む。
まだネット自体はできてないんだし、きっと大丈夫だと……内心自分に言い聞かせながら。
…†…†…………†…†…
明朝。
東に座すエビス山から朝日が差し込む。
その光を受け、目を覚ましたナーブは、傍らにて小さな寝息を立てる絶世の美女――イシュルに一瞬見とれた後、
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
あれだけ酷い目にあったのにその女になお見とれるって、男ってホントに……。とちょっとした自己嫌悪に陥りつつ、朝日に向かって手を組んだ。
自称女神であるこのイシュルは、どうやら天空神エアロを父として仰いでいるらしい。なら、
「どうかお願いしますエアロ様! あなた様の娘を自称するこの不届きものに、魂の鉄槌をお与えください! もしマジで娘なんだったら、お願いしますから引き取っていただきたく……!」
手ごたえはない。当然だ。かつてエアロの声を直接聞けていたエルクアロリアの神官たちも、最近ではめっきりその声が聞こえなくなっているという。
エアロ様が人を見捨てたのか? と、一時期は騒がれていたが、どうやら単純に人の力が弱くなったのが原因だったらしい。
実際《天命の儀》は今までどおり問題なく行われているし、エアロは人々を正しき道に導いている。
ただ人の力が弱くなってしまったがゆえに、《天命の儀》以外で人は天空の覇者たるエアロに触れられなくなった。
他の神々も同じ。ジグラッドの階段神殿にいる神々の声を聞ける者は、年々減ってきている。声を聞けること自体もはや奇跡として扱われ始めているのだ。
だからこそ、地方ではエアロ様に匹敵するなどと自称する不逞の神々が跋扈し、人びとを混乱へと陥れるという事態にもなっていた。
それを解決するために遣わされたのがナーブ。神を記し、そのありようを定める代書士。人々が不逞の神に惑わされぬよう、形として神の概念を残すことを命じられた、神話の紡ぎ手である。
――だから、私はこのような頭おかしい娘に仕えている場合ではないのです! どうかエアロ様! その大いなる掌をもってして、私を苦難からお救い下さい!!
一心不乱に、ナーブは祈った。救ってくれと祈り続けた。
まさかその祈りが、エアロを飛び越え別の神につながるなど、この時の彼は想像していなかっただろう。
そして、その奇跡は彼の前に具現化する!
…†…†…………†…†…
閃光が、ナーブの頭上に現れた!
「え?」
驚き、光の方へと視線を向けたナーブは、光り輝きながら空からゆっくり落ちてくる、真っ白な石板を見た!
「こ、これは!」
思わずそれに手を伸ばすと、白の石板はまるでその仕草に従うかのようにゆっくりと降下し、ナーブの手に収まった。
ナーブは手を震わせながら、刻まれた、楔のような文字を手でなぞり、声に出す。
「ソート……アシスタント? まさかこれは!?」
創世神様の!? と、ナーブが気づいた瞬間だった!
石板から薄い青い光が飛び出し、石板の上に半透明の画面を展開したのだ!
「うわっ!?」
突然の石板の異変にナーブはそれを取り落したが、石板は割れることなくゆっくりと地面に着地し、展開した半透明の画面をナーブの視線の高さまで浮かべる。
その画面には、楔文字でこう書かれていた。
『ようこそ、ソート・アシスタントへ! 御用件をどうぞ』
「……………っ!」
これはソート様のお導きだ! と、慌てて石板に飛びついた彼は、必死に石板の操作方法を調べる。
「どうやった!? どう使うものだこれは!?」
すると、ナーブが動くとともに、展開されていた画面も彼の目の前へと戻り、ナーブの質問をまず画面に浮かべる。
『どう使うものだ?』
『音声入力による質問に返答させていただきます。疑問があれば直接声でご入力ください』
「喋れば答えてくれるのか!?」
『喋れば答えてくれるのか!?』
『Yes』
「で、では神殿の作り方を! どうすればこの場に神殿を作ることができる!」
『で、では神殿の作り方を! どうすればこの場に神殿を作ることができる!』
『検索結果を表示します。
外つ国の情報を精査する限り、現在の文明ランクによる神殿建造には多大な労力が必要と推察。
人員を集め、その人員を長期でとどまらせることが可能な設備を建造し、昼夜を徹して神殿造りに従事させるほかないかと』
「人を集めるだと!? そんなことできるわけがない!」
彼がイシュルにとっ捕まり、イシュルが神殿を作ると決めた大地は何もない盆地だ。人っ子一人いないこの寂れた土地に人を集めることなど、叶うわけがなかった。
だが、
「こんな場所に人を集める方法があるなら、教えてもらいたいものだねッ!」
『こんな場所に人を集める方法があるなら、教えてもらいたいものだねッ!』
『検索結果を表示します。
現在の土地を精査する限り、河から運ばれた非常に栄養豊富な土が堆積しており、農耕の適した土地であると推測できます。
また、近くに河もあり、その形状から河が氾濫する可能性が低く、居住する土地としては申し分ない立地であると思われます』
「え?」
石板が告げた唐突な真実に、ナーブは思わず寝息を立てるイシュルを振り返った。
――まさか、それを察してここに神殿を立てると?
「ま、まさかね?」
『ま、まさかね?』
『すみません。よくわかりません』
「それは答えなくていい!」
『それは答えなくていい!』
『どういたしまして』
「なにが!?」
どうやら対応外の言葉には弱いらしい石板にツッコミを入れつつ、ナーブはひとまず深呼吸。
状況が打開できる可能性が見えてきたので、一つだけ尋ねる。
「この土地に、人を呼ぶ方法はあるのか?」
『この土地に、人を呼ぶ方法はあるのか?』
『検索結果を表示します』
そして表示された文字たちを見て、ナーブは黙ってその文字に視線を走らせた。そして、
…†…†…………†…†…
「ん~もう朝?」
目覚めたイシュルに振り返ったナーブは、白い石板をこっそりと荷物の中に隠しながら、にっこり笑いかけた。
「イシュル様、閃きましたよ」
「ん? なにを?」
「この土地に神殿を作るための、完璧な策が!」
その瞳に、もう迷いはなかった。