無垢だった願い
「…………………」
その光景を見て、ソートたちはしばらくの間絶句していた。
その後、かろうじて思考停止から脱したソートが震える声でシェネに尋ねる。
「シェネ。人型神器は壊されるとどうなる?」
「……通常の器物型神器――つまり、マスターの銃やU.Tさんの各種アイテムなんかは壊れても、天界に送還されるだけで済みます。その際には破損個所も修繕されるので、壊れた場合は天界に帰れば問題ないのですが……人型、生命型の神器は少し特殊でして」
「要点だけ言えっ!」
「彼らにはHPがあります。全損すれば、他の生命と同じように死にます」
「……………そう、か」
一番知りたかった情報を聞きだし、ソートはよろよろと後ずさった後、ため息とともにへたり込んだ。
「またやっちまったか……」
「まぁ、仕方ないだろう……」
悲しげに声を震わせるソートに対し、少し悲しそうな顔をしながら、U.Tは肩をすくめただけだった。
まるで、そういうこともあるさと言いたげに。
「あっさり言うんだな」
「俺はあんまり感情移入しない性質だしな。なにより、人間染みた思考回路を持ったAIがいるゲームしていたら、幾らでもぶち当たる命題だろうよ。俺だって、あいつらが生きている人間に劣るとは考えちゃいないが、人が生きていりゃいつかは死ぬだろう。一々それを悲しんでいちゃ、だれも前に進めないさ。BSOじゃNPCが死ぬことも多かったしな」
「……そうだな」
――所詮NPCなんだから死んでも構わんだろう? などと、他の連中が言うようなことを言われなかったのが、ソートにとっての救いだった。
人間として扱うなら、人が死んだときのように割り切れと。
悲しんでもいいし、惜しんでもいいが、そこにいつまでも立ち止まるのはいけないと、U.Tは言った。なら、
「……シェネ。人型神器は本当に死ぬだけなのか?」
悲しむのはあとだ。あの子が守ろうとしたマルアトが、まだ戦っているのだから。
そう思い直し、深呼吸した後立ち上がったソートの質問に、シェネは即座に画面を呼び出し、攻略サイトに記載されている人型神器の項目をソートに渡す。
「無論違います。人型神器は死んだあと、ベースとなった概念結晶に生きている間に蓄積した経験値を追加して、創世神に送り返すというイベントを高確率で起こします。当然経験値が蓄積された分、概念結晶は強化されそのレアリティが上昇しています。そのため、人型・生命型の神器はガチャでいい結晶が引けなかったプレイヤーが、手持ちの概念結晶を強化するためによく使われる神器なのです」
「死ぬことが前提の神器とか……趣味が悪いとは思うが、だが、それなら話は早い。エンゲルの結晶は戻ってきたのか?」
「私の能力をなんだと思っているんですか?」
幸運値の上昇。シェネが保有するそのスキルにより、ただでさえリターン率が高い生命神器からの概念結晶返還は、ソートにはほぼ確定と言っていい割合で起こる。
あそこまでレアリティが高い結晶を使われた神器だと、多少の返還確率減少が起こるのだが、シェネの幸運地上昇はそれをものともしなかった。
ログにはきちんと、『天使型神器・エンゲル死亡:概念結晶ドロップ。創世神に返還されます』の文字が記載されている。
だが、
「でもおかしいです。普通ならとっくに結晶が送られているはずなのに……」
「まだ来ていないな?」
いったい何があった? と、ソートたちがログをさかのぼっていくと、そこには信じられない文章が書かれていた。
「なっ!?」
『天空神エアロの介入により、返還処理を一時停止中』
…†…†…………†…†…
「……ここは?」
エンゲルが目を覚ますと、そこは黄金の階段が連なる巨大な神殿だった。
いったい何が起こったのだろう? と、エンゲルは首をかしげながらとりあえず頂上が見えない神殿に向かって飛んでみた。
見る見るうちに階層を飛び越えていく彼女の姿に、何人かいた階段の守り人たちは驚き目を見開くが、そんなことはエンゲルの知ったことではない。
とにかく戻らねばと、そんな本能に突き動かされ彼女は神殿の最上階を目指す。
そして、最上階に到達した彼女を迎えたのは、
「これは驚きだ。まさかここまで染まらぬものがいるとはな」
「?」
「あの戦いで多少は欲望を示すかと思えば、これではセントに対する切り札にならんではないか」
忌々しげに舌打ちを漏らす、黄金の髪と瞳を持った青年が、表情を険しくしながらエンゲルを睨み付けていた。
…†…†…………†…†…
エンゲルは無視する。彼は帰るべき存在ではないと、本能が訴えかけたから。
だがしかし、エンゲルが彼の頭上を飛び越えようとすると、無限に広がる蒼穹に天井が出来上がり、彼女の上昇を阻害した。
「…………」
「フン。言いたいことは分かるがしばし待て。それでは帰ったところで意味がない」
不満げな顔をするエンゲルの一瞥に、青年は鼻を鳴らしながらエンゲルを手招きした。
するとどうだろう。エンゲルの体が勝手に青年の元へと引き寄せられていく。
突如自分の身に起こった不可思議な現象に、エンゲルは慌てるようにもがきだすが、不思議な力はその程度の抵抗などものともせず、エンゲルを青年の元へと引き寄せた。
「生意気なシャマルは今あの不良神官の延命にかかりきりだからな。ちょうどいいと言えばちょうどいいか」
「……何を」
「ほう、この状態になってなお、言葉を発するだけの自我は芽生えていたか。よしよし、それならばまだ希望はもてよう」
そういうと青年は、眼前に引き寄せたエンゲルに向け、さっと手を下げるような動作をする。
それによってエンゲルの膝はまるでそうするのが当然だといわんばかりに折れ、青年の眼前に跪いた。
「っ!?」
自由にならない体という前代未聞な現象にエンゲルが恐れおののく中、青年はエンゲルに問いをぶつける。
「問おう、無垢なるものよ。汝は何ゆえその姿になったのか?」
「ワタクシは答えます。それはワタクシが死んだからです」
答える気はなかった。だが、口が勝手に答えていた。
――やはり、ワタクシの体は何かがおかしい。
体がガタガタ震える。目の前の青年が怖くてたまらない。だが、それでもエンゲルは逃げることはかなわない。
ただ粛々と、青年の問いに答え続ける。それだけが、今のエンゲルに許された行動だった。
「問おう、無垢なるものよ。汝は何ゆえ、死んだのか?」
「他殺です。でも、原因としてはワタクシの過失だと思います」
「なぜ?」
「ワタクシ――私は、ある人を守ろうとしとしました。その人が殺されそうだったので、その人を殺しかねない攻撃を、私の体で受け止めました。だから死にました。結果として、私を殺した人は私を殺す意思がない状態で私を殺したことになります。その原因は攻撃に飛び込んだこちらにある。ゆえに、私の過失だと判断しました」
「よろしい。素晴らしい状況判断能力だ。上の愚物の玩具にするには惜しい存在だ」
「??」
心底惜しそうに自分の身を惜しんでくれる青年の言葉に、恐怖に震えていたエンゲルは、ようやく少し心に疑問が浮かんだ。
――この人はなぜこんなことをするのだろう?
人の行動には理由がある。高度な自我を持つ存在ならばとくにだ。ならばこの青年は、いったいどういう目的で自分にこんな質問をしているのか? 青年のこちらの身を惜しむ言葉に、エンゲルはようやくその疑問へと行き着いた。
「では再度問おう。無垢なるものよ、お前はなぜその男を守ろうとした?」
「え?」
「守りたいからにはそれ相応の理由があるのだろう? 何故攻撃に飛び込んでまで、その男を守ろうとした?」
「……私――当方は、英雄支援神器エンゲルです」
――そうだ、当方の名前はエンゲルだった。エンゲルという名の神器だった。
「その製造目的から、英雄の支援を行うのは当ぜ……」
「ウソをつくな!」
「――ぇ!」
口が無理やり閉ざされた。ただの一喝、わずかな青年の怒りに触れただけで、エンゲルの体は委縮する。
だが、そんなエンゲルの怯えた様子など気にも留めず、青年はただ厳しく詰問を続ける。
「貴様は聞いたはずだ! あの二人の口論を!! あの場に正義などいなかったと!!!! あの場に英雄などいなかったと!!!!!! あの場にいたのはただの人間だ! 己が罪を償うために戦い続けた荒野の裁定者ほどの純真さはなく、己が愛する者のために剣を振るい続けた防人程の高潔さもない! ただ己の罪に怯え逃げ続けた愚か者と、そんな奴の器すらはかり損ねて馬鹿をやらかした愚劣な者しかいなかった!! そんな中で何故、お前はあの罪に怯える罪人を助けたのか? その理由を問うているのだっ!!」
空気が震える。空が割れて落ちてきたような錯覚すら覚えた。
そんな恐怖を覚える憤怒が満たす空間の中、エンゲルは震えながら、涙を流しながら、ゆっくりと口を開き、
「わ、私は……」
心に浮かんだ答えを、ただ告げた。
「マルアト様に……死んでほしくなかった」
「………………」
「誰が何と言おうと、私はあの人が……いい人だと思ったから。だから!」
そうだ。私は……当方でも、ワタクシでもない……私は!!
「私は、エンゲルだ。支援神器でも、あの人の相棒でもない。エンゲルという個人が、あの人が正しいと思った。たとえあの人自身が自分は間違っていると思っていたとしても……泣いている人に、理由なく手を差し伸べられるあの人こそが、正しいと思ったから! だから、あの人に報われて欲しいと思った。死んでほしくないと。生きて笑っていてほしいと。だから、あの人を馬鹿にするな! それをした奴は誰であろうと……神様だって許さない!!」
もう体は震えていなかった。
止まらない涙を流しながら、エンゲルは確かに立ち上がり、不機嫌そうに目を眇める青年を睨み付けた。
怖くても、勝てないと分かっていても……これだけは魂を賭けて、譲るわけにはいかないと理解できていたから。
そんなエンゲルの姿に、青年は鼻を一つ鳴らしただけだった。
ただ彼は、粛々と真理を教えるだけのものだった。
「貴様のそれは正義でもなんでもない。誰かの側に立つ正義は、敵対する者の悪になるがゆえに。だからお前のそれは、ただの自己満足だ。純真無垢な正義などとは程遠い」
「知っています」
「無垢だったものよ。それを抱いた以上、お前はかつてのお前ではいられないぞ?」
「わかっています」
「たとえこのまま天上に帰り、新たな姿を与えられたとしても、貴様の記憶は継承されないぞ? 貴様は今、わずかにあったその可能性すら潰したのだ」
「それがあなたの望みなのでしょう?」
だからこそ、エンゲルは青年の望みを察していた。
自我を得たからこそ、エンゲルは彼の目論見を悟ったのだ。だから、いう。
もう、譲らないと決めたから。
「ガタガタ抜かすな、天空神。私はあの人のために帰らないといけないんだ! さっさとここから出せ!!」
「……くくくっ。よかろう。エンゲル。我はお前の誕生を祝福しよう。そのどこまでも身勝手な力を振りかざし、大地に根付いた巨悪を切り離すがいい」
この世界に、純粋な正義など存在しない。それは、無垢なるものが正義に染まることによって証明した。
ならば、純粋な悪として、悪に対する無敵の力を身に着けた悪はどうか?
純粋正義がなし得ぬのならば、純粋な悪はなし得るのか?
「徒労……ですね。えぇ、この試練はただの徒労です」
「その通りだ。そして、人間にそれを思い知らせるための試練でもある」
「悪趣味な」
「ベースは貴様の主が作り出したものだぞ?」
皮肉げな笑い声をあげる青年に背を向け、エンゲルは再び翼を開いた。
そして、放たれた矢のように天上を目指す彼女を――阻むものはもうなかった。
…†…†…………†…†…
そして、エンゲルは到達した。
何もない、ただ水だけがある蒼い世界に。
そこに飛び出した彼女は、見る見るうちに体を解かし、一つの結晶体へと変じる。
それに気付いたかつての主が、慌てた様子で彼女を掴み取った。
その暖かい手の感触に安心しながら、彼女はただ消えゆく意志の中で願う。
――あぁ、どうか。お願いします。ソート様。
その願いは、
「……わかっている。心配するな」
確かに聞き届けられた。
…†…†…………†…†…
手の中に転がり出てきた一つの結晶をじっと見つめた後、ソートは即座にウィンドウを開き、この結晶の加工に移った。
「……マスター。何を作るつもりですか?」
「決まっているだろう!」
――こいつの願いをかなえるものをだ!
そう言ったソートの目は、結晶のステータス画面にくぎ付けになっていた。一言一句、そこに書かれたテキストを忘れぬように。
《無垢だった願い:☆☆☆☆☆★★★★
内包概念:たった一人の少女がすべてをなげうって届けた願い。強固にして純粋なそれは、ただ一人の男のためにささげられた。
ストーリー:お願いします。どうか、もう一度、あの人を守る力をください》